第8話 加護と制約
「あああああああああああっ、いやぁぁぁぁああああああああ!!!!」
「ちょっ、お姉ちゃん!?」
叫んだ、叫び続けた。
痛くて、苦しくて、熱くて、怖い。意識が、命が、自身が終わっていくあの喪失感が、体に残っている。
首から血が垂れて、内臓がぐちゃぐちゃに潰されて、頭が貫かれている。
「痛い、痛い痛い痛い痛い痛いの!!!! やだ、死んじゃう、わたし死んじゃうよぉ!!!!」
「お姉ちゃん、落ち着いて! 私が、私がいるから!!」
「あ、あああぁぁ…………はぁっ、はぁーっ…………る、しー……?」
柔らかくて、温かい何かに包まれる。耳に流れて込んできた懐かしくて大好きな声で、あの痛みと喪失感がもうなくなっていることに気が付く。
ようやく意識が現実を認識する。
目の前には両目に涙を浮かべた妹。その姿を捉えて、ソフィーは安堵する。
────ゆ、め?
そうだ、夢だ。夢に違いない。あれは、ただの悪夢だ。だって、だって一日に二度も死ぬのはおかしいじゃないか。
何とか自分を奮い立たせ、涙を浮かべるルーシーを慰めようとして……その頭上にある真上に差し掛かった太陽に気が付いた。
「っ!?」
「わ、お姉ちゃん!?」
驚いたルーシーを余所にソフィーは飛び退き、視界を前方に向ける。
その先には。
「あ、ああ…………」
深い絶望に叩き落されていく。だって、そんな、こんなの。
思わず、目の前の光景にソフィーは現実を拒絶しそうになる。だが、同時に二度も迎えた『死』が、直前の思考で覚えた違和感が紛れもない現実だと教えさせた。
今、目の前に広がっている光景こそが、違和感のその先にある答えだ。
ソフィー達の前には、あの分かれ道が広がっていた。
「もういやぁぁぁぁぁああああああああああ────!!!!」
今度こそ、思考を投げ捨てて絶叫した。
※※※※
……殺された。
明確に、意思のある人に、殺された。
今まで殺気を向けられたことなんてあるはずもない。ナイフで体を刺されたこともない。血を垂れ流して死んだこともない。
壮絶な『死』の記憶がソフィーを包み込み、ただただ恐怖に体を震わせる。
「は……」
何度も貫かれた感触と狂喜していた女の声が蘇り、息が詰まりそうになった。
あんなの、どうしようもない。ソフィーはもちろん、ルーシーだって敵うような相手じゃない。力だけじゃなく、あの女の気概が狂っている。
理由はなく、憎悪すらなく、喜んで人を殺せるあの女が恐ろしい。あれはもう、人ではない。怪物だ。『魔族』と人々が恐れているのも納得の異常性だった。
だがあれ程の殺気に
つまり、今起きていることは。あの違和感のその先にある正体とは。
「わたしの、加護……」
あの『月神』アリアンロッドから与えられた加護。詳細を省いていた能力。
その正体が、これなのだ。
ソフィーが死亡すると、時間を巻き戻しその未来がなかったことになる力。名を付けるとしたら、『死に戻り』。
それが、神様から授かった祝福だったのだ。
※※※※
────死に戻り。ようやく把握した自身の加護を知って余計に気分が暗くなる。
時間を巻き戻せる力そのものは強力だろう。だがそれに伴う代償があまりにも大きすぎる。もしかしたら自覚がないだけで他に発動方法があるのかもしれないが、現状祈っても何も起こらないから死ぬ以外に発動することは出来ないのだろう。
だとするとこんな加護はまったく使い物にならない。自分の思い通りに時間を動かせず、結局は死んだのをなかったことにするだけの力だ。せいぜい死ぬ未来を回避するしかできないのだろう。
だが目の前にある分かれ道はどちらを通っても死ぬ未来が待っていた。完全な八方塞がりだ。
「お姉ちゃん……」
上方から心配する声を耳にし、顔を上げる。
ルーシーが両目に涙を浮かべて、ソフィーをじっと見下ろしていた。その悲痛な顔を見て胸が痛む。ルーシーから見れば、ソフィーが勝手に取り乱しただけだ。彼女が気に病む必要など何もないというのに。
「ほら、お水」
「……ありがとう」
こうして水筒を手渡されるのも二度目だ。ここでも繰り返している光景に気分が沈んでしまう。
だが喉は潤いを欲していたそうで、いくらか飲んだら落ち着いてきた。はぁ、とため息をつくと同時にルーシーが口を開く。
「お姉ちゃん……。何があったの?」
「気にしなくていいよ。ただの夢だから」
今日だけで二回も死んだ。そう言ったって信じてもらえないだろう。
直接本人に問いただしてはいないが、死んだ記憶を引き継いでいるのは明らかにソフィーだけだ。ルーシーから見れば、今朝出発した姉が分かれ道を見た途端様子がおかしくなったようにしか見えないのだ。ソフィー自身『死に戻り』を受け入れ難かったし、どう説明すればいいか分からない。
そう結論づけたかったが、ルーシーは納得行かないという表情で反抗する。
「でも、お姉ちゃんが苦しんでいるの見てられないよ。話せる範囲でいいから。正直に言おう?」
「ルーシー……」
慈愛がこもった声音で返すルーシーに、思わずソフィーは目頭が熱くなった。なんて、優しい妹なのだろうか。
確かに二回ともソフィー一人で抱え込んで行動していた。ルーシーに言っても信じてもらえないと思い込み、ソフィー自身が死んだ事実を受け入れていなかったからだ。
だがいっそ打ち明けてしまえば。聡明なルーシーのことだ。全てを信じなくとも受け入れてくれるし、きっとソフィーでは思い浮かばないような策を立ててくれるだろう。意を決してソフィーは重い口を開く。
「……あのね、ルーシー」
「うん」
ソフィーの切り出しに、ルーシーは真剣な目つきで頷く。どこから話すべきか。悩んだ末、単刀直入に切り出すことにした。
「実は、わたし……死ん────」
刹那、起きたことは理解不能だった。
ルーシーが静止していた。瞬きも呼吸すらもせず、じっとソフィーを見つめたまま固まっている。
静止しているのはルーシーだけではない。風に揺れていた木々も衣服の布擦れも、そしてソフィーさえも静止していた。
動けない。口が、身動きが一切取れない。まるで時間が止まったかのように。
なんで、と脳内が悲鳴を上げるが、この状況を説明するかのようにアリアの言葉が回想される。
『君の持つ加護は誰にも話すことが出来ないのです』
話せない。話すことは許されない。
それがソフィーの加護に備わった制約なのだ。死をなかったことにできる代わりに、一人で運命に抗わなかればいけない。
心が、深い絶望に落とされていくのを感じた。
「────お姉ちゃん?」
「……っ」
「お姉ちゃん、どうしちゃったの。ずっと黙ってて」
ルーシーの言葉で意識が現実に回帰する。
見上げれば、心配した顔でじっと顔を見つめるルーシーがいた。その声と瞬きでようやく体を動かせることに気付き、忘れていた呼吸を取り戻す。
突き付けられた現実。自覚した現状に押し潰されそうになり、嗚咽を漏らしながらソフィーは正直にルーシーに告げる。
「ごめん、もう無理」
「お姉ちゃん……?」
「もうこれ以上苦しみたくない。進むのが怖い。いっそ全部、諦めたい…………」
ソフィーが勇者になるなど無理な話だったのだ。こんな道一つ超えることすら出来ないのだから。
自分の無力さを、旅することの険しさを、認識の甘さをはっきりと痛感させられた。それを理解して生きていれば最早充分すぎるだろう。大人しく引き返すべきなのだ。
「わたしは、力が弱くて頭が悪くて心も脆い。それをさ、突き付けられたんだ。始まってまだ数時間なのにさ。やっぱりママの手記を呼んでサボるだけの毎日がお似合いなんだ」
「…………」
「それでママの手記を呼んで、また外の世界を妄想して……。いつかママに会うことを夢見て……」
────あれ、何言ってるんだろわたし。
違う、と胸中で否定するよりも早く口走る。恐怖に屈していたはずなのに抑えきれない想いが溢れてくる。
「ルーシーと一緒に世界を冒険したい……たくさん見て回って、色んな人に出会って……。怖くても、やっぱりその先を見たい……」
「…………」
「やっぱり諦めたくない……掴んだ夢を離したくないっ! 自分が甘えてるのは分かってるけど、それでも、世界中を旅したいんだ! ママに会いたいんだ!!」
「お姉ちゃん……」
「ごめん、変なこと言って。本当にダメなお姉ちゃんでごめんなさい。ちゃんと受け入れるから」
「お姉ちゃん」
弁明を遮られたかと思うと突如ルーシーが抱き着いてきた。その暖かく柔らかい感触に心地よさを覚えながらも戸惑う。
「ルーシー……?」
「お姉ちゃんはそのままでも大丈夫だよ。何があっても私が守るから。怖いのも、苦しいのも、全部受け入れていいよ。そこから少しずつ強くなろ?」
「……」
「お姉ちゃんが引き返すって言うなら一緒に帰る。お姉ちゃんが夢を叶えたいっていうなら、私が叶えさせてあげる」
「……うん」
「我慢しなくていいよ。辛い思いしたならいっぱい吐き出そう?」
「……うっ、ぁぁぁぁあああああああ────!!!!」
ルーシーの優しい言葉に堰を切ったように涙が溢れ出る。それから恥も外聞もなく、ソフィーは泣き喚き続けた。
そうして、泣きながら脳裏に『死』の記憶が蘇ってくる。その痛くて苦しくて辛くて怖くて絶望した記憶の中で見た、妹の陰惨な姿を思い出して、決意をする。
────もう、絶対にルーシーを死なせない。
こんな世界一優しくて可愛くて愛おしい妹をあんな姿にはさせない。
『すぐに分かることになるのです』
アリアの言葉が回想される。運命に屈するソフィーの姿を安易に想像できたからこそ出てきた言葉だろう。
きっと、今でも外の世界から見ているであろう神に向かってソフィーは宣言する。
────見ててよ、アリアちゃん。
今度こそ勇者になってみせるんだから。
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