第6話

 こんな学校生活を送っていた僕でも付属中学にも友達は何人かいた。帰宅部のおおばんとか、下田と同じバスケット部の田尾とか、野球をしていない時のシマとか、テニス部だけど太いボンタンを履いていたバシとか。バシは受験して付属中学に入った。あとの三人はエスカレーター式で付属小学校から上がってきた。おおばんも僕と同じ様にいじめられっ子だった。下田によくお金を取られていた。すごくオタクっぽい外見で僕はいつも「おおばん、こいつはいつか下田を包丁とかで刺しちゃうんじゃないか」と思ってしまうぐらい僕から見てもいろんなものを心の中に隠して持っていたと思う。田尾は下田とも対等に話をしていたし、学校生活では特に何もストレスなんか感じたりしないんじゃあないかと思っていたけれど、それは僕や周りの人間の勝手な思い込みであって、彼とはよく将来のこととか付属中学の教師の狡さとかいろんな話をした。僕は最初から彼のことを呼び捨てにしたけれどそれに対して彼は何も怒らなかった。彼にはあだ名がない。田尾はすごい。一回、「それはおかしいんちゃうか」と下田に歯向かったことがあった。その時の下田は田尾をなだめるように都合のいい言い訳をして彼の怒りを鎮めた。そんな奴が教室では僕と対等に話をする。特に高校受験のことを最近はよく話すようになった。僕の住むエリアの高校で一番偏差値の高い高校は藤井高校だ。ナリも多分余裕で藤井高校に行くと僕も思っていた。それは付属中学の生徒もみんなそうで。藤井高校に行って当たり前、それでも偏差値が低いとランクを落として佐川高校、佐川商業とランクを落とす。それらは県立の高校であり、受験に失敗したらお金のかかる私立に行くことになる。下田は当然勉強なんかしてないからどっかの工業とかにでも行くとみんな思っていた。下田の取り巻きでも成績はいい奴は多かった。ボンタンを履いていても藤井高校に行くんだろうなって奴は多かった。田尾は学校の成績はそんなに良くはなかった。僕も学校の勉強はほとんどしてなかったから二人とも似たような成績だった。二人でよく「藤井に行きたいなあ」と話をしていた。僕の親も僕が藤井高校に行かないと何のために付属中学に行かせたかとかいろいろ言うと思う。そういう親のプレッシャーもあったし、自分の中で勉強が出来ないのは自分が悪いのに成績があまりよくないのはそういう自分以外の責任にしちゃうずるいところがあった。いじめられていることや深夜ラジオを聴いているとか自分は頭がいいけどそんな理由があるから本気出してないだけで本気出したら成績なんか余裕で上がると傲りに似た考えを持っていた。僕も田尾も今のままなら佐川高校なら合格できるけれど、藤井高校なら合格する確率は五十パーセントもないぐらいの成績だった。おおばんは本当に僕以外友達がいなかったけれど、田尾は何て言うか、はっさん達に似た同じ真っ白な奴で僕がいじめられているのを見たらそいつらから僕を守ってくれた。僕は彼とは対等でいたかったから「余計なことせんでもええよ。あんなん俺一人でも何とかなるし。別にいじめられてる訳ちゃうし」といつも言う。そしてそんな僕の言葉に彼は笑いながら両手でリズムよく左手、右手と僕の頭を軽く叩く。毎回。彼はバスケット部でバスケをやりながらドラムもやってて、僕と話をしている時も常に両足でリズムを取りながら両手で太ももをドラムの様に叩いていた。「あれ、田尾さあ、それって手と足が違うリズムになってない?」「あ、分かった?やってみ。多分やれんと思うで」僕は田尾の真似をしてやってみるが全然出来ない。それを見ながら田尾は笑い「な、むずいやろ。やり方教えてやるわ。あんな」と。シマも僕の頭をよく叩いていたけれど左手を最初に僕の頭において、右手で僕の頭に置いた自分の左手を叩くだけで回りはどう思っていたかは知らないけれど、当然僕は痛みなんか全然感じないし、音だけは普通に叩いた音がする。あと、シマのお母さんはすごく優しい。僕がシマの住むマンションに遊びに行くと(僕の住んでいた田舎は一軒家に住んでいるのが当たり前でマンションに住んでいる人は少なかったと思う)必ずシマのお母さんがいた。シマのお母さんは何か僕にはとても新鮮で僕のことを必ず「森山さん」と呼ぶ。友達のお母さんには呼び捨てだったり、「君」付けで呼ばれることばっかりだったので僕は人生で初めて友達のお母さんに「さん」付けで呼ばれた。シマはそんな自分のお母さんに「うるせえババア。菓子とジュース置いてどっかいけ」と普通にいつも言っていた。とにかくマンションの部屋は狭い印象があった。一回、僕がトイレを借りようとしたらちょうどシマのお母さんと入れ違いになったことがあった。トイレの中はうんこの匂いがした。僕は「あ、シマのお母さん、うんこしてたんだ」と思った。でもその臭さは全然気にはならなくて。またそれをシマに絶対に言っちゃあダメなことだと僕は思って。僕は普通にシマのいる部屋に戻ってお互いのゲームボーイをコードで繋げてゲームばっかりした。バシは誰とでも仲がよかった。いい奴だった。体格もよく、運動神経もよく、ボンタンも履いて、学校の成績もよくて、下田とも普通に接していたしそのグループに入ってるわけではなかったけどそういう奴らとも普通に接していたし、野上を呼び捨てにし。バシが怒るのって見たことがない。そう言えばおおばんもバシとはたまに話とかしてた。

「バシ、そんなんと話してたらシャバくなるぞ」

 そう言われるとバシは「じゃあ、またな」と小声でおおばんに言ってボンタンを履いたグループに戻っていく。バシは確実に『(自分より強い奴が弱い奴を)いじめ』とかするのはダサいと思っていたと僕は思う。バシの部屋には『ゴリラーマン』とか『ビーバップ』とかの単行本が揃ってあった。多分、そういうのを読んで『本当に格好いい不良』像がバシの中にはあるんだろう。本当に喜怒哀楽が分かりやすいバシは教師の理不尽なところを感じたら不満そうな顔をするし、下田が僕からパン代のお釣りをカツアゲしているのをその場にいて見ている時もなんか複雑な表情でいつも見ていた。付属中学での他の生徒でこの四人以外で特別仲がいいとか「こいついい奴だな」と思う奴はいなかったし、記憶にもない。

 僕が感じていたこととして多分そうなのだろうと思うことがあった。それは「いじめとかがあってもそれは全員が僕やおおばんに敵意や悪意を持っている訳ではなく、一部の人間がそれの首謀者であって、それに加担している奴は『それに加担しないと自分が同じ目に合うかもしれない』という感情だとか『自分はそういうのはあんまりやりたくないけれどなんとなくみんなもやっているから』という感情だとか『こいつが自分に歯向かっても周りの強い奴がいるから大丈夫』という感情が僕にはハッキリと一人一人分かる。ちびの大和なんか典型的でとても分かりやすかった。同じ野球部で付属小学校から上がってきた奴らでもシマとちびの大和では同じ拳でも痛みは全然違う。だから僕はシマが周りに合わせてなるべく僕が痛くないように、それでも音だけは大きく出るように左手を先に僕の頭に置いて、自分の手を叩いているのを「シマ、そんなことしなくていいよ。そんなのが周りにバレてシマの立場が悪くなる方が僕は痛みを感じる」といつだって思う。でも、おおばんや田尾やシマやバシがもし、本気で僕を叩いたり殴る時がきたらどうなるのだろう、それは腕っぷしの強い下田に殴られるよりもきっと何百倍も痛みを感じるのだろう。西中に行って、はっさんやこーちゃんや岩本や池尻に殴られる日が来たら痛みを感じるのだろう。きっとそれはボクシングの世界チャンピオンに本気で殴られるよりも何十倍も痛いのだろう。痛みは二種類あって。転んで擦りむいた膝の傷は血だらけで痛くてもだんだんかさぶたになって。そしてそのかさぶたもいつかは自然と消えていく。言葉や行動で受けた痛みはきっといつまでも残る。はっさんに二回殴られたガマ君の痛みだってきっと殴られた痛みよりも違う方の痛みをガマ君もはっさんも感じて、今もその痛みを抱えているのだろう。その痛みはどんなお医者さんだって治すことは出来ないと思う。

 付属中の教師は子供の僕にだってハッキリと分かっていた。小学校を卒業する時にそれぞれが将来になりたい職業を書いた。おのきやたっこはプロ野球選手になりたいと書いて、はっさんは警察官になりたいと書いて、こーちゃんはおもちゃ屋になりたいと書いて、トヨとかは学校の先生になりたいと書いて。僕らの担任の先生はすごく先生であった。僕らは六年生の時、先生のことをあだ名で普通に呼んでいた。先生も僕らをあだ名で呼んでいた。僕は少しずるいところが自分にあるのを昔から知っていた。僕は二年生の時にもうサンタさんなんていないのを知っていた。そういうのを学校や町の図書館の本で知った(図書館のことは後でも少し触れる)。サンタクロースなんていない。いくらバージニアがサンタクロースはいつだっていると言っても僕には分かっていた。クリスマスの日、朝起きると枕元にプレゼントがあったのは、本当はお父さんとお母さんが用意しておいて僕や僕の兄や姉が寝た後で枕元にそれを置くことを。僕の家は貧しかった。自転車が人数分なかった。昔、お母さんがデパートに兄弟三人を連れて行ってくれて、「ここに一万円あるから。三人とも好きなおもちゃを買ってあげるから好きなのを選びなさい」と言ったことがあった。兄が千円ぐらいのルービックキューブを選んだ。僕は幼くてもそれが不思議なことであると思った。

「なんで兄ちゃん千円のでええん?一万円やったら三千円ぐらい一人買えるやん」

 兄が小声で答えた。

「えーじ、こんなんおかしい。うちに一万円もおもちゃ買う余裕なんてないはずやろ。もしかしたらこの後みんなで集団自殺するかもしれんぞ」

 僕は『集団自殺』の意味が分からなかった。けれどなんとなくお母さんがやけになっての行動なのかという意味であることは分かった。

 そんなことがあったから僕の兄や姉は僕が二年生の時のクリスマスの前ぐらいに言った。

「サンタクロースなんていない。本当におるんやったらどうやって世界中を一人で一晩で回れるの?それに世界中を回るサンタクロースがなんで『小学一年生』(付録のついた僕が好きな雑誌)なんかをえーじの枕元に置くん?考えたら分かるやろ」

 僕は言った。

「そんなの嘘やん!サンタさんはおるもん!絶対おるもん!」

 僕はサンタさんの正体がお父さんとお母さんであると知っていながらそういい続けた。その理由はそう言った方が小学二年生である僕の言葉はリアリティがあると思ったから。サンタさんなんていないと分かっていても実際にはサンタさんはいると言い張った方がクリスマスの朝、枕元にプレゼント置いてくれるのに。兄ちゃんも姉ちゃんもバカだなあと思っていた。

 その年のクリスマスの朝、僕が起きると枕元には一通の手紙が置かれていた。


「えいじくん。ごめんなさい。ことしはさんたさんはいそがしくてえいじくんのいえまでまわることができませんでした。らいねんもこれるかわかりません。なるべくらいねんはこれるようにがんばるのでことしはがまんしてください。ほんとうにごめんなさい」


 二年生の僕は「手紙を置くことが出来るならプレゼント置けるじゃないか。ちぇ、お父さんもお母さんにも、もう『サンタさんを信じている』作戦は通用しないなあ」と手紙を読みながら思った。そういう心の中身を知られないようにただ悲しいふりだけをした。

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