第十六話。死合う二人。

「お前ら他の船に飛び移れ。寄ってたかっても勝てる相手じゃあねえ。こいつの狙いは俺らしい。どこで恨みを買ったのか知らねえが、とことんツイてねえ……」


 アーノルド・コーウェンは二つの石ころを二本の剣に変えた。


「こんな化け物と喧嘩するハメになるとは、なぁ!」


 アーノルドは走り出す。一気にエイク・サルバドールと間合いを詰めると、剣による攻撃を繰り出した。

 二本の刀で、怒濤の斬撃を放つ。空気を切り裂く音がエイクの耳を打つ。速かった。隙間が無い。エイクは体を振って避けながら、機会を伺う……が、反撃のチャンスが見つからない。


 アーノルドが疲れる様子も無い。どうやら歴戦の猛者らしい。

 エイクは痺れを切らしたのか、後退の足を止める。唇を噛んだ。

 交錯する斬撃の嵐の中に、エイクは顔をしかめながら腕を突っ込んだ。アーノルドの顔が一瞬で青ざめる。予想外だ。エイクは腕を捻りながら伸ばしていた。剣の刃が太い腕に食い込む。血を吹き出しながら、更に腕を逆に捻った。筋肉に途中で引っかかった剣が、アーノルドの手を離れてしまった。


 二本の刃が突き刺さった腕を払いながら、逆の腕でアーノルドの頭を掴み、そしてそのまま甲板へと叩き付けようとするが、アーノルドはすかさずポケットから石ころを取り出し剣に変形させて、その腕を真っ二つに斬った。

 後ろに距離を取りながら、頭を掴んだまま付いてきた手首を乱暴に取り、海へと投げ捨てる。

 アーノルドは冷や汗を拭った。

 今の一瞬で息が上がった。


「あ、あぶねえ……」


 ばくばくと鼓動する心臓を、歯を食いしばりながら抑えつける。


「撲殺とか、シャレになんねえぜ、おい……」


 エイクは右腕が再生するのを待ち、できたての腕で刺さったままの二本の剣を取って捨てた。


「そもそもなんで俺のことを知ってんだよ、赤毛。暗躍が仕事だっての……。俺はお前に殺される覚えは無い!」

「暗躍っ!」エイクはマストを殴った。「女を騙すことか!」


 マストは悲鳴を上げて折れた。他の軍人たちはアーノルドの言う通りに、救命船で他の船へと移ってしまっていた。崩壊する船の上には、エイクとアーノルドしか立っていない。


「女? ああ、ああ! もしかしてお前、リリーの知り合いか! なるほどなあ!」

「お前がリリーって呼ぶなよ」

「あいつ生きてるんだってなあ! よくもまあ、生きてられるぜ! あんなことされて、よくもまあ——」


 黙れ、と言った気がした。

 しかしそれは最早、声ではなかった。アーノルドの体がふわりと浮いた。

 衝撃波だ。

 既に音という形は無くしている。船が揺れた。恐らく船の内部では、柱という柱が折れてしまっただろう。甲板はエイクを中心に板がさかむけ立つ。


 人間ではない。


 エイクは口を閉ざしながらアーノルドに近づいていく。一歩、また一歩。一瞬にしてぼろぼろになった甲板を、エイクは凍り付いたブーツで歩く。

 気を失わなかったのは、一重にアーノルドが歴戦の戦士だったからだろう。耳がやられて視界が歪むが、なんとか立ち、壁伝いに歩くこともできた。


 朦朧とする中、アーノルドは恐怖を強く感じていた。エイクの足音は、アーノルドの耳に届いていた。近づいてくるのがわかる。

 怪物が一歩一歩、近づいてくるのがわかる。

 段々と意識が戻ってきたようだった。背後の気配も巨大になっていく。アーノルドは本能で走り出した。足がちゃんと動き始めると、アーノルドはしかし、笑っていた。

 口を裂いて目を見開き、笑っていた。


「なんだよ。てめえ、リリーのなんだよ。なあ赤毛ぇ! リリーに会わせろ!」

 今度は咆哮の代わりに、巨木がへし折れる音が聞こえた。振り返ると、エイクがマストの最後の一本を折っていた。そしてそれを担いで……出鱈目に、振り回し始めた。

「ば、化け物め……こいつはやべえ……」しかしやはりアーノルドは笑っている。「はっはあ! リリーの裸は見たことあるかよ! 奇麗なもんだぜ! 今はどうだ? 俺が知ってるリリー・エピフィラムはまだまだ乳臭いガキだったが、随分とまあ扇情的な体をしていやがった! どうだ、今はどうだ! 色気は増してんのか、気になるじゃねえか、おい! ぎゃはは!」


 エイクは最早聞いていない。マストを直角に振り上げて、全身の力を込めて振り下ろした。船が真っ二つに折れる。様々なものが破壊される音が響いた。鋭利な木片が飛び交った。エイクの肩に突き刺さる。それを引き抜いて、アーノルドに向かって投げた。大きく外れたが、木片は木っ端微塵に弾け飛んだ。

 エイクはアーノルドを許せないのだ。リリーの昔の男だからという理由ではない。当然、エイクがそんなことでここまで怒り狂うことは無いだろう。

 一人の男として、アーノルドの存在が許せないのだ。


「あれは最高の仕事だった! 後にも先にもあれを超える仕事はねえ! ちっこいガキを誑かすだけであんなに金がもらえる! しかも最高の女と来たもんだ――」


 再び音圧が轟いた。

 先ほどはクッションとなった船がばらばらになってしまっている。衝撃を吸収仕切れなかった船が、一瞬で崩壊した。大きな波が起きた。他の船にまで木片が突き刺さった。二隻、波に食われて転覆しそうにまでなった。

 エイクが乗っているのは、既に船ではなく板きれの塊。はっと気付いて辺りを見渡すが、アーノルドが消えていた。波に飲まれたのかという考えが頭をよぎったが、そんなはずはない。

 こんなに簡単にやられるはずがない。


 岸の方を見てみると、いた。

 暗くてよく見えないが、確かにいた。石ころだろう。小型の船を作り、岸へと進路を取っていた。

 エイクは迷わなかった。可能な限り強く飛び上がる。足場となった板が砕けた。偶然、タイミングが重なったのだろうか、軍団を乗せるほどの巨大な船が、エイクが飛び上がると同時に波を割るように揺れた。飛んで距離を取ったあとにエイクは派手に着水し、力強く泳ぎだした。来たときよりも岸が近づいている。乱闘の最中に随分と進んだようだ。


 一方アーノルドは、まだ笑っている。

 石でできた船は、水中で刃を回して速いスピードで進んでいる。それでは足りないと判断したのか、オールを作って自分の力でも漕ぎ始めた。

 アーノルドも確信していた。あんな巨大な船が木っ端微塵になってしまったが、エイク・サルバドールは間違いなく追ってきていると。

 あんなに簡単にやられるはずがない。


「化け物め……この俺が、退治してやるぜ……。お前はライオン野郎のエドガーより、強いのかあ!?」


 げらげらとはしゃぎながら息を荒げる。破砕された木片で頭部を切ったのか、血が額を垂れてきた。

 それでも笑う。アーノルドは笑い続ける。まるで、楽しくて仕方が無いとでも言うように……


「ちっ……右の鼓膜がやられてやがる」


 もう岸はすぐそこだ。水温がもっと高ければ、アーノルドでも簡単に泳いで着くことができるだろう。

 ひひ、とくぐもった笑い声を漏らしたその時、船を進めていた回転する刃が止まった。

 いや、止められた!


「やっぱりなあ、出やがった!」


 アーノルドは一瞬で船を変形させる。薄い板のような形に石ころが伸びた。

 かなり遠くまで石は薄く伸びた。ポケットから石ころを次々と出し、半径を広げていく。


「窒息しやがれ!」


 アーノルドの声と同時に、円形に伸ばされた石が再び変形を始める。円の縁が海に沈み、ぐるりと袋のような形でエイクを海水ごと閉じ込めた。アーノルドは沈み始める石から飛び、他の石でまた先ほどの船を作った。

 刃物を回し、岸へと進む。だがエイクは止まらなかった。丸い石が、ばかりと割れた。エイクの砕けた拳が、海面で再生を始める。


 アーノルドの船は限界のスピードで海を走る。エイクは沈みきっていない丸い石を足場に使って、飛ぶ。船の残骸から飛んだときほど距離は稼ぐことはできなかったが、アーノルドに追いつくには十分だった。

 中空からの襲撃に、アーノルドは備える。

 石ころをスローイングナイフに変えて、投げる。エイクは片手で振り払うようにそれを弾いた。だが追撃のように手槍が影に隠れていた。エイク自身が落下していることも相まって、スピードのある手槍をかわすことはできなかった。


 しかし避けることこそできなかったが、エイクはその槍を左の掌に突き刺し、握って、止めた。

 アーノルドが目を剥く。

 すぐに気を取り直し、船をまた変形させた。岸までもうすぐだ。

 深く息を吸う。海面が揺れた。水の粒が飛び跳ねるような微振動がやがて大きくなる。


 それは海面から現れた。波及する水面の中心。せり上がる巨大な『像』がエイクに拳を振り下ろした。砂の塊。海水を吸った砂像の重量は想像を絶する。エイクが拳を突き出しても、当然ながら意味は無い。踏みしめる足場も無く、それでも力任せに振り上げられた拳を、砂像は正面からへし折った。海面に叩き付けられ、肩の骨が砕ける。海底まで墜落したエイクだが、そこはつまり足場だ。歯を食いしばって第二撃の迎撃に備えた。水中では拳骨に力が籠らない。迫り来る巨大な拳を、エイク・サルバドールは両腕で受け止めた。海底で起きた波動が海面に伝わる頃には、津波じみた衝撃と化していた。


 砂像の腕を伝って、エイクが海面から飛び出した。

 アーノルドはぞくりとするものを感じながら笑う。

 エイクは着水し、同時に泳いでアーノルドを追いかける。速い。石で作った浮く足場を走るアーノルドに、微妙に、しかし確実に距離を詰めていた。


 だが追いつくことは叶わなかった。遂にアーノルドは岸に着いてしまう。

 エイクは怒りのあまりに食いしばった歯を噛み砕いてしまった。

 アーノルドが浜を走ろうとするが、急に浜に明かりが灯った。浜辺を塞ぐように、端から端まで、松明の火が次々と灯されていく。


「な……!」


 アーノルドはエイクとの戦いに興奮するあまり、宗教大陸国家リライジニアの軍隊のことを忘れていた。未開の地の、不明の戦力。それを恐れることをすっかり忘れてしまっていた。

 だがそれは、愚かなエイクも同じだった。

 理性を失っているエイクは、浜に着いたが松明の炎など見えてはいない。そのまま一直線にアーノルドへと向かう。


 四つん這いで途方に暮れていたアーノルドに撃ち下ろされたエイクの鉄拳は、すんでのところでアーノルドにかわされて砂浜に着弾した。

 津波のように砂が舞い上がる。つぶてに食われたアーノルドは、全身が切り傷だらけになった。エイクは一瞬で傷が塞がる。

 避けるな、という叫びは衝撃波となってアーノルドの体のバランスを崩す。だが絶叫を察知していたのか、左耳に指を突っ込み、鼓膜を守っていた。巻き上げられた砂は松明の方まで飛んでいったらしい。悲鳴が聞こえ、そして松明がいくつかかき消された。


 エイクは走り出す。アーノルドが立ち上がる前にとどめを刺そうと考えたのだろう。低空飛行するエイクの拳は、またもや空を切る。拳の威力に自分の体が負け、首から肩にかけての腱がぶちぶちと切れる音がした。だが皮の中で触手が蠢き、すぐに繋がる。

 アーノルドはその隙に体勢を立て直す。


「なんだお前、もしかして怒ってんのか?」くく、とアーノルドは笑った。「リリーのために、そんなに頑張ってんのか?」


 エイクはゆっくりと振り返った。


「そうだよ」

「はっはあ! もしかしてお前……リリー・エピフィラムに惚れてんのか?」

「そうだよ」


 アーノルドは、げらげらと笑った。


「化け物同士、お似合いじゃねえか!」

「リリーは化け物じゃない」

「いいや、あの女は化け物だ!」


 違う、と叫んだ声で、アーノルドの左耳は破れた。崩れた重心で岩場に背中を思い切りぶつけた痛みと耳鳴りが、アーノルドを襲った。

 耳の器官がやられたのだろう。立ち上がることができなかった。

 エイクは砂を鳴らしてアーノルドに迫る。


「ああああああああああくそおおおおおおおお!」


 アーノルドは叫んだ。

 砂粒、全てがアーノルドの意識に呼応する。砂像が乱立を始める。真白い砂浜から砂を巻き上げ、のしりと巨人が這い上がる。

 棍棒を振るった砂像がエイクを吹き飛ばした。人の形をした巨大砂像が体から細かい砂粒を撒き散らしながら、エイクに向かって拳を振り下ろした。

 握りしめる。ありったけの力を拳に籠めた。一撃、打ち砕く。一撃、粉砕する。次から次へと襲いかかる重量と密度の暴力を、エイク・サルバドールは撃墜してみせた。


 その光景にアーノルドは絶句した。ぐらつく視界の中で、赤毛の男が山のような砂の塊を破壊していた。目にも留まらぬ速さで繰り出す正拳突きで、十からの砂像、二十からの拳を爆破した。


 最後の一体、遂に破壊が追いつかなくなったエイクを飲み込んだ。

 右半身を叩き潰された赤毛の男に、アーノルドは必死に追撃を加える。

 無限の刃物と化した砂浜がエイクに襲いかかる。前から、右から、左から、後ろから、上にも逃げ道は無い。いや、そもそもエイクは、逃げるつもりが無い。


 頭を隠すように腕を組み、無限の凶刃に備える。着弾。エイクの腹にずぶりと刺し込んだ。血が吹き出る。肉を断つ音が体のなかでこだました。あらゆる筋肉が断裂する。血管が破れる音が聞こえた。体の内部に侵入する憎き刃。その全てを受け切った。


 アーノルドの頭蓋では、甲高い音がまだ響いている。この刃の数、生きていられるものではない。

 だが、生きているのだ。当然のように。

 エイク・サルバドールは紛れも無く生きている。あの刃の嵐の中で再生した右腕で、一本ずつ砂の剣を引き抜いて捨てる。ざくり、ざくり。その度に血を流し、五臓六腑の破片を散らし、肺腑に溜まった血反吐を吐き出し、目は一点……アーノルド・コーウェンを睨みつけていた。


「お前がリリーを泣かせた」


 何を言っているのか、鼓膜が裂けたアーノルドにはわからなかい。だがその言葉に、今まで向けられたことがないほど強靭な殺意と怨嗟が込められているのだけは伝わってくる。

 怪物。まさしく化物。


「勝てる訳がねえじゃねえか、畜生!」アーノルドは叫んだ。小さな声では、自分のものでも聞こえない。「赤毛ぇ! あいつはやめとけえ! リリー! エピフィラムは! やめとけえ!」


 エイクは聞く耳を持っていない。


「あいつは! あいつは!」


 エイクはアーノルドの足首を持ち、引きずる。揺れる視界ではアーノルドも為す術が無い。死の底へ引きずられていく気分だ。


「あいつは何か持ってやがるぜ! あいつは! 何かを! 隠している!」


 エイク・サルバドールはアーノルドを仰向けになるように転がした。

 そして気力の無くなったアーノルドに、馬乗りになる。


「何か持ってやがるぞ! 化け物のお前と一緒だ! 何かが違う!」

「俺が化け物ならお前も化け物だろうがあ!」

「お前は何もわかっちゃいねえ! 良いさ! 教える義理はねえ! エルズアリアで自分の正体を聞け! アーノルド! コーウェンに! 言われたと言って!」


 エイクは拳を振り上げた。


「同じ男として忠告してやる!」


 エイクは歯を食いしばった。


「あの女はやめておけ!」


 エイクは渾身の力で、拳を振り下ろした。

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