第二八話。追放の日。ふたりの天才。

 ヨツンヘイムの雪原。街から遠く離れた場所。聳える岩。降り積もる雪。

 道化師は歩く。足跡は、残らなかった。


「よう、オーディン」


 吹雪が、道化師の体を打っていた。

 道化師アルフが見つめる先には、預言者がいる。主神オーディンの名前で呼ばれた預言者が。


「ここで決着をつけるのか、アルフ」

「ああ、そうだ。四百年前、全てが終わったこの場所で。また、始めてやる」

「始まったのは、六百年前の間違いだろう、アルフ」

「そんな昔のことを覚えてるのかよ」

「ああ覚えているさ。あの日は確か、晴れるはずだったな」



*



 晴天の霹靂。輝く青空に雷鳴が轟いた。

 まるで何者かに急かされているかのように、暗雲がもの凄い速さで立ちこめた。

 大地に突き刺さると見まがうほど、克明に、雷が落下した。

 雷が落ちた麓には、何人かの、男女が立っていた。男はみな雄々しく、女はみな美しかった。この世のものとは、思えないほどだ。

 そして真ん中に立つ隻眼の老人は吠えた。


「貴様ら!」


 怒号は大地をめくり上げる。木々は根こそぎ吹き飛び、岩石の塊が降り注いだ。

 ただならぬ様子の男女の向かう先には、ペルット首都ペルジャッカがあった。森に囲まれているが、老人の咆哮はしっかりと、ペルジャッカの人間にまで届いていた。


「『見た』ぞ! ラグナロクとは、いったいどういう腹づもりだ、浅ましい人間ども!」


 怒り狂いながらも、男女はゆっくりと歩いている。真っすぐと、ペルジャッカへと向かっていた。


「出てこい、ロキィ!」

「ここにいるぜ」


 怒鳴り声をかわすように、めくれ上がった岩盤の影に、ロキはいた。

 隻眼の老人の視界に繰り出し、堂々と、仁王に立ちふさがる。


「さすがにあんたには隠し通せないか、オーディン」


 隻眼の老人は、オーディンと呼ばれた。

 主神オーディン。アースガルズを統治する神の名だった。創造神オズが消えた今、最高神と言っても差し支えは無いだろう。

 その主神オーディンが、わざわざここまで降りて来たのだ。相当な理由があることは間違いない。


「奇神よ! きさま一体、なんのつもりだ!」

「もう良いだろ、神様よお。あんたらの時代が終わったんだ。俺は見込みがある方に味方するんだよ」

「……なんだと?」

「人間が遂にあんたらに牙を剥くのさ。俺たちのご先祖様がやったように!」

「ロキよ……人間が我々に敵うとでも思っているのか?」

「お前らも、人間じゃねえかよ」


 ロキはそう言い、服の襟を正した。

 雷雲は信じられないほどに膨らんでいる。今にも触れてしまいそうな空だ。


「いつの時代の話をしている、ロキ……」

「あんたらは弱い人間を捨てたクズどもの血統だろ。悪いやつは、そろそろ死ぬべきだ」


 ペルジャッカの中心に、二人の老人がいた。

 一人は人形技師ゼペット。そして豊かなひげを蓄えたもう一人の老人は、建築家マルセリア。両者とも驚愕の才能を発揮する天才だった。

 二人は一心不乱に作品を作り上げていた。

 主神オーディンの怒号が耳に入っても、作業の手を止めることはない。


「マルセリア、間に合いそうか!」

「なんとか、なんとかだ! おい、ナル坊!」マルセリアが乱暴な声でナルヴィの名を呼んだ。「ゼペットが作った人形をどんどん運べ! フェンリルとヨルムンガンドは先に運んだか!?」

「うん、運んだ!」

「よし!」ゼペットはナルヴィを見ずに指示を出した。「ナル坊! フェンリルとヨルムンガンドに、準備はできたと伝えてこい! そのあとお前はすぐここに戻ってくるんだ!」


 ナルヴィは大きな声で返事をして、部屋を這い出た。

 部屋の扉を開けると、梯子を登る。ここはマルセリアの工房だ。たくさんの様々な建物の模型が飾られてある。どれも精密で、マルセリアにしか作ることはできないだろうと、世界中から認められていた。

 ナルヴィは二人の兄、フェンリルとヨルムンガンドの元へと走る。

 フェンリルは武勇こそ無いがペルジャッカの人間を何度も助けている。ヨルムンガンドはペルットが攻め込まれ危機に陥ったとき、敵軍勢の全てを飲み込むという文字通りの神業を発揮した英雄だ。やはり神族とペルット人では、異能が持つ破壊力の桁が違う。

 その二人へ言伝に走ったナルヴィを見送った二人の老人は、いよいよ作業の最終段階へと差し掛かった。


「おい、ゼペット! 本当に後悔は無いのか?」


 マルセリアの呼びかけに、ゼペットはにやりと笑った。

 何のことについて言っているのかはすぐにわかる。マルセリアは『魔王計画』について言及しているのだ。もともと二人で提案したものだったが、ゼペットが作る人形の数に限界があるため、内容を変更せざるを得なかった。そのことについて心配しているのだ。


「良いか、マルセリア。お前は黙って『プール』を完成させればいい!」


 魔王計画。

 ゼペットが『異能』の性質を見破ったことから始まった。

 どうやら異能というものは、体質ではなく、ペルット人に与えられた、抽象的な概念であり、それを何らかの手段で継承できるらしかった。というのも、ある日ナルヴィが、死んだペルジャッカ人の異能を使えるようになっていたのだ。

 偶発的な事件ではあったが、これを応用することができるのならば、神に対する大きな力を得ることができる。

 そう、能力を継承させ続け、やがて異能の濃度が濃い生命体を集めた軍勢を作る。


 それはきっと、神を殺すことができる。

 ゼペットはそう信じていた。

 太古の昔、創造神オズは人間を作った。偶然なのか必然なのか、個性豊かな力を使えた太古人にはすぐに格差が生まれた。その力の差が支配する者とされる者を生み出す。息が切れるまで弱者を『消耗』した強者は、圧倒的な能力を持って新天地を創り出す。


 そしてその者たちは、神と名乗った。

 弱者は強者によって吸い尽くされ、枯れてしまった大地に縛り付けられる。

 ペルットの遺伝子には、その禍根が強く根付いていた。

 しかし人間はしぶとく、滅びることなく、土を食らってでも生き延びた。かつての失敗を繰り返すことがないよう、ペルットという一つの国家が世界を統一し、能力のある人間が統治した。平和な時代がしばらく続いた。

 だがロキの話によれば、神々はまた大地に降り立とうとしていたらしい。

 栄え過ぎた人類を滅ぼすという理由で。

 再び弱者の前に現れようとしていた。


 そしてペルット人は神々を滅ぼす術を考え抜いた。

 真っ向勝負して勝てる相手ではないことは重々承知している。

 ここで編み出されたのが、『魔王計画』だ。

 時間はかかるが、人類が生きのびる方法はこれしか無い。

 かつて神々がやったように、世界をもう一つ創り出すのだ。

 忌まわしき神の手が及ばない、大地の奥深くに、魂の楽園を創り出す。

『異能の正体』が、肉体の死後集まる場所を作るのだ。そこに『魂』を入れる箱を作る。

 建築家マルセリアが作る『世界』に、人形技師ゼペットが作る『生物』を住まわせる。

 そして濃縮された異能を持つ、人形たちが、神々に牙を突き立てる。

 それをペルット人は、『魔王計画』と呼んだ。極めて後手だが、これ以上無いくらいの強力な軍団を作ることが出来る。ペルット人の選択だった。


「神々の喉笛を狙うものたちが眠る場所か……」


 ゼペットはシニカルに笑いながら、人形を作り続ける。

 それに答えるよに、マルセリアは鼻を鳴らした。


「まるで『地獄』だ!」


 ペルジャッカの外で、ロキは腕を組んで神々と対峙している。あくまでどく気はないようだった。


「ロキよ。奇神ロキよ……」オーディンは低く、地鳴りのような声で呼びかける。「貴様は我々の敵になるということか」


 ロキは返事をしなかった。

 散々、神々にとって無益なことを意思なきいたずらとしてやってきたが、今回ばかりは本気のようだ。奇神の中にも何か、絶対に譲れないものが芽生えていた。

 神々に逆らってでも、成し遂げなければならないことが、あるようだった。


「よかろう。ならば滅するまでだ!」


 オーディンの怒号で、神々は駆け出した。

 背後から次々と降りてくる天使たちも、大天使に導かれて一つの軍隊としてペルジャッカに殺到する。

 ロキが拳を振りかぶる。

 奇神の咆哮が、めくれ上がった大地を今度は粉砕した。衝撃波となった怒鳴り声が、弱小な天使たちを叩き潰していく。

 振り上げた拳は巨大な岩のように膨れ上がった。打下ろされる鉄拳が神々の軍勢を淘汰していく。

 獅子奮迅の活躍だが、数的不利は否めない。取り逃がした大天使や神々が、次々とペルジャッカを囲む森へと突入していく。


「ここは俺たちに任せろ、父さん」


 ロキの背後から声がした。振り返るとそこには、二人の男がいる。

 フェンリルと、ヨルムンガンド。ロキの息子たちだった。


「お前たちの『器』はもうできたのか?」

「ああ。さっきナルヴィから連絡があった。父さんはペルジャッカの中で街を守ってくれ。ここは俺たちの力のほうが、都合がいいだろ」


 ロキは息子たちの話に素直に頷き、すぐに煙となって消えた。ペルジャッカに向かったのだろう。


「さて」フェンリルは腰を落とした。「準備は良いか、ヨルムンガンド?」

「ああ」


 返事と同時に、二人の容姿が急激に変化した。

 フェンリルの方はみるみる毛むくじゃらに変わり、肉体の体積が肥大していく。足が短くなり、両手を地面についた。背骨の延長のように生えてきた尻尾は豪快に振られる。顔が縦長になり、獣のような耳へと変わる。凶暴な顎が、牙を剥き出しにして唸っていた。巨大なオオカミへと変わったフェンリルは、雷雲に向かって気高い声で遠吠えする。


 ヨルムンガンドは体中に艶やかな鱗が現れ、手足がみるみるうちに短くなり、遂には消える。腹這いになったヨルムンガンドの姿は、蛇そのものだった。大きな顎から見える牙は、オオカミのように荒削りではなく、それこそまさしく鋭利な刃物のような、殺傷能力の高い輝きを放っている。フェンリルと同じく体が巨大化していくが、しかしフェンリルのそれとは規模が比較にならない。とぐろを巻いたヨルムンガンドは、一つの山と比べても、劣ることはないだろう。


「なるほど……奇神一族、総出で神々に仇なすということか! 殺せ、この愚かな裏切り者どもを!」


 オーディンの命令で、神の軍勢の矛先がフェンリルとヨルムンガンドに定まった。

 巨大な怪物に臆すること無く雄々しく猛る戦神たちが武器を掲げて突撃を開始する。

 フェンリルが目一杯大きく息を吸い込んだ。ヨルムンガンドはとぐろをきつく締め、地上に群がる軍勢を睨みつけた。

 大天使の弓が引かれると同時に、フェンリルが大きく開いた喉から獄炎を撃ち出した。大地に立つどの炎よりも熱い火炎が、向かってくる敵をいっぺんに焼き尽す。

 ヨルムンガンドは大きな顎を最大にまで広げ、神の軍勢を次から次へと飲み込んでいく。大蛇の毒液で、飲み込まれたものは一瞬にして土くれへと姿を変えてしまった。

 ペルジャッカの前で、神と、仇なす神によって、文字通り人知を超えた大決戦が行われていた。

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