第十三話。染まる頬。
エイクは雪の街をうろついていた。新しい土地に来ると、エイクは必ずこうして街に出て、自分の出生の手がかりが無いか聞いて回っていた。リリーの配下につく前、道化師と組んでいた頃からやっている、儀式のようなものだ。
「人、少な過ぎるなあ」
人が少ないのは建物の外だけというわけではなく、街自体に人があまりいないようだった。酒場に行っても、カウンターの中に店主と思しき男が一人いるだけで、あまり話は聞けそうになかったので、覗いただけで入るのをやめた。
それは街の人間が今は教会にいるというだけなのだが、エイクには知る由も無い。
どうしようかなあ、とエイクは呟いて、きょろきょろと辺りを見渡す。本当に人が歩いていない。
体が頑丈だからか、寒さは感じてはいるがさほど深刻ではないようだった。しばらくは歩き回れそうだなと思いながらも、収穫は無いかもしれないと早々に諦めかけてもいた。
大通りをとぼとぼと歩いていると、図書館を見つけた。
「これだけ周りから離された場所でも、言葉とか、字とかは同じなんだな」
エイクは図書館を見つけたことを嬉しく思った。同時に、自分が各看板をちゃんと見分けられていることにも気づいて、不思議に思った。
航海不能の海と険しい山々で断絶された世界でも、文字や言葉が同じなのはおかしいと、エイクは考えた。
ふと目に入った図書館に入ろうと思った。エイクは本が好きだ。あまり字を読むのが速いわけではないが、本の中には色んな世界が描いてある。
図書館の明かりは灯っているから開いてはいるのだろう。
小さい階段を上り、きい、と音を立てて木の扉を開く。
エイクは顔だけを中に突っ込んでみた。司書だろうか、眼鏡を掛けた長髪の女がエイクに気付き、にこりと微笑んだ。
それをエイクは『開館中』のサインだと受け取り、中に這入った。
図書館の中は暖かかった。外から見ると石造りだったが、中からは暖を取るためか、木が隙間無く敷き詰められているため、視覚的にも暖かい。蝋燭の橙色の明かりが揺れている。
「あなた、ああ、あなたがエイク・サルバドール……『伽藍洞』さんね」
眼鏡の女が近寄ってきた。色素の抜けたような銀色の長い髪は後ろに束ねられている。
「……髪」
エイクは一生懸命喋ろうとするが、無駄に口を動かした結果、出てきた言葉はそれだけだった。
「髪……髪……あの……髪……」
「髪?」狂気的に髪、髪、と繰り返すエイクに表情を引きつらせる。「あ、ああ、もしかして髪の色のこと?」
こくんこくんとエイクは頷く。心なしか笑っているようだった。通じたのが嬉しいらしい。
「外の人からすると、珍しいらしいわね。ここの人は、基本的にこの色なの。まあ、私はここの生まれではないけど……特に意味は無いわ。どこかで血が混ざったのかしら?」
冗談混じりに、ふふふと笑いながら、女は束ねた髪を肩から垂らし、右手で弄んだ。
「伽藍洞さんの髪の色は、北西大陸に多いらしいわね」
女は笑いながら話した。エイクは自分の赤毛を引っぱって視界に入れてみる。
「あの、ここは、図書館? ですか?」
「そうよ。図書館。本の数は、他の大陸の図書館に比べると、少ないかもしれないけれど」
女は歩き出した。
「え、あ? あれ?」エイクは気付いたような声を上げた。「なんで、俺の名前を?」
女は少しのあいだ固まってしまった。次第にふふふと笑い声を漏らし、最後には腹を抱えて大笑いしていた。
「な、なに……」
「いえ、あの、伽藍洞さん、あなた……面白過ぎる……」壁に手をつき、ひいひいと喘ぎ始めた。「アルフに聞いた通りの子……」
「あ、あー、アルフに聞いたのか」
合点がいったようだった。
「アルフと、知り合いなのか」
「ええ。私とは旧い仲よ。それに彼はこの街の人とは仲が良いわ。外の話をいろいろしてくれるの」
エイクは怪訝な顔をした。自分が知っているアルフ像と雲泥の差があったからだ。エイクにとってアルフは、厳しく、五月蝿く、そして怖い。面倒見が良いし優しい面があるのはわかるが、しかし喜んで話をするようなやつではないとエイクは思っていた。
「それは、本当にアルフかな……」
「アルフよ。それより、図書館に何を探しにきたの?」
あ、とエイクは本題を思い出した。
「地獄について詳しく書いてある本とか、ないのかな、……ないのですか」
「ああ、それならヨツンヘイムの図書館は強いと思うわよ」
「よつん…………ん?」
エイクは首を傾げた。
「ヨツンヘイム。ここのこと。ヨツンヘイムっていう名前があるの」
「この図書館のことか?」
「う……脈絡を読んでよ……」噛み合ない会話にハラハラしながら訂正した。「この大陸のこと。
「ふーん」
「きょ、興味なさそうね……」
エイクの興味は既に女の話から聳え立つ本棚の方に移っていた。
床が軋む音を立てる。断熱材の木材は年季が入っているようだ。エイクは自然と歩を進め、童話や絵本が陳列されている棚の前に立っていた。
トム・バスの本を見つけた。
「トムの本だ」
エイクは顔を輝かせた。トムの本が本棚に並んでいるのは珍しい。売り切れるからではなく、ただ人気がないだけなのだが……
「トム・バスが好きなの、伽藍洞さん?」
「俺、トムに育てられたんだ。ずっと。名前も、トムからもらったんだ」
エイクは絵本を一冊手に取った。
「ああ、そうだったわね。アルフから聞いた。あ、そうだ、私はマリア。よろしくね、エイクくん」
司書はマリアと名乗り、握手を要求する。エイクはそれにどぎまぎとしながら応じ、手を取った。マリアはにこりと微笑む。
エイクは手を離して、ページをめくった。大雨の中、少年が佇んでいる絵が描かれている。
「伽藍洞さんは、それ、好き?」
「俺はトムの本は全部好きだよ」
「ふふ、きっと喜んでいるわ」
マリアは笑った。それにつられて、エイクも笑っていた。いつもより饒舌なのは、大好きな人のことを話しているからだろう。トムの無惨に風穴が穿たれた頭を、思い出してはいない。
エイクはページをぱらぱらとめくった。最後は、少年のモノローグで終わっていた。
「伽藍洞さん、探してたのはトムの本?」
「あ、いや、違う」
パタンと閉じて本棚に戻す。
「そもそもさ、帰還者っていうのは、なんなんだ」
エイクはまたもや勝手に歩き出す。しかしどのコーナーに足を運べば良いのかがわからず、困った顔でマリアを見た。
「何冊か持ってくるから座ってて」とホールの方を指差す。頷いたエイクが席に着くのを見届けてから、本を物色し始めた。
エイクは落ち着かない。きょろきょろと目を動かしていた。リリーのことが気になっているのだ。話では教会に行くということだったが、それにしては遅くないかと案じていた。リリーが来ずとも、レイモンドか街の者が探しに来ても良い頃じゃないかと思っていた。
ラクエールの酒場でアルフに蹴飛ばされて気を失って、意識が回復した頃には宿にいた。そのときのレイモンドの表情を忘れることはできないだろう。リリーの話を聞いたのだとすぐにわかった。
愛した者に裏切らた上に、最大の敵である帝国に捕縛され、監獄島アルカルソラズに収監される。そこでおぞましい実験に使われ、二年間、女として、人間としての尊厳を踏みにじられたリリー・エピフィラム。
その話を聞いて平気な顔をしていられるわけがない。
レイモンドはエイクが起きたのに気付くと、頭を下げて謝った。すまなかったと、言ってきた。リライジニアには死んでも送り渡してやると言った。
エイクにレイモンドを責めることはできない。頑張ってくれと言うだけだった。そんな表情ができるなら大丈夫だとエイクは思った。
先ほどもレイモンドがついていればリリーは大丈夫だろうと思ってエイクは食い下がらなかったのだが……
いつの間にかぼうとしていると、マリアがいくつか本を積み重ねて持ってきた。どれも分厚く、埃臭そうだ。机に本を置いて、エイクの背中に回る。
マリアは一番上の本を開く。帰還者について書かれた論文のようだった。
「結構昔のものだけど、ヨツンヘイムで書かれたものよ」
エイクの顔の横から手を伸ばし、ページをめくっていく。
「『帰還者』とは……」
マリアが一文を読み上げようとしたとき、図書館の扉が開く。木の床を軋ませて誰かが入ってきた。
「……エイク」
リリーだった。
ローブを羽織り、寒そうにしている。
「何してるの」エイクを見て……というよりも、その背後にいるマリアを見て少し怪訝な顔をする。「先に雨男と宿に行ってて」
「あの、ちょっと待っ——」
早く、とリリーは言葉を遮った。
「…………はい」
エイクは席を立ち、マリアに「ありがとうございました」と礼を言って出口に向かう。エイクはリリーを見たが、リリーはエイクと目を合わせようとはしなかった。
外に案内がいるからその者について行けとだけ言って、エイクを外に出す。
マリアは何か、ずっと笑いを堪えているようだった。
「初めまして、ヨルムンガンド様」
リリーは眉根を寄せた。睨んでいる。あからさまにマリアを敵視しているようだ。
「エイクに何を教えたの」
「何も。あの件については、アルフにも聞いていますよ。『伽藍洞』と呼ばれている本当の意味も知っています。でもアルフは気にするなと言っていました。何を教えようと君の勝手だと」
マリアは本を閉じる。やはり埃が舞った。
「アルフが言ってましたよ、あなたは誰の事も名前で呼ばないけれど、エイクのことだけは何があっても『エイク』と呼ぶんだと」
そのセリフを聞き終わる前に、リリーの顔はあっという間に赤くなった。
ローブの中の握り拳は、わなわなと震えている。
「ふふ、かわいい」
「な、な——!」
「私は一発で気付きましたよ。あなたが私を見て不機嫌になったこと。大丈夫、誘惑なんてしてません。私には旦那がいますからね」
「ぶ、無礼者——」
「ヨルムンガンド様。伽藍洞さんは、きっと不器用ですよ」
リリーは黙り込んだ。顔を赤くして歯を食いしばっているが、目だけはマリアを依然睨みつけたままだ。
マリアはそれを見て微笑む。
「私はヨツンヘイムの民とは言っても、そこまで『ラグナロク』に固執してるわけじゃない。だから帰還者にもなってない。ですけど、あなたは確かに偉大な方です。でも、過去に引きずられて未来を捨てることはないじゃないですか」
「生温いことを」
「今まで辛い思いばっかりだったのに、まだ頑張ろうとしてるんですね。好きな男の子を直視することもできない人が」
リリーは何も考えないうちにマリアに掴み掛かっていた。マリアは仰向けに倒れ、リリーが馬乗りになっている。胸ぐらを掴みながら、リリーは声を張り上げた。
蝋燭の火が揺れた。
「何がわかる!」
目を反らさなかった。リリーもマリアも、相手の目を真っすぐと見ている。
「あなたに何がわかると言うのよ……」
「何もわからないですよ。全く、何も」
「アルカルソラズを脱出するとき、私は汚いことをした。未熟だった私の能力を最大限に引き出すために、汚いことをやったのよ。そんな私が——」
リリーは手に力を込めた。
「そんな私が、あの純粋な、汚いことなんて何も知らないようなエイクを……真っすぐ見れるとでも思っているの……」
吐き捨てるように言った言葉は、マリアの鼓膜にこびりついた。ヨツンヘイムの中でも特別アルフと仲が良いマリアは、リリーのことをアルフから聞いていた。アルカルソラズでの話も。
卑劣な実験の材料にされたことも。
リリーが、最後は監獄島の女王として君臨していたことも。アルカルソラズ壊滅のきっかけとなった監獄内戦が、リリーの策によって引き起こされたものだということも。
それを聞いた上で、それを全部知った上で、マリアはリリーに挑発をかけたのだ。
「伽藍洞さんは、そんなの気にしないでしょう」
「…………」
「私は応援してますよ」
リリーは唇を噛み締める。
いつも無表情を貫いているリリーにしては珍しく、表情がころころと変わっていた。
黙り込んだまま手を離し、立ち上がる。ローブについた埃を、ぱたぱたと叩いた。
「誰にも言わないで」
「言いません」
リリーはマリアに背を向けたまま、言う。
「それで……エイクと何の話してたのよ」
「…………」
マリアは目をきょとんと開き、そして大きな声で笑った。
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