第5話

 朝起きて、憂鬱な気分で学校に行く準備をする。朝ごはんも僕は食べない。ギリギリまで寝ていたかったからだ。十四歳の僕は毎日夜遅くまで深夜ラジオを聴いていた。僕にとってその時間は特別な時間だった。僕のラジオは自分で作ったものだ。十四歳の子供でもラジオは簡単に作れる。そう言うのは小学校の時に友達でしんぞう君って奴がいて。彼は双子の兄弟で同じく僕と同い年のまさし君もいて。兄のまさし君はなんか子供のわりにませていて、いつも半ズボンで蝶ネクタイを付けていて、テレビでよく見る大学教授のような話し方で手をいつも後ろで組んで「それはですね」とか「あれはですね」といつも言っていた。弟のそのしんぞう君はファミコンのカセットを分解して中の基盤をいつも宝物のように持ち歩いていた。僕とおのきが住んでいるところと彼ら二人の住んでいる家を線で結ぶとちょうど正三角形になるぐらいの近所に彼らは住んでいて。僕はしんぞう君とは三年生ぐらいの頃から仲良くなって。彼からよくその彼の宝物をよく見せてもらったり触らせてもらったりして。緑色の基盤に銀色やコードの赤や黄や青。それぞれがどういう仕組みで繋がっていてファミコンのゲームが何故動くのかは僕もしんぞう君も全くよく分かっていなくて。それでもその宝物を二人で触ったり、「これが多分ゲームのプログラムが入っている部分でそれをこのコードがテレビに伝える部分で」といろいろとお互いの意見を言い合うのが楽しかった。飽きなかった。そして奇跡的なことに彼らの名字が『服部』であって。まさし君はそうじゃなかったけれど、しんぞう君は、親も分かっててその名前を付けたのかと他のみんなで話し合ったりもした。「分身しろ」だとか「何か忍法をやってみて」だとか彼はよく言われていた。そして彼はそのリクエストになんとか応えようとしていた。忍法と言えば当時僕も親にお願いして買ってもらった「忍術百選」みたいな本がすごく面白くて読んでいて。本当にやれるんじゃないかと『水蜘蛛の術』をナイロン袋に空気を入れてそれをたくさん作って大きめの段ボールにサンダルと裏側にその空気の入ったナイロン袋を大量に取り付けて、それを両足に取り付けて。みんなでお城のお堀に行って、僕はそれを履いて水の上を歩こうとして結果、一瞬でお堀の中の汚い水にバランスを崩して顔から突っ込んでしまったり。それでもみんなは「えーじはバランスが悪いから失敗した」と順番に『水蜘蛛の術』にチャレンジしたけれど、結局全員一瞬で水浸しになってしまい。『隠れ身の術』ならやれるんじゃないかとこれまたみんなで話し合って。それぞれが家から大きめのバスタオルを持参して壁なんかに両手を上に上げてバスタオルで体を隠し、結局バレバレなんだけど、みんなして「あれ?消えた!マジで消えた!どこ行ったん!?」と子供ながら忍法を会得した気になって。僕がその本で一番最後まで「これ、頑張れば何とかなるんじゃないんだろうか?」と思っていた忍法があった。それはアニメで見た『さすがの猿飛』で主人公が使っていた『神風の術』だった。アニメの中では神風を巻き起こして女の子のスカートが捲れると言うものだったのだけれど、その本の解説によるとなんか両足をものすごいスピードで動かして地面を蹴ることにより摩擦により温かい空気を作り出し、なんか暖かい空気は冷たい空気よりも軽いみたいでその仕組みを利用すれば風を巻き起こすことが出来ると書いてあって、当時の僕はしばらくの間、ずっとその場で両足を出来る限り早く動かして地面を蹴り、風を起こそうとしていた。「これは不可能だ」と理解するまで三日ぐらいかかった。あと、それとは別に一つだけ印象に残っている忍法があり、名前は忘れたけれど内容はハッキリといつまでも覚えていた。それは数人の女の人を後ろ手に拘束して、寝転がせた状態にしてその女の人たちの足を繋げてしまうと言う忍法だった。一人の女の人の左足首とその隣の女の人の右足首を繋げる。結果女の人は左足首も右足首も左右の女の人の足首に繋がれて、女の人が恥ずかしいと思って足を閉じるとその隣の人の足は開く仕組みで。じゃあ一番右端の女の人と一番左端の女の人はどうなの?というのはどうでもよく、ただただ「これはすごい!絶対に誰かしらがパンツ丸見え状態になる!誰かが必ず犠牲になる!」という理由で覚えていた。僕は意外と昔からスケベだったんだと思う。

 三年生の頃はいろんな意味で僕にとって特別だったと思う。スポ少に入ったのもそうだし、おのきはまだ嫌な奴だったけれど、友達がいなくて下校中にみんなにわざとぶつかりながら歩いていた僕に少しずつ友達が出来ていった頃であり。「木場一族」のお姉ちゃんもいたし、しんぞう君とかまさし君とか他にも帰る方向が同じ子達と一緒に帰るようになって。学校から家に帰るまでにはいろんな秘密基地とか名所があって。みんなで誰も住んでいないであろう謎の屋敷に当時放送していた『水曜スペシャルの川口浩の探検隊』と同じノリで、他にも川人君や山根君とかもいて(この二人はのちに子供会の「番丁」に所属する)。やっぱり幽霊とかオバケとか普通に怖いと思っていたから謎の屋敷に潜入する時はじゃんけんで一番先頭に立つ人とか一番後ろに立つ人を決めてから恐る恐る歩みを進めて。その時、しんぞう君が確か『ドリフ』のセリフだったと思うけれど急に「きょ、きょ、恐怖の五秒前~。ごおー、よんー、さん、にー、いち、ぜろ!」。その瞬間、謎の屋敷の屋根から大量の水が落ちてきて、全員が一目散でその場から逃げた。また石で綺麗に落書きが出来る横にずっと五十メートルぐらいある(多分誰かの家の塀だったと思う)壁にみんなで毎日落書きをした。山根君が「おんなの股ってこんなんやって」と全国各地で共通して使われているとのちに知った女性器の落書きをして、僕らも真似してそればっかり書いた。あとは相合傘とかも流行っていてお互いの名前とクラスの女子の名前を書いては恥ずかしくて「あんなブスの名前なんか書くなよー」と自分の名前の方をみんな上から線を何度も書いて見えないようにした。山根君はすごくかっこいいところがあって、その時の僕らの担任の先生の名前が「谷川」と言う女の人だったのだけど、怖い人だったのでみんなであだ名をつけて「タニガワニ」と陰では呼んでいた。山根君は一度「タニガワニ」にみんなの前でお説教をされた。ずっと下を向いたまま「タニガワニ」のお説教を聞いていた山根君は「分かりましたね。それじゃあ次からはしっかりと気を付けてください」と言って教室を出ていこうと背を向けて歩き始めた「タニガワニ」に向かって「あっかんべえ」をした。「タニガワニ」が教室を出た後、教室の中は歓声に包まれ、山根君はヒーローになった。僕は「タニガワニ」のことが意外と嫌いじゃなかった。一度、学校の宿題で同じ漢字をノート一ページに延々と書いて提出することがあった。漢字五種類でノート五ページ。僕は覚えている漢字を今更延々とノートに書くのがすごく面倒くさいと思って、姉にその日のおやつと引き換えにそれをやってもらってそのままそのノートを「タニガワニ」に提出したことがあった。僕の書く字と女の子である姉の書く字はまるっきり違う。姉の書く字は典型的な「女の子文字」だった。そんなこと誰が見てもすぐに分かることだった。僕はその日、「タニガワニ」に呼び出された。「タニガワニ」は僕の目を見ながら「これは森山君がちゃんと書いたの?」と言った。僕は「はい」と答えた。それから十秒ぐらい「タニガワニ」は僕の目をじっと見続けた。僕は目をそらしたかったけどそれをしたら不正を認めることになると思い目をそらさなかった。

「分かりました。じゃあ帰っていいです」

 僕はそう言われて職員室を後にした。その時僕は「自分が悪いことをした」とすごく後悔し、その後は宿題を誰かに頼むことをしなくなった。

 そんな思い出が詰まった僕のラジオは実にたくさんのことを僕に教えてくれた。あの時のみんなも西中へ行ったはずだ。

「定期券持った?あと今日は弁当じゃないから。五百円上げるからパン買ってね」

 そう言って母親から受け取る五百円玉。この五百円にはたくさんの残酷が詰まっている。

 僕はカバンを自転車のカゴに放り投げて駅まで自転車で、そして駅の駐輪所に自転車を止めてから電車に乗って二駅。隣町の付属中のある駅まで電車に揺られる。電車の窓から僕の町の自慢のお城を見るのは好きだった。電車が走り出して僕の住み慣れた町の景色が見られるまでの時間は楽しかった。遊びに行った友達の家が見えるから。ガマ君の家も、こーちゃんの家も、はっさんの家も。たまに一緒に付属中学に合格したばぴょんと駅で会って一緒に学校に行くこともあった。僕から見ても付属中学ってダサいところがあって、生徒は基本的に電車で通学するもの、自転車で通学するもの、歩きで通学するものの三種類に分かれていて、自転車で通学するものはものすごくダサいヘルメット着用を義務付けられていた。それは電車通学するものも同じ決まりがあって、駅まで自転車に乗る場合はものすごくダサいヘルメットを着用するように義務付けられていた。僕はそんなダサいヘルメットなんか被りたくなかったし、どうせ誰も見てないからバレないと考えていたし、小学校でも自転車は三年生からは乗れる決まりだったけど、ヘルメットを被れというルールはなかった。日本の法律でもバイクならヘルメット着用を義務付けられているけれどチャリンコにはそんな決まりなんかない。そんなのあんまり意味がないと僕は思っていた。単純に付属中学のヘルメットはダサいとしか思っていなかった。でもある日僕が駅までノーヘルで、自転車で通っていることが教師にバレた。ばぴょんがチクった。僕は長い反省文を書かされたけど、それでもヘルメットはダサいから最後まで被らなかった。ばぴょんも僕もランドセルから学生カバンに変わったけれど憧れの学生カバンは僕にはなんかボストンバックみたいと言うか、サラリーマンみたいだなあと思った。この中には教科書やノートや筆記用具が入っている。

 僕の通っている付属中学の生徒は二種類の人間に分かれていて、生徒の三分の二以上が付属小学校からエスカレーター式というやつで受験もせずに付属中学に進学してきた。残りの三分の一より少ない残りの生徒が受験をして合格してそれぞれ別々の小学校から付属中学に進学したものだ。そこには西中なんかと比べると刑務所の中と保育園ぐらい治安に差があって。それでも保育園のようなぬるくて平和そうなところにもカースト制度は存在して。まず、エスカレーター式で上がってきた奴らは仲がいい。当然だ。おぼっちゃん、おじょうちゃんだ。それでも中には少しだけどヤンキーっぽい奴も何人かいて。僕と同じように受験して付属中学に入った奴の中にもヤンキーぽい奴も何人かいて。付属中学って、いい高校、そしていい大学に行くためにあるようなものであることを僕は薄々とは知るようになり。僕の学年では下田って奴が番長的存在であった。下田は付属小学校から上がってきた奴で、下田の取り巻きは同じように付属小学校から付き合いのある奴と受験で付属中に入った奴が何人か。みんなボンタンを履いていたけれどこーちゃんやしんたや岩本や池尻が履くようなボンタンよりは全然細い。下田はバスケット部に入っていて、その取り巻きも何人かは同じようにバスケット部に入った。あいつらは練習なんかしてない。下田は上級生にはペコペコする。

「〇〇さんはいつもナイフ持ってるからヤバい」

 僕は以前、こーちゃんやしんたに聞いたことがあった。

「ナイフとかって持つもんなん?」

「アホか。そんなんヘタレが持つもんやろ?うちの学校にもそういうの持ってる奴とかおるけどヘタレの根性なしばっかやぞ。付属にそんなんおるん?そいつめっちゃダサいな。なんならいつでも相手したるぞってゆうとって」

 こーちゃんとしんたは笑いながら言った。

 僕はそれを聞いて「ナイフとか持つのってダサいんだ」と思った。そう言えばドラクエ3の武闘家は武器を持たない。僕らは別に世界を救う勇者でもなんでもないし、天下一武道会でも凶器は禁止されている。かめはめ波はセーフだし、ピッコロがナイフ持っているとダサいってのがよく分かる。

 その下田の取り巻きの中でもいい奴も何人かはいた。あとの奴は糞だった。

 残酷な母からの五百円玉。僕は朝に駅前のパン屋でパンを買う。お釣りが百五十円ぐらい残る。僕はそれで学校の帰りに昔から行きつきの駄菓子屋に行くのを楽しみにしていた。毎月お小遣いは別に貰っていたけれどそれとは別の臨時収入。

「もーりやーまくーん」

 午後の休み時間、下田が取り巻きを何人か引き連れて僕に話しかけてくる。いつものことだ。馴れ馴れしく僕に肩を組んで息の臭い顔を近付けてくる。こいつってすげえブサイクだ。頭の中でそればっかり考えながら僕は固まる。返事もしない。

「今日、お昼パンやったやろお?お釣りちょーだい」

「かわいそうやからやめてやれや。シモ」

 アッチが軽く止めに入る。アッチは下田と同じ付属小学校から上がってきた奴だけどいい奴だった。バスケット部では割と真面目に練習はしていると聞いていた。

「アッチ、何?森山の味方?」

「そーじゃなくて。なんかかわいそうやん」

「森山くーん、そうなん?俺ってひどいことしてる?」

 僕は前に同じように下田にパンを買ったお釣りを要求されて断った瞬間にぶん殴られたことがある。僕は黙って定期入れから百五十円を取り出して下田に差し出す。

「え?これ俺にくれるん?ええん?本当に?なんか悪いな。ありがとうな」

 そう言って下田とその取り巻き立ちはその場を去っていく。アッチだけが一番後ろで他のみんなに見えないように僕に向かって右手を立てて申し訳なさそうに謝るしぐさをする。取り巻きの一人に野上がいた。野上は僕と同じように受験して付属中学に入った。僕は普通に野上を呼び捨てにした。周りのみんながそうしていたから同じようにと思ってそうした。

「あ?野上?なんでお前が俺を呼び捨てに出来んの?君を付けろ。もう一回俺のこと呼んでみて」

 付属小学校から上がってきた奴らはヤンキーっぽい奴だろうとそうでない普通の生徒も全員野上のことは呼び捨てにしている。

「……野上君」

「ちゃんと言えるやん。今度から気を付けろよ」

 その日以降、僕は野上のことを名前で呼ぶことを止めた。

「なあなあ、先生が呼んでるよ」「なあなあ、アッチが呼んでるよ」

 名前は使わない。

 そして野球が好きだった僕は付属中学の野球部に入部した。同級生のチームメイトは僕以外全員付属小学校から一緒にやってた奴らばかりだった。外様は僕一人だった。僕はチームの輪に入れてもらえなかった。監督は野球のルールも知らない試合の時だけ顔を出す素人教師。何をやっても見て見ぬふりをする上級生。全員で僕に投げられる全力投球の軟式ボール。別に全員が僕を目の敵にしていた訳ではなかった。いい奴もいた。シマ君は家にも遊びに呼んでくれたし、普段の学校生活では普通に接してくれた。粋がった何人か、特にちびの大和は虎の威を借る狐で、自分は弱いくせに他のみんなにけしかけて率先して僕に嫌がらせをした。そういう空気もあった。本当はあんまりそういうことはしたくないけれどみんながやっているから、自分だけやらなかったら同じ目に合うんじゃないかみたいな。シマ君は僕にぶつける軟式ボールは手加減しているのが僕には分かった。それにシマ君は後からみんなに気付かれないように僕に謝ってくれた。

「森山って昨日練習休んだやろ?」

 ちびの大和が言った。練習なんてみんな真面目にやってないし、監督もいなし、球遊びをしているだけ。基本自由参加だし。

「え、そうなん?」

「マジで」

 周りがちびの大和に同調する。

「お前、明日までに反省文書いてこい。原稿用紙四枚な」

 ちびの大和が笑いながら言った。僕は翌日反省文を原稿用紙四枚書いていった。その反省文の中に「毎日素振りをするようにします」と書いた。

「そぶりやってー!そぶりー!森山めちゃアホ!そぶりー!そぶりー!」

 はしゃぐちびの大和。

 僕は頭の中で一体何回、何十回、こーゆー糞を想像で殺してきたんだろう。どうすれば痛いだろう。どうすれば長時間苦しむだろう。どうすれば惨めだろう。僕はもうその頃、そういうことばかり考えていた。

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