06

「んじゃ、契約書持ってくるから待ってて」


「あっ、はい」


 これは、予想以上の急展開だぞ……と、良太は自分に活を入れた。

 気を抜けば振り落とされそうだ。


「ウチの専属作家になるってことは、今の勤め先を辞めるってことだけど。

 そこ大丈夫?」


「専業作家、ですか……」


「え、兼業がよかったの?」


「とっ、とんでもない!

 謹んで、専業作家にならせていただきます」


 出世だ、大躍進だ。

 普通、新人賞を獲ってデビュー作が世に出たとして、それ一本で食べていけるわけではない。

 何年も勤め先での勤務を続けながら並行して作家業を行う兼業作家がほとんどだという。

 自分の才能にことのほか大きな自信を持つ良太だが、さすがにいきなり専業作家になれるとまでは思っていなかった。

 今の仕事では執筆時間が確保できないため転職するにしても、何らかの本業の傍ら作品を作るという毎日が続くと想定していたのだ。


「じゃ、来月からでいい?

 ひと月あれば今の仕事辞められるでしょ」


「やめ……あ、はい、さっそく退職届を出します!」


 これ以上のトントン拍子があろうか。

 良太は男が差し出した業務契約書にサインし、その足で勤め先へと急いだ。


「佐藤!

 お前、無断でどこほっつき歩いてた!」


 課長からの怒号が飛んでくるが、ニヤニヤしながらスルーした良太。

 そのまま課長を素通りして部長のデスクまで行くと、かねてより用意していたセリフを口にした。


「急な話で申し訳ありませんが、今月で退職させていただきます」


「何だいきなり!

 ダメに決まってるだろう!」


「いやぁ、それがそうもいかなくて……」


 どうしても口元がニンマリしてしまう良太。

 それが火に油を注がないはずがなく、部長はさらにヒートアップする。


「まず理由だろうが!」


「ええ、実はこのたび作家になりまして、現状ですと執筆時間の捻出が困難で」


「お前なんかが作家になれるもんかよ!

 騙されてんじゃないのか」


「いいえ、自分でも少し信じられませんし、実際の所もうしばらくは兼業でと思っていたのですが……。

 編集部のほうから、どうしてもということで」


 その後もすったもんだしつつも、労基やら労働法などの単語を定期的に発話することで、最終的には希望どおりの退職が決定した。

 明らかに不要な情報ではあるが念のため付け加えると、良太はその間ずっと気持ちの悪いほどの笑顔だった。


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