第三四話。道化師対預言者。

 ヨツンヘイムの雪原。道化師と預言者の戦いは始まっていた。初撃から、熾烈を極めている。

 神槍グングニルを、覇剣レーヴァテインが叩き折った。

 光の粒子となって霧散するグングニル。

 道化師アルフはレーヴァテインを横なぎに振り払う。預言者オーディンは光り輝く右腕で、レーヴァテインを受け止めた。創造の力と反発するレーヴァテインが、呼応するように火炎を吹き出した。火はオーディンに掴み掛かろうとするが、黒く輝く左腕によって、一瞬でかき消された。

 アルフは後ろに跳ね上がって距離を取る。その瞬間でオーディンはグングニルを創り出した。投擲の構えを取る。猛り狂うオーラが吹雪を吹き飛ばした。銀色に輝く風がグングニルを包み込む。しかしアルフは速かった。煙のように姿を消したかと思うと、既にオーディンの背後を取っている。振りかぶったレーヴァテインが、オーディンの兜を割ろうと打下ろされた。

 だが寸でのところで躱され、降り積もった雪が刹那のうちに蒸気と化す。

 立ちこめる蒸気の中で、道化師アルフの影がせり立った。むくむくと、煙に反射する影が次々と立ち上がる。平面漆黒の道化師アルフが、預言者オーディンを囲んだ。


スカジ……」


 オーディンにはその能力が誰のものかわかっていた。スカジという魔人……ペルットの戦士が使っていた。


「随分と能力を食ったようだな。よくもまあ、腹が破れんものだ」

「それもフェンリルの力だ」


 どこかの影が答えた。

 フェンリル。あの巨大なオオカミの名だった。どうやらナルヴィは、兄であるフェンリルの力も取り込んでいるらしかった。月をも飲み込むと言われたあのオオカミの力を持っているのならば、その甚大な量の能力も理解できる。しかもアルフは奇神ロキ直系の息子だ。もとから器も大きいだろう。

 一つの影が動いた。真っすぐオーディンに向かってくる。

 オーディンはグングニルを影に刺し込む。難なく消滅した。これがブラフということも分かっている。突き出したグングニルの柄に巻き付くように回転し、背後からの攻撃を避けた。そのまま石突きで影の頭部を打ち破壊する。柄を腰に巻くように振り回し、左右から来た影も薙ぎ払った。上から剣を突き降ろしてくる影は左腕の能力で霧消させた。四方八方から襲い来る波状攻撃は止むことを知らず、次々とオーディンの死角を突いてきた。オーディンは息一つ切らさずそれを全て受け流し切っているが、アルフの影は全く減らなかった。


「……くだらん」


 オーディンが呟くと、光の粒子はオーディンの体に纏わりついた。まばゆい光は、退魔の効果でもあるのか、周囲の影を一掃する。

 そして光はそのままオーディンの鎧へと変貌していた。黄金の兜に黄金の鎧、そして青いマントを吹雪にはためかせたオーディンが、神槍グングニルを掲げている。

 主神オーディンの、戦闘態勢だ。

 ナルヴィの体であるため、再現率は完全無欠と言うわけにはいかないだろうが、それでも溢れ出す強さのオーラは、道化師アルフを圧倒していた。

 しかしアルフもただでは退かない。ペルット文明が滅んでからずっと、アルフは戦い続けてきたのだ。預言者オーディンがナルヴィ・コピーの魂と戦い、人間を一方的に蹂躙している間、アルフは、ずっと一人で己を磨いてきた。

 何度も何度も地獄に潜り、数多の魂を手に入れた。

 神をも殺す魔王計画を成就させるために、こんなところで敗れるわけにはいかないのだ。

 青い鎧を纏った預言者オーディンに向かって、覇剣レーヴァテインを突きつけた。


「『人間に教えられた』じゃねえよ……」


 道化師アルフは燃え盛る剣を構える。


「人間だから、できたんだ……!」


 どう、と足下の雪を吹き飛ばしての猛進。無数の影が四方からオーディンに襲いかかった。オーディンは無言で腰を落とす。戦闘態勢に入ってから、目つきが変わった。知恵の神の面影が消えたのだ。対して浮き彫りになったのは、神槍グングニルを掲げる怒れる神としての顔。目の前の奇神の残滓、道化師ナルヴィを憎き敵をして捕捉した、戦の神。オーディンは全身の力を圧縮した。白黒に輝く腕の文様が、ぼうと暗くなった。

 アルフの影がオーディンに到達する。するとオーディンの腕が太陽のように輝いた。超大なエネルギーが放たれる。影が一瞬にして消える。アルフは目映い光をレーヴァテインの切っ先で破りながら突進する。オーディンはグングニルを握る両手に力を篭め、そして、覇剣レーヴァテインの間合いに入るまえに、攻撃を開始した。槍が持つリーチは、レーヴァテインのそれより遥かに大きい。

 全力で放たれる突きは、恐らくアルフ以外の者で視覚情報として捉えられる者はいないだろう。アルフは突進を挫かれこそしたが、だが確実に槍の穂先を目で追いながら躱している。素早い足捌きで間合いを調整しながら、上体を反射神経のみに委ねて動かしている。


 押しているようでいて、オーディンにも余裕は無かった。

 一瞬でも隙を見せれば、アルフは懐に飛び込んでくるとわかっていた。だからこその怒濤の刺突。他の能力を使っている暇は無い。

 だが、先に煮えを切らしたのはオーディンだった。いつまでもねちねちと張り付いてくるアルフのプレッシャーに押し負けた。オーディンはグングニルを一瞬短く持ち、柄を薙ぎ払ってアルフを吹き飛ばそうとした。


 だが。

 道化師アルフは、グングニルが空気を薙ぐ轟音の下にいたのだ。この一瞬で状況を判断し、地面に蜘蛛のように這いつくばった。オーディンの顔が青ざめる。距離を取るはずだったはずが、完全にがら空きの懐を晒してしまった。グングニルは右側方に振り払った。切り返すには瞬きほどの隙が必要だった。

 その刹那を、アルフが逃がすわけがない。

 殺気が爆発したような互いの状況判断も、吹雪の一粒が地に落ちるよりも短い時間だった。アルフは左手首を返してレーヴァテインを振り上げる。関節に溜めた力を爆発させた、全力の一撃。燃え盛る炎は肥大した。覇剣が預言者の頭を両断しようと牙を剥く。


 そして遂に——預言者オーディンの頭蓋骨が、断ち切られた。

 上瞼と下瞼の間を真っ二つに、覇剣レーヴァテインがオーディンを破壊した。

 預言者は膝をつく。中身をぶちまけた頭から、赤い血がだくだくとこぼれ落ちる。純白の雪は血に溶けた。

 グングニルが光の粒子になって霧散する。


「だから俺は……ヨルムンガンドに……ラグナロクを託したんだ」


 息を切らす道化師アルフは、よろよろと後退した。頭を割られた預言者は、なかなか倒れなかった。膝立ちのまま、硬直している。


「『魔王計画』を成し遂げるためにな……だからお前を殺さないといけないんだ……ゼペットの形見でも! お前を! ここで壊さなきゃいけない! が死んだこの地で……!」


 アルフは再びレーヴァテインを掲げた。炎は一向に収まらない。陽炎に揺れる預言者オーディンは、未だ倒れ伏すことはなかった。


「だからとっとと起きろよオーディン!」


 頭蓋の断面から大量の触手が立ち上がった。

 びるびるとのたうちまわりながら、アルフの身の丈を優に超えるほど伸張したかと思うと、一気に触手同士が絡まり始める。穢らわしい水音を立てながら、触手は編み込まれていく。血液を撒き散らしながら、欠損した頭蓋骨の中身を作っていった。脳からは脳が生え、そして眼球が再生されていく。耳の中身が伸びていく頃には、頭蓋骨の再生が完了して既に頭皮が編まれて始めていた。みるみるうちに真っ二つになった頭は元に戻り、ゆらりと、預言者オーディンは、立ち上がったのだ。

 口元に垂れる血を拭い、赤い痰を乱暴に吐き出した。


「愚かにも、奇神の能力に助けられたか」オーディンは不満そうにアルフを睨んだ。「ならばやはり、俺も貴様の魂を砕かねばならんということか。そうか。貴様も神の端くれか、ナルヴィ!」


 預言者オーディンは再び白銀に輝く神の槍、絶対必中のグングニルを呼び出した。

 それを投げさせるわけにはいかないと、アルフは一息でオーディンとの距離を詰める。覇剣レーヴァテインを腰の方で掲げ、いつでも必殺の一撃を繰り出せるよう構えた。その姿勢のままオーディンの刺突を踊るような足捌きで躱し続ける。

 先ほどの一撃で冷静さを欠いてしまっているのか、今度は隙を見せるのが早かった。手元を返すタイミングを誤ったのだろう。槍使いの致命的なミスにアルフはつけ込んだ。レーヴァテインを振りながら、背中からオーディンの背中に飛び込む……が、それは罠だった。

 黒く輝く左手が、槍から離れていたのだ。

 アルフの背中が、ぞくりと泡立つ。左手は掌底を打つ形をしていた。左腕の文様が一層輝く。白い雪に反射した。一瞬辺りが暗くなったと錯覚した。レーヴァテインの切っ先は追いつかない。オーディンの左手が、アルフの顔面を顎から捉えた。

 爆散。

 仮面ごと粉々に吹き飛んだ。

 中空を舞った体は幾秒か滑空し、どしゃりと音を立てて積雪の上に墜落した。

 雪は、朱色に染まる。


「さあ起きろ……」


 預言者はくつくつと嘲笑いながら言い放った。

 それに答えるかのように、アルフは首の無い体で雪の上に手をついた。滝のように血を流しながらも、ぐずぐずの傷口から触手が蠢き這い出る。びくびくと胎動しながら、無くした頭を再生した。

 奇神の血。

 ナルヴィはロキほどでは無いにしても、圧倒的な回復力を持っているようだった。それこそ不死の象徴であるウロボロス、世界蛇ヨルムンガンドに匹敵するほどの力を。

 壊しても壊しても再生する。生死を決するのはすなわち——


「魂!」


 オーディンは笑い飛ばすように言った。

 神々にとっての死の概念とは魂の死を意味した。どれだけ体が傷ついても、魂が死なぬ限り消滅することはない。ヨルムンガンドの毒液で肉体が死に絶え、ナルヴィ・コピーの体を乗っ取った主神オーディンは、それを本当の意味で理解している。


「そうだ起きろ奇神の末裔! 魂だ! 魂を魅せろ! これこそ神々の戦いに相応しい……圧倒的な暴力だ!」


 オーディンは猛る。『追放の日』を思い出しているのだろうか。あのペルット人にとって絶望的な蹂躙戦は、奇神一族のおかげで神々にとっては素晴らしい余興にも思えた。恐らくあれほど魂が震え上がったことは、今までに一度も無いだろう。

 これほどの戦を、全身全霊で拳を振るえる大戦を、神々は心のどこかで待っていたのかもしれない。


「全ての力をもってして、この叡智なる神オーディンを討ってみせよ!」

「望むところだ、くそやろう……」


 血塗れの道化師アルフは、業火に焼かれるレーヴァテインを、構え直した。

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