第12話
田尾とはこの頃から受験のことを話すことが増えた。僕も田尾も藤井高校へ行くにはかなり厳しい成績なのは三年生になっても変わらなかったし。佐川高校ならまず安全だとは言われていた。それでも僕は藤井高校に行かないと何のために付属中学へ入学したのかと言われるし、田尾は彼なりに藤井高校に行かないとダメな理由があるみたいで。それは周りからの期待とかではなく、彼なりのプライドみたいなものだった。一度、彼に僕はいつも思っていたことを言った。「田尾ってさあ。俳優の『吉田栄作』に似てるよね」と。彼はそれを聞いてすごく喜んだ。それから僕に「俺ってそんなに『吉田栄作』に似てる?」とニヤニヤしながら何度も聞いてきた。僕はそのニヤニヤした田尾の顔が好きだった。あと、僕と同じで彼も教師にはものすごく不満を持っていて、そういうことも話し合ったりもしていた。進路相談でも志望校を藤井高校から佐川高校に変えるように僕も田尾もずっと言われ続けていた。周りの情報だとなんか付属中学の進学率とかが関係あるみたいで、私立に進学すると県立の受験に失敗したことを意味し、それが学校のマイナスになるみたいで。それでも頑張って勉強して藤井高校に合格しようとしている田尾には志望校を変えろと言われることがものすごいストレスになるみたいで。それは僕にもよく分かった。付属中学の教師は相変わらず僕から見てもずるいところばっかりで、それは田尾もよく分かっていた。前に学校の遠足みたいなイベントとかで教師は言った。
「飲み物はお茶しか持ってきてはいけません。ジュースなどは一切禁止です。ジュースを持ってきた人がいたら全部没収しますし、あとで反省文を書いてもらいます」
その遠足では生徒の有志がみんなの前で出し物をして、それをみんなで見る機会があった。出たがりの友達が多い奴とかが何人かで順番にみんなの前でそれを披露した。部活でのよくある身内ネタとか手品だったり。僕はそういうのは出たくもないし、見ている側でずっとその場に他のみんなと体育座りでそれを見ていた。下田のグループが珍しく出し物をするとみんなの前に出た。僕は意外だなあと思った。
「えー、これから僕らで学校の文化祭の思い出をやります」
下田の取り巻きの一人がそう言って、何人かで演じ始めた。
「あー、文化祭楽しいなー」
「そうやなー」
「あ、ジュース売ってる。タダやって。みんな好きなん飲もう」
「あ、ホンマや。じゃあ俺はこれ」
「俺はこれな」
「俺も」
そう言いながらポケットから缶ジュースを取り出し、プルタブをそれぞれ開けてその場で飲み始めた。
「ジュース美味しいなあ」
「うん、美味しいなあ」
「以上です」
拍手する生徒たち。
「いやあー、よかったよ!君らが出し物をやってくれて先生はとても嬉しい!」
学年主任の禿げた教師が拍手しながら下田とその取り巻きたちを褒めちぎった。
ジュース禁止じゃないの?
下田とかその取り巻きのボンタンを履いている奴ら以外がそれをやったら絶対に途中で怒られているはずだと僕は思った。それを見ている他の奴らもそう思っていたはずだ。田尾なんかは「どうでもいい」と思っていたと思うし、その出し物には参加しなかった。ただ、そういう相手によって態度を変える教師には確実にイライラしていた。自分たちの座る場所に戻って、メローイエローとかファンタのフルーツパンチ味とか三百五十㎖の炭酸ジュースを得意げに飲んでいる下田とかを見て、またそれに対して何も言わない教師たちを見て、僕とか田尾とか他の生徒だって何かとてつもないずるさを感じるはず。僕は、六年生の時のカワセンだったら絶対に下田たちがジュースをポケットから取り出した時点でそれを止めさせる、注意する、それは禁止したことだからとちゃんと説明してからそれを取り上げる、そしてジュースなしの状態で続きをやらせると思った。
有志たちの出し物が全て終わって学年主任が言った。
「今日はとても素晴らしいものを先生は見せてもらいました。全員強制ではなく自主的に進んでみんなの前で出し物をするということはやる気がないと出来ないことであり、また、なかなか出来るものでもありません。見ているだけだった人たちは出し物をやった人たちに感謝しましょう。下田君たちがやってくれた出し物なんか、先生は見ていてとても嬉しかったです。みんなでもう一度大きな拍手をしましょう」
やらされる拍手が巻き起こる。僕はやる気なく音が出ないように適当に拍手するふりをした。音を出したらそれを認めることになり、自分が負ける気がした。僕と同じような想いの奴もいたのだろうけれど現実は大きな拍手が巻き起こっている訳であり。その拍手の音はとてつもなく理不尽さや虚無感や長いものには巻かれよ的なネガティブなものしか含まれていない。昔、授業で習った『踏み絵』みたいなもんだと思った。おおばんもそういうのは分かってて、「付属小学校も教師はみんなあんな感じやったで」と。高校受験の話になるとおおばんは成績もよくなくて、「家も近いし、山商でええと思ってる」と言っていた。
また、こんなこともあった。まだ一年目の若い男の教師がいた。その教師はちょっと熱血っぽい教師を演じていて(僕にはそう見えた)、ボンタンを履いている生徒たちには特別気を遣い、「俺は不良とも友達のように接する先生だぜ!」をアピールするような教師だった。下田の取り巻きの一人が授業中に「ちょっと気分が悪いので保健室に行ってもいいですか?」と言った。それがあいつらのさぼりたい時の常套手段だとみんな分かっていた。当然そいつが授業中に保健室へ行くことを若い教師は許可した。そいつがなんかムカついてたことでもあったのか、教室を出る時にドアを思い切り強く閉めた。かなり大きな音がした。五秒ぐらいした後で若い教師は言った。
「なんや、今の態度は?」
一番前の席の真面目な生徒に続けて言った。
「わし、あいつをしばいてええかな?今の態度はなんや?」
そう聞かれた生徒は返事に困った。カワセンだったらそのまま追いかけて本人を捕まえて直接それを言う。そしてその若い教師は本人の前では絶対にそんなことは言わない。あとからでも言わない。今のもただ「俺ってかっこいいだろう」とアピールしているだけで、実際には五秒ぐらいして、そいつがその場から遠ざかってもうこの授業中には戻ってこないのが分かっているから口にした言葉であり。そういうのがもうすごく僕や田尾とかをがっかりした気持ちにさせる。
そして夏も近付き、部活もそろそろ引退する季節になった。
その日、田尾がキレた。
休み時間、僕はいつものように田尾と話をしていた。その日、田尾は自慢のドラムのスティックを持ってきていた。僕の前でいつもは手だけど、その日は本物のドラムスティックで机を叩いてかっこいい音を聴かせてくれていた。
「俺ってそんなに『吉田栄作』に似てるかな?」
ノリノリでビートを刻む田尾。そこにたまたま廊下を歩いていたクラスの担任の教師がそれを見たのか、教室に入ってきて田尾に言った。
「そんなものを学校に持ってきてはいけないでしょう。先生が預かるから渡しなさい」
ボンタンを履いた他の生徒が漫画やゲームボーイを休み時間に楽しんでいるのをその教師は知っているはずだった。遠足で禁止されていたジュースだってそれを破ったのに拍手していた教師だった。そういうのが積み重なって、グラスぎりぎりまで溢れそうなぐらいに田尾はなっていたんだ。それも表面張力でなんとか保っていたみたいで。僕もそういう感覚を持っていたからなんとなくそれが分かった。ツレと話したりするとそれは減ったりし、嫌なことがあるとそれは増える。そのグラスにコインを一枚入れたらもう絶対にそれが溢れてしまう状態。下田にだって言いたいことは言う田尾。誰に対しても。ナイフを持っていると言われていた先輩に対しても。強さを持っているけど、僕にも普通に接してくれる西中のクソヤンキーと言われる僕のツレと同じ白さを持つ田尾。藤井高校に行きたいと一生懸命勉強も頑張っている田尾。内申書だって大事なことぐらい田尾も知っている。
「なんで…?いっつもお前らは…」
そう言って立ち上がる田尾。僕は田尾が泣きそうな顔をしたのを初めて見た。涙を精一杯我慢しながら担任を睨み付ける田尾。僕は田尾が担任の教師を殴ると思った。それでも僕は田尾のために何も出来なかった。教室に不穏な空気が流れた。たまたま教室にいたバシが急いでその場に来て田尾と担任の教師の間に入った。
「バシ、悪いけどどいてくれ」
無理やりバシをどかそうとし、泣くのを我慢しながら、担任の教師の目をずっと睨み続ける田尾。
「今日は特別に見逃しておくから。次からは気をつけなさい」
そう言ってその場を曖昧にするセリフを残して担任の教師は去っていった。田尾は脱力して椅子に座り、他の生徒たちに涙を見せないように何度も右手の親指の付け根あたりで目を擦った。目を真っ赤にしながら目を擦り続ける田尾を見ていると、僕の中ではもう受験だとか、内申書だとか、世の中は正しいものが必ずしも報われるだとか、そういうのがどうでもいいことなんじゃあないかと、前々から薄々と思っていたことがハッキリと形になってきた。それと同時に自分は田尾のために何もしてあげられなかったと自覚し、それがずるいことだとも思った。その日以降、田尾はドラムのスティックを学校に持ってこなくなった。
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