第三三話。神の企み。

「これが、六百年前ペルット人が神々に世界から追いやられた、『追放の日』の顛末」


 リリーは話し終えた。

 暗く冷たい牢獄は、空気が凍てつく音が聞こえそうなほど、静かだった。

 圧倒されていたのだ。

 帝王アルセウス・イエーガー。獅子エドガー・ライムシュタイン。雨男レイモンド・ゴダール。そしてエイク・サルバドールが、軍神リリー・エピフィラムの話に、圧倒されていた。

 ペルット人の凄まじさ、神々の強さ。何もかもが、想像上の話のようだった。


「道化師は……奇神の息子……」


 レイモンドは小さな声で呟いた。


「なんなら、あいつの目的は……ラグナロク……? 神々を、殺そうってのか……!」

「なぜだ!」


 声を荒げたのは、帝王だった。リリーの独房へと大きな歩幅で歩み寄る。


「なぜ、道化師はお前と手を組んでいた!」


 リリーはすぐには答えなかった。

 ゆっくりと、ゆっくりと、顔を上げる。


「……取引だった」


 リリーの声は、牢獄の冷たい石の壁に反響した。


「アルカルソラズから脱獄するための」


 アルカルソラズ。

 かつて帝国が所有していた、極刑を待つ重罪人を収監していた監獄。

 完全なる孤島で、船以外での連絡手段は無い。脱獄は不可能のはずだった。

 リリー・エピフィラムが脱獄するまでは。

 リリーは、石細工アーノルド・コーウェンに騙され、帝国に捕縛される。ペルジャッカを攻め入る手段を聞き出すために監獄島アルカルソラズへと収監され、肉体的な拷問を受ける。だがリリーは口を割ることは無かった。


 リリーがいないペルジャッカを強硬手段で侵略することを選んだ帝国は、リリーをイエーガー家の先代が遺した人心掌握術の研究素材へと回すことにした。数ある項目の中から、圧倒的美貌を持つリリーは『社会性不獲得者の心理的及び肉体的沈静化を測る諸実験』の素体に適していると判断された。

 研究内容は様々だったが、主に報酬効果とその閾値変化の記録。

 つまり一定期間で最も奉仕労働に励んだ囚人に、美しいリリー・エピフィラムを与えるというものだった。

 実験開始初期は、囚人の更正効果が見られたものの、段々と暴徒化していき、遂には、派閥間での戦争が勃発し、アルカルソラズ自体が壊滅に追いやられる結果となった。

 そこでリリー・エピフィラムは生き残りしばらく身を隠し、そして今、帝王の前で座っている。


「私をアルカルソラズから連れ出すと、道化師は囁いた。『このままだと一族全員滅びる。どうするんだ、エピフィラム』と」

「道化師が……」

「ええ、そして——」


 ——だからリリー・エピフィラム。お前が、神を殺せ。


「そう言ったのよ」

「ならばヨルムンガンド……お前はなぜ、我々帝国の敵になるようなことをしていた」


 各地を転々と歩き回り、帝国側の軍隊を打ち砕いて旅をしていた。

 神を殺すならば、そんなことは必要無いはずだ。


「あなたを先に殺すつもりだったのよ、アルセウス・イエーガー」


 さらりと放たれた言葉には、身の毛のよだつ怨恨が込められていた。その場にいた全員の鳥肌が立ち上がった。帝王は目を見開き、獅子は身構えてすらいる。


「私を二年間嬲り続けた帝国を、徹底的に破壊しようと考えていたのに」


 それなのに、と続けた。


「預言者に、邪魔をされた」

「よ、預言者と戦ったのか、貴様!?」


 預言者。そうだ、預言者とは、主神オーディンのことを言う。今この場にいる全員が、預言者の正体を理解している。あのペルットを壊滅に追いやった、神の存在を。


「あそこで預言者が来なければ、今頃こんなクソ汚い国なんて、跡形も残っていなかったのに」


 平然と、それを言ってのけた。

 世界のほとんどを領土にしてみせた帝国国王アルセウス・イエーガーを目の前にして、帝国など跡形も残らないと、言ってのけた。

 それがハッタリではないことを、帝王も知っていた。リリー・エピフィラムとは、そういう女だ。レイラを人質に取られずとも、神を殺そうとしていたのだ。神が死ねば、ラグナロクも終わる……


「私はあなたを殺し、その後に神を殲滅するつもりだった。ラグナロク阻止に私を使うというのなら、あなたは決して忘れないで頂戴、アルセウス・イエーガー……」


 リリーは真っすぐと、瞬きを忘れた瞳で帝王を睨みつけた。

 まるで世界をまるまる飲み込む不死の世界蛇、猛毒を吐き出し主神を殺したあのヨルムンガンドの眼光のようだった。

 見られた獲物が、完全に硬直してしまうような、鋭過ぎる、眼光だった。


「破壊する順番が、入れ替わっただけだということを……」




*



 ——数日前。

 雪原で道化師と預言者は向かい合っている。両者とも『追放の日』のことを思い出していた。


「あの『追放の日』から六百年が経つな。『ナルヴィ』はよく頑張ってくれたもんだ」道化師は吹雪の中、『預言者』と対峙していた。「やっと外に出れた気分はどうだ、オーディン?」


 預言者……いやオーディンは少しだけ、笑った。


「正直驚いたな。奇神とは言え木っ端でしかない『ナルヴィ』の魂がこんなにも頑強だったとは。いやこれも、ゼペットの力か?」

「はん、そう思ってくれたんなら俺も気分が良いぜ。けどこっちとしては、残った『無能力者』たちに『新約神話』を広めるお前に、随分とハラハラさせてもらったもんだが。……お前、どうして人間を殺し続けた。今の人間なんざ、ラグナ録の起こしようがねえだろ」


 ナルヴィ・コピーの体に閉じ込められたオーディンが、何も『預言者』として君臨し人間を殺すことに理由を見いだせなかった。地獄に潜る方法を探すか、それとも隠れ身をひそめるかでも良かったはずなのだ。わざわざ指を指され恐れられるまで人間を殺す必要は、ない。


「建築家マルセリアの力によって、グングニルを使った『封印』は不完全なものとなった」


 ナルヴィ・コピーは地獄の門に向かってグングニルを放ったが、弾かれた。そのことを言っているのだろう。

 オーディンは地獄を完全に封鎖するつもりでいたのだが、建築家マルセリアが設計した世界は神の干渉を許さなかった。

 神の力が、弾かれたのだ。


「不覚にも、ペルット人に教えられた」


 預言者は低い声で言った。


「格上殺しは、往々にして起きうるものだと」

「格上……?」


 オーディンが言う格上とはいったいなんのことだとアルフは思った。

 ペルット人の格上は神々のことだが、神々が言う格上とは……


「創造神オズ」

「なっ……!」


 創造神オズ。

 新約神話でも旧約神話でも、最高神として謳われる者。この世界を創り出し、そしてあまねく生物の起源を産み落とした神。主神オーディンの格上となると、やはりそこにはオズしかいない。


「創造神オズ。俺はオズを殺し、新たな世界へと行く」

「狂ってやがる。オズはもうこの世界にいないぞ」

「だから人間を殺すのだ。奇神の末裔よ、オズは人間が好きで人間を作った。だから俺は、人間を殺すのだ。怒り狂ったオズは、必ず戻ってくる!」

「この世界じゃあ満足できねえってか」

「起源! 起源が等しい存在だったからこそ! あんな惨劇が起きた! 神々が死に、人間が死んだ! かつて同等だったという傲りが人間どもを誘惑したのだ! この世界に神がいる理由はもう無い! 正義の元凶である創造神オズを殺し、俺がその魂を喰らう!」

「お前が世界を作ると言うのか!」

「ああそうだ! 貴様は招待せんぞ、奇神の末裔!」


 オーディンの両腕に紋章が浮かび上がる。左腕には黒く光る破壊の文様。右腕には白く光る創造の文様。知恵の神オーディンだけが知る、魔導の言葉だった。


「行くぞ、奇神よ!」


 輝く神槍グングニルが、主神オーディンの右手に現れた。

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