第4話 旅人さん

 さて、時は正午。太陽が真上に差し掛かったことである。

 ソフィーとルーシーは目の前に広がる光景に思わず顔を見合わせてしまっていた。


「「どうしよう」」


 そう、目の前の道が右と左に分かれていたのだ。それもただの分かれ道ではない。道を示す看板がない分かれ道なのだ。ディファド村からダーナ中央国に向かうための唯一の道であるこの森に看板がないのは流石に欠陥が過ぎるであろう。

 ひとまず直感でソフィーは右側の道を指差す。


「こういう時右側を選ぶべきって本で読んだ気がする」


「多分その決め方は危ないと思うよお姉ちゃん……。地図持ってきてなかった?」


「あ、流石ルーシー!」


 ルーシーの言葉にソフィーは指を鳴らす。あわや人類の叡智を無駄にするところであった。父から渡された地図を鞄から取り出して広げる。

 ソフィーたちが出発したのは、この大陸最南端に位置する『ダファト村』だ。そこから中央国への道は一本しか伸びていない。となると、中央国へと通じる道はこの分かれ道のうちどちらかしかないことになる。ついでに地図を眺めているとソフィーは、あることに気が付いた。


「ねえ、ルーシー。この森の西に神殿って書かれてるんだけど聞いたことある?」


「え? 聞いたことないけど……」


「だよね、なんだろうこれ」


 ダファド村を抜けた森の西側。そこに大きな建物があり、『神殿』と地図に書かれていたのだ。この森に関する噂は数多く聞いたことあれど、神殿が建てられているなんて噂は聞いたこともない。もちろん、クラリスの手記にも書かれていない。

 クラリスが旅立ってから建てられた、とはもちろん考えにくい。そもそもこの地図はクラリスが旅立つ前から作られたものだという。だとすると、この神殿は昔信仰されていたが今は廃れてしまったものなのだろうか。


「少し気になるけど、任命式まで三日しかないし……。右の道が中央国通りみたいだからこっちに行こう、ルーシー」


「うん。お姉ちゃん合ってたね」


「えへへ」


 ルーシーに褒められてソフィーは思わず頬が緩む。

 ひとまず難題は片付いた。このまま進んでいけば順調に中央国へとたどり着けるだろう。幸い、今は冬で獣や魔物たちは冬眠している時期だ。安心して闊歩することができる。

 ソフィーはルーシーの手を引いて、右の道へと進み始めた。






※※※※






 ────太陽が西の方向へと下がり始めた頃。

 本日の旅路はここまでだ。このペースなら明日の早朝から出発しても到着するだろうし、何より夜は非常に冷える。今からでも焚き火の準備を始めたほうが良いだろう。


「という訳で野営ですルーシー!」


「はいですお姉ちゃん!」


 元気に手を上げてルーシーが答える。

 ルーシーの荷物にテントのセットを入れてある。テントと言っても二人が入ってギリギリ程度の簡素で小さなものだが、宿を取るまでの繋ぎなので仕方ないだろう。設営が完了したら、次は薪の準備だ。これは近くに落ちているものから見つけるしかないだろう。ついでに言うと、ルーシーは火起こしが得意なので彼女に任せることにする。

 ちなみにソフィーは料理担当だ。もちろんルーシーは料理の腕前はかなりのものだが、ソフィーだって負けていない。学力と運動能力は負けても家事能力は一人前を自負できるほど腕を磨いたつもりだ。

 ルーシーに火起こしを頼んでいる間、ソフィーは奥の茂みに向かう。


「? お姉ちゃん、どこ行くの?」


「ここのすぐ近くに川があるって地図に書いてあるんだ。汲めるかどうか確かめてくるよ」


「一人だと危険だよ」


「大丈夫大丈夫。すぐ帰ってくるから」


 心配症なルーシーをなだめていると、やがて彼女は「むぅ」と頬を膨らませながらも渋々頷いてくれた。「むぅじゃありません」、と不機嫌な妹の額を軽く小突く。


 さて、歩いて三分ほどであろうか。奥の茂みを歩いていると確かに川のせせらぎが耳に入ってきた。これなら万が一があってもルーシーの元に駆けつけることができるだろう。


「まあ、そんな万が一なことなんて……」


 なんて冗談めかして呟いていた時だ。



 ────川のほとりに人影が立っているのが見えた。



「っ!?」


 思わずソフィーは身を潜めて息を押し殺してしまう。心臓がバクバクと鼓動する。

 まさか本当に万が一があるとは思ってもいなかった。恐る恐る茂みの隙間から人影を覗き込む。


 そこに立っていたのは黒いズボンに黒いフードで顔を覆った如何にも怪しげな風貌の人物だった。よく見ると片手で棒のようなものを持ち上げ、先端から川の方に向かって何かを垂らしている。あれは釣竿だろうか。

 とすると見た目は怪しいがこの人は釣り人なのだろう。そう考えると自然と恐怖が和らいでいく。一応、最低限の迷惑をかけないようソフィーは小さく声を掛けた。


「あのう……」


「!?!?」


 案の定、釣り人(仮称)は驚いたのか勢いよく振り返ってくる。その様子に思わずソフィーも「うわぁ!?」と声を上げて尻餅をついてしまった。

 釣り人(仮称)はまじまじとソフィーを見つめ、不意に声を掛けてきた。


「驚かせてしまってごめん! いやはやまさか女の子がこんな所にいるとは思わなくてね……」


「い、いえこちらこそ! 突然声を掛けてしまってすみません!」

 

 意外にもフードの奥から聞こえてきた声は女性の声だった。気さくそうな口調にようやくソフィーも緊張の糸が解ける。

 女性も少女の姿を見て警戒心を解いたのか、フードを脱ぐ。そこにあったのは、黒髪のショートカットに青い切れ目の瞳を持つ中性的な印象の端正な顔立ちであった。思わずソフィーは感心し、頭の中で感想を述べる。


「うわ、美人さんですね」


 思いっきり声に出ていた。ソフィーは顔を赤らめるが、褒められた女性は破顔して応える。


「褒め言葉ありがとっ。君は何しに来たんだい?」


「あ、えと、旅の途中でして。ここの近くに川があると地図にあったので、少し様子を見に来たんです」


「あー、なるほど。あたしはしがない旅人でね。ここ、海が近いし魚がしにくると思って釣りに来たんだ」


「は、はぁ……川上り?」


 聞いたこともない単語にソフィーは首を傾げる。ついでにソフィーは彼女のことを「旅人さん」と呼ぶことにした。ソフィーの疑問に答えるように旅人は「まあ見てなって」と再度釣竿を垂らした。


「……旅って言ってたな。君、あたしより全然年下だろ? 一体全体どんな旅なんだい」


「あ、そうですね。実はわたし、勇者になりまして。任命式を受けるために中央国へ向かっている途中なんです」


「……ふーん」


 ちら、と横目で旅人はソフィーに訝しむような視線を送る。子供が勇者になったと聞いたら誰でも冗談かと思われるだろう。まあ素直に認められないよな、と複雑な心境で苦笑する。


「あはは、信じてもらえないですよね……」


「いや、信じるよ。神様から加護を受け取ったんでしょ? その目を見れば分かるよ」


「! ありがとうございます。でもそうですよね、銀色の目なんて中々ないですし」


「その色も特徴的だけどどちらかというと君の目つきの方かな。嘘ついてないって分かるよ」


「この旅人さん凄いな!?」と改めてソフィーは感心した。

 一向に釣竿に掛かる様子はない。旅人も暇なのか、再び口を開いた。


「他に旅の仲間はいるの?」


「あ、はい。妹が一人です。旅人さんは?」


「妹、か……。あたしは一人旅だよ」


 妹、という単語を含みがあるように反芻する旅人。どういう意味なのか、と彼女に目を向けるがあっさりと流して会話を続ける。


「今は冬とはいえ、魔物や獣が現れないとは限らない。もし、旅路が不安ならあたしがついてきてあげようか?」


 正直、旅人の提案は喜ばしいことだろう。ソフィーにとって非常に好印象的な人物であり、こうして護衛を提案するには頼れる腕を持つのだろう。

 だが、同時にソフィーは彼女のことを知らなすぎる。ルーシーからは「知らない人について行っちゃダメ!」って怒られるだろうし、彼女の発言は間違っていないだろう。ソフィーは申し訳なく思いながらも断ることにした。


「ごめんなさい。旅人さんの提案はすごく嬉しいんですけど、ここまで何ともなかったし、わたしたちだけで大丈夫だと思います。なにしろ、わたしは勇者ですから!」


「はは、そうだったな。……おっと」


 えへん、と胸を張るソフィーに旅人も微笑む。親切な彼女に少しだけ罪悪感を覚えた。

 と、そこでようやく釣竿が引っ張られる。どうやら本当に魚が釣れるようだ。旅人が勢いよく釣り上げると、棒切ほどもある大きな魚が現れた。


「おお、本当に釣れるんですね!」


「だろ? 記念にこれをやるよ。今日は妹とコイツでご馳走しな」


「えっ、そんな悪いですよ。旅人さんのご飯にするんでしょう?」


「そうだけど、元々あと二匹ぐらいで切り上げる予定だったから。ほら」


 旅人が足元を指差す。そこには視線を向けると、溢れんばかりにバケツに詰まった魚たちがいた。


「うわ、結構釣れたんですね」


「一日潰しちゃったけどな。魚は鮮度が命だから。今日はコイツらをたらふく食べるぜ」


「え゛」


 どう見ても一匹で満腹になりそうな大きさの魚だが、その数倍を食す宣言をする旅人。思わずソフィーはドン引きし、濁った声を上げた。

 とはいえ、確かにこれだけの量なら一匹ありがたく受け取ってもいいだろう。思いがけない親切な人に出会ってしまったものだ。


「ありがとーう、旅人さん! お話できて楽しかったよー!」


「おう、気を付けてなー! 妹にもよろしくー!」


「はーい!」


 と、姿が見えなくなるまでソフィーは旅人に手を振って別れを告げた。

 旅人も、ずっと手を振り返し続けてくれた。

 

 ────青い双眸が確かめるように、立ち去るその背中をずっと見つめていた。






※※※※






「お姉ちゃん、遅い! っていうかその魚なに!?」


「いや、これはかくかくしかじかでして……」


 帰ってくるなりルーシーに叱られた。ぷんすか怒っているルーシーは可愛いのだが、それ以上に恐ろしい。

 事情を説明すると、ルーシーは「はぁ!?」とさらに顔を赤らめる。


「勝手に知らない人と話しちゃダメでしょ! その人が危ない人だったらどうするの!!」


「ごめん……でも良い人だったしさ」


「表面だけじゃ分からないんだよ!? 今度から知らない人に話しかけるときは私と一緒にいないとダメ! 分かった!?」


「はぁい」


 お説教が終わったあともルーシーはぷりぷり怒っていたが、ソフィーが「今日はこの魚でご飯作るよ!」と言った途端に目を輝かせてお腹の音を鳴らしてきた。

 ────やはりわたしの妹は可愛いな、とソフィーは顔を綻ばせた。


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