第4話 誉れの騎士(1)
マウリアの町の西側、山の裾野に近い市街地の端にある門の前で僕は雇い主を待っていた。手慣れたいつもの皮鞄を背嚢に変えて、手持ちの服では一番上等な作りの白いシャツを着てきた。予定よりかなりはやく着いてしまって、うろうろと落ちつきなく歩き回ってしまっている。
(落ち着け、落ち着くんだ。先生に言われたことを思い出して……)
ゆっくりと深呼吸をして、昨日の放課後のことを思い出す。先生に言われた、雇い主についての情報。
「王都騎士団員ヒルグラム=ウェンティコ。先日、大型竜種ヨルンドラコの討伐に成功して王都に配属になった騎士だ。今回は田舎から王都へ異動のための旅になる。まあ引っ越しだな、要は」
「え、じゃあ目的地は王都ーー」
「いや、途中で騎士団の出迎えがあるらしい。だからお前が行くのは山を超えた隣町のプレイシタまでだ。片道三日程度だな」
プレイシタはマウリアから一番近い町だが、山の向こう側にあることもあって商人ぐらいしか行き来していない町だ。僕も行ったことはない(というかマウリアの町から出たことがない)。
「難所となるのは山越えだが、まあ夜中に移動しなければ大丈夫だろう。街道もあるしな。そもマウリアから出るなら避けて通れん道だ。ああそれとーー相手は騎士様だ。それも王都に栄転するような。なにか粗相があれば大変なことになる。くれぐれも、気をつけろよ?」
先生のニンマリとした笑顔まで思い出したところで顔を覆いたくなった。ああ、なんでよりによって初めての相手がそんな身分の人なのだろう。
幸いにマウリアの四箇所ある門に門番はいないので、あちこちうろつく怪しい僕を呼び止めるものなのいないが。
「おう、お前が旅の従者か?」
「ひっ!?」
いや、いた。いました。思わず悲鳴じみた声が上がってしまった。恐る恐る声を掛けられたほうを振り返る。
「何だ、違ったか?しかし他に誰もいないし、遅刻か?感心しないな……」
立っていたのは僕より頭二つ分近く背の高い大男だった。がっしりした体つきに短く切り揃えられた髪、きれいに剃られた髭と顔にいくつか目立つ切り傷があって、優しそうな顔立ちの印象が薄まっている。身にまとった銀の鎧もいかつい印象を強めている。
「あ、いええっと、従者です、あってます。僕は……」
「なんだ、あってたか。しっかり返事はしろよ男の子。名前は?」
なんとか声を絞り出して答えると、男は腕を組んで肩を竦めた。
「ら、ラング、です」
「ラング、か。俺はヒルグラム=ウェンティコ。ウェンティコは称号みたいなもんだから、ヒルグラムと呼んでくれ」
にかっと笑う彼の言葉に頷く。鎧の胸元に青い狼の文様が描かれているのに気づいて、緊張が高まった。
(王都騎士の紋章……)
言葉だけでなく本当に、目の前の男が王都騎士なのだと実感する。
「あ、そうだ、契約書……!」
真っ白になりそうな頭をなんとか動かして、背嚢にしまっていた契約書を慌てて取り出す。さっきウロウロしている間に用意しておけばよかった……。
「なんだ、そそっかしいというか慌ただしいというか……不慣れなのが一目瞭然だな」
「す、すみません、はじめて、で……」
消え入りそうな声で言い訳しながらおずおずと契約書とペンを差し出す。
「はじめて、ね。別にいいが、雇い主にそれを言ったら不安にさせるだろう。控えたほうがいいぜ?」
「す、すいません……」
騎士は手慣れた様子で契約書にサインをしながらこちらを見下ろしている。その視線だけで体が強張って、声が出にくくなる。まずい、苦手な相手だ……。
「ともかく、これで契約は完了だな?期限は三日。隣町のプレイシタにつくまでだ。街道を使って移動するが、今回はちっと荷物が多いからな。ツレがいる」
「え、お連れさん、ですか……?」
それなら従者などいらないのでは、と言いかけて、彼の後ろをみて腰を抜かしそうになった。
「おう、見ての通りだ。ていうか気づいてなかったのかお前。視野の狭いやつだなあ……」
彼の後ろに居たのは、僕の背丈の倍以上ある巨体を持つ生物だった。
「ヒ、ヒルドラコ……!」
竜種ヒルドラコ。丸太のような太く短い足と大きな丸い頭が特徴的な草食生物。群れで活動し、温厚な性格だが暴れ始めたら騎士団が出動するくらいの騒動になる。体の大きさと皮膚の硬さのおかげで天敵はほとんどいないとか……。
「なんだ、初めて見るか?こちとら引っ越しなんでな。家具とか仕事道具とかは持っていかにゃならん。こいつの背中が必要だったんだよ」
「な、なるほど……それで従者を……」
納得がいった。ヒルドラコはその温厚さゆえ荷物運びの家畜として飼われることも多い。固く広い背中は荷運びには都合がよく、人や物を載せてもさして気にしない。だが隊商などではよく使われるヒルドラコは個人で使うことはあまりない。なぜならーー
「そう、お前さんにしてほしいのはヒルドラコの先導だ」
ヒルドラコは、先導が居ないと移動しないからだ。野生のものは群れのリーダーにしかついていかず、飼育したヒルドラコは人間をリーダーとして覚える。なので、ヒルドラコを使うときは誰か一人が手綱を引いてやらなければならない。それ故個人でヒルドラコを使うと乗り物の役目をしないため使われにくいのだ。
「なるほど……わ、わかりました。やってみます」
頷いてそっとヒルドラコへ近づく。薄っすらと開いた瞳でこちらを見つめるヒルドラコの手綱に、恐る恐る手を近づける。飼育されたヒルドラコは人間であれば誰であれ警戒はしないはず……。
バクン!
「!?」
伸ばした手が手綱に触れる寸前、僕の頭を丸呑みできそうな大きさの口が、噛み付こうと目の前で閉じられた。既のところで手を引っ込めたから良かったものの、危うく腕ごとなくなるところだった。
「あ、の……!?」
「あー、嫌われたか?普通そんなことないんだが……」
ヒルグラムはぽりぽりと頭を掻いて肩を竦める。
「仕方ねえ、先導は俺がやるよ。お前は荷物落ちないように背中に乗っててくれ」
やれやれと言った様子でそう言う騎士の言葉に、今しがた噛み付こうとしてきたヒルドラコを見ると、素知らぬ顔で主人の方を見ていた。
「は、はい……」
「暴れられたら困るからな、俺が載せてやるよ……っと」
おとなしく頷くと、ヒルグラムは僕をひょい、と片手で担ぎ上げて荷物の積まれたヒルドラコの背中に載せた。
「さて、んじゃあ行きますか」
騎士に手綱を引かれて、ゆっくりとヒルドラコが歩き出す。踏み慣らされた街道に沿って、山の裾のに広がる平原へ進んでいく。よく晴れた西門の外に広がる景色の明るさと裏腹に、僕の胸は不安でいっぱいだった。
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