エピローグ。

底抜けの、

 新国ペルジャッカ。

 崩壊したペルジャッカを再建した、最先端学術国家。地形変動のために、同じ場所にこそ作ることはできなかったが、中央大陸の北海岸沿いの立地は、もしもペルジャッカの人間が生きているのなら喜んでいただろう。

 帝国が崩壊し、世界はまた覇権を争う戦乱の時代と成り果てようとしている。現在の世界的冷戦状態が終われば、戦争はあちこちで起きるようになるだろう。一方ここ新国ペルジャッカは、全世界の全会一致で、永世中立国として聳え立つことになった軍事不可侵の聖地である。

 帝国崩壊後すぐに再建の計画が発足し、今は六年が経つ。もちろんまだ復旧の作業は終わっていないが、かの伝説の世界軍の多大なる援助のおかげで学術の都としての機能は完成しつつある。死海流域を渡ってヨツンヘイムへの航行を可能にさせた『レインマン』という唯一の船は、ペルジャッカを拠点にしている。ヨツンヘイムで独自に発達した学問は、今後新国ペルジャッカの発展に大きく関与することだろう。

 帝国崩壊後に変わったことと言えば、もう一つある。『神々』が死んだせいか、地獄に行ったものが記憶を持ち帰ることができるようになっていた。また、地獄にいた『ペルット人』が地上に上がることもあった。必要以上に干渉する気はないようだが。この現象のせいかお陰なのか、地獄に関する本格的な研究が始まりそうだった。超古代文明ペルットの技術を再現できる日を夢見つつ、帰還者が氾濫しないよう、世界的に地獄の門を監視する機関を発足する運びとなった。

 世界は、良くも悪くも変貌を遂げようとしていた。


「良かったよ」


 赤毛の男は、コンサート会場のエントランスで男と握手を交わしていた。燕尾服を着た男は、赤毛の男に強く握手を返す。


「ごめん、ヘリオットさん。リエラも、来れたら良かったんだけど」

「いえいえ、古くさい音楽ではありますので、きっと娘さんも退屈するでしょう」


 ヘリオットは笑った。腕時計を見る。


「もうこんな時間だ。娘さんも帰ってこられるかもしれませんよ。そうそう、ヒルグレンが車を準備しているようです」

「え、本当。ありがとう」


 赤毛の男はヘリオットに礼を言ってホールを出た。

 すると門の方で、日に焼けた男が立っている。ぱりっとしたフォーマルの服が、がたいの良い体によく似合っていた。


「ありがとう、ヒルグレンさん」

「いえいえ」


 柔和に笑いながらヒルグレンは車の扉を開け、赤毛の男を乗せる。

 四年前までは、軍事用の装甲車しか無かったが、徐々に車という乗り物が民間に浸透し始めていた。まだ圧倒的に馬車の方が多いのには変わりないが。


「そう言えば今日、金髪の男が訪ねてきてましたよ。素性がわからないので帰しましたが。一応旦那様の帰られる時間を伝えておきましたが、どうしましょうか?」

「……ああ」


 赤毛の男は、後部座席で苦笑した。


「あいつかな」

「失礼なことをしてしまいましたかね」

「いや、大丈夫だよ」


 そうこうしているうちに、家に着いたようだ。豪邸ではあるが、必要以上に広いということもない。門をくぐり、車を降りる。ヒルグレンは車庫へと向かった。

 ドアを開けると、小さい女の子が飛びついて来た。


「パパ!」


 流れるような黒髪を後ろで結んだ、四歳の女の子。


「楽しかったか、リエラ?」


 赤毛の男はリエラを抱き上げ、肩に乗せた。喜ぶ娘を振り回しながら、廊下を歩いた。召使いの者が数人笑っていた。

 この豪邸もこの召使いも、全て新国ペルジャッカが出資したものだ。

 食卓には、湯気を上げているできたてのディナーが並んでいた。


「おいしそうだ」


 赤毛の男はコートを脱いで食卓に座った。

 いざ、ナイフとフォークを持つと、玄関からメイドがぱたぱたと走ってくる。


「旦那様、お客様です。お昼にもいらっしゃってました。なんでも、ノアという方だとか」

「ノア」


 その名には聞き覚えが無い。


「行くよ。リエラ、ご飯食べといて」


 えー、と不満の声を漏らすリエラの頭をくしゃりと撫で、赤毛の男は廊下へと出た。

 客室を開けると、そこには男がソファに座っていた。テーブルに置かれている焼き菓子を、ぱくぱくと食べている。

 男は金髪金目。髪を後ろで結んでいる。何か、底知れぬ余裕を感じさせる笑みで、片手を上げた。


「やあ、きみがエイク・サルバドールかい。はは、ヒルグレンくんから聞いてるかな?」

「ああ。追い返したって。悪いな。お前が、ノア……か」


 エイク・サルバドールは納得がいったような溜め息をついた。


「きみも随分、口下手が治ったねえ」


 ノアという男は、ぱくぱくと焼き菓子を頬張り続ける。


「こいつは絶品だ」

「で、用は何だ、ノアさん。いや、さん」


 エイクの声に、金髪の男はぴくりと手を止めた。

 創造神。創造神オズ。

 この金髪の男が、そうだというのか。


「なるほど、さすがは最後の主人公。全てお見通しってわけか」

「最後の?……あなた、もしかしてトムのこと、トム・バスのこと知ってるのか」

「トムのことじゃなくて世界の全てを知っているよ。なんたって僕は、この世界じゃ神なんだから」

「……そうか。もう驚かないさ。雷神をこの手で殺したんだ。今さら創造神オズが出て来たからって、驚くことはない。それにトム、最後辺りは『創造神と会った』なんてことも言ってたんだ」

「達観したね」


 トム・バスに会ったかどうかについては、答える気はないようだ。


「去年彼女が死んだのは、きみを良くも悪くも変えたのか」


 彼女。


「リリーのことも、知ってるんだな。あなた、何しに来たんだ? この世界にはいなかったんだろ?」

「うん。まあ、この世界を創ったものとして、最後の主人公であるきみと話に来ただけさ。トールもオーディンも、僕が来るとか言ってたしね。顔出さなきゃと思って。どうだい、物語を終えての感想は?」


 創造神オズは、いつまでもにやにやと笑っていた。

 エイク・サルバドールの心を見透かすように、ずっと瞳を見つめていた。


「さあ、どうだろう。神様倒して世界を救っても、リリーは救えなかった。リリーが遺してくれたリエラにも、あれが発症するのかもしれないし」

「それは大丈夫だよ。きみには理解できないかもしれないから詳しくは言わないけれど、あの病気は本来発症しないものなんだ。同じ血だから発症したというだけで。彼女はたぶん、それを知ってる上でリエラを産んだんだろう」


 創造神オズは、また焼き菓子を食べ始めた。

 どこまでも余裕な男だ。


「そうか、良かった」


 エイクは安心したようにため息をついた。複雑な心境ではあるが、エイクはリエラをエピフィラムの呪いから救い出すことができたようだ。


「それも踏まえて、どうなんだい。エイク・サルバドールくん」


 エイクは今までのことを振り返った。

 物語の全てを、記憶の中で思い起こす。

 辛いことも痛いこともたくさんあった。だが楽しいことももちろんあった。

 友人が死に、愛する者も死んだ。だが、遺されたものだってたくさんある。


「そうだな……まあまだマシな、ハッピーエンドってところかな」


 エイクは少し笑って、ため息がちに両手を上げた。

 創造神オズは手を止めて、焼き菓子を置いた。


「そうか。まだだな。まだ足りない」

「ん? お菓子ならまだ……」

「違う違う。それじゃ駄目なんだ。まあまだマシなハッピーエンド? トムが聞いたら激怒するだろ、そんなもの。僕だっていやだよ。こういうのではあんまりふざけてほしくないな。そもそもトムは、大切なものを守るという意味で『救世主サルバドール』の名を与えたはずなんだ」


 鬼気迫るものがあった。顔は相変わらず薄い笑みを浮かべているが、心の中では何かの不満が爆発しているようだ。


「おい、どうし——」

「それじゃあ駄目だ! 駄目駄目だ! まだ物語は終わらせないぞ! こんな陳腐なエンディング、僕が決して許さない! 良いか、エイク・サルバドールくん。『底抜けのハッピーエンド』。これで終われ。それこそが最後の主人公に相応しい! 良いか、エイクくん! エイク・サルバドールくん!」

 エイクはオズの勢いに圧倒されている。

 何を言っているのかさっぱりわかっていないが、凄まじい説得力があった。

「だから行くんだ」


 先ほどとは打って変わって、小さな声でオズは囁いた。

 行くんだ、と。


「行くって……どこに」

「ラジゴール・になんて言った。なぜ雷神から逃げた奇神ナルヴィはレイラ・を持っていた」

「あ……」


 エイクが目を見開いた。

 ぞくぞくと、鳥肌が立つ。


「あ、あ……」


 瞬きを忘れた目は、真っすぐとオズを見ている。オズは相変わらず、余裕の笑みを、浮かべているだけだった。


「最後くらいわがまま言わせてもらえよ、主人公」


 その言葉を受け取った途端、エイクは部屋を飛び出した。メイドたちの声も振り切って、サルバドール邸を出る。

 全力で走った。久しぶりだった。雷神と戦った、あのラグナロク以来ではないだろうか。エイクは息を切らしながら、目的の場所まで駆け抜けた。馬よりも速く、車よりも速く。

 新都ペルジャッカの中にあるそれは、厳重なガードに守られていた。しかしエイク・サルバドールにとってそんなものは関係がない。警備員など、はり倒すまでもない。エイクのスピードについてこれるわけがない。何重もの鉄の柵を引き裂いて、そこへと辿り着いた。

 息を整えるのもそこそこに、エイクは『それ』に手をかける。

 やはり全てが、『それ』へと繋がっていた。

 建築家マルセリアが創り上げた世界へと通ずる、『地獄の門』。


 人形技師ゼペットが眠る、地獄へと。


 エイクは大事なことを忘れていたのだ。

 リリーが何者なのかを。リリー・エピフィラムが、何者なのかを。

 純血のペルット人とは何なのかを。

 エイクの目から、せき止め切れなかった涙が溢れた。こんなに泣いたことはなかった。トム・バスが死んだ日でも、ここまでの涙を流したことは無かった。

 エイクは嗚咽を漏らしながら、門を開いた。

 目映いばかりの光が漏れ出した。

 最後のわがままを言おうと思った。レイモンド・ゴダールにも、道化師アルフにも、アルセウス・イエーガーにも、エドガー・ライムシュタインにも、雷神トールにも、主神オーディンにも、ヘリオット・シュトラウドにも、ラジゴール・エピフィラムにも、レイラ・エピフィラムにも、ヒルグレン・シーワウスにも、愛娘リエラ・サルバドールにも、そして——リリー・エピフィラム——いや、リリー・サルバドールにも、全ての者に何と言われようと、どれだけ責められようとも、エイク・サルバドールは、最後のわがままを言おうと思った。

 トム・バスが望む、なによりエイク自身が望む『底抜けのハッピーエンド』のために、許してもらおうと、身勝手なお願いするつもりだった。

 エイクは泣きながら、涙声を張り上げた——


「迎えに来たよ、リリー!」

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ラグナ録。 きゃのんたむ @canontom

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