第十四話。案じる女。

「驚いたな……」帝王は執務室で顔を上げた。「来たのか、道化師が……」


 はい、と返事するのは獅子エドガー・ライムシュタイン。エドガーも信じられないようだった。それもそうだ。探しに行こうと出たら、そこにいたのだから。


「いかがいたしましょうか」

「直接行こう」


 帝王アルセウスは立ち上がった。書類を適当にまとめ、机の端に置いておく。

 執務室を出て謁見の間にある王座に座ると、道化師は目の前に突っ立っていた。

 何も変なことはしていないかのように、だらりと、立っていた。


「君が王様か。確か名前はアルセウス・イエーガーだったな」

「……お前が道化師か」

「おいおい!」道化師は両手を上げた。「なんでお前はそんなに偉そうなんだ!」

「無礼者が!」


 獅子は横から道化師に組みかかろうとするが、帝王の一喝で黙り込む。


「済まなかったな、道化師。だがお前の素性がわからん以上、身分も知ることも叶わん」

「ふん……イエーガーの末裔としちゃあ出来た人間だ!」

「なんだと?」


 帝王は驚いた。

 イエーガーの末裔?


「どういうことだ?」

「それは実際どうでもいいのさ。よう、アルセウス・イエーガー。お前に面白いことを教えてやる。その代わりに、二、三、俺の質問にも答えてくれよ」

「面白いことだと?」

「ああ。例えば『帰還者について』。例えば『地獄について』。例えば——『ラグナロクについて』」

「お前やはり何か知っているのか」


 アルセウスは手に力を込めた。やはり読み通り、道化師は何か知っていた。


「まあ待て、焦るなよ。お前は王様だろ。王様ってのは、焦っちゃだめだ。もしかしたら用事ができて急に帰るかもしらねえが、未来のことはこの際気にせず、じっくりゆっくり話そうや。それにラグナロクについて知るには、まずは前置きとして帰還者と地獄について知っておかなきゃならない」

「こちらにもまだ知りたいことがある。『エピフィラム家の呪い』というのは、いったい何だ。お前ならばエピフィラムの名くらいは聞いたことがあるだろう。何か、知っているか?」


 どうやら道化師がリリーの行動に肩入れしているのは、気付かれていないらしい。この分ならば、帝王はリリーの動きを知らないなと道化師は推測した。無論、それは帝王が無能なのではなく、リリーが有能過ぎるだけだ。

 無能ならば一つの国をここまで大きくはできない。


「『呪い』ね……そいつはまだ機会が早過ぎるな。さあ、司会の言うことを聞けよ、王様。まずは全ての元凶、元祖人類の話さ……」



*



 エイク・サルバドールはドアの前で冷や汗をかいていた。図書館での会話を最後に、リリーとまともに話をしていなかった。

 元々まともに話せるエイクではないが、それでも会話が全く無いのは辛かった。時間があるうちに調べものを済ませておこうと思っても、図書館の前にはリリーの目があり、入ることができない。なぜか出入りを禁止されているのだ。

 そしてエイクは今晩、リリーの部屋の前に来た。

 こんなことは初めてだった。エイクは旅の間、リリーの部屋に入ったことなどない。

 エイクは緊張していた。生唾を飲み込む。そして怯えながら、部屋の扉を叩いた。


「誰」

「ええエイク・サルバドール!」


 なぜか声を張り上げてフルネームで名乗ったエイク。よほど緊張しているのだろう。声が震えていた。

 リリーはドアを開けた。大きなサイズの服に、緩いシルエットのズボンを履いていた。


「……はいりなさい」

「はい!」


 またもや威勢の良い返事で答えた。エイクは右手と右足を同時に出して歩き出し、リリーの部屋に入った。宿舎なので、エイクが寝泊まりしている部屋と見栄えは変わらないが、散乱しているペンと紙は、エイクの部屋には無いものだ。


「もう帝国軍がすぐそこまで来てるから、その準備で部屋は散らかっているけど。あなたも戦闘準備をしなさいよ」

「わかった……」部屋に入るなりエイクは硬直していた。「り、リリー……」

「エイク」

「はい!」


 と、出鼻をくじくようにリリーに口を開かれ、律儀にそれに返事をするエイク。


「……あなた、図書館で何を話していたの」


 マリアはリリーに言わなかったのだ。それがリリーの不安を煽り、エイクを図書館に近づけないような形になってしまった。


「あ、え、き、かん……帰還者について、調べようと、した!」

「帰還者……」リリーは訝しむような目をした。「何のために?」

「俺は帰還者だけど、その帰還者が何なのか、なんていうかその……帰還者って何なのか、わかんなくて……」

「…………」リリーは黙り込んだ。言葉を選んでいるようだった。「地獄に降りて、『異能』をその体に宿した者のこと、じゃいけないのかしら」

「その『異能』っていうのは、いったいなんなんだ?」

「……そうね。それも今度、レイモンドが聞いてきたときに一緒に聞くと良い」

「教えてくれるのか」

「ええ。あなたが嫌じゃなければ」

「わかった。じゃあ、また、今度……」


 エイクは少しほっとしたように肩を下ろした。先ほどよりも表情も和らいでいる。

 そしてリリーの部屋から出ようとしたとき、遠くから銅鑼の音が響いた。

 東海岸にある見張り小屋からの合図だ。


「ほら、帝国が来た。エイク、着替えるから部屋を出なさい。東海岸の前線に向かって!」


 リリーは準備を始める。エイクは頷き、部屋を出た。リリーは服を脱ぎ、防寒用のヨツンヘイム軍服に着替える。散らばった紙をかき集めて丸める。赤いローブを羽織って部屋を出た、そのとき——


「リリー・エピフィラム!」


 がしりと背後から肩を掴まれた。振り返ると鬼の剣幕のレイモンド・ゴダールがいた。ついさっきまで外にいたのだろう。肩や頭に雪が乗っている。ぜえぜえと息を切らしていた。


「仕事の報酬をもらう!」

「今は——」

「いいや今だ!」


 レイモンドの鬼気迫る雰囲気を読み取り、リリーは黙った。レイモンドを睨みつける。ヨツンヘイムまで舵を取ったレイモンドが、その報酬を寄越せと言っている。



 レイモンドは息の継ぎ目から漏らすように、だがしっかりと言う。


「一昨日から聞いてまわった! この帰還者の山でな!」レイモンドはリリーの両肩を強く掴んだ。「地獄の記憶は残らない! おかしいのは俺じゃなくてエイクだ!」

 リリーは何かを覚悟したようだった。


「しかも、おい! 、体のつくりは変わらないそうだ! 超常的な現象を外部に向かって起こすだけ! 俺のようになあ!」


 レイモンドはリリーを強く揺さぶった。


「でもエイクは違った。あいつは……あんな怪力と治癒能力なんて、体のつくりがまるで違う! いい加減にしろよリリー・エピフィラム。エイク・サルバドールは、いったい何者だ! お前ら、いったい何を隠してる!」


 レイモンドが口を開こうとした、その瞬間、宿舎のドアが勢い良く開かれる。


「ヨルムンガンド様!」


 黒いローブの男が息を切らしながら這入ってくる。


「帝国軍に……石細工アーノルド・コーウェンがいます……!」

「な……!」


 リリーの目が驚きに開かれる。途端に脱力して肩が落ちた。徐々に動悸は激しくなってくる。瞬きを何度かして気を取り戻す。歯を食いしばって胸を抑えた。鼻息が荒くなる。ただならぬ様子だ。

 忌まわしき記憶がリリーの脳裏を駆け巡った。

 アーノルド・コーウェン。その名を、無邪気な声で呼ぶ自分の声が、聞こえた気がした。アーノルド、アーノルド! 石細工は長身だった。幼いリリーには、その大きな背中が自分をこの世の全てから守ってくれるように感じた。だが幼いリリーはその淡い気持ちを、誰にも話すことなく胸に秘めていた。アーノルドがそう願ったのだ。世間どころかレイラ以外のエピフィラム家に公表することもなかった。しかし毎晩毎晩、皆が寝静まった頃、リリーは平民街に出掛けてはアーノルドと会った。

 アーノルド。石細工、アーノルド・コーウェン。


 ——帝国に、リリーを売った男。


 消し去りたい記憶に巣食うあの忌々しい男。石細工アーノルド・コーウェン。今まで思い出すことは無かったが、その男が、何の因果かここまで来たという。リリーは拳を握った。圧迫されて皮膚が白くなる。虚ろな目の奥底に、いくつもの策が生まれた。どれも全て酷たらしく、アーノルド・コーウェンを虐殺するものだった。

 どうしたらアーノルドを生け捕りにできるか。どの爪から剥ぐか、どの四肢を落とすか、どちらの目玉から抉り取るか。残酷な妄想だけがリリーの脳を覆い尽くす。

 しかしその邪悪な雑念を追い払うように、ふと、エイク・サルバドールの顔が浮かんだ。


「エイクは!」

「お、お会いしておりません……」

「雨男……急いで、急いで……エイクを止めなさい!」

「まだ話は終わってない!」


 食い下がるレイモンドを見上げたリリーの顔は、今まで見たこともない表情をしていた。切なそうな、苦しそうな、そして体のどこかが痛んでいるような、今までの冷たいそれとは真逆をいく、体温に満ちた顔。明らかにうろたえていた。

 レイモンドは何も言い返せなかった。


「……話はあとで聞くからな」


 ドアを蹴破るように出る。馬を貸せと怒鳴る声が聞こえた。

「お願い……」リリーは祈るように声を絞り出した。「お願いエイク、あいつと戦わないで……」


 壁に手をついて、胸を刺す不安に耐える。アーノルド・コーウェンとエイク・サルバドールを会わせてはならない。恐らく帝国の要人にまで上り詰めているアーノルド・コーウェンは、きっとを知っているはずだ。

 エイク・サルバドールのに、感づくはずなのだ。


「エイク……まだ……あなたがここでそれを知る必要は無い……!」


 リリーはいつの間にか走り出していた。

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