第四七話。雷神降臨。
厚い雷雲が、白く光っていた。稲光が走る雲の隙間から、地を揺らすような音がしている。
魔王エイク・サルバドールは、その中心をじっと見ていた。
中央大陸。ペルジャッカの首都。滅んだリリー・エピフィラムの故郷が、最後の戦場のようだった。
ペルット人が滅んだあの『追放の日』と同じように。奇神ロキと同じく、エイクは待ち構えていた。神の、降臨を。
そして時は訪れる。
極限にまで膨れ上がった雷雲の中心から、尋常ではない稲妻が伸びた。大地に穴を穿つような、雷だった。鼓膜が破れるような甲高い雷鳴を轟かせ、神は現れた。
雷神トールは、降臨した。
燃えるような赤色の髪と髭は帯電し、青白く光っていた。
今まで見た何よりも、雄々しかった。
これが神なのだ。人間とは一線を画した、圧倒的な存在。奇神ロキを殺し、道化師アルフをも破壊した、最強の戦神。怒りの権化であり、恐怖の象徴。
エイク・サルバドールは、仁王に立ち塞がった。
「……なるほど、貴様が魔人どもを率いる……魔王、か……」
雷神には見えたのだ。
エイク・サルバドールの背後に、ペルット人の姿が。
「やはり封印は不完全だったか」
「オーディンが投げたグングニルは、門に弾かれたよ」
ナルヴィ・コピーに乗り移ったオーディンが、門に向かって投擲したグングニル。あれは封印だった。地獄という世界を完全に封じ込めるための行為だった。が、マルセリアの作る世界に、オーディンの力は及ばなかったのだ。
ただ、『人間』が入っても記憶が残らない。それだけの戒めしか、結ぶことができなかった。それどころか、その後数百年、オーディンは地獄に介入することができなくなってしまった。もしナルヴィ・コピーの体でなく、主神オーディン本体であれば、封印も完全な形で成功したのかもしれないが……
「負けは負け、ということだな……。我々は人間の力を侮っていた」
アースガルズで、戦いの意思の無い神々をその手で屠った雷神は、遂にひとりになっていた。
神と魔人の総力戦。
神は魔人を滅ぼすべく。魔人は神を滅ぼすべく。
雷神は、目の前に『篭手』と『腰帯』を召喚する。
現れた武具は、ひとりでに雷神の体に装着された。
「貴様には……、魔王! 貴様には!」
トールが右手を掲げた。『篭手』と『腰帯』が青白く光った。広げた右手に、神具雷槌ミョルニルが、現れた。
「最初から全力でいかせてもらう……!」
そして、何が起きたのかもわからなかった。
目の前から雷神が消えたのまでは知覚できた。
その後。なぜ自分の右半身が抉り取られるように消えているのか、理解ができなかった。
なすすべなく、エイクが崩れ落ちる。
雷神トールの強さを、完全に、侮っていた。
*
「獅子の鳴き声が聞こえなくなったわ」
リリーは、抜いたサーベルで壁を打った。
乾いた音が、部屋に響いた。
「雨男の断末魔も。どんどん死んでいくわね」
「お前の仲間だろう」
「そうね」
リリーは、それだけしか言わなかった。
静かに、しかし強く降り続ける雪を、見つめるだけだった。
「……全てに、納得がいった」
帝王は、ぐったりとしている。打ち明けられた真実の、あまりの超越性に、アルセウス・イエーガーは、疲れていた。
愚かにも足を踏み入れてしまった世界。帝王は、ここまで踏み込むべきではなかったのだ。
「全部、謎が解けた……。レイラ・エピフィラムは過去視の力を持ったペルット人。そして貴様はカリスマの力を持ったペルット人。道化師は四百年前のラジゴール・エピフィラムの言葉に囚われて、エピフィラムに協力し続けていたということか」
「少し違う。道化師は、別に付きっきりでエピフィラムに協力していたわけじゃない。ただ、可能性の一つとしてエピフィラムを見ていただけでしょう。その延長で、ペルジャッカを預言者の襲撃から守っていた。リライジニアも一つの可能性として見ていたし、ラジゴールがイエーガー家に『帰還兵士』の話をしているのを考えると、イエーガーも方策の一つとしては考えていた。ヨルムンガンドの血を引く『エイク・サルバドール』が産まれた時点で、道化師はエイクをどうにかしようとは思っていたはず。道化師は色んなことを考えて、結果、タイミングと状況が一番良かったのが、エピフィラムだったという話よ」
「そうか。だからアルカルソラズで道化師は貴様に、『このままでは一族全滅だがどうするんだ』と聞いたのか。……その時点で、俺は場外か」
「そうね」
むべもなく。
リリーは吐き捨てた。手持ち無沙汰にサーベルを振り回しながら、帝王の疲れ切った顔を見ていた。
帝王がペルジャッカを攻め落とした際に手に入れたラグナロクの資料も、恐らく全てダミーだったのだろう。六百年も戦い続けた一族だ。あらゆる場合に備えていても、おかしくはない。預言者の目を欺くためでもあったのだろうが、今回はその資料が、帝王の手に渡っていただけだ。
歴史は、繰り返す。
六百年前、ペルット人が奇神ロキと共に神々への革命を成し遂げようとした。
四百年前、ラジゴールが道化師アルフと共に、世界中の屈強な兵士たちを従えて、神へ一矢報いた。
そして現在、リリー・エピフィラムは、世界軍を率い『世界の支配者』と同義になりつつある帝国に反旗を翻した。その中、エピフィラムの血は道化師アルフに協力し、魔王計画を成就させた。
軍神ヨルムンガンドが立てる策に、それほど目立ったものはない。ただその徹底した下準備による確実の勝利のみが、リリー・エピフィラムが神と呼ばれた所以だった。
全てが、布石だったのだ。
噂を流したことも。旅をしたことも。
あらゆる『もしも』に対応し、完全な勝利を収めるための下準備だった。そしてその『もしも』が起き、預言者によってヨツンヘイム軍が壊滅した。だが蛇の毒はこびりつき、残滓から世界へと広がった。噂はカリスマを加速させ、八万の軍勢を一斉に寝返らせることに成功した。
全てが、いまこの瞬間のためだけの、伏線だったのだ。
「なぜ、貴様だった」
帝王は、生気を失いつつある声で問うた。
「道化師はなぜ、貴様にエイク・サルバドールを託した……」
「私が本格的にオファーを受けたのは、アルカルソラズにいるときよ。私は帝国への憎悪に満ちていた。『神を殺してやるから帝国を潰すのを手伝え』。私が道化師にそう言った。そうしたら、道化師は復讐のお供として、そして神殺しの鍵でもあるエイクを引き渡した。それだけよ」
「……それだけ、か」
神というスケールから考えてみれば、帝国などたかが一国だ。その一国を潰すために、リリー・エピフィラムは神殺しの契約をした。エイク・サルバドールを育てる器と成り得た。恐らく道化師は、ラグナロクへの本格的な準備をする際、エイク・サルバドールが足枷となってしまっていたのだろう。だから誰かに託す必要があった。それも、戦いに身を投じる身分である者に。リリー・エピフィラムは、あらゆる点で都合が良かったのだ。
そう、あらゆる点で。
帝王が口を閉じたときに、雷鳴が、轟いた。
南東の彼方で、凄まじい稲光があった。
「……いよいよね」
雷神と魔王の戦いが、始まった……
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