第二五話。世界軍胎動。

 港町ラクエール。


「ああ、遂に帝国に世界が取られたか……」


 ウインテル軍楽団の団長が、ため息混じりに呟いた。

 赤い軍服を着た男が、手紙を持って来ていた。

 山賊討伐の件でリリーに世話になって以来、ウインテル軍楽団は半ばヤケクソでリライジニアへ取っていた進路を変更し、目的も無い生きるための逃亡を繰り返していた。

 リリーに、そう言われたからだ。

 そう簡単に死ぬことができると思うなと。助けたのだから生きのびろと。軍神ヨルムンガンドに言われたからだ。


 リリーがリライジニアで帝国を落としたという話はウインテル軍楽団の耳にも入っていた。中央大陸南西から北上していたときのことだった。リリーに再び会うことを期待して、楽団はそのまま北へ、つまりラクエールへと向かっていた。

 そして着いたときに、このざまだ。

 帝国兵に囲まれ、手紙を渡された。

 全軍通達、と書かれていた。全軍とは何のことだと楽団長ヘリオット・シュトラウドが問うと、帝国兵は単純に答えた。

 全軍だ。我が帝国が侵略した国家における軍隊全てへの通達だ。

 それはつまり、ほとんど世界中の軍隊が帝都エルズアリアに集うということだ。その光景がどれだけ凄まじいものか想像できないヘリオットではない。


「しかし、何のために。こんなことをして、帝国への反逆が起きるかもしれないというのに……」


 いくら屈強な帝国軍と言えど、世界中の軍隊が束になれば無事では済むまい。エルズアリアに集う軍隊の敵は、つまり帝国なのだ。


「大義のためだ。我らが王の話を聞け」

「大義……。なんだ、世界を救うとでも言うのか?」


 ヘリオットは頭を掻きながら、手紙を畳んでポケットに入れた。

 それから顔を上げて、これもまたため息混じりに帝国兵に尋ねた。


「軍神ヨルムンガンドが捕まった、というのは本当か?」


 ラクエールに着いた途端に、その話は耳に飛び込んで来た。どうやら鮮度の高い噂らしく、だがそれを検証する前に楽団は帝国兵に囲まれたのだ。リリーを追ってここまで来たからには、その不穏な噂について聞かないわけにはいかない。


「ああ、つい先日のことだ。ウインテル軍楽団がここに来るから必ず呼べ、と言ったのも、軍神ヨルムンガンドだからな」

「…………それなら」


 行かない理由が見つからない、とヘリオット・シュトラウトは笑った。

 帝国が放った伝令により、大小様々な軍隊が北西大陸、帝都エルズアリアへと遠征を開始した。

 かつてこれほどまでの軍事力を動かした者がいただろうか。帝国軍に攻撃されて疲弊した軍隊とは言えど、世界の八割の軍が足並みを揃えて一点へと向かっている。

 これこそが、帝王アルセウス・イエーガーの力だった。



*



 エイクについては、比較的自由を与えられていた。

 そもそも拘束に意味が無い、というエドガー・ライムシュタインの進言のおかげだ。この赤毛の男ならば、鉄の鎖で繋いだところで引きちぎってしまうと。そしてリリーに絶対的な服従をしているために、リリーの命令にさえ気をつけていれば、暴れることはないだろうとも言った。

 エイクはレイモンドとレイラに挨拶を告げ、牢獄を出て行った。

 獅子と話をしたかったが、さすがに城内に入るわけにもいかない。そこで帝都を歩こうと思ったが、もう街を一人歩きする理由が無いことを、思い出してしまった。

 もう記憶を探る意味も、親を探す必要も、無いのだ。

 そう思った途端に、エイクの足は動かなくなった。城壁に囲まれた広大な庭で、エイクは立ちすくんでしまった。


「……もう——」

「伽藍洞」


 声が聞こえた。後ろを振り返っても、声の主は見つからない。


「こっちだ、こっち」


 声の主は引き寄せるようにエイクに囁いた。姿は見えない。足は勝手に動き出した。声が近づいて来たと思うと、また離れる。声の出所を探るように、エイクはいつの間にか走り出していた。

 城下町とは逆の方向へと、進んでいた。壁しか無いはずだ。だが城壁に小さな穴が空いていた。ちょうど人が一人、通れるくらいのものだ。どうやら声はそこから聞こえてくる。


 エイクは這いつくばって、穴を通った。

 城壁の内側から見えたように、何の変哲も無い森だったが、穴から続くように、獣道が作られている。エイクはどんどん奥へと進んで行った。秋が始まるせいか、赤い落ち葉が目立った。この森もきっと、冬になると枯れるのだろう。

 鬱蒼としている中を進み続けていると、急に開けた場所に出た。木々が円を描くように刈り取られている。人工的に作られた空間のようだ。

 そしてそこの中心には、巨大な石の彫刻があった。どうやら扉の形をしている。ヨツンヘイムの教会の扉くらいの大きさだろう。森の中にあるものとしては、異質過ぎる。


 石の扉には、細やかな美しいモチーフが彫られている。

 縁は立派な四角い柱のようだ。柱の全面には、はためく衣を纏った人間たちが複雑に絡み合っている。両開きの扉の下方には、美しい布を体に巻いた骸骨が静かに座っており、無数の剣や槍、様々な武具が背景を埋め尽くしている。それが上にいくにつれて少なくなり、今度は一人の人間が雄々しく立って上を見上げている。その人間に巻き付いている毒々しい布は、扉の下方から繋がっていた。人間が見上げる先には椅子に座った隻眼の老人がいた。老人の後ろに控えた恐ろしい形相の者たちも、真っすぐと人間を見下ろしている。老人の横に金槌を持って佇んでいる若い男には、雷のようなレリーフが絡み付いていた。

 エイクは長い時間、圧倒されていた。


「覚えてるか、伽藍洞。それが地獄の門だ」


 声が聞こえて、やっと気を取り戻す。エイクをここまで呼んだのは、道化師らしかった。

 道化師はエイクの隣に並んで、地獄の門を見上げる。


「お前の母ちゃんは、ここにぶち込まれたんだ。そこで魔人とまぐわって子どもを生めば、恩赦を受けられるって言われてな」


 エイクも、地獄の門をじっと見つめた。


「二十年くらい前だろうな。あの王様、結構サイコなんだよ。『帰還兵士量産計画』の資料は、代々加筆修正されていたとは言っても、発案は四百年前だからな。発案者は全てを知ってたが、あえて全部は書かなかった。魔人との間に子どもができるなんて話は、その四百年間、証明なんざされてない。ただ発案者が、確信があると書いただけなんだ。それをアルセウス・イエーガーは実行に移しちまうんだから、恐れ入る」

「俺の体は、魔人の力を引いてるのか? すぐに治るやつとか、怪力とか」

「まあな。だが勘違いしちゃいけんのは、魔人の全部が全部、半不死身かって言われると、そんなわけはない。魔人は異能を完全に再現するために、体の性質が作られるんだ。お前のはたまたま、そういう性質ってだけだ」


 異能、という言葉をエイクは聞き漏らさなかった。


「魔人ってもしかして、ペルット人のことなのか?」


 道化師は驚いたようにエイクを見た。


「……違うと言えば違う。同じと言えば同じ。それも含めて、そろそろレイラが話してくれる。聞きたいことを聞けば良いさ」

「アルフは、ここに何しに来たんだ」


 道化師は振り返り、ゆっくりと歩き出した。

 赤い落ち葉がぱりぱりと裂ける音がした。森の奥は既に、紅葉が本格的に始まっているようだ。乾いた風が、かすかに吹いた。

 切り株に腰掛けた道化師が、上を見上げた。青い空が、赤い葉に遮られて見えない。アルフの頭上から一枚、熟れた葉が揺れながら、落ちて来た。


「お前の様子を、見に来ただけだ」


 エイクは石の門から目を離して、アルフを見た。

 ざわざわと葉がこすれる音が響いた。森の深い方から、だんだんと近づくように。


「これからヨルムンガンドが動き出したら、お前は足を止められなくなる。今のうちにゆっくり休めよ」

「……どうしたんだ、アルフ?」

「どうもしないさ。いつも通りだ」

 アルフは立ち上がり、エイクに近づく。

 エイクの後頭部をがしりと掴んで、自分の額とエイクの額を軽くぶつけた。

「アルフ?」

「……地獄で待ってるぜ、

「アル——」


 それだけ言い残すと、アルフは口を閉ざして、そのまま消えた。

 いつも通り、煙となって。



*



 南西大陸最大の港町、アクアドグマ。

 帝王アルセウスの通達を受け、帝国植民地にある全軍団が集まろうとしていた。

 数回に分けてではあるが、アクアドグマはそれら大軍勢を収容できるほどの大きさを誇る街であり、当然、例外無く帝国に落とされていた。南西大陸侵略の拠点となっていたのだ。

 豊富な財力は帝国に奪われたが、だが帝王アルセウスは略奪をするのではなく、その港町を発展させた。あくまで帝国に優位な条件ではあるが、貿易で集まる利益も占拠前と後では比べ物にならない。

 この政策こそが、植民地の軍隊を根こそぎ動員することを可能にしたのだろう。


 だがアクアドグマは、壊滅していた。


 行軍第一波が集まったところで、巨大な街が、一瞬にして瓦礫の山へと変わってしまったのだ。

 言うまでもない。

 預言者の仕業だった。

 リライジニア……ヨツンヘイムで覚醒した預言者は、そのまま大規模な移動を開始し、南西大陸へと渡っていた。その圧倒的な力をもって、アクアドグマを破壊したのだ。

 アクアドグマという名前は、ノワル教典に出てくる港町の名前から取られていた。その聖なる豊かな町が、もはや焦土と化している。動くものは煙と瓦礫。生命など生き延びているはずがない。



三戦士が集う港アクアドグマ、だったか。名前に負けたな、愚か者どもめ」


 預言者は焦げた大地に突き刺さる巨木に立ち、戦禍を見下ろした。

 戦禍と言っても、最初から最後まで一方的なものだったが。


「次はどこだ。邂逅の地フォールダウンでも滅ぼすか……それとも灰色の死地グレイフィールドか」


 どちらもノワル教典に出てくる名前を冠した聖なる町だ。

 ノワル教で崇められる者がグランと名乗り、永遠の友となる男と出会った場所であるフォールダウン。その永遠の友と記される者が生まれた地、グレイフィールド。

 二つとも宗教的に極めて重要な場所であり、聖地を巡礼する信者たちの目的の場所の一つだ。

 世界的宗教となっているノワル教の重要拠点ということはつまり、人間が、大勢集まるということでもある。

 そこを預言者は、襲おうと言う。

 グレイフィールドもフォールダウンも帝国に植民地化されているが、もちろん帝国にもたくさんのノワル教信者がいることから、戦災を引き起こすような大きなぶつかり合いはなかった。暴動はあったものの、ペルジャッカを侵攻したときのような悲惨な結末は免れている。植民地化したあとも、街の姿を変えることはせず、聖地としての機能を奪うことはなかった。

 だから、巡礼者はいる。

 預言者がアクアドグマを襲った理由も、軍隊を潰そうと思ったわけではなく、人間を、殺したかっただけなのか。


「……いや、始まりアルフが準備に入ったな……。よかろう。どちらにせよいずれは決着をつけねばならんのだ」


 預言者は、煙となって消えた……

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