第10話

 そんな感じで僕は三年生になった。高校受験がいよいよ本格的に迫ってきている雰囲気は感じていたけれどそれ以外はあんまり日常生活に変化もない。西中の野球部の部室に行けばスポ少では僕らのキャプテンだったさかもっちがみんなに「さかもっち、いつもの歌って」と言われ『爆風スランプ』の『ランナー』を直立不動で熱唱したり。マイクなんかないのに右手でマイクを持っているふりをして。さかもっちは特別野球が上手いわけでもないし、リーダーシップがあったわけでもない。僕らが「城西」で六年生になった時、六年生の僕らだけを集めて監督が言った。

「お前ら全員目を瞑れ。瞑った?絶対にわしが『いい』と言うまで目を開けるな。キャプテンになりたいと思っている人間は手を挙げろ」

 僕は手を挙げなかった。誰が手を挙げて、誰が手を挙げなかったのか、後からみんなでお互いに聞き合ったけれど誰も自分が手を挙げたか挙げてないかは絶対に言わなかった。

「よし分かった。今、手を挙げている奴は全員手を降ろしていいぞ。じゃあ、わしが決める。坂本。今日からお前がこのチームのキャプテンをやれ」

 さかもっちが僕らのキャプテンになった。僕らが分かっていたことはさかもっちだけは確実に手を挙げたということだけだった。七番でセンターを守るさかもっち。あがり症でみんなの前で何かを喋る時、常に直立不動になる。

「ええんちゃう?どうせお前らの誰がキャプテンになっても一緒やし」

 一学年下のとしくにが糞生意気に僕らの前で言い放った。

「ええんちゃう?てかさかもっちが一番ええんちゃう?ほな、さかもっち頼むで」

 みんながそう言った。

 スポ少のキャプテンの仕事はそんなになくて。あるとしても試合前の先攻後攻を決めるジャンケンや大会での準優勝旗の返還とか。大きい大会ではチームのプラカードを先頭に立って歩く時に高く掲げる。ランニングの時の掛け声、あとは監督が集合を掛ける時に監督がさかもっちに「集合!」と大きな声で言わせた。それぐらいだったと思う。ただ、何故かキャプテンとして、代表して何かみんなの前で言わなければいけない時にさかもっちは「ランナー」を直立不動で熱唱していた。学校ではあんまり目立たない存在だったさかもっちが一番格好良く見えるのが「ランナー」を歌っている時だった。サビの部分では目を瞑りマイクを持ってない方(そもそもマイクなんかないし、持っているふりだし)の拳も力強く握って。他の学校のスポ少の奴も「ああ、『ランナー』を熱唱するやつやろ?」とさかもっちのことを知っていた。

「お前、『ランナー』以外にもええ曲あるやろお。他はないん?」

 池田が言う。

「あーほ。さかもっちは『ランナー』やからええんやろが。『リゾラバ』とか『玉ねぎ』とか歌ってもさかもっちには似合わんやろ」

「でも『無理だ!』は聞いてみたいけどなあ」

「まあ、さかもっちの『ランナー』はいつ聞いても気合が入るわ。さかもっちサンキュー」

 直立不動で「ランナー」を歌い終わったさかもっちが僕に話しかける。

「お、えーじ。聴いてたん?今でも人前は緊張するわ」

「久しぶりにさかもっちの『ランナー』が聴けてよかったわ」

 もうその頃の西中野球部は無敵の強さだった。岩本がエースで、たっこがキャッチャー。ファーストは池尻じゃなくとしくに。ショートも平井じゃなくけんじ。平井はセカンドに回って、池尻とおのきは外野を守っていた。サードと残りの外野は今津の秦と瀬戸。なんかファミスタのメジャーリーグみたいなチームだった。

西中野球部の部室でも進学の話とかたまにするようになった。

「まともなんてナリぐらいちゃうの?ナリは藤井行くんやろ?」

「おう、私立なんて行く金、うちにはないと思うし。今のままなら藤井かな?」

「でもみんなめっちゃ野球上手いやん?推薦とかで強いとことか行かんの?」

 僕は聞いた。僕の言葉を聞いてみんなが爆笑した。

「推薦?これ聞いたら多分お前も笑うぞ」

 岩本が缶ビールを片手に咥え煙草で言った。

「付属の成績表ってどんなん?」

「成績表?あの夏休みの前とかにもらうやつ?」

「そうそう」

「五段階評価で一から五まであって成績がええと五で悪いと一に下がっていくやつ」

「うちもおんなじ。でな、俺らの成績表ってナリ以外オール一なんよ」


 ガンッ!


 誰かが部室のロッカーを思い切り蹴った。池尻だった。

「数学や英語が『一』なんは分かるで。俺ら勉強なんか終わってるし。でもどさくさに紛れて体育まで『一』やで。そんなんありえへんやろ?ゆうて俺ら野球部やで?学校の体力測定の記録なんか俺らが全部上位しめてんで。なんで体育の成績が『一』やねん!」

 そう言って池尻がもう一度ロッカーに蹴りを入れる。

「しゃーないんちゃう?体育の『五』も『四』も数は決まってるんやし。一般で藤井とか佐川とか狙ってる奴とかに回すためやろ。内申書なんか『五』の数が多い方が有利やし。俺、オール『五』やけど、ソフトボール投げも幅跳びもみんなと比べたら全然へぼいやん」

 ナリがいつものように咥え煙草でスパイクの手入れをしながら言った。

「まあ、ナリがオール『五』なんは納得出来るし、許せるで。野球やりながら勉強もちゃんとしてんの知ってるし。まあ、野球が出来て甲子園目指せるなら高校なんかどこでもええわ」

「県立でも名前書けたら入れるとこなんか普通にあるやろ?」

「田水(田山水産高校)なら入れんで。野球部もあるし」

「俺もみんなが行くんなら田水行こうかなあ。藤井行ってもどうせつまらんと思うし」

 ナリが言った。

「アホか。お前は俺らの唯一の希望なんやから。何のために野球しながら勉強も頑張ってきたんよ。俺らに変な気ぃ遣うなよ。お前は絶対藤井に行って野球続けろ」

 池尻がナリに向かってそう言った。

「まあ、みんな来年にはバラバラになるんやし。最後の大会っていつなん?」

 最上級生になり、それでも西中最強のままで、それでも番長とかそういうのには興味がないはっさんが言った。はっさんも野球部の部室が好きなんだろう。

「夏かな?勝ち続けても八月ぐらいには引退」

「えーじんとこと当たるかもしれんな」

「いや、うちはぬるいし。市の大会で普通に負けると思う」

「一回ぐらい練習試合やりたいなあ」

 僕はこの言葉にすごく敏感に反応した。西中野球部のみんなはいつまでも白くて、付属中学の野球部の奴らはシマ以外白ではなくて。西中と付属が練習試合なんか考えたこともなく、ただ、西中野球部と付属の野球部が試合をするのを想像すると申し訳ないとか、見せたくないものが多いとか、学校の評価がオール『一』のみんなが太いズボンを履きながら勉強して藤井高校を目指している付属中学野球部のずるい奴らとは会わせたくないとか思ったり。ナリが野球をしながら勉強もして成績がオール『五』なのと、付属中学の成績がいい奴とは全然意味合いが違って。ナリが言った「みんなが行くなら(名前が書ければ誰でも合格出来る)田水に俺も行こうかな」のは慰めの言葉でもなく、本当にナリが心で思ったことだと僕にもみんなにも分かっていたし。

「えーじはどこ行くん?藤井行けそうなん?」

「分からん。今のままなら佐川になりそう」

「でも野球は続けるんやろ?」

「うん。それはもちろん」

「お前、『ガキ』の頃からいつも『甲子園』『甲子園』って言うてたもんなあ」

 たっこが言った。

「そんなに『甲子園』行きたいんやったら俺様と同じところに行けば一番早いんやけどな」

 一学年下でおのきや池尻を退けてファーストのレギュラーを奪い取ったとしくにが言った。

「うるさいんじゃ。お前は。下の奴らと一緒に道具の準備とかグラウンドの草むしりしてこい!」

「あ?俺様に命令すんなや」

 いつものやり取り。

「まあまあ、岩本君。としくにには僕からちゃんと言うから。としくに、行こで」

 けんじがとしくににそう言って二人は部室から出て行った。けんじは平和的なところがあるけれどキレると手が付けられなくなるのを僕は昔から知っていた。

「ごめんなあ。いわもっち」

「別にはっさんが謝ることちゃうよー」

「まあまあ、えーじ、キャッチボールしていけよ。俺とやろで」

 帰り際、いつものようにはっさんと二人きりで歩く。

「最近、こーちゃんとは会った?」

「そういや最近は見てないなあ。なんかあったん?」

「いや、あいつら今な、放課後いろんな町に遠征に行ってんよ。高校だろうと中学だろうと関係なくこの県の学校全部しめるって。高校とかに行く時は俺も一緒に行ったりするけど、俺はあんまそういうのは苦手でな」

「はっさんは優しいし。こーちゃんとかそうなんや。でもこーちゃん達なら県を制覇しちゃうかもしれんね」

「まあ、あいつら道具は使わんし。高校生相手だと負けてぼっこぼこにされることも普通にあるけどな」

「そうなん?」

「当たり前やん。別に漫画みたいに俺ら無敵じゃないし。ケンカに負けるなんて普通によくあるし。ましてや高校生なんかやっぱ体格も力も全然強いし。まあ、タメ相手なら負けることはあんまないみたいやけど」

「へえー。でもタメ相手だと大体勝つんや。すごいやん」

「まあ、でも数とか違うことも多いし。相手の数が多い時とか道具持ってる奴ら相手だと苦戦するみたいやな。逆にこっちの数が多い時は人数合わせたり、代表出し合ってタイマンで決めたりな」

「タイマン?そしたらはっさんが出たら負けんのちゃう?」

「どうやろ?俺はやっぱりそういうの苦手やから。高校生相手の時には代表でタイマンはる時はあるけど。いつになっても苦手やなあ。別に怖いとかとちゃうで」

「うん。分かるよ」

「この学校も来年には卒業や」

 そう言ってはっさんが校舎を振り返る。

「はっさんは高校どうするん?」

「どうかな?まだ決めてない。でもまたえーじにも相談するわ」

「こっちも相談するな」

 振り返った校舎の三階から硝子の割れる音と共に何かが落ちてきた。落下して地面にぶつかってそれが自転車だと分かった。

「うちの学校ン中でまたアホがチャリンコで走り回ってるんやろなあ」

「え?チャリンコで?」

「そう、でも落ちたんチャリだけやろ?人やったらシャレにならんけどまあその辺はうちのアホたちも分かってるやろうし」

 そう言えば昔はよく自転車を改造し、自分たちで段ボールやどっから持ってきたか分からないパチンコ屋ののぼりを取り付け、それに乗ってみんなで町を走るこーちゃん達を見た。

「そう言えば」」

 別れ際にはっさんが言った。

「まー君覚えてる?」

 まー君。覚えている。家が映画館で昔、よくタダでいいと映画を見せてくれた。実写の外国の映画や日本の映画、アニメの映画。まー君んちの映画館には公開されている映画のポスターが入り口のところに貼られていて、映画をみんなでタダで見に行ったことと同じくらいエッチな映画のポスターもすごく記憶には残っていた。当然、エッチな映画は見せてくれないし、誰も無理を言うことはなかった。

「覚えてるよ。まー君は…、東中に行ったんだっけ」

「そう。でも俺、家近所やし今でもたまに会うし、話もすんよな」

「へえ。まー君元気なん?卒業してから会ってないなあ」

「元気そうやで。でな」

「何?」

「昔みんなでまー君んとこで映画見てたやん。ドラえもんの映画よー見てたやん?」

 太いボンタンや短い短ランでも顔は昔のまま優しそうなはっさんが『ドラえもん』の映画のことを話す。

「ドラえもん、みんなでよー見てたなあ」

「そんでな。ドラえもんの映画ン中で『のびたと鉄人兵団』がすげえ今でも記憶に残ってて。あれ、めちゃおもろなかった?」

「『のびたと鉄人兵団』はすげえ面白かった。またみんなで一緒に見に行きたいなあ」

「やろ!?あれすげえ面白かったよな!まあ、そんだけやけど」

「そっかあ。まー君にもまた会いたいなあ」

「まー君もおんなじこと言うてた。えーじは元気にしてるかって」

「そうなんや」

「まー君も塾とか行ってるみたいでな。まあ、俺らみたいなんが揃ってまー君の映画館に行っても、っていうても今でも成人映画とか見に行ってる奴とかおるけどな。んー、なんつうか、まあ、また近いうちに一回みんなでまー君の映画館に行ってアニメでも見ようで」

「いこいこ!その時はまた声かけてな」

「おう。絶対連絡するわ。ほな、またな」

「うん、またね」

 そう言えば十五歳になった僕はもう『ドラえもん』なんか見なくなっていた。おおばんの部屋でゲームに夢中になり、エッチな本や漫画には夢中にはなる癖に。『ドラえもん』はもう子供が見るものだと思っていた。そう言えば最初に見た女の子の裸の絵は『エスパー魔美』だった気がする。そこからお城の中にある図書館に行っては難しそうな医学書とか美術の本とかを探せば女の人の裸が高確率で見られたような記憶がある。まー君、塾に通ってるんだ。高校はどこへ行くんだろう。はっさんと別れた僕はそんなことを考えていた。はっさんたち、西中の白い奴らは六年生の時の先生、カワセンと同じ雰囲気と言うかそういうのをみんなが持っていた。

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