第二九話。追放の日。奇神と雷神。
「戦う者は武器を取れえ!」
ペルジャッカの中にも戦禍は及んでいた。
ロキが駆けつけたときには既に、街の門は破壊されてしまっていた。弓を引く天使の軍勢に、ペルジャッカの戦士が果敢に立ち向かう。
神の格下である天使とは言っても、真っ向勝負では人間であるペルット人が勝てるわけがない。
だが戦士たちは怯むことはなかった。遺伝子に刻まれた怨恨を動力源に、狂ったように武器を掲げる。
中でもひと際強いペルット人の戦士が、燃え盛る刃で大天使の腹を突き刺した。奇神ほどではないが治癒能力の高い大天使でも、その炎立つ風穴が塞がることはなかった。
炎の戦士は猛り狂う。
「神を殺せ!」
その怒号に、戦士たちも盛大に怒鳴り返す。ペルジャッカの戦士たちはよく戦えていた。神族相手に、ここまで拮抗できるのなら大したものだろう。
場所によっては制圧されつつあるが、逆に完全に守り切れているところもあった。炎の戦士は街の中心部で戦い続けている。ここの地下には人形技師ゼペットと、建築家マルセリアが『作業』を続けている。一つでも多くの『魂』を確保するためには、時間を一秒でも稼ぐ必要があった。
ここでは負けてしまうとわかっていても、全力で戦い続ける必要があった。
奇神ロキも、応戦する。人間に味方する奇神一族の長として、怯んでいる暇は無かった。
雷雲が厚さをどんどん増していく。
ロキの心中は穏やかではなかった。この雷雲を見て、想像できることはただ一つ。雷神の降臨だ。神々の中で最も強いとされる雷神がこの場に来てしまえば、戦局は一気に傾く。それこそ、一巻の終わりだ。
雷神トールが現れるまでにどれだけの神族の数を減らせるか、それにかかっていた。総戦力で立ち向かえば、ゼペットたちの時間を少しは稼ぐことができるだろう。
マルセリアの作業も終盤に差し掛かった。
大きな机には、マルセリアにしか見えない世界地図が広がっていた。隣には巨大な石の彫刻が置いてある。マルセリアは彫刻に自分の髪の毛を一本結び、机に戻ってくる。他者からは見えない地図に、次々と指を叩いていく。乱雑に、適当に世界のあちこちを叩いた。
「マルセリア!」
ゼペットが声をかける。
「いま、どこまでやった?」
「世界中に門を設置しているところだ! 中の作業はもう終わった!」
よし、とゼペットは頷いた。
人形技師は、ひたすらに人形を作り続けている。
握りしめた拳の指の隙間から、粘度を持った茶色い液体が染出てくる。それを土の塊に混ぜると、一気に大まかな人の形が形成された。そこからは精密な動作で造形を完成させる。人間の形になると、今度は体中に複雑な術式を書き始めた。この行程に一番の時間がかかる。『魔王計画』の概要変更により、神の血を再現した個体を大量生産することはなくなったが、ただのペルット人を作るとはいえそれは一つの生命だ。容易いことではない。しかも能力の正体である『魂』を漏らさず収める器となるのだ。より正確な構造が必要となる。
ゼペットは瞬きの間も惜しみ、作品に命を込め続けた。
ナルヴィは次々と完成していく人形を、せっせと『プール』へと運んでいた。
マルセリアが作り上げる門をくぐると、とても美しい景色が広がっている。恐らく、世界を征服したペルットよりも広大で、叡智を極めたペルジャッカよりも華々しいだろう。青々とした芝生。輝く湖。涼しげに揺れる木々。大自然の中に浮かぶように聳え立つ大きな街。ペルジャッカをモデルとしているようだが、稀代の建築家マルセリアが一人のセンスで作り上げた芸術の神髄は、どんな隙間を覗いても妥協を認めることができない。
あらゆるジャンルに精通したマルセリアは、エリア別に、センスを使い分けていた。煌びやかな空気が流れる、黄金の城を中心とした豪華絢爛な場所もあれば、土臭く、太古の記憶を思い出すような場所もある。幾何学的な形の建物が、鮮やかに配置された寒々しい区画まで用意されていた。
哀愁と希望が両立する、圧倒的な才能を持つマルセリアだからこそ作り上げることができた世界が、そこにはあった。
そこにナルヴィは足を踏み入れる。
運んできた人形は、動き出していた。まだ人間的な動きではないものの、立ち上がろうとする者や、赤ん坊の唸るような声を発し始める者もいた。
今回は、ナルヴィ・コピーとは少し違う作り方をしている。ナルヴィ・コピーには、僅かだが自我を形成して嵌め込んでいたが、今回の人形にはそれを施していない。完全な『箱』の役割だ。中身の無い人形は、つまり死体を同じだった。
だが、動いている。
それが意味することは……
「……みんなが、死んでる」
ナルヴィは幼い声で悲しげに呟いた。神々の襲撃に立ち向かった戦士たちが死んでいる。死者の魂が。門をくぐり人形へと入ってきているのだ。『能力の正体』である『魂』。それが収まる『器』に入り、屍が蘇る。
ゼペットは、あえてその本人に酷似した人形を作った。本物の人間と違うものと言えば、能力の着脱が可能になったことくらいのものだった。『魂』は宿らないが、子どもを作ることもできる。その子どもが人間のように動くことは、ないのだが……
ぎこちない動きで起き上がる人形たちも、魂がしっかりと定着してしまえば、これまでと同じ生活を始めるだろう。
来るラグナロクに備えて、着々と準備を始めるのだ。
ナルヴィは、その未来に鳥肌が立った。
いったい、何年かかると言うのだろうか。神族の端くれであるナルヴィには、神々の時間を理解している。遥か昔、人間とは一線を画した『新人類』は能力のグレードアップを重ねて、遂には膨大な寿命を手に入れた。人間の一生など、神々にとっては瞬きのようなものだ。
その神に、ペルット人は打ち勝とうと言うのだ。
太古に受けた傷跡の復讐を果たすために。顔も知らぬ先祖との誓いを果たすために。脈々と受け継がれてきた血が今、神々によって途絶えようとしている中、死んでもなお拳を下げない。
人間は、それができる。
継承される記憶が、ペルット人を突き動かしているのだろう。ナルヴィは身震いする。自分にそんなことができるとは、到底思えなかった。
奇神ロキ直系の息子とは言え、フェンリルやヨルムンガンドのような戦士になれるとは本人自身思っていない。大軍を相手取るような心は、ナルヴィは持ち合わせていない。
ましてや人間に敵うなど。
そこが、ロキが惚れ込んだ部分でもあるのだろう。浅ましく、汚く、泥臭く、往生際が悪い生き物が持つ、高貴で美しい心意気。奇神ロキは、人間のそういうところが好きだった。
決して神々には理解できない、鳥肌が立つような美徳。
その片鱗を、幼きナルヴィは感じていた。狂ったように人形を作り続けるゼペットと、狂ったように世界を作り続けるマルセリア。二人の老人によって、膨大な時間が必要になる『魔王計画』は始まろうとしていた。
神をも殺すような、濃厚な能力を持つ軍勢が組みあがるのは、いったいどれくらいの年月がかかるのだろう。
「……ん?」
ナルヴィは違和感を感じた。魔王計画は変更されたが、そういえばナルヴィは変更後の話を聞いていない。魔王計画が変更されたのは、ゼペットが人形を作るのに時間がかかり過ぎるからという理由があった。
神によって殺されたペルット人の魂が彷徨い『プール』に行き着き、能力が囲われる。そこまでは良いが、そのあとはどうなる? 格納された魂たちはどうやって濃縮される? ゼペットが作る人形に、明確な寿命は無い。さすがに何百年も経てば劣化してしまうのだろうが、それは生物としての死ではない。ならば魂は出ていかないはずだ。それならば、魂が移動することもない。能力は、濃くならない……?
ならばどうやって、神を殺す軍団を生み出すのだろうか。
ナルヴィは首を傾げながら、人形を置いて『プール』を出た。
まだ作業を続けていいるのかと思っていたが、ゼペットとマルセリアは、ぐったりと、ソファに座り込んでいた。
「どうしたの?」
「終わったよ。あとは寝るだけだ」マルセリアが、大きくあくびをした。「そこの二体、よろしく頼んだ……」
指差された方向を振り向くと、二つの人形が、椅子に座っている。魂の無い抜け殻だが、それが誰なのかはすぐにわかった。
人形技師ゼペットと、奇神ロキだ。
「ゼペットと、お父さん……。あれ、マルセリアは?」
マルセリアは天井を仰ぎながら、ひらひらと手を振った。
「俺の能力はまずい。もし何かの拍子で悪用されちゃあ、たまらんからな。俺の魂は、残さないのさ」
「そんな」
「なに、ここまで生きたんだ。しかも最後に、こんな超大作を完成させることができた。未練は無い。ほら行け、ナル坊。俺たちはナルヴィ・コピーを探してくるから」
ナルヴィは悲しそうな目をしたが。ゼペットはナルヴィの頭をくしゃりと撫でて、アトリエを出て行った。
不思議な感情を抱いていた。恐らく、ゼペットとマルセリアはここで死んでしまうのだろう。神々の怒りを買った張本人でもあるのだ。だが、マルセリアはともかく、ゼペットは果たして、本当に死ぬのだろうか。
いま目の前にある『抜け殻』に、『魂』が入り込み、そして動き出すのだ。
それは本当に、死んだと言えるのだろうか。
神々が怒り狂う理由も、わからないこともない。創造神オズが作った世界の秩序を、ゼペットとマルセリアは破壊しようとしているのだから。生死の概念を、覆そうとしているのだから。だが、オズはわざと、こういうことが起きる可能性を残したのだとも、ナルヴィは思った。完全無欠の創造神に、人間が考えるようなことを先回りできないとは思えない。
ならば、この怒りは神々のエゴなのか。
ナルヴィには、わからなかった。
二体の人形を担ぎ上げ、再び『プール』へと向かう。
遂に、大地を割らんばかりの雷が、巨木の如く降り注いだ。
雷神トール。
最強の神が、奇神ロキの目の前に現れたのだ。
「逃げろ、人間!」
ロキは叫んだ。逃げ切れるわけもないとわかっているが、そう叫ばないわけにはいかなかった。
雷神は、立ち上る雷炎の中から姿を現す。
全身に鋼鉄のような筋肉の鎧をまとった、屈強な赤髪の男。口に蓄えられた威厳のある赤色のひげが、顔の雄々しさを一層際立てていた。こめかみに走る青筋が、憤怒をいやでも伝えてくる。雷の衣をまとったトールは、ぎろりと、ロキを睨み付けた。
雷神が、右手を掲げる。触れそうなほど分厚い雷雲が青く光った。雲の継ぎ目を走る青白い雷が地上を照らし、そして、何十本もの雷柱が、ペルジャッカに突き刺さる。
逃げ遅れた少女の五臓六腑を、青白い稲妻が焼却した。少女は焦げた灰の塊となり、崩れ、割れる。
雷神の降臨で、すべてに決着がついたようなものだった。父である主神オーディンですら、真っ向から勝負して敵う相手ではないのだ。雷神トールが歩くたびに、尋常ではない稲妻が天空から迸り、街は木端微塵に破壊されていく。焼け爛れる皮膚を引きずりながら、武器を落とした人々は這いずり回り水を求める。
神々の蹂躙はもう止まることはないだろう。
しかしそれでもロキは立ちふさがった。最強の神、雷神トールの前に、奇神ロキは仁王立ちで立ちふさがったのだ。
「人間が、何かをしたか」
奇神ロキは問う。その身に滾る怒りの炎を必死に押さえつけ、静かに、静かに問う。
「神々に、何かをしたのか」
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