第十五話。現れる男。

「なるほどな……確かにそれでは、新約神話を作ったのは誰か、という話になる……」


 帝王と道化師は対話していた。日が暮れるまで話をし、日が上ればまた話をする。

 道化師は本題に入るまでにある程度のイントロが必要だと考えたらしい。なかなか帝王に核心的な話はできないが、帝王自身、知らなかったことを知れるわけだからか、満足そうだった。


「ペルット人は神に滅ぼされた、か……。ラグナロクの件がある以上、神という存在は信じなければならんだろうな」

「それでアルセウス・イエーガー。やっと本題に差し掛かった。お前はペルット人について何を知っている?」

「不思議な力を扱うことができた種族……。そして神に対して反逆を起こし滅ぼされた種族。繁栄を極めた人類、ということくらいか」

「ふん。じゃあまずは『不思議な力』についてだな。ペルット人はいわば『魂』というものを持っていた。難しく考える必要は無い。言い換えればただの『異能の要因』だ」



*



 エイクは息を切らして東海岸に辿り着いた。

 帝国の船が小さく見える。エイクは見張り小屋の下にある兵舎に這入った。


「敵は?」


 エイクの声に、黒いローブの男が答えた。


「はい。いま『飛行系』の小隊が偵察に出向いています。いま得られている情報としては、敵軍の数は五百強。軍船は計十一隻。母艦と思われる巨大な船が一隻、中央を走っています。そして帰還者が一人」

「帰還者」


 エイクは兵舎にあった軍服に着替える。黄土色の軍服だ。


「はい。恐らく、石細工アーノルド・コーウェンと思われま——」

「アーノルド!」


 突如、エイクは激昂した。

 両手を叩き付けられた机は、真っ二つに破壊された。

 その名前には聞き覚えがあった。そうだ、確か道化師から聞いた。リリー・エピフィラムを誑かし、帝国の監獄島アルカルソラズに売り払った男の名前。リリーの過去に巣食う悪魔、アーノルド・コーウェン。

 憎き宿敵。


「アーノルドって言ったのか! 石細工! アーノルド・コーウェン! 船は十一個! アーノルド・コーウェンはどれに乗ってる!」

「ぼ、母艦に……」

「真ん中のでっかいやつだな!」


 エイクは踵を返してドアを乱暴に開いた。制止の声が聞こえるが、止まる気は無い。

 止まれるわけがない。

 リリーを帝国に売った張本人を前にして。

 リリーを泣かせた男を前にして。

 エイクが冷静でいられるはずがなかった。

 そして海岸まで辿り着くと、先ほど着たばかりの軍服の上着を脱いだ。

 躊躇いもせず海に飛び込んだのだ。この極寒の地で、エイクは泳ぎ始めた。ともすれば海すらも凍っておかしくはない温度で。

 普通の人間が、無事でいられるはずがない。

 兵舎にいたヨツンヘイムの軍人らも慌てて飛び出すが、止められるはずもない。エイクの目的は間違いなく帝国の母艦だろう。泳ぎ切れない距離では無いが、水温は氷点下だ。波がなければ既に凍り付いている。

 ヨツンヘイムの軍人らは、驚愕していた。みるみるうちに進んで行くエイク・サルバドールの背中を見て、口を開けるばかりだった。


「あれが……混血の力……」


 呟く声がエイクに届くはずもない。

 エイクは無我夢中に、一心不乱に泳ぎ進める。エイクのスピードも凄まじいものがあるが、船も前に進んでいる。時間にしてはそれほど経つ間もなくエイクは船団の近くまで来た。

 索敵の範囲まで来ると、エイクは息を大きく吸い込んで海へと潜る。海岸には明かり一つ無いので、帝国は奇襲が成功していると思い込んでいる。

 その安心しきった母艦の腹に、エイクは張り付いた。木の裂け目に指を差し込みこじ開けようとするが、水中ではうまく力が出ない。爪が剥がれてしまった。エイクは振り落とされないように注意しながら、徐々に船を這い上がっていく。水面から顔を出すと、ぜいぜいと息を上げながら、右腕を振りかぶった。指を伸ばして突き刺す。指がぐしゃぐしゃに折れる。しかし触手が生え、例の如くあっという間に再生した。そしてもう一突き。ばきりと板が割れ、エイクの腕が船へと這入った。

 突っ込んだ右腕を引っかけて引っ張ると、船底に人が一人通れるくらいの穴が開いた。エイクは這い上がる。


 暗かった。船の底が二重の構造になっているのだろう。中腰で歩かないと頭をぶつける。その天井をまた殴り壊す。人の声がした。誰かいるようだ。

 エイクが底から出ると、二、三人の悲鳴が聞こえた。エイクはその二人を睨みつけるだけで歩いていく。船は広いようだった。甲板に上がるための階段、もしくは梯子が見つからない。警報の鈴が背後から鳴った。

 けたたましい金属音が鳴り響くと、すぐに上が騒がしくなった。

 まさか海の中から侵入されるとは思わなかったのだろう。司令官のものと思われる怒鳴り声がエイクの耳にまで届く。エイクは天井に手を伸ばす。指先が届いた。

 それならば。

 と言わんばかりに、拳を握って振り上げた。板が破れる。当然、エイクの拳もぼろぼろになるが、やはり一瞬で再生してしまった。


 穴から這い出ると、甲板の空気が固まった。

 侵入者が板を突き破って出てきたのだ。破天荒なんてものではない。このようなシチュエーションがあり得るはずがない。

 誰しもが固まってしまった中、顔色の悪い男が、よろよろと歩いてきた。


「おまえ……どこから来た……」


 男は船酔いをしているようだった。身長の高い引き締まった体を、不自由そうに引きずっていた。


「……上陸させない」


 エイクは立ち上がる。

 その動きに気がついてか、銃を構える音があちこちから聞こえた。


「石細工アーノルド・コーウェンが乗ってるんだろ」


 ざわつく。司令官の指示が響いた。可能な者が陣列を組む。一発しか撃てない銃の特性を補うための陣列。普通は騎馬隊を正面から撃滅するためのものだが、今はエイク一人に対して並んでいた。


「出てこないなら! この船を、沈めてやる! 出てきたら船ごと沈めてやる!」


 撃ち方用意! と声が轟いた。間髪入れずに撃ての指示が下り、火薬の炸裂する音が船上に響く。

 エイクはその場から消えていた。硝煙の向こうには誰もいない。その代わり反対側の方で、板が砕ける音がした。エイクが組んだ両腕を振り下ろし、船の縁を叩き壊していた。

 船酔いの男は盛大に嘔吐して、口を歪める。笑っていた。

 手の甲で口の周りについた吐瀉物を拭いながら、ゆっくりと立ち上がる。

 そしてポケットから石ころを取り出した。エイクが飛び回りながら船を破壊していく様をぼうと観ていた。


「なんだ、あいつ……。ありゃ間違いなく『異能』だが……。なんだ、モノを風化させて脆くする類いか?」


 男はそろそろ見えてくるはずの岸の方を見た。


「あそこからどうやって来た……。船を漕いで来たんなら、もっと早くにわかるはずだ。まあ、根性あれば泳げない距離じゃあねえが……寒いだろ。寒くて、死ぬだろ……」


 男は目を細めた。


「いや、いくつも能力を持ってんのか。その線はどうだ。くく、しかし見てみろ……カワズのように飛びやがる。空気でも、操るのか」


 男は近くの兵隊から銃を奪った。導火線に火をつけさせる。照準を覗き、狙いを定める。引き金を引く。

 当たった。

 当たったが。


「なんてやつだ、反応しやがった!」


 確かに頭蓋を貫くはずだった弾丸を、エイクは避けた。急所の一撃が、耳のかすり傷に留まってしまった。


「はっはあ! びっくり人間が来やがった! 撃ち方やめろ、雑魚ども!」


 男は銃を捨てて走り出す。手のひらの中で二つの石ころを転がしていた。

「お前の尋ね人はここだぜ、赤毛ぇ!」船酔いしていたはずの男の目が、急に爛々と光った。「俺がアーノルド・コーウェンだ!」

 船酔いの男……いや、アーノルド・コーウェンは右手の石ころをエイクに投げつける。二つの石ころはエイクに近づくと、爆発するように中から針が飛び出す。

 危険を察知していたエイクは石ころから距離を取っていた。

 アーノルドがイガのようになった石に触れると、また小さい石ころへと形が戻った。

 薄ら笑いを浮かべながらエイクを振り返る——


「お前がアーノルド・コーウェンかああああああああああああ!」


 怒り狂ったエイクの表情に、ぞくりと寒気が走った。食いしばり過ぎて歯が割れたのか、血液が口から吹き出していた。

 その両腕の筋肉もはち切れんばかりに膨張する。握りしめられた拳は、それこそ岩石のようだった。

 エイクが見えなくなった。違う。エイクの拳が、一瞬でアーノルドの視界を埋めるまで接近していたのだ。アーノルドは、これが必殺の威力を持っていることを刹那に理解した。ただのパンチが、まるで爆弾のような破壊力を持っていることを、理解した。

 空気が潰れる音が聞こえる。ぎりぎりのところで避けた。

 アーノルドは体勢を崩しながらも距離を取る。とにかく間合いから出なければと思った。


「あ、ありえねえ……」


 エイクは自分の拳の威力に引っ張られて吹っ飛んでいた。ぶつかったマストが豪快な音を立てて折れた。

 アーノルドは拳の石ころを変形させた。金槌のようだ。柄が長いのは、間合いを取るためだろう。

 倒れ込んでいるエイク目がけてハンマーを振り下ろす。エイクはそれを転がって避けた。アーノルドはかわされた一撃を止めることなく、直角に振ったハンマーの軌道を変えて斜めに流し、そのまま勢いを殺すことなく横なぎの第二撃を繰り出す。

 エイクはとんぼ返りで立ち上がりつつハンマーを飛び越えた。


「なんだと!」


 エイクの足が地面につく前に、アーノルドはハンマーを捨てて横に飛んだ。巨大なハンマーは小さい石ころへと戻った。

 さっきまでアーノルドが構えていた場所を、エイクの拳が通過した。またもやもの凄い音を立てて船が破壊される。


「避けるな!」


 瓦礫を振り払いながらエイクは怒鳴る。


「馬鹿言え……」アーノルドは石ころを拾う。「何者だよお前!」

「うるさい黙れ!」


 エイクが立ち上がるとアーノルドは身構えるが、今度は突進じゃなかったようだ。エイクはつかつかと肩を怒らせてアーノルドに歩いていく。

 アーノルドは半身をずらすだけで動かなかった。

 エイクは鼻息を荒げて歩く。間合いに届くと拳を握って振り上げようと——

 その瞬間、アーノルドの背後から灰色の刃物が襲いかかってきた。石を変形させたのだ。

 エイクはそれを読んでいたのか、首を動かして難なく避けた。


「動くなよ……」


 冷や汗が流れたアーノルドの顔をよく狙い、正拳突きの姿勢を作ると同時に……


「お前が動くな、化け物」


 どすりと、エイクの腹から先ほどの刃物が飛び出した。

 エイクは目を見開く。血が逆流し、口から吐き出す。

 きりきりと首を回して振り返ると、よけてやり過ごした刃が、折り返して来ていたのだ。


「石細工……」

「ふん。どういう能力なんだよ、馬鹿力やろう」


 エイクは顔を歪めた。突き刺さった刃物が横に動く。肉や骨を断ち切る音を立てて、エイクの胴体を半分、真っ二つにしてしまった。半月状に斬られた傷口から、内臓がぼとぼととこぼれ落ちる。

 膝が折れた。

 流血が凄まじい。


宗教大陸国家リライジニア……なんてところだ……。帰還者がうじゃうじゃいたりするんじゃねえだろうな——」


 石ころを戻しながら目を剥く。

 エイクの腹から、明らかに腸でないものが飛び出していた。うねうねと蠢くそれは、飛び出た内臓を噛み切っていった。そしてその切断面からも、また謎の触手が生えてくる。

 エイクは息を荒げて動けない。

 触手は袋状に編み込まれていき、まさしく内臓の形となって腹の中へと収まった。他の触手は神経のような糸を編みあげ、骨を象り、それを支える筋肉を作って、最後に皮膚へと変わった。

 傷口が、完全に塞がった。


「お前それ……もしかして……生体変化……? 獅子と……エドガー・ライムシュタインとは効果が違うが……」


 船上は静かだった。


「まさか…………なの、か……」

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