第二七話。完成を祝して。

 エイクが牢獄に帰ってくると、レイモンドがなにやらそわそわしていた。


「おう、やっと戻ってきやがった! エイク、早く座れ!」

「どうしたんだ?」

「仕事の報酬をもらう。リリーがどっか行っちまったから、レイラからな。どうやらペルット人が滅んだときの話をしてくれるらしい!」


 エイクが驚いたような顔をした。

 レイラは独房の隅で、相変わらず俯き、相変わらず笑っている。

 レイモンドに急かされるように、エイクは独房の中へと這入っていった。鍵の無い扉を閉めて、レイラの方を見る。見ると言っても、角度からしてエイクからもレイモンドからも、レイラの姿を見ることはできないが。


「準備はできたかしら?」


 おう、と威勢の良い声でレイモンドは答えた。

 くすりと笑う声がすると、それから少しの間、全くの無音が続いた。石の壁が、いっそう冷たく感じた。冷気の音が聞こえるようだった。

 痺れを切らしたレイモンドが立ち上がろうとしたとき、レイラの独房から、ほのかに明るい光が見えた。

 ぬるりと、レイラの独房から、の液体が流れ出た。地を這うように流れるそれは、粘度があるらしく、壁にこびりつく。光はそれが発していたようだ。

 気味の悪い液体に顔をしかめたレイモンドとエイクだが、何も口を挟むことはなかった。眉根をよせて、迫り来る液体に少しずつ後ずさる。

 虹色の粘液は、牢獄を埋め尽くそうとしているのか、四方八方へと万遍なく流れている。壁にぶつかると、なんとその壁を上り始めるのだ。


「うわ、なにこれ」


 レイモンドは虹色の粘液に触れないように後退して、部屋の角に追いつめられようとしている。


「おい、おい! ちょっと! なんだよこれは! おい、レイラ・エピフィラム!」


 ぎゃあぎゃあ騒いでいるうちにも、レイモンドはどんどん追いつめられていく。

 エイクは早々に独房の扉を開けて、虹色の粘液から逃げようとしていた。牢獄から出ようとしたのだが、出口の方は既に粘液が貼られていて、近づけない。エイクもレイモンドも追いつめられた。


「エイク! おいエイク! レイラのほう見ろ! これなんなんだ!? あいつ何やってんだ!」

「いや、あの、レイラの方はもう、この気持ち悪いのがあって……」

「おいちょっと! レイラ! レ——ぐわあ足についた!」

「え、え、どんな感じ? どんな感じ?」

「生暖かい! 気持ち悪いぞ、これ! 俺の能力も効かない! 水じゃあない!」

「いや水じゃないのは見ればわかるけど……」


 暗い牢獄が足下から仄かに照らされ、気味が悪い光景だ。輝く虹色の粘液が、床も壁も天井も次々と覆い尽くす。粘液はレイモンドの足を上っていた。手で振り払うが、粘液は手に付着し、そこでまた広がる。

 既に壁は虹色に覆われてしまっている。エイクが一か八か、渾身の力で壁を殴ってみたが、壊れなかった。拳についた粘液が、エイクの腕を這い始める。


「あわわ……」


 やってしまったという顔で手を必死に振るが、粘着してしまった虹色の液体は振り払えなかった。

 そして遂にエイクもレイモンドも、全身が虹色の粘液に覆い尽くされたとき、二人の目の前が光に包まれた。


「物語を、始めるわ」


 レイラは静かに、呟いた。



*




 豊かな国がそこにはあった。

 木々に囲まれた広大な土地に、ペルットの人間は首都をもうけていた。

 首都ペルジャッカ。

 ここに来れば世界の全てがわかると謳われた都市だ。舗装された道には、巨大な鉄の塊が通っている。複雑な機構で動力を作り出し、自動で進む運搬機。数こそ多くはないが、一つの自治体に一台くらいの割合で与えられていた。

 ペルットの中でも、王によって選出された者のみが住むことを許された首都ペルジャッカは、常に技術が更新される。

 首都ペルジャッカで得た知識を人々は外に発信して、世界を大きく動かしている。


 超文明と呼ばれている所以はそれだけではなかった。

 生活レベルの高さは言うまでもないが、芸術面でも首都ペルジャッカは他の地域の追随を許さないほどの質の高さを誇っていた。

 その中でもここ『アトリエゼペット』で作られる彫刻や人形は、既にハイエンドとなっており、これを超える者は世界が滅びるまで出てこないだろうとまで言われている。

 アトリエゼペットは、一人の老人が切り盛りしている。

 豊かな白ひげを蓄えた、意思の強そうな目をしている老人は、工房の名の通り、ゼペットといった。

 ゼペットは遂に、何年もかけて一つの大作を完成してみせた。

 その噂を聞きつけた写真家たちが大勢来て、作品の写真とゼペットの写真を撮り続け、今しがたやっと帰ったところだった。


 ゼペットは疲れた顔でパイプを吹かしていた。

 上質なぶどう酒を飲みながら、自分が作った作品を眺めていた。

 確かにこれを作れる人間は、ゼペットの他にはいない。ゼペットは類希なる才能を持っていたが、それ以上に努力家だった。どんな作品を完成させても、依頼者に謝罪しながら渡すのだ。こんなものしか作れなくて済まないと必死に謝り、酷いときは報酬も受け取らないで帰ってしまうことがある。

 ゼペットは絶対に、自分の作品に納得しなかった。依頼者がそれで良いというから、いつも渋々『完成』という形にしてしまうが。

 だが今回は違った。

 今回ばかり、ゼペット自身胸を張って、大傑作だと言うのだった。

 満足そうな顔でぶどう酒を煽っていると、扉が開く音がした。


「ノックをしろと言っているだろう」


 ため息を吐きながら振り返る。

 そこには黒い礼服に身を包んだ仮面の男が立っていた。


「完成したぞ、ロキ」

「おお、そうか!」


 ロキと呼ばれた仮面の男は、やったと声を上げて両手を上げる。

 ただならぬ雰囲気を醸している男にそぐわない、子どもっぽい動作だった。


「問題のちび助はどこだ?」

「ここだよ。ほら、ナルヴィ。完成したんだってよ」


 ロキは背中に隠れていた少年の背中を押して、前に立たせる。長身のロキの、腰くらいまでしかない小さな男の子だ。

 黒い髪を涼しそうに切り分けている。目には大物になりそうな、強い輝きが灯っていた。


「ほんと? うごくの?」


 ナルヴィと呼ばれた少年は、とことこと歩き出す。

 布を被された『作品』を、不思議そうに覗き込む。


「動きはするがな……。頭が悪い。これからお前がたくさん話してあげてくれ、ナル坊」

「話す」ふーん、と右から左へと聞き流している様子で、ナルヴィは布をつまんだ。「見ていい?」

「ああ、もちろん」


 期待に胸を膨らませて、ナルヴィは布を引っ張った。

 空気に乗った布がはためき、『作品』が全貌を顕す。

 少年の人形だった。それも、ナルヴィと全く同じ顔。


「うわあ!」


 ナルヴィは手を上げて喜んだ。瞳をいっそう輝かせて、あちらこちらから『ナルヴィ・コピー』を覗き込んだ。

 その様子を見て満足そうに微笑んだゼペットは、ぶどう酒を飲み干して椅子から立ち上がる。ロキの横に立つと、急に険しい顔になった。


「奇神の血も再現できたか、ゼペット?」

「ああ。それと本当に僅かだが、ナル坊の疑似人格も作ることができた。これで恐らく、『プール』は機能する」

「大量生産はできそうか?」


 そこでゼペットは険しい顔をした。

 ナルヴィ・コピーを作るのに要した年月を考えると、大量生産という言葉は夢のようなものだった。

 今までかけた時間から、試行錯誤の時間が省かれると言っても、縮めることができて半年に一体できるかどうか。それも寝る間も惜しんで作業に没頭するという条件付きで、だ。

 老い先短いゼペットに、そんな無茶ができるはずもない。


「無理だ」


 言い訳することなく、ゼペットは率直に言った。


「……そうか」


 ロキも噛み付くことは無い。一つの生き物を作るということがどれだけ凄いことなのか、わからないわけではない。


「じゃあやはり『魔王計画』は無理か、ゼペット……」

「妥協点を見つければ、そうでもない。まあ、俺に任せろ」


 そのとき、アトリエの扉がノックされる音がした。

 ゼペットは「ああそうだった」と呟いて、扉を開ける。

 ロキは腕を組んでナルヴィを見ていた。

 ナルヴィは、ナルヴィ・コピーと手を合わせたりして、完全一致する体のパーツにいちいち驚嘆の声を上げていた。

 アトリエに入ってきた男は、真ん中で鞄を置いて中身を広げ始めた。


「おう、画家のあんちゃんか」ロキは男の肩を叩いた。「そう言えば描くって言ってたな」


 ゼペットはナルヴィ・コピー立たせる。意識が無いため、腰から上を目立たないようにベッドに固定した。ナルヴィはその隣に立ち、次にロキ。そしてゼペットは端で椅子に座った。

 画家の男は、イーゼルに四角い石盤を設置した。


「石ころに描くのか?」

「俺の能力じゃ、これが一番長持ちするんですよ」画家は筆を持つ。「なんか端っこに一言添えましょうか、ゼペットさん?」

「そうだな、それじゃあ、シンプルに『完成を祝して』とでも描いてくれ」

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