第2話 日雇い従者、はじめます。(2)

 学校の校舎を離れた僕は、夕焼けの照らす町並みを見下ろした。坂の上に建てられた学校からはこの町全体が見渡せる。城壁のようにそびえる山々に日が沈みかけて、ゆっくりと町に陰が落ちはじめていた。

 マウリア。僕の生まれ育った町。周囲を小高い山に囲まれたこの町は、都市部との中継点として機能することで栄えてきた。宿屋と農業、その他接客とかで成り立つ町。見慣れた、なんてことない町。

 とろとろと坂道を下って、区画を二つほど過ぎる。町に建つ建物のほとんどは木造で、あまり代わり映えのしない造りをしている。昼間の店が締まり始めるこの時間帯は特に、看板が出てなければどこが何やらわからないだろう。

 街灯に魔力光を灯す巡回騎士と魔術師とすれ違う。僕の帰路のほうから歩いてきた彼らの通ったあとは街灯と窓から漏れる明かりで照らされていて、町は夜の姿に変わっている。


(さながら夜の帳を下ろす騎士……なんて、ね)


 よそう、詩人でもあるまいし。そもそんなセンスがあっても魔術が使えなければ楽器も扱えない。この世界の常識だ。


「あ、やっと帰ったね!?遅いわよラング!」


 自虐の笑みが浮かぶ前に怒鳴りつけられて、肩が跳ね上がる。いつの間にか家の前についていたらしい。怒鳴りつけてきた母親への言い訳もそこそこに、僕は二階建ての家の自室、二階の角部屋に駆け込む。部屋数五部屋の小さい宿屋である我が家だが、一階で酒場も兼ねている(というかこちらが主な収入源)ため、夜は忙しい。家に帰ったらまずは開店の準備をして、二時間くらいは店の手伝いをする。それが僕の日常だった。


(でも、これがずっと続くわけじゃないんだよな……)


 テーブルの掃除をしながら、学校でのことを思い出す。少し前までこの仕事をなんとなく継いで生きていくんだろうと思っていた。でもそれも難しいとわかった今では、僕の未来の姿が全く描けなくなってしまった。正直この仕事は退屈なところが多いが、それでも何もできないよりはマシだろうと思えてくる。胸に溜まったもやもやを吐き出すようにため息が漏れた。なんとなく世界の理不尽さとかに頭が行ってしまう。


「こらラング!ため息なんぞついてんじゃねえ!」

 父の怒号が飛ぶ。まっこと、世界は理不尽なのだ。



 翌朝。窓際で騒ぐ小鳥の声で目を覚まして、母の作った卵とベーコンを焼いてパンに挟んだだけの、適当な食事を詰め込んで学校に向かった。石畳を革靴の底で叩きながら坂道を登る。僕と同じように学校に向かう生徒の会話が、やけに気になった。もちろん僕のことなんか話してはいないんだろうけど、なんとなくそんな気になってしまった。


(あ……先生からの手紙の話、忘れてた)


 そこで昨日のことを思い出した。うっかりと両親には話せていないので、先生への返事は待ってもらわなくては。


「ん、来たなラング。おはよう」


「あ、先生…おはようございます」


 考えていた矢先に先生と鉢合わせた。いつも校門のところに朝はいるから、当たり前なのだけれど。


「昨日の件は考えてきたか?ほら、日雇いの」


「ああ、ええっと。まだ両親に話せてなくて……」


 歯切れ悪く答えると、先生はこてりと首を傾げた。


「……いや、お前自身のことだぞ?ご両親に許可はいるだろうが。まず自分がどうしたいか決めろ?」


「え、あ、いや……はい」


 焦った。あまりにも当たり前のことを言われただけなのに、焦ってしまった。


 決める?僕が?何もない僕が、誰かからの言葉じゃなく自分の意志で決める?そんなのはーー。


「難しすぎるって顔をしているな?」


 見透かしたように先生が言ってくる。この先生はいつもそうだ、見たくないことから目を逸らさせてくれない。言ってることがいちいち正しくて、辛い。

 正直にコクリと頷いた。僕はまだ15歳で、自分のことを決めるにはまだまだ知らないことばかりで。これまで当然のように周りに決められた道を歩いてきたしこれからもなんとなくそんなつもりでいたから。そんなつもりでいたことに気づいてしまったから。


「うん、だろうな。自分の一存で自分のことが決まってしまうのは怖い。でもそれは、お前が決めていいことだ」


「そ、うなんでしょうか……自信ありません」


「正解はないからな。答え合わせがないことも多い。だから、やりたいことを選べ」


 「やりたい、こと……」


 ない。そんなものはない。そう言い切ってしまおうとして、その口を閉じた。


(それは、逃げだ……だってまだ、探してもいないから……)


 探してないうちからないと決めつけるのは楽だけど、せめて見てからでいいと思った。だから。


「先生、僕……やってみます」


 そう、思ったより小さな声で答えた。それを聞いた先生は、そうか。と短く答えてくれて、でもその表情は下を向いていた僕にはわからなかった。

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