第5話
「なんか、いろいろな話が出ましたけど、ホムンクルスが何故死んでしまったのか、という謎からは離れてしまいましたね」
困ったような顔で山瀬がいう。
池沢は自分の長い髪の毛をもてあそんでいた。
「聞いてますか?」山瀬が問う。
「え? ああ。聞いてるよ。……何だっけ?」
「全っ然、聞いていないじゃないですかぁ!」
山瀬が怒鳴る。
池沢は軽く舌を出して見せた。
「そろそろ、本気で考えてくださいよぉ! 明後日には提出なんですから」
池沢は相変わらず髪をいじっている。
「いや、ちゃんと考えているよ。実は、本気のときは髪の毛をいじる癖があるんだよ」
「本当ですかぁ?」
「ごめん。嘘」
怒り出す山瀬だったが、目だけは真剣な池沢を見て、黙り込んだ。
池沢は、上を向くと、店の天井で回っているファンをじっと見つめた。ゆっくりと目を細めた。アイスコーヒーを口に運ぼうとして、一瞬、手首のあたりからうっすらとバラのような香りが鼻を掠めた。
「……そうだ。さっき、ここに香水つけたよね」
池沢は手首を眺めている。
「え? アレですか? 先輩、気に入ったんですか?」
「まあ、気に入ったかもね。それよりも、アレをつけたとき、ヒヤッとしたんだよね」
「気に入ったのなら、もう少しつけてみますか?」いたずらっぽく言う山瀬の言葉には答えず、池沢は何かを考えているようだった。
「そうか……」
池沢は指で唇を撫で、目を細めた。
「そうだよ、気化熱だよ!」
池沢が山瀬に笑いかける。山瀬は驚いたように目を見開いている。
「山瀬さん、ゾウの時間ネズミの時間って知ってる?」
「なんか、ずいぶん前にそんな話を聞きました。ゾウにとっての時間とネズミにとっての時間は違う、みたいな」
「そう。その中で、問題にしたいのは、生き物のサイズとエネルギー消費量についてだ。サイズの大きいものほど恒温性を保ちやすいのはわかるよね。茶碗のお湯はすぐさめるけど、お風呂のお湯は、冷めるまでにかなりの時間が必要になる。これと同じ原理だ。それから、サイズの大きいものほど乾燥にも強い。表面から逃げていく水分の量が相対的に少なくなるわけだから。つまり、気化熱も少ないってことだよね。そしてサイズの大きい方が飢えにも強い。飢餓状態に陥った時、動物は体に蓄えられた脂肪をエネルギーとして使うんだけど、体重が半分に減少した時点で、多くの動物は死んでしまう。体重あたりのエネルギー消費量はサイズの大きいものほど少ないので、大きいものはより長期間の飢餓に耐えられることになる。ここでいえるのは、恒温性を持った動物、つまり、温血動物が、よりこの傾向が強い、ということだよね」
山瀬は、よくわかってないような顔つきだ。池沢は続けた。
「ホムンクルスが人間を模している以上、恒温動物である可能性が高いわけだよね。恒温動物であるならば、体温が周囲の温度まで下がらないように、代謝の速度を上げる必要がある。教授は、ホムンクルスが、蒸留器から出すと死んでしまうし、生き血を与え続けないと死んでしまうというと言っていたんだよね。つまり、血液を与え続けないといけないというのは、代謝速度を維持するためのエネルギー摂取が必要だと言うことなんだよ。ホムンクルスのエネルギー源は血液だから、継続的に血液を摂取しないと、代謝速度にエネルギー摂取が追い付かずに餓死してしまう。蒸留器から出すと死んでしまうというのも、蒸留器の中は、一定の温度に保たれているけれど、そこから出せば、急激な体温低下に見舞われ、体温が維持しきれず死んでしまう……」
山瀬も何となく、池沢が言おうとしていることを理解しはじめているようだ。
「結局、ホムンクルスは、その身体が小さいために、血液を摂取し続けなければならず、低温度のフラスコの外に出すわけにはいかなかった……。なぜ、ホムンクルスが死ななければならなかったのか。それは、彼らが人間を模しているにもかかわらず、とても小さい存在だったからだ。この解釈は、科学的な視点での“ホムンクルスが死んでしまう理由”にならないかな?」
池沢が言い終わった時には、山瀬はノートにものすごい勢いでシャープペンシルを走らせていた。山瀬にも答えがわかったようだった。
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