第二六話。天界にて。
帰還兵士量産計画。
道化師と会ってから数日後、エイクは書類を見せられていた。
計画の内容は、エイクの予想を遥かに超えるほど……単純だった。
原本は四百年前に、アルセウス・イエーガーの祖先、クルセリアルツ・イエーガーが書いたものだった。
計画書には、門の向こうの者と交われば、人間に酷似した生き物が生まれるとしか、書いていなかった。
ある男から話を聞いた。
門の向こうの者と交われば、人間に酷似した生き物が生まれる。
その者は圧倒的な力を有し、必ず巨大な力となるだろう。
私は確信している。
話をしたあの男は、門の向こうと何らかの関係がある。
だがこの計画を実行に移すことは、私にはできない。
怪物を制御できるほどの力を持ち合わせていないのだ。
然してこの書をここに記す。
来たるべきときに備えて。
我が血統が多大なる力を従え、抗わんことを願い。
分厚い紙に一枚、そう書かれているだけだった。
それを、アルセウス・イエーガーは実行に移してしまった、移してしまい、人間に酷似した生き物を生み出し、そしてそれを制御している。
帝王アルセウスは、それだけの力を持っているのだ。
「……俺が、これだって言うのか。人間に酷似した生き物だって」
「そうだ。お前は帰還兵士。帝国が作り出した怪物だ。恐らく別の門から地上へと上がったんだろう。だから我々が発見できなかった。もしかすると、お前の他にもいるのかもな」
エイクは唇を噛んだ。
悔しいはずだ。何も言い返すことができない。お前は化け物だと言われても、エイクにはそれを否定できる根拠が足りなかった。
「……それが、どうしたんだ」
精一杯の言葉がそれだった。強がることしか、エイクにはできない。
「帝国に尽くせ、エイク・サルバ——」
「絶対にリリーは裏切らない」
エイクの静かな怒号に、周りを囲んでいた兵士が反応して一斉に槍を降ろして首にあてがう。四方八方を刃物に囲まれたエイクだったが、怯むことはなかった。
怒り狂ったようなキツい目で、帝王を真っすぐ睨みつけていた。
「お前の力になんかなるもんか」
「そうか。ならば構わん。ヨルムンガンドの言うことを聞けば良い。どちらにせよ、同じことだ」
「なに?」
「リリー・エピフィラムはしばらく我々に従ってもらう。寝首をかく機会を伺っているのかもしれんが、そういうことで納得してもらった。聞きたいことは終わった。エドガーと言うことは変わらんな。地獄は奇麗なところだ。か。ふん、良いだろう。下がれ」
エイクは反論する暇もなく、兵士に連れられて部屋を出て行った。
部屋の外では獅子エドガー・ライムシュタインが立っていた。兵士は敬礼し、エイクを解放する。それを引き継ぐように、エドガーがエイクの隣に並んで歩いた。
「エイク・サルバドール。なぜお前はヨルムンガンドに従う。復讐の共などしていて、楽しいのか?」
「自分から言うのが、礼儀じゃないのか。あなたはどうして、あんな王様に、従うんだ」
エドガーは横目でエイクを睨んで、答えた。
「……俺とお前は、よく似ているのかもしれん。何かがが欠けているから、誰かに依存してしまう。……あの方は、お前が思っている以上に野心家だ。志は天より高い。我が帝国は外国からの印象が極めて悪いようだが、ここエルズアリアの城下を見たか? 男はよく働き、女はよく喋る。老人は柔和に笑い、子どもは外を走り回っている。帝王はこの城下を世界中に広めたいだけだ。世界征服など、その布石に過ぎん」
「…………」
エイクはまたしても何も言い返せない。
この話を聞くと、帝国が随分と人道的なことを行っているように聞こえる。エイクは咄嗟に反証を覚えるほど賢くはなかった。エイクも帝国に良い印象は持っていないが、それはリリーの話を聞いていたからだ。リリーがされたことを、知っているからだ。
それが帝国の一面にしか過ぎないということを、エイクはいま実感した。リリーにしたことを許すわけにはいかない。それはもちろんだが、帝国も背負うべき信念を背負い、掲げるべき正義を堂々と掲げて戦っている。
それはリリーとエイク、そしてレイモンドも同じことだろう。
同じなのだ。
それを認めた上でもやはり、エイクの気持ちは変わらない。リリーを裏切ることはできない。帝国がどれだけの人間を救おうとしていても、エイクには関係が無かった。そこまでエイクは大人ではない。
「エイク・サルバドール。お前はなぜあの女に従う」
「好きだからだよ」
世界ごときに邪魔されるほど、エイクの気持ちは軽くなかった。
*
白。白。白。
辺り一面、見渡す限りの白の大地。
白い地面には同じく美しい白い花が埋め尽くすように落ちている。
からりと晴れた青い空。そこに突き刺さるような白銀の柱は、どれもこれも美しかった。
しかし突如、その快晴の碧空に雷鳴が轟いた。瞬く間に厚い暗雲がどこからともなく流れて来て、太陽を隠してしまった。雲の裂け目を縫うように、銀色の雷が走った。
そして次の瞬間、巨大な川が決壊したかのように、とてつもない量の大雨が降り注ぐ。
大きな雨粒は白い花を打ち、花は世界の果てへと流れていく。
その土砂降りが、雷神トールの体を洗い流していた。
「……禊ぎの雨か」
トールは低い声で呟いた。
握られた雷槌ミョルニルから、だくだくと、だくだくと、鮮血が流れ出す。
落雷に輝く雷神の体は、赤い血にまみれていた。
「まさかこれほどまでとは……腐神の血は、へばりつくな……」
強烈な豪雨にも関わらず、雷神に絡み付く鮮血はなかなか流されなかった。しかしそれでも、雷神の足下は真っ赤だ。
どれだけの神を、殺したというのか。
どれだけの血を、浴びたというのか。
「この世界は終わるか」
雷神は、ふと辺りを見渡した。強過ぎる雨だが、雷神トールの目は遥か遠方まで見渡せる。白に包まれた暗いアースガルズ。神々の場所を、トールは果てまで見渡した。
神は既に、トールを残してもういない。
足下には、粘り気のある大量の血液が流されていた。
「……さすがに少し、疲れたか……」
ミョルニルを光の粒子に還して、ふらふらと歩き出した。蹴飛ばしたままだった『世界を見渡す腰掛け』を立て直す。送り出した大天使が帰ってこないことについては、もう諦めていた。
雷神は『世界を見渡す腰掛け』にぐったりと座り込む。
硬い椅子に父親のぬくもりは残っていない。
「……創造神……やつが元凶だ……神と人間を創り出したから、こんなことになった……」
怨恨の籠った声で、雷神は唸る。
「望んだものは、こうではない……。俺が、この俺が……新たな世界を……」
自分に言い聞かせるように呟いて、雷神トールは深い眠りについた。
アースガルズに降り注ぐ豪雨は止む気を見せない。
休息を貪る疲れ果てた雷神に、容赦なく降り注いでいた……
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