第3話
微かに硝子が割れる音が聞こえ、その少し後でガチャ―ンと言うものすごい音が聞こえた。僕の目には数人のものすごい太さのドカンやボンタンを履いた男の子達が音の方に振り向く姿と落下して地面に激突した机。お城の西にある西中学校、通称「西中」は僕の住む町ではどうしょうもないクソガキの集まりと呼ばれていた。もちろん公立中学である西中には普通の生徒もいるし、そこから進学校に進む生徒もいる。だけど男子生徒も女子生徒も基本、不良と呼ばれている。十四歳の僕にはそんな映画のようなシーンもよく見る光景であって、別に怖いとかそういう感情を覚えることもなかった。そして僕は西中の生徒ではない。
僕は本当ならみんなと一緒に西中に行くはずだった。僕の兄も姉も僕と同じ小学校から西中に進学したし、僕も当然そうなると思っていた。でも僕は、当時小学校の頃に所属していたスポ少、いわゆる地区の野球チームを引退してから親に言われるがまま勉強して、みんなとは違う中学、付属中学に二人だけ進学した。正確には他にも三人の同級生が付属中学を受験したけれど僕とあとあまり親しいとは言えないばぴょん以外の人間は合格しなかった。そして僕らの七割は西中へ、三割は東中に、そして僕とばぴょんだけが付属中学に進学した。
「付属中学に合格したら電車で通学出来るよ。定期券で毎日電車に乗れるし」
僕は子供だったからそんな親の言葉に魅力を感じて付属中学を受験し、そしてそこへ進学することになった。
「おお!えーじ!お前また来てんの?勉強せんでええんか?」
漫画のようなものすごいリーゼントに丈の長い「長ラン」と裾にいくほど太くなっている「ドカン」と呼ばれるズボンをうまく地面に付かないように両手をポケットに入れて上に上げながら歩いて声をかけてくるのは小学校が同じだったこーちゃんだ。
「うん。いつもんとこにみんないるん?」
こーちゃんの後ろには同じような格好をした僕とは違う小学校から西中に進学した怖そうなヤンキーたち。それが分かるのは僕が顔を知らない人ばかりだから。僕は不良とかそういうのではなかったから学生服も親から買ってもらった普通のものを着ている。
「こーちゃん。誰?こいつ」
咥え煙草でこーちゃんの後ろの一人が言った。
「あ?こいつは俺のツレや」
「うちの学校によその奴入れてええんか?」
別の怖い人が言った。
「あ?こいつは俺のツレやぞ。なんか文句あんの?」
こーちゃんと後ろの人がケンカを始めそうな雰囲気だった。こーちゃんは昔から頭はよかった。四年生の算数の授業の時、僕が分からない問題をみんなの前で分かりやすく説明してくれて、最後に「分かりましたか?森山君」と言ってくれた。六年生になって卒業までずっと休み時間には一緒にドッチボールをしていた。僕はスポ少で軟式野球をやっていたけれどこーちゃんは子供会でそれぞれの地区で分かれたソフトボールチームの一つである「白鳥」に所属していた。僕もスポ少と掛け持ちで五年生まで「城南」に所属してソフトボールをやっていて、そのすぐ隣の子供会の「山北」の監督をしている大学生の監督の人に六年生になった時、「旨い子がいるからうちに誘え」「『城南』はいつも人数が足りなくて不戦敗も多いから」の理由で「山北」に移籍してキャッチャーを任された。バッターが打ち上げた一メートルほどのフライも僕はマスクを放り投げすぐに上を見てそれを捕球した。
「なんであれが捕れるん?」
そんなのは僕の方が不思議に思えて。僕の野球をやっていたスポ少には同級生のたっこがキャッチャーをしていて。それは僕なんかよりずっとずっと上手くて。
ここで少しだけ僕のスポ少の話をしておくと、僕が最初に野球に興味を持ったのはこれまた偶然なのかは分からないけれど、僕が通っていた幼稚園から僕は一人だけみんなとは違う小学校に進学した。理由は分からない。だから僕の小学校生活は誰も友達がいない、知っている人間もいないところから始まった。最初は登下校もずっと一人きりだった。みんなは知り合い同士みたいで羨ましかった。兄や姉も同じ小学校に通っていたけれどそんな僕のことなんか知らないみたいで。だから今でも覚えていることで当時は二人や三人で並んで下校している同級生の間の狭いスペースをわざとぶつかるように僕は通り過ぎることを繰り返していた。クラスの中は安全地帯だった。二年生の時も先生から違うクラスにプリントを届けてくれと言われるとすごく嫌な気分になった。そしていつも違うクラスの僕が別のクラスの教室に足を踏み入れると何故かそのクラスのほぼ全員じゃないかと錯覚するぐらい多くの同級生から僕は罵詈雑言を浴びせられた。特に二年四組がひどかった。四組には僕の家から二分ほど畑を歩けば着く距離にすんでたおのき(こいつをおのきと呼ぶようになったのは同じスポ少で野球をやるようになってからである)がいて、おのきは僕を目の敵にしていた。廊下だろうが学校の外だろうが僕を見ると僕に絡んできた。それでも畑を挟んだおのきとは反対側の城南地区の近所には学年関係なく友達が増えていって。それもどちらかというと男の子よりも女の子の方が多くて。それでもそこには小さいながらも滑り台やジャングルジムや砂場や鉄棒のある公園があって。近所の子供たちはそこに集まって公園の前の道路では「けいどろ」とか「だるまさんがころんだ」とかして遊んで。ある日、その中の誰かがプラスティックのバットとゴムボールを、正確には「庭球」を持ってきてからみんなは野球に夢中になった。僕の兄はもうその頃には西中に進学していて、姉は町の道場に通って薙刀をしていたのでその仲間には入ってなくて、その時一番年上だった六年生の木場さんという女の子をみんなで「木場一族」と呼びながらもリーダーとして慕っていて。野球の試合は十八人でやるものだけど、その半分の人数もいなかったからみんなでいろいろと考えて野球をした。二人いればもうそれだけで野球の試合が出来た。一人が投げて、もう一人がそれを打ち返して。まあ、もう一人いれば三人のうち一人がキャッチャーをして、バッターが空振りしてもボールを取りに行く面倒がなくなり都合がよかった。あとはランナーを透明ランナーとして、守備に就く人間もいないからフライもゴロもツーバウンドまでに捕ればアウト、ゴロも壁に当たって跳ね返ったボールを掴んで、一塁と決めた場所まで打った人間が到着するまでにそいつにボールをぶつければアウトと決め、いろいろとルールを子供なりに工夫して暗くなるまで野球をした。それでも女の子が多かったから毎日野球ばっかりと言うでもなく。また、誰も集まらない日も普通にあって。それでも僕は野球が気に入って。一人で壁にボールを投げて跳ね返ったボールを捕るのを繰り返した。そんな僕を見かねてか、ある日僕に母がグローブを買い与えてくれ、母の知り合いの伝手でスポ少に僕は入団することになった。ちょうど僕が小学三年生の時だった。僕がスポ少に入団した時はまだチームに同級生はいなかった。ただすごく背の高いダボダボの長ズボンとデカい靴を引きずって歩くとしくにと言う奴がいた。僕は最初そいつのことを上級生だと思っていた。話を聞いたら僕より年下で二年生だと知った。糞生意気な奴だった。そして僕が四年生になってから順番にまず、おのきが。そしてすぐにたっことりゅうじ。そしてトヨとさかもっちと五人の同級生がチームに入団してきた。おのきと同じタイミングで一つ下のけんじもチームに入団した。まず僕らは最初すごくへたくそだった。一学年上には部員は一人しかいなく、二学年上の六年生が全てのポジションを占めていて、四年生の僕らから見てめちゃくちゃ野球の上手い上級生としか言いようがなかった。ただ、情けない話だけど僕らの一学年下のとしくにとけんじはものが違って六年生の人たちにもう少しのレベルだった。三年生のくせにだ。不思議なものであれだけ僕を目の敵にしていたおのきともすぐに仲良くなった。そうなってからの学校は楽園だった。学校の男の子達はだいたいみんながそれぞれの子供会でソフトボールをしていたのでおのきもたっこもりゅうじもトヨもさかもっちもそれぞれが別々の地区のソフトボールチームに掛け持ちで入っていて。友達の友達は友達みたいな感じで四年生になってから、僕は学校の同級生のほとんどと友達になっていた。
ここから話を戻すと当時はこーちゃんの所属していた「白鳥」だけは本気で土日もしっかりと練習をするチームだった。所詮は子供会のソフトボールだけど「白鳥」だけは違った。それでもスポ少で一学年下のとしくにとけんじが所属する「番丁」がいつも大会では優勝していた。決勝で「白鳥」と「番丁」が対決するのがいつも当たり前で、そしてあの二人がいる「番丁」がいつも勝っていた。それは仕方ないことだった。なにしろとしくには左バッターで、四年生の時にはフリーバッティングでいつもライト側にある学校の三階建ての校舎を超える打球をかっ飛ばしていたし、スポ少の試合でも柵越えのホームランを打つのはチームでも四年生の糞生意気なこいつしかいなかった。けんじの奴もとしくにとはまた別のベクトルでずば抜けた選手だった。五年生になった時の僕は学校で一番足が速かった。市の陸上大会でも学年で一番足の速い奴が百メートル走の代表になり、四番目までの奴が代表で四百メートルリレーの代表になる。僕は百メートル走の代表と四百メートルリレーのアンカーでおのきは二番目に速かったから僕にリレーでバトンを渡す役目を果たした。おのきはいつも僕にバトンを渡す時に口癖のように「えいじ!」と叫んでいた。僕は加速しながらその声が聞こえたら後ろを振り返らずに右手を差し出すだけだったからおのきの口癖がとても役に立った。何故僕はあんなに足が速かったのかを後になって考えたら理由は明白だった。僕の家は貧しかったから三年生になったら学校のルールで解禁される自転車に僕は一切乗らなかったからだ。家には自転車はあったけどいつも兄と姉が使っていたから僕は友達と遊びに行く時も自転車に乗ったみんなの後ろを走って追いかけた。それでもけんじは僕よりも足が速くなった。あいつの走り幅跳びの四年生の時の記録は今でも日本記録として破られていない。そんな運動神経の塊のようなけんじと化け物としくにのいる「番丁」は強かった。
「なんてったってビビンバぁぁ!」
「おおたけばってんばつばつぅぅ!」
訳の分からない掛け声を叫びながらお城祭りのスピードガンコーナーで百キロを超える軟式ボールを投げる二人の四年生。
それでも最後の大会で初めて「白鳥」は「番丁」に勝った。早々と負けた僕はその試合を見ていて、試合後に甲子園で優勝したみたいにマウンドに集まる「白鳥」の選手たちを見ながら「たかが子供会のソフトボールなのにやっぱり『白鳥』は真面目に練習してたからなあ。最後の最後であの『番丁』に勝つなんてすげえなあ」と思った。子供会のソフトボールの大会で試合後に選手が泣くことなんて見たことなかった。「白鳥」の選手はみんなが泣いていた。こーちゃんも泣いていた。そしてその「白鳥」の選手はみんな西中に進学して全員がヤンキーになった。
「みんなやろ?今の時間やったらいつもんとこでおるんちゃう?」
こーちゃんが煙草を取り出しながらそう言って、煙草を口に咥えて体中を探り始めた。ライターを探してるみたいだ。
「おー、誰か火ぃ貸せや。あと、机投げたんあれ三年やろ?今から行くぞ。しんたも呼んで来い」
「はっさんには声掛けんでええん?こーちゃん」
「これぐらいはっさんおらんでもええやろがあ」
はっさんは僕と同じ小学校で僕も仲が良かった。今は西中最強らしい。はっさんの性格は昔から知っていた。腕っぷしはとにかく強かったけど根は優しい。いつも笑ってばっかりだったし、虐めとか絶対にしない性格で、どちらかというとケンカとかにも興味のない方だった。六年生の時もドッチボールですごい球を投げていたけれど、相手を見て力加減を調整して投げていた。一度だけはっさんのケンカを小学生の時に見たことがあった。ケンカ相手の方のガマ君とも僕は仲が良かったし、はっさんとガマ君も特別仲が悪いとかはなかった。実はガマ君も僕と同じ付属中学に受験したけれど合格しなかった。ガマ君の特技は絵を描くことだった。すごくひょうきんな一面もあったし腕っぷしも強かった。周りの誰かがはっさんにけしかけた。自分がガマ君のことを気に入らなかった奴が自分ではガマ君にはケンカでは勝てないから。そいつがはっさんにガマ君がはっさんの悪口を言っていると嘘を教えた。それでもはっさんは優しいから特に気にはしてなかった。そいつは動かないはっさんに「ガマは『俺の方がはっさんより余裕で強いし、あいつは俺から逃げてる』と言ってる」と嘘を教えた。結局はっさんはガマ君を殴った。それはケンカにもならずはっさんの二発のパンチでガマ君はぐったりとしてしまった。はっさんのその時の目はとても悲しそうだったのを今でも覚えている。そしてガマ君もそれ以降誰とも口を利かなくなり、教室の隅っこでずっと絵を描き続けるようになった。僕はその絵を見たことがあった。まるで画家が描いたような子供が描くような絵のレベルではなかった。ガマ君は結局、西中に進学した。ガマ君が付属中学に合格すればよかったのにと僕は思った。
「じゃな。えいじ。今度お前んとこにも遊びに行くわ」
そう言って火の点いたタバコを咥え、こーちゃんは歩いて行った。その後ろに他のヤンキーもついていく。何人かは僕にガンを飛ばしながら歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます