第9話
付属中学には『先生』はいなかった。いたのは『教師』だった。
付属中学の教師はヤンキーぽい生徒には絶対に怒ったりしない。お説教もしない。見て見ないふりをする。逆に普通の生徒には容赦なく怒るし、お説教もする。僕の目から見て教師はヤンキーっぽい生徒に対してビビってるように見えた。
「どんなにワルっぽい生徒でも常に愛情を持って接することが大事。そうすれば彼らだって心を開いてくれる」
ある日、僕が教師に何故、教師はヤンキーぽい生徒と普通の生徒に対して態度が違うか聞いた時にそう言われた。それってすごくずるいし、すごくダサいし、結局教師ってヤンキーぽい生徒が怖いだけなんじゃないかと僕は思った。少なくとも六年生の時のカワセンだったらどんな生徒に対しても同じように接するはずだし。ナイフをいつも持ち歩いていると下田がビビっていた上級生の生徒には教師たちは特別丁寧に接していた。VIP待遇だった。教師たちは僕やおおばんがいじめられていることを絶対に知っていたはずだった。それも全て見て見ないふりをした。気付かないふりをした。
付属中学の校則で生徒は全員黒の靴下を履かないといけなかった。僕はそれがすごく嫌だった。学年の集会の時なんかは常に畳の道場で同級生全員が集まってそこに体育座りをして教師の話を聞く。道場の畳は古くて黒の靴下は毛玉とかそういう素材のものと決められていて、古い畳のチクチクするのが刺さったり、靴下に付くのが不快だった。ヤンキーぽい生徒たちは白い靴下を履いているけれど教師はそれに対して何も言わない。あと、廊下を走らないようにと付属中学では下駄箱で靴からスリッパに履き替える。スリッパだと確かに廊下を全力で走ることは出来なかった。髪型とかすごく気にする年頃だったからバシとかすごくムースでいつもかっこいい髪型を決めていたし、野上とかちびの大和とか下田とかその取り巻きとか、田尾だって髪型はビシッと決めていた。休み時間になるとヤンキーっぽい生徒はトイレの鏡の前で髪ばっかり弄っていた。僕は弁当じゃなくパンの日は一年生のトイレを使った。それか田尾とツレしょんしたり。田尾がいると下田も僕には手を出さない。ヤンキーぽい生徒は自転車通学している奴でも校則で決められているダサいヘルメットを被らない。それに対して教師は生徒を選んで注意する。ボンタンを履いてる生徒は注意されない。
「あの子たちはみんなと違って敏感な年頃なんです。大人である先生たちが理解してあげないと誰が彼らを理解してあげるんですか?彼らだって根は優しくて本当はみんな素直な子ばかりなんです」
そんな一ミリも説得力のない綺麗ごとを僕は聞かされる。
付属中学に入学してからしばらくして、僕は学生カバンをこーちゃんに絞ってもらったことがあった。
「なんやえーじ、そのかばん。すげえダサいぞ。俺に貸してみ」
そう言ってこーちゃんが僕の学生カバンから教科書とかノートとかを全部取り出して四角いボードみたいに薄くしてくれた。絞った学生カバンはすごく格好良かった。
「あ、これってかっこええ」
「やろ?普段からカバンの上に座ったりして型をつけえ」
ボストンバッグみたいな学生カバンがすごく薄くなってポケットに手を突っ込んだ状態でも脇に挟めるし、カバンの取っ手じゃなくどの部分を掴んでも持てる。
「教科書とかあんまり入らんようになるけど、これの方が全然ええなあ」
「教科書?そんなん学校の机の中に入れっぱなしでええやん」
「あ、そっか。こーちゃん、やっぱ頭ええなあ」
絞った学生カバンで翌日登校した僕はまずちびの大和に言われた。
「みんな見て!森山がカバン絞ってるで!」
「え?森山のくせにカバン絞ってんの?」
ヤンキーっぽい生徒が言う。そして教師にも呼び出される。結局、こーちゃんがせっかく格好良く絞ってくれた僕の学生カバンは翌日には元の状態に戻された。ヤンキーっぽい生徒だろうと普通っぽい生徒だろうと付属中学での学校生活を楽しく過ごしている奴は大体学生カバンを絞っている。
「あれ?えーじ、なんでカバンもとに戻したん?」
こーちゃんに言われた。
「あ、ごめんな。せっかくこーちゃんが格好良く絞ってくれたのに。親に怒られた」
「ふーん」
僕は平気で嘘をつく。物事を荒立てないように。
「なんか内申書とかいろいろあるんやって」
「そやなあ。お前は付属行ってるもんなあ。受験とかあるし、しょうがないなあ」
「高校とか別にええとこ行きたいとかないんやけど。野球部があるとこだったら、あと家に近いとこだったらどこでもええんやけど」
「ああ、お前は昔から甲子園行きたいってよお言うてたもんな」
煙草の煙を吐き出しながらこーちゃんが言った。その時はまだ藤井高校に行きたいとか考えてもいなかった。
僕と一緒に付属中学に入学したばぴょんは結構上手く付属小学校から上がってきた奴と付き合っていた。部活とかもしてなくて帰宅部であり。ヤンキーっぽい生徒の交わし方とかも身に付けていた。普通の生徒とグループを作って、その中でもなるべく目立たないようにしていた。小学校の時も僕とばぴょんは同じクラスになったことがない。それでも時々話したこともあったし、一緒に遊んだこともあった。だから僕はばぴょんとあだ名で呼んでいた。ばぴょんはそのあだ名で呼ぶのは学校では止めてくれと付属中学に入学した時に僕に言った。付属中学では新しいあだ名で呼ばれていたけれど、僕の中ではばぴょんはばぴょんであり。呼び方なんかどうでもいいことだと思っていた。実は本名馬場のばぴょんのあだ名は小学校の時は結構素晴らしいあだ名であり、ばぴょんはばぴょんでなければ意味がなかった。「ばぴょん」の『ば』で僕らはいったん息を止め、限界まで我慢し、ギリギリもうこれ以上息を止めているのは無理な状態で思い切り『ぴょーーーーーーーん!』と叫ぶ。誰が息を長い間止められるかみんなで揃って『ば』と息を止め、それぞれが負けないように限界まで我慢する。それでもすぐにギブアップして『ぴょーーーーん!』と言うもの。目を瞑り、顔を梅干しの様にして、体をじたばたさせながら我慢して。そしてあちこちで『ぴょーーーーーん!』の声が。一番長く息を止める奴は大体決まっていて、そいつがずるをしていないかそいつの鼻と口に手を当ててチェックしたり。だからばぴょんに用事がある時でも僕らはばぴょんに声をかける時は用事を伝える前に必ず三十秒以上は無駄な時間を使っていた。普通にばぴょんと呼んでも面白くない。全く面白くない。
「ええからそんなのいらんから。溜めんなよ」
そんなこと言ってても自分では嬉しいはずなのはばぴょん本人が一番分かっていることであって。それがあったからがり勉だったばぴょんにも個性が出来た訳であり。結局、付属中学ではばぴょんはあだ名が『ジャイアント』になったけれど、それって僕からしてもすごくセンスがなく、「全然つまんないし、そのまんまじゃん」と思ったりした。
西中の野球部同様、付属中学の野球部も三年生が引退し、僕はチームでも上がいなくなり、下のチームメイトには「森山」と普通に呼び捨てにされていた。他の奴は全員、名前の下に先輩とつけて呼ばれていた。それは僕が下級生に舐められていたとかじゃなく、ちびの大和が後輩たちに「森山だけは呼び捨てで呼べ」と命令したからだった。シマも心の中ではきっと僕のことを何とかしたいと思っていたと思うけれどそれを口にしたり、行動に移したり出来ない雰囲気が野球部の中ではあった。それは他の同い年のチームメイトも同じであって、一対一で、他のメンバーがいない時、部室とかで練習前にユニフォームに着替える時とか、僕とさしで話をする時は普通に会話をしてくれたし、僕が嫌な気分になるようなことは言ったりしなかった。ただ、二人以上になると僕をいじめないといけない空気になった。結局ちびの大和以外僕に本当に敵意を持っていた奴なんていなかった。それでも小学校の時から一緒に野球をやってきたという仲間意識で何となく僕をいじめることになったんだと思う。結局ちびの大和が僕に敵意を持っていたからそれに対してチームメイトがなんとなく同調して。誰も僕をいじめていると自分で認識している奴はいなかったと思う。それでもチームメイトの行動はかなり残酷だった。後輩に呼び捨てにされ、後輩に命令し、僕を後ろから羽交い絞めにし、僕を殴る後輩たち。ちびの大和が先頭になっていろいろと提案して「まあ、どうでもいいんじゃない?」みたいなノリだった。狭い学校のグラウンドで軟式ボールを後輩たちも混じって僕に投げつけていて、僕は体を丸めて背中でそれを受けるようにして。ふと目に入った校舎の職員室にはその光景を眺めている担任や他の二年生の生徒を担当している教師たちの姿。並んで硝子越しにその光景を見ている。だからもう僕は教師なんか絶対に信用出来なくなって。付属中学の野球部は西中の野球部とは練習の仕方も全然違っていた。西中の練習はものすごい。練習前に煙草を吸って、酒を飲んでいようとガチだ。フライを捕れるようになったトヨを見れば僕でも分かる。多分、スポ少では補欠だったトヨの方が今の僕より野球は上手いと思う。そう言えばスポ少では「オールスターチーム」で全ての試合でショートを守った平井は打てて守れるすごい選手だった。僕のいた「城西」でショートを守っていた一学年下のけんじもアホみたいに上手かった。平井とけんじ。どっちが西中のショートを守っているんだろう。僕が六年生の時に思ったのは平井よりけんじの方が確実に全ての面で勝っているということ。西中で一年間鍛えられた平井はけんじにそう簡単にはポジションを譲らないだろう。付属中学の野球部の練習は練習じゃない。気が向いた奴らが集まってバッティングだけ好きなだけしてあとは各々が適当にしていた。それぞれが才能だけで野球をやっていた。
「こいつ相手に遊びで変化球投げたいから」
そう言ってシマだけが僕とキャッチボールをしてくれた。後輩たちはフリーバッティングの球拾い。僕も球拾い。打たしてくれないし。たまに打たせてくれてもストライクじゃなくて僕の体目掛けて投げた方がいいとちびの大和が提案した時とかで。その球を僕は強引に打ち返した。そういうのを職員室からは教師が誰かしら眺めていて。
試合の時もルールなんか知らない名前だけの監督として教師がついてきた。九番ライトでたまに試合に出してもらったりしたけど僕はずっと内野手だったから外野フライなんか普通に捕るのが結構難しかった。また、練習もまともにしないそれぞれの才能だけでやっていたチームだったけれど、バッテリーだけは別格であり、二人ともものすごく速い球を投げて、打てばヒットで。交代する時もピッチャーとキャッチャーが入れ替わるだけだった。そいつらも僕をいじめてたけど何となくそういう空気の中、それをしていただけであり、本人たちにはその自覚すらなかったと思う。ランニングも一切しないクソぬるい野球部だけどシマの手にはいつだって豆があって。シマが毎日家で素振りしているのが僕には想像出来た。シマは打てて守れる付属中学野球部の一番ショート。僕から見て西中の平井といい勝負するんじゃないのぐらいは感じていた。
そんな感じで僕の一日は行動パターンがある程度決まっていて、学校では残酷と退屈な時間が半分で、残りの半分はおおばんや田尾やシマやバシと楽しい時間を過ごし、後の奴らとは当たり障りのない関係で、学校が終わると週の三回ぐらいは野球部の練習に参加してからシマの家に遊びに行ったり、おおばんの家に遊びに行ったり、たまにバシの家に遊びに行ったり、田尾はバスケット部で結構真面目に練習してたり、先輩のドラムを叩いたりしてて、放課後に僕と遊んだりすることはなかった。そしてたまに西中に行って『いつもの場所』で特別な時間を僕は過ごす。それでも野球の練習は家に帰って一人でやった。バットは毎日振ったし、暗くなるまで一人で壁相手にボールを投げ続けた。
おおばんの家に遊びに行くのが西中の『いつもの場所』と同じぐらい僕は好きだった。おおばんの部屋は西中の野球部の部室と同じぐらい最高だった。部屋に自分専用のテレビがあるおおばんの部屋。テレビゲームもたくさんあり、エッチな本やエッチな漫画もたくさんあり、極め付けは自分専用のテレビの下に自分専用のビデオデッキがあり、モザイクの入ってないエッチなビデオテープもおおばんはたくさん持っていた。
「好きなんあれば持って帰ってええよ」
「でも俺んちビデオデッキないんよ」
「だったら本か漫画でええやん」
おおばんはノートに誰にいくらカツアゲされたかを細かく金額、日付まで書いている。僕らはメガドライブやPCエンジンで遊びながら「あいつをこうやって殺すのはどう?」とか「こうやって殺したらすごくいいよね」と僕らをいじめていた奴らの名前を呼び捨てにしながらそんなことばかり話していた。
「まず目にシャンプーを垂らしてさあ。めっちゃ染みるやろなあ」
「それやったらポン酢の方が効くかもよ。やったことないけど」
「『鼻エンピツ』とかあれええよなあ」
「俺やったら『耳コンパス』かなあ」
「大根おろしのやつでゴリゴリ削るのもいいと思わん?」
「それやったら大工さんが使う鉋とかの方がええんちゃう?」
想像の中では僕らは無敵になれる。実際にはそんなことが出来ないことぐらい分かっているけれどそれを考えるのが楽しかった。あと、おおばんは付属小学校から上がってきたのもあって学校での人間関係に詳しく、鋭い目で見ていた。誰と誰が付き合っているとか誰と誰が仲が悪いとかよく知っていてそれを教えてくれたりもした。
「え?あいつら付き合ってるの?」
「もうやってるよ」
「うそお!マジで?」
「だって自販のゴム買ってるの見たもん」
「それって買っただけかもしれんやん」
「もう三回見てるから。なくなったから買うんやんか」
「そうやなあ。えー。あいつら学校ではクソ真面目やん」
「そんなん関係ないんちゃう。えーじもやりたい?やらせてくれる人知ってるよ」
「え?マジ?」
「マジ」
「ちょい待って。それはよく考えてからにするとして。ひょっとしておおばんって…」
「俺、童貞ちゃうよ」
「マジで?」
「マジ」
「そのやらせてくれる人にやらせてもらったん?」
「うん。三千円でやらせてくれる」
「どこでやったん?ホテルとか入れるん?」
「ホテルではやらんよー。ホテル代の方が三千円より高いで。この部屋でやった」
「どんな人?どんな人?」
「うちのすぐそばに山商あるやん。バカ高校の。そこに幼馴染の仲ええ兄ちゃんが通っててな。その人に紹介された女。その人とタメやから十七?誕生日知らんから十六かもしれん。高2のデブス女」
「高2のデブスかあー。でも三千円やろ?なあなあ、セックスってどんな感じ?」
「最高。それしか言いようがない」
「うーーーん。それ、ちょい保留にしといて」
「全然ええで。いつでも言うて。この部屋使ってええよ」
「最高かあ…。でもデブスかあ…。うー」
ゲームに飽きたら裏ビデオを見ながら家に持ち帰るエロ本やエロ漫画を選ぶ僕。
「あ、『アクハイ』のこれめっちゃええやん。今月号やろ?これも持って帰ってええん?」
「ええよー」
「おおばんってこーゆーのたくさん持ってるやん。裏ビデオってどこで仕入れてんの?」
「え?さっき言うた仲ええ兄ちゃんがくれる」
「エロ本とかエロ漫画も?」
「それは自分で買ってる」
「いつも俺、タダで貰ってるけどなんか悪いわ。おおばん欲しいもんとかないん?」
「別にええよ。捨てる手間が省けるし」
「あとなあ」
「何?」
「こーゆーの親にバレたらどうすん?お前の部屋って結構オープンやし。俺はベッドの下とか結構隠し場所に困ってんやけど」
「そうなん?うちは俺の部屋には勝手に入ったら殺すって親には言うてるから」
「ふーん」
「この部屋に学校の奴で入れたのってえーじしかおらんで」
「マジで?バシとか仲ええんやろ?バシは?」
「あいつもええ奴やけどあいつはあいつの交友関係があるんやろ。ええ奴やけど下田とか野上とかと繋がってるし。そっからあいつらに俺のエロビデオとかそういうの共有されんの絶対嫌やし」
「でも俺も田尾と繋がってるで」
「田尾はええ奴やん。それにえーじから田尾に行ってもそこで止まるし。田尾だって下田とか野上と繋がってるけどあいつらに回したりはせんと思うし。それより前に言うてたやつ。あれまだ?」
「ああ、あれな。まだ」
漫画家ゆうきまさみの大ファンのおおばんは『アッセンブル・インサート』が掲載された単行本に五千円の懸賞金をつけて僕はそれをいろんな本屋に行って探した。もちろん懸賞金なんか受け取る気なんてサラサラなかった。いつもエッチな本やエッチな漫画をタダでくれていたおおばんに恩返しがしたかった。僕はおおばんをこーちゃん達に紹介したかった。きっと仲良くなれると思っていた。
「じゃあ、これとこれとこれとこれ。『アクハイ』の新しいのももろて帰るけどほんまにええ?」
「ええよ」
僕は学生カバンにエッチな本を詰め込んで帰り支度をする。そう言えばおおばんの部屋にはしょっちゅう来てるけどおおばんの親には一度も会ったことがない。帰ろうとした僕におおばんが言った。
「目の瞼に瞬間接着剤つけたら一生目が見えんようになるかなあ?」
「ふふん、それええな」
僕は笑いながらおおばんの部屋を後にした。
「またな」
「またな」
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