第5話 誉れの騎士(2)
マウリアを出発してから半日、僕たちは山の麓近くまで進んでいた。まっすぐ伸びる街道は邪魔するものもなく、僕と荷物を載せたヒルドラコも落ち着いて歩いている。天気は晴天、わずかに出ている雲も日差しを遮ることはない。一見してのどかな旅路だった。
「……」
「……」
ただ、沈黙が胸に痛かった。従者として契約をしたはいいものの、当初の予定だったヒルドラコの先導はできず、雇い主の負担を軽減できる魔法があるわけでもなく。僕はただヒルドラコの背中に荷物と一緒に乗っかっているだけ。はっきり言って役立たず以下、完全なるお荷物だった。当然、雇い主である王都騎士にかけられる言葉なんて持っていない。
「よし、ここらで休憩にしよう。さすがにちっと疲れた」
自己嫌悪で潰れそうだったところに、そんな声が掛けられた。足を止めたヒルドラコから慌てて飛び降りる。
(そ、そうだ、休憩のときのお世話!お水とか……!)
近くに生えていた木の木陰に入った騎士を追いかけて、背嚢から水筒を取り出す。声をかけようとして振り向くと、彼は既に水筒に口をつけていた。
「おお、今のうちに見ず飲んどけよ。山の中では休憩できんかもしれんからな」
「そ、そうですね……!」
頷いてぐい、と水筒の水を煽る。
(って何を言われるままにしてるんだ僕はーー!)
自分の水分補給などどうでもいい。むしろただ荷物になっていただけだから休憩など必要ないのだ。ここまで半日近く歩き通しだった彼になにかしなければ。
「あ、あの!何かいるものありませんか!?食事とか……!」
「ん?いや、特には。昼は食べたし、中途半端に入れるとこのあと辛いしな?」
「じゃ、じゃあヒルドラコの世話……」
「お前嫌われてるだろう」
「ま、マッサージとか……」
「鎧脱ぐのは面倒だなあ……」
再びの沈黙。だめだ、何もない。僕にできることは黙って荷物の一部になることだけだ。
肩を落としながら彼から離れようとした時、呼び止められた。
「おいまて、ええと。ラングだったっけか」
「あ、はい……」
「せっかくだ。話し相手になってくれよ。俺は黙ってるの苦手でな」
そう言って彼、ヒルグラムはにっ、と笑った。
*
「なるほどなあ。それで従者始めたってわけか」
「はい……でも、こんな感じで……」
木陰で座り込んで話を初めて一時間ほど。なんだかんだ今までの経緯を話してみたところ、ヒルグラムさんは楽しげに聞いてくれた。話してみてわかったけれど、ヒルグラムは騎士と言う割に庶民的だ。
「はは、初めてなんてそんなもんだろう。っと、そろそろ行くか」
そう言ってヒルグラムは僕の頭をぽん、と叩くと立ち上がった。僕も慌てて立ち上がる。木陰の近くで草原の草を食んでいたヒルドラコも手綱を引かれて動きだす。ヒルグラムさんには背中に乗るよう促されたが、断って彼の横を歩くことにした。強く求められなかったし、何よりもっと話をしたかったから。
「あの、ヒルグラムさん、は……出身はどちらなんですか?」
「ん、俺か?アイスレフのほうだな。知ってるか?こっからだと離島になるんだが……」
「アイスレフって、たしかすっごい大陸の端の方のーー」
ヒルグラムさんはその言葉に苦笑して頷いた。
「そう、田舎だ。人なんて五十人くらいしかいないしな」
多分何度も言われてきた言葉なんだろう、その苦笑いにはちょっとした陰が見えた。その顔をごまかすようにヒルグラムさんは続ける。
「まあそんなところの出身なんでな、お前さんの焦りもわかるなあ。俺もこっち出てきたときにはとにかくなんか仕事しなきゃって躍起だったし」
「え、そうなんですか?」
「そうとも。なんだ、生まれたときから騎士だとでも思ったか?」
「あ、いえ、そんなこと……」
そう言いながら、少しそんなふうに思っていたところがある。
「あいにくとそんな名家に生まれたわけじゃないしな。剣術判定がAだったから騎士になれただけだ」
ゆったり歩くヒルドラコの隣で、重くなった足が置いていかれないようにしながら話を続けた。
「でも王都騎士になれたんですもん、ヒルグラムさんはやっぱり、すごい人です……僕はできないことばかりで」
「そうか?これでもできないことは多いが」
肩を竦めるヒルグラムさんが、不意に足を止めた。つられて足を止めて、彼の見上げる先を見る。視線の先は、ゆったりとした坂道が続いていた。
「さて、お喋りはこのへんまでだ。いよいよ山だからな。体力は温存しとかんとな」
「は、はい……!」
坂道の先に広がる鬱蒼とした森を睨みながら頷く。山の中は夜に動く生き物が多い。獰猛なものも多いから、山越えをするなら日が落ちる前に超えきらなくてはならないのだ。今のペースで行けば大丈夫だろうけど、緊張はする。
「そう緊張するなよ。こいつまで怯えちまうだろ?」
ヒルドラコをつつきながら彼はそう笑って、今までと変わらない調子で歩き始めた。僕も黙ってその後を追う。
このとき、あるいは彼を止めておけば。それに気づいていればよかったのに。
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