第十一話。疑念。
「リライジニアへの船?」
「ああ、こういうもんは、こういうところで聞いた方が良いのかと思って来たんだが」
ラクエール警備隊の詰め所に、茶髪の男が訪ねてきた。
長身痩躯のその男はなんでも、死海流域へ渡るために船がいるのでいらないぼろ船を譲ってほしいらしい。
帝国が立派な軍艦を浮かべても踏破することができなかったというのに、譲ってもらえるようなぼろ船で辿り着けるとでも思っているのだろうか。
警備隊隊長、ヒルグレン・シーワウスは顎を撫でる。
「なにに使うつもりだ?」
「いや、だから、リライジニアに渡るっつってんだろ」
同じことを何度も言わせるなという顔で、いらつきを隠すこともなく答えてきた。
ヒルグレンは屈強な体つきを大げさに動かして、悩んでいる風で男を見る。リライジニアねえ……と呟いた。
「兄さん、名前は?」
「……ゴダール……ちがう、ゴッド・アールだ」
「ゴッドか、ぶはは」
よく日焼けした顔を楽しそうに緩ませる。
「なにかわけありのようだな」
「ああ、わけありだ。長生きしたけりゃ詮索するなよ」
ゴッド・アールは面倒臭そうに耳をほじくり回しながら、やれやれとヒルグレンの話に付き合っていた。
「近頃、軍神ヨルムンガンドが北上しているという噂がある。ここに駐屯している帝国軍からのお達しはまだ無いが、そろそろ何か指令が来てもおかしくない。不審者を逃がすな、とかな」
「…………」
ゴッド・アールの目がすわった。問答無用で奪うこともできるぞと言わんばかりだ。
ぴりぴりと殺気を感じる。明らかに、素人ではない。ただの強盗が、ここまでの凄みを出すことはできないはずだ。
いくつもの死線をくぐり抜けてきた、生死の境を嗅ぎ分ける戦士の瞳。ヒルグレンはいつでも剣を抜けるように、集中した。
「……なァ」
と、ゴッド・アールは声を上げる。
「本当に軍神ヨルムンガンドが生きているとでも思ってるのか」
「……さあな。だが生きていたところで、この状況が変わるとも思えない」
「この状況?」
「帝国が、世界を支配しようとしているこの状況だよ。今やこの大陸はほぼ全てが帝国のものになっている」
「ヨルムンガンド様が、なんとかしてくれるかもしれないぜ」
「やはりきみも、おかしいとは、思わないのか」
予想外の返答に、ゴッド・アールの眉がぴくりと動く。
おかしいとは、思わないのか。
何の事を言っているのか、検討もつかない。
「ヨルムンガンド……リリー・エピフィラム、だったか……その女が、一体なにをしたんだ? ペルジャッカが学術国家として君臨できた……つまり預言者の襲撃を受けなかったのはヨルムンガンドが迎撃に成功し続けたからだと言う話だが、どうやら道化師という者が食い止めていただけという話もある。対帝国軍との戦争も、ほとんど小さな小競り合いのようなものばかり。少なくとも私は、功績について何も聞いたことがない。ただひたすら周囲の人間が、『ヨルムンガンドが軍師になってから、ペルジャッカは負けたことがない』と、そう言うだけだ」
確かに、そうだ。
預言者は文明……技術が発展する場所に現れてそれらを破壊して去っていく。学術国家として名を馳せていたペルジャッカはつまり、技術の塊であり文明発展の心臓部分と言っても良い。そこが預言者の襲撃に会わなかったのは、つまりヨルムンガンドが退けていたからだという噂は耳にしたことがある。だが考えてみれば、ペルジャッカはリリーが生まれる前から預言者の襲撃を受けていないはずだ。
その上、功績。
噂によるとリリー・エピフィラムがペルジャッカ軍の指揮を取ってからは無敗らしいが、明確な功績については聞いたことがない。
リリー・エピフィラムの策に目立ったものはない。ただ徹底的な下準備による緻密な設計が、戦況に合わせて蛇の毒のように効いてくる……
そういう『噂』が立っているだけだ。
「軍神ヨルムンガンドは、本当に凄いのか?」
警備隊隊長ヒルグレン・シーワウスは、追い打ちをかけるように言い放った。
「ほんじゃ、その本当は怖くないヨルムンガンド様の味方かもしらねえ不審者野郎には、船は貸さないってか?」
「……いや、別に良いだろう。しかし死海流域に行く自殺志願者には、生きた船を貸すわけにはいかない。色んな理由で使わなくなった船を集める廃船所がここにある」
ヒルグレンは壁に貼ってある街の地図に示した。ここから北東に数分歩けば着くだろう。
「まだ使える船もあるはずだ。そこの管理者に言って適当なものを譲ってもらえ。どうせ帝国のものになってしまうからな。誰に譲ろうと同じことだ」
ありがとよ、と礼を言って詰め所を出る。
ゴッド・アール……レイモンド・ゴダールは、言われたことについて考えていた。
軍神ヨルムンガンド。世界で唯一の帝国抑止力とさえ言われていた伝説の軍師。
だが、その実態は何もわかっていない。それなのに、理由も無く人々は妄信している。現にレイモンドでさえ、直前までは何も疑ってはいなかった。
「フゥム……きな臭くなってきやがった」
ならば道化師はなぜリリーについて行くように言ったのだろうか。そうすることで道化師にメリットはあるのだろうか。
リリー、エイクと合流してからラクエールに辿り着くまでに何度か紛争に首を突っ込んできたが、確かに帰還者であるレイモンドとエイクが一方的に敵を蹂躙するような策ばかりで、奇を衒った策士らしい戦運びはまだ経験していない。もちろん練度が低く意思疎通のできない出会ったばかりの軍隊で、策を弄して状況を打開させるというのはかなり難しいことではあるが……
エイクの怪力で敵の兵器をぶち飛ばし、レイモンドの力でトドメを刺す。そればかりだった。
このまま二人について行き、果たして仇であるエドガー・ライムシュタインに到達することはできるのだろうか。
可能性を探り、ここまで必死に生きてきたが……
物乞いをしていた。
戦火に飲まれたフロミシタイトから逃げ伸びたレイモンド・ゴダールはどことも知らぬ土地で、ぼろ切れを身に纏い拾い物の陶器を前に座り込んで、道行く往来の哀れみにしがみついて生きていた。
齢にして十七。手に職は無く、人より優れていることは運動の上手さと父親から受け継いだ考古学の知識だけだった。
レイモンドがもう少し幼ければ、拾い手が見つかったのかもしれない。
ずっと一人で街を彷徨い歩いていた。野良猫たちと一緒に捨てられた残飯を貪ったこともあった。虚ろな目の下には一晩寝たくらいでは取れないほどのくまがこびりつき、伸び放題の茶髪にはシラミが巣食っている。ごみだと言われても反論できない。そんなことを思ってくつくつと笑っている頃の出来事だった。
街で、エドガー・ライムシュタインの話が聞こえてきた。
憎き宿敵は、侵略戦での功労を讃えられ『獅子』の称号を帝王から与えられたらしい。
「犬ころには、相応しい名前だぜ」
卑屈に笑いながら、路地裏に消えようとしたが、話はまだ終わっていなかった。
なんでも、この街の近くの森で、植物の蔦が巻き付いた巨大な石の塊が発見されたという。
うわさ話に花を咲かせる女たちは、いまいちそれについての要領を得ていない様子だったが、勉強をしていたレイモンドにはそれが何なのかすぐにわかった。
それはきっと『地獄の門』……帰還者が生まれる場所だ。
門の向こうには無限の世界が広がっているとも言われているし、全くの闇だという話もある。未知の空間がそこにあり、くぐったものはどうなるかわからない。すぐに逃げ帰る者もいればしばらく……ずっと……戻ってこない者もいる。
古代ペルット文明に繋がる手がかりが眠っているとも言われているが、一切合切、確証は無い。
ただひとつ、確かなことがあった。
レイモンドには、力が必要だ。
腹を拳で撃ち破るあの子どもと対等に渡り合うためには、このまま路頭を彷徨い歩いていても意味は無い。
これは天命だ。
父親の勉強についていっていたのは、今日のこの日のためだったかもしれない。父親がくれた引導のような気がした。
手に入れなければ。
エドガー・ライムシュタインを殺すために。
家族の仇を討つために。
死んでも強くならなければ。
地獄へ行こう。手に入れよう。
戦うための、力を——
「……ちっ」
頭をぼりぼりと掻きむしり、昔の記憶を払拭する。
ふとした瞬間に思い出すのは、父親の死に様でも、母親の手料理でも、妹の笑顔でも無い。ただひたすらにどす黒い、殺意に満ちた日々。寝ても覚めても饑餓状態にあるような悲惨な生活。獣が人間の皮を着て生きているようなものだった。
いくつもいくつも帝国の基地を破壊して回ったが、獅子エドガー・ライムシュタインは現れなかった。道化師の言う通り、リリー・エピフィラムについていくしかないようだ。
リリーが本物なのかどうかは別として、エイクの異常さは確かなものだし、今からリライジニアで帝国と戦うということも事実だ。
前には進んでいるはずだ。
父親の念願でもある、古代ペルットが滅んだ謎の解明も、リリーたちについて行けば知ることができるだろう。少なくともレイモンドがひとりでは到達できない高みにある知識を、リリーは持っているはずだ。
この際、リリーが本当に策士として優れているのかは、レイモンドにとっては関係がない。リリー・エピフィラムが帝国を敵視していて、帝国軍と戦う。それだけがわかっていれば、ついていく価値があるように思えた。
「エイクもリリーも、一体何を隠してやがる」
疑念を浮かべつつも、レイモンドは辿り着いた廃船所の門をくぐった。
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