第3話 アルバート姉妹、旅立つ
「……ちゃん、ねえちゃん……」
「ん、むぅ……後少しだけ…………」
「お姉ちゃん!」
「うわっ!?」
ルーシーの呼び起こす声にソフィーは飛び起き、その拍子にソファから落ちてしまい背中を強く打ち付けてしまう。
「あいたっ!」
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
背中から走る痛みに悶えていると、ルーシーが駆け寄ってきて背中を擦ってくる。
そういえばルーシーには昼寝はダメだと注意されていた。言いつけを破ってしまった以上、ルーシーは怒っているのだろうな、とソフィーは子供のように怯えて恐る恐るルーシーの方へ顔を向ける。
「あの、お昼寝してしまってすみませんでした」
「もう、そんな所で寝たら風邪引くって言ってるの、に……」
「ルーシー?」
ルーシーの言葉が徐々に消えていき、同時に表情が青ざめていく。
顔になにか付いているのだろうか? 少なくともルーシーの瞳に映るソフィーの顔は何ともなさそうに見えるが。
やがてルーシーは唇を戦慄かせ、声を震わせながら告げた。
「お、おおおおおお姉ちゃんどうしたのその目!?」
「え、目?」
「め、めめめめめ目の色が変わってるよ!? え、病気!?」
「ふぇ?」
目の色が変わっている、と言われても視界の色彩は何も変化していない。
だがルーシーの尋常ではない様子にソフィーも心配になり洗面台へと向かうことにした。ルーシーも真っ青な顔しながら後をついてくる。
そして鏡に映ったソフィーは己の姿を見て驚愕することになった。
「うわ、確かに変わってる!?」
「ど、どどどどどうしよう!? お医者さんに診てもらったほうがいいんじゃない!?」
ソフィーとルーシーは母親譲りの碧緑の瞳を持つが、今のソフィーは瞳の色が銀白色に変化していた。まるで夜空の月のような色で……。
「あれ?」
銀色、月。つい先程この二つから連想される女神に加護を授けられたばかりではないか。
現にこの瞳の色はアリアが持つ目とまったく同じ色をしていた。とすると、勇者になった証が身体的特徴として顕れたのだろう。
後ろでパニックになっている妹に振り返り、ソフィーは両肩に手を置いて宥めかける。
「落ち着いてルーシー。この目は何ともないよ」
「本当!? どう考えても目の色が変わるっておかしいよ!?」
「あのね、ちょっと信じてもらえないかもしれないんだけど……。実は寝ている間に神様に会ってね、勇者にしてもらったの。だから目の色が変わったんだよ」
「………………………………………………え?」
突拍子もなさすぎたのだろうか。ルーシーは頭に疑問符を浮かべたまま固まってしまう。
さてどうしたものか。説明に考えあぐねていると、コンコンと玄関のドアをノックする音が聞こえてきた。
ひとまず会話を止め、ソフィーはドアを開けて応対する。
「はあい、なんでしょうか?」
「ああ、ソフィーちゃん。今日はお休みなのかい?」
「あ、配達のおじさん。はい、今日は休みです」
出てきたのは三十代ほどの男だった。黒の詰襟に帽子を被り、鞄を肩に掛けている彼は『配達のおじさん』である。名前は知らないが、この村ではもっぱらその呼び名で定着していた。流通が少ないこの村では貴重な中央国との配達を仕事にしている人である。
「それは丁度良かった。実はソフィーちゃん宛に一件手紙が届いているんだ」
「? パパではなく、わたしにですか?」
「そうなんだよ。珍しいことにね。文通する相手なんていたのかい?」
「いえ、記憶には……。差出人は誰でしょうか?」
「それがね、困ったことに差出人が不明なんだよ。配達物にこっそり混じっていてさ。最初はいたずらかと思ったが、それにしては丁寧に君の名前が書かれていて封もされているから、届けることにしたのさ」
「そうですか。ありがとうございます」
配達のおじさんから手紙を受け取り、軽く会釈と挨拶を交わして別れる。
背後ではチラチラとルーシーが不安そうに見つめていた。恐らく先程の会話を聞いていたのだろう。
「とりあえず開けるね」
「だ、ダメだよお姉ちゃん! 多分それストーカーからだよ! 手紙に毒が塗られてるかもしれないよ!」
「いやいや、飛躍しすぎてるよルーシー……」
血相を変えてあり得ないことを口走るルーシーに、思わずソフィーは苦笑いしながら封を切る。
手紙の内容は非常に簡潔で、そして丁寧な字でこう書かれていた。
『ソフィー・アルバート。
貴殿は神の加護を受け勇者となった。その認定式をダーナ王城にて十七日に行う。
よって当日までに来るように。
ダーナ国王』
二人して手紙の内容を読み、ソフィーとルーシーは顔を見合わせる。
「ね、だから言ったでしょ?」
「あ、あわわ…………」
「あれ、ルーシー?」
ソフィーはフフンと自慢気に鼻を鳴らしてみせるが、対するルーシーは血の気が通っていないのではと思わせるほどに顔が青くなっていき。
……ついに限界を迎えたのか失神してしまった。
「ルーーーーーーシーーーーーーーーーー!?!?!?!?」
※※※※
アルバート家が住居する『ダファド村』は大陸の最南端に位置する、人口わずか五十人ほどしかいない非常に小さな田舎村である。村の周囲は森に囲まれており、猛獣や魔物が跋扈している危険な区域だ。反して森が開け丘と崖しかないこの村では獣が侵入することはなく至って平和である。そうした環境が絶好の住処だったのか、この村では人間以外の動物で唯一羊が暮らしており、この村の生活の基盤を支えているのだ。というのも村民五十人ほどに対して羊が八百頭ほどもいるのだ。集落から一歩外に出れば、どこを歩いても白いもこもこが草を食んでいるか、とことこ歩いているかの光景しか見られない。故にダファド村で生活する大人たちはほぼ羊飼いである。定期的に中央国から馬車がやってきて羊毛と羊肉を市場へ運び収入を得るのがこの村の努めだ。
さて、そんな辺境地であるこの村でソフィーが勇者になったという祝報は瞬く間に広がっていき、気が付けばお祭り騒ぎとなっていた。勇者は王様どころか神様まで認められる存在だ。それほど名誉なことなのだから無理も無いだろう。特にソフィーの母であったクラリスは『歴代最高の勇者』という仰々しい異名を与えられている。そんな偉人の娘もまた勇者になったのだから、それはそれはもう村民たちが興奮するのも無理はないだろう。
そんなこんなでルーシーと一緒に大量の羊肉を食べされられ、飲酒はできないために果汁ジュースを大量に飲み(中央国の法では飲酒は十七歳からである)、「あのソフィーが勇者だって? 魔物に食べられるんじゃないの」と生意気な少年ジャイルにからかわれたり、「ソフィーにはとびっきりの可愛い服を着せてあげるわ!」と近所のおばさんから祝われたりとそれなりに忙しい時間を過ごしてからようやく家に帰れた。
「はぁー、疲れたよルーシー……。ちょっと背中貸して」
「わっ!? ちょっ、お姉ちゃん……」
「んー? 嫌だった?」
「! ううん、お疲れ様、お姉ちゃん」
顔を真っ赤にしながらも労ってくれる妹を愛おしみがらもソフィーは疑問に思う。昔はルーシーにくっついてもはにかんでくれたのだが、今は抱きついてもすぐ照れてしまう。もう妹も十四歳だし思春期なのだろうか。
と一人悶々としていると不意に男の泣き声が耳に入ってきた。
「うっ、うぐっ、信じられないよ、ソフィーが勇者になったなんて……ぐすん」
「まだパパ泣いてるの!?」
「いや、だって、こんなことあり得ないと思っていたからさ」
と男は眼鏡を外して涙を拭きながら答える。
モーリス・アルバート。ソフィーの父だ。黒い長髪に眼鏡を掛けた長身の男性。少し気弱なところがあってすぐ感極まる癖がある。先程のように。
ぐすぐすと泣いてるモーリスをルーシーと二人で慰めながらテーブルに座らせる。やがてモーリスは落ち着いたのか、目は真っ赤なままで涙声であったがポツポツと口を動かし始めた。
「……ソフィー、それにルーシーも。大事な話があるから聞いてくれないか」
「うん」
「……」
モーリスの真剣な眼差しにソフィーもルーシーも息を呑んで頷き、席に着く。
モーリスは長い溜息をついてから顔を上げて話し始めた。
「クラリス……つまり君たちのママも勇者だった。凄く活気に満ち溢れていて……そして何より勇気があった。どんなことも恐れず率先して自ら飛び込むような度胸のある人だったよ」
「うん、知ってるよ。ママの手記を毎日読んでるし、武勇伝だってよく聞かされて────」
「違うんだ、ソフィー。勇者になるっていうのはただそれだけのことじゃない」
「え……?」
言葉を割って遮るモーリスに思わずソフィーは困惑してしまう。隣のルーシーは意図に気付いたのだろうか、はっと息を呑む音が聞こえた。
「クラリスは危険を顧みず魔物や獣と戦った。時には盗賊や脱獄犯といった人間と衝突することもあったし、魔族と戦ったこともある。何度も死にかけたことはあったよ。それに今は行方が分からなくなっている。もちろん、僕は死んでいるとは決して思っていないけど」
「…………」
「そして中央国での任命式は三日後だ。でも中央国からの馬車の便はあと一週間来ないし、今から手配をかけても当然間に合わない。徒歩ならば野宿を含めて二日で行けるけど、魔物や獣が潜んでいるあの森の中を抜けなければいけない。いくら今が冬眠の時期とはいえ、とても危険だ」
「…………」
「分かるかい? 大人たちにも頼れずソフィーだけで中央国に行かなければいけないんだよ。そもそも勇者とは自分の力で道を切り拓く人だ。護衛をつけて旅するのもおかしな話だろう」
「…………っ」
「出来るのかい?」
「わ、わたしは……」
モーリスからの問い詰める言葉にソフィーは萎縮してしまう。
戦闘の訓練も禄に身に付かず、あるのは知識と冒険心だけ。そんな外の世界に憧れているだけのいち田舎娘が果たして旅を出来るのか。そんな覚悟など出来ていなかった。はっきり言えばソフィーよりもルーシーの方が勇者に向いているだろう。
────それでも、わたしが選ばれたのなら。ママに会えるかもしれないのなら。ここではないどこかへ行けるなら。
「正直、すごく怖いし不安だけど……それでも、わたしは勇者になりたい」
「お姉ちゃん……」
「そうか」
ソフィーの返答にルーシーはか細い声を上げ、モーリスは息を吐いて静かに瞳を瞑る。そしてゆっくりと視線をわたしに合わせて微笑んだ。
「ソフィーがそう望むなら、僕は止めはしないよ。元々神様がこの世界を見ているんだからいち人間である僕が止められるはずないんだけどね」
「パパ……!」
ソフィーは嬉しくなってモーリスに抱き着きに行く。モーリスもそっと抱き締め返して寂しさを交えた声でわたしに囁いた。
「行ってらっしゃい、ソフィー」
「うん、頑張るよパパ!」
「でも無理はしないでね。あと時々手紙をくれると嬉しいな」
「もちろんだよ、パパ!」
「あっ、あのっ!」
「うん?」「ルーシー?」
突然、それまで背後で見ていたルーシーがバタンとテーブルに手を付き、立ち上がりながら叫んでいた。
「わ、私も! 私もお姉ちゃんと行く!」
「ルーシー……」
「迷惑になるのもパパを心配させるのも分かってる! でも私だってお姉ちゃんの力になれるようにいっぱい訓練したんだ! お姉ちゃんが一人だとやっぱり心配だし、私が支えてきたんだから私が守ってあげないと、お姉ちゃんがダメになっちゃ────」
「ちょっ、ルーシー! ストップ!」
「はぁ……はぁ……」
顔を真っ赤にして息が荒れているルーシー。そのルーシーの勢いと熱弁にたじろいでしまう。
「元々わたしはルーシーを連れて行くつもりだったよ」
「へ?」
「だって、旅するなら一人でいるよりルーシーと一緒がいいんだもん。わたしたち、ずっと二人で一緒だったでしょ?」
「お、お姉ちゃん……!」
「いいよね、パパ?」
「……う」
「う?」
「うあああああん、寂しいよおおおおお!!!!」
「もう、パパったら!」
それから泣いているモーリスを二人で慰め説得する時間になった。
とはいえ、元々モーリスはルーシーも行くことは想定していたのだが寂しさが勝り、ずっとゴネていたそうだ。
「出発前夜がこんな感じで大丈夫なのかなぁ」と思わずソフィーは目が眩みそうになった。
※※※※
「それじゃ、行ってきます!」
「皆さんにお手紙送ります!」
「いってらっしゃ~い!」「お手紙待ってるね!」「いつでも帰ってきていいからね!」「気を付けるんだよ!」「ああ、娘が旅立ってしまった……」
様々なお見送りの言葉を受け取り(モーリスの言葉は意図的に無視した)、ソフィーとルーシーは村からついに外へ踏み出す。
かくして、勇者となったソフィー・アルバートとそのパーティーメンバーであるルーシー・アルバート、二人の冒険が始まるのであった!
「お姉ちゃん、これ……」
「うん、分かってる」
目の前の光景に震え声を放つルーシー。ソフィーも体が震えながらルーシーを庇うように一歩前へ出る。
ここまで一本道。獣に襲われることもなく順調に歩いていたが、太陽が真上に差し掛かった頃、ついにその時は来た。
そう。
目の前が分かれ道になっていたのだ。
ソフィーとルーシーは顔を見合わせ、思わず同時に言葉を発してしまっていた。
「「どうしよう」」
早速、二人の旅路はつまずいたのであった。
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