第4話

 池沢は手を叩いて笑っている。


「笑い事じゃないんです。私は、来週までに、この質問の答えをレポートしないといけないんですから!」


 いいながら山瀬はトートバッグからノートを取り出した。


「それで、一応、研究室の中で、オカルト研究会に所属していて、錬金術にも詳しいっていう藤川くんにホムンクルスについてきいてみたんです。でも、藤川くんでも結局わからなくて。代わりに錬金術についてはかなり詳しく教えてくれました」


 池沢は頷いてみせる。山瀬は続けた。


「藤川くんに教えてもらった内容としては、まず、錬金術の基礎として、あらゆる物質は『土水風火』の四大元素から成り立っていて、そして火の属性を持つ哲学の硫黄と、水の属性を持つ哲学の水銀を用いれば、金をつくることが出来るのだそうです。それが錬金術の基礎なのだとか」


「いきなり魔法みたいな話になってるね。神崎先生は『科学的な視点から答えを導き出してください』って言ってたんだよね。そこに、何かしら意味がある気がする」


「私もそう思います。藤川くんの話してくれた錬金術の話は、なんだか教授が話していたこととはかけ離れている気がして」


「金を作るのが、錬金術なんだよね。どうして人造人間を作ったんだろうか」


「錬金術師は、みんな金を作り出すために、賢者の石という究極の物質を作ることを目標にしていたそうです。藤川くんの話では、ホムンクルスを作る研究もその賢者の石を作るための過程だったんじゃないかって」


「賢者の石か。ハリーポッターに出てきてたよね」


「藤川くんの話では、賢者の石っていっても、必ずしも石の形をしている訳ではなくて、赤い液体や赤い粉だったりすることもあるそうですよ」


「なるほど、液体状や粉末状か……」


 池沢は少し考えるそぶりを見せた。


「さっき、硫黄と水銀を使って金を作るって言ってたよね。そして……赤い物質ってことは……もしかして硫化水銀なのかな」


 池沢の言葉に山瀬は食いついた。


「硫化水銀?」


「辰砂っていう鉱物があるんだ。それは硫化水銀、つまり、硫黄と水銀の化合物なんだよ」


 山瀬は目を丸くした。


「おお、なんだか急に科学っぽい話になりましたよ。やっぱり先輩に相談して正解でした!」


「辰砂を加熱すると、水銀の蒸気と二酸化硫黄ができるんだよ。昔の人はそこから水銀蒸気を冷やして液体水銀を精製していたんだ」


「ふむふむ、よくわかりませんがメモします」


 山瀬がノートにシャープペンシルを走らせる。池沢は話を続ける。


「水銀にはアマルガム化という特性があるから、昔から金加工によく用いられていたんだよ」


「アマルガム……って何ですか?」


「水銀に金や銀を加えて練ると、柔らかくなって加工しやすくなるんだ。これをアマルガム化っていう。どんなふうに利用されていたかというと、そうだなあ、例えば、奈良の大仏って、今でこそ銅の色が表面に出て黒っぽい深緑色だけど、出来たばかりの頃はメッキで金ぴかだったんだ。大仏の銅の体に金と水銀の混合物を塗って、それを後から加熱して水銀を蒸発させるという方法で金メッキを行っていたんだ。これはアマルガムの特性を利用したものだ」


「へえぇ……」

 

 山瀬は、尊敬するような視線を池沢に向けた。池沢はなんだかこそばゆいような心持になる。


「でも、ホムンクルスの話からは離れちゃった気がしますね」


「確かに」


 池沢はアイスコーヒーを口に含む。


「他には何か藤川くんから聞いていないの?」


「他には、ええと、錬金術の考え方では、すべての金属には、もともと金という完全な金属になろうとする性質があるもので、鉄もものすごく長い時間ほっておけば、いずれ金になるんだっていう考え方があった……みたいなことを教えてもらいました。錬金術は、その変化スピードを調整する技術である、といった認識があったそうです」


「へえ、変化のスピード調整」


 池沢は、感心したように頷いている。


 山瀬は続ける。


「うーん、今の私たちの認識だと、なかなかこういう考えには行かないですよね。鉄もそのうちに金になるって考え方。昔の人は原子とかの存在を知らなかったから、そういう考え方をしたんでしょうけど……」


 そこで、池沢が山瀬の言葉を切った。


「いや、むしろ、鉄を金に変えるのは、原子について詳しく研究が進むほどに可能なことだよ」


「え?」


 山瀬はきょとんとした。予想外、という感じだ。池沢は真面目な顔をして話し始めた。


「β崩壊っていうのがあるんだよ。簡単に言えば、力業で原子を変質させる行為。原子は原子核と電子から構成され、原子核はさらに陽子と中性子で構成されているのは知ってるよね?」


 一瞬山瀬は口ごもった。


「ええと……一応、高校で習ったと思います」


「物質の差は、それを構成している陽子や中性子の数と、電子数で決まる。つまり、その数を変えてやれば物質は変わるということになる」


 山瀬は、眉間に皺を寄せながら、こめかみに指をあてた。


「えーと、何となく理解できます」


「例えば、元素記号七十八のプラチナから七十九の金への変質ならば、陽子を一個足せばいいんだ」


「はあ」


「同じように、β崩壊を繰り返せば、理屈の上では鉄を金にすることも可能なんだよ。現代科学なら、物質の最小単位での変質が可能だから。ただ、原子数個ならまだしも、グラム単位で、変質させようと思ったら、天文学的なコストになるから、誰もしないけどね」


 しばらくの沈黙があった。


 山瀬は言葉に困っている様子だ。理解しきれなかったらしい。池沢も何と言っていいのか思い浮かばない。


「まあ、この話も多分、ホムンクルスが死んでしまう理由とは関係ない話だと思うけどね」

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