第八話。昏い穴。

 幽閉されていたレイラ・エピフィラムが卒倒したのだ。

 盲目の彼女は、女のそれとは思えない低いうなり声を上げている。半日ほどが経ったにも関わらず、レイラの意識は回復しない。


「……何が起きている」


 帝王アルセウスは執務室で報告書を読んだ。

 本日未明に、独房内にて意識を失っているレイラが発見さる。発見から六時間が経ったのちも意識の回復はない。

 原因も、症状も不明。

 これは同じだった。レイラと一緒に捕らえた、エピフィラム家の人間が死んだ症状と、全く同じだった。

 一番長くて、一年半。

 手足が腐り落ち、腐敗は内臓までたどり着く。一番長く生きながらえた者は、腐敗が内臓まで到達しなかった……その代わりに脳がゆっくりと、壊死していたのだ。

 まさに奇病だった。

 治療するすべどころか、病の進行を止めることさえできない。


「……ままならんな」


 レイラは重要な人質であり、交渉の材料でもある。ラグナロクが本当に到来し、それを終わらせるまで……やりすごすまで……死なせるわけにはいかないのだ。

 アルセウスは、レイラの資料に再び目を落とす。


「エピフィラム家は呪われているのよ」と言ったのは、かつてのリリー・エピフィラムだ。

 監獄島アルカルソラズに幽閉されたリリーは、視察に赴いた帝王にそう言い放った。

 そのとき帝王は、まだあどけなさの残るリリーを見て、確かにそうだと思った。

 愛した者に裏切られ、今や言ってしまえば帝国の『実験台』だ。

 卑劣なことをしたと思っていたし、今でも思っている。

 だが、それがどうしたとも、思っている。獅子エドガー・ライムシュタインがまとめたラグナロクに関する資料を見て、もっと外道なこともやったさと、自嘲した。

 帝王は世界を背負うのだ。誰の恨みも買わない生き方が許される身ではない。

 帝国の民の更なる繁栄を願い、領土を広げ、諸国を喰らい続けた。しかしどうしても、ペルジャッカが立ちはだかってしまうのだ。

 更に言えば、ペルジャッカにいる稀代の策士、リリー・エピフィラムの存在が、いつだって帝王の頭にちらついていた。ペルジャッカ自体が帝国に匹敵する軍隊を持っていることも相まって、まともに戦って勝てる相手ではないと確信もしていた。


 もっと早くペルジャッカにたどり着いていれば良かったのだ。リリー・エピフィラムが戦争という舞台に現れる前に、ペルジャッカを滅ぼしておくべきだった。

 しかしある日、ヨルムンガンドの正体があどけない少女だという噂が耳に入った。

 帝王は当然のごとく、それを利用した。

 そして遂にペルジャッカを滅ぼし、大量の戦利品を手に入れる。エピフィラム邸は焼けてしまっていたが、消し炭になった紙の山から一つだけ、奇跡的に残った資料があった。

 それがラグナロクに関するものだった。

 資料を読み終えた帝王は戦慄した。

 神々が、そして魔人たちが地上に現れ、覇権を争い人知を超えた戦争をするという。もちろん人間も巻き込まれるだろう。

 そう書かれてあったのだ。


 捕らえたエピフィラムの人間にそのことを問いただしても、みなほくそ笑むだけで答えない。

 そうこうしているうちに、例の奇病を発症してレイラ以外は死んでしまった。

 奇妙なのは死因だけではない。

 全員が、自らの関係をはっきりと言わないのだ。エピフィラム家の捕虜はレイラ・エピフィラムを合わせて四人いた。レイラを除き全てが男だった。一番年配の四十半ばほどに見える男に向かってレイラが「お父さん」「娘」と呼び合っていたこと、そしてその男がリリー・エピフィラムのことを「俺の娘」と言ったことから、この二人が姉妹だということだけはわかったが、あとは全くわからない。


 従兄弟なのか兄妹なのか。誰もまったく、何も言わない。それにリリーとレイラの歳は随分離れている。レイラが現在三十だとするならば、恐らくリリーは二十くらいだろう。それくらいの歳の差は感じた。腹違いの姉妹ということもあり得る。そうすると父親は、随分と若く見える。実際は五十を超えているのだろうか。

 アルセウスはレイラのカルテを見渡す。もちろん変化があるわけではない。何も報告が無いということは、今もまだ容態は変わらず、病室で苦しんでいるのだろう。


 呪いとは、何なのだろうか。

 エピフィラム家にかけられた呪い……それは恐らくあの不治の病のことだろう。なにしろ他に類を見ないのだ。あれが呪いではなく、何だと言えるだろうか。

 帝王は黙考する。

 レイラを、拷問にかけるべきなのかもしれない。

 捕虜だからと甘やかしている暇が無いのは事実だ。もちろん外部に漏れればただ事では済まない。

 しかしそれも世界を救うためだ。

 ラグナロクをなんとか食い止めるためなのだ。

 レイラを拷問にかけ、まだわからない世界の謎を聞き出すべきだと、帝王は思った。あいつなら何かを知っていると。


 少なくともレイラが抱える……いや、エピフィラム家が抱える『何か』を聞き出すべきなのだと。

 そしてすぐに帝王は臣下を呼び出した。


「レイラ・エピフィラムが回復してから五日待った後、拷問を始めろ。外に漏らすな。吐かせたいことはあとでまとめて伝える。わかったな」


 呼び出された男は緊張した顔で頷いた。

 それから六日が経つと、レイラの容態が全快した。まだ体はどこも腐らず切断されていない。

 元から無い眼球を除けば、健康体だ。

 その病室に伺った帝王は、レイラの一言に目を見開いた。

 全身の毛穴が締まり、鳥肌が立つのを感じた。背中を寒気が駆け抜ける。

 レイラは笑っていた。アルセウスが、なぜ知っているのだと、誰から聞いたのだと怒鳴る前に、レイラは口を開いた。

 別に誰からも聞いていないと言った。レイラは、ここしばらくは看護婦としか喋っていないし、看護婦もこの部屋には誰も入れていないと帝王に焦るように言った。

 レイラ・エピフィラムはほくそ笑んでいる。にやにやとしながら。もう一度、言った。


「私は、拷問くらいじゃ、何も喋らないわよ?」


 なぜ、と。アルセウスは戦慄したのだった。なぜこいつが、拷問のことを知っているのだと。


「貴様、何者だ!」

よ。お生憎さま、私に隠し事ができるなんて思わないほうが良いわ。ふふ、『帰還兵士量産計画』の結果は芳しくないようね……お次は『社会性不獲得者の心理的及び肉体的沈静化を測る諸実験』。……ふふっ! ふふふっ! 見えるわよ、リリーの姿が! あなたは彼女を怒らせた!」


 アルセウスはナイフを腰帯から抜き取って、レイラの首筋にあてがっていた。看護婦たちの制止が無ければ、動脈に傷がついていただろう。


「貴様……一体、一体! 何者だ!」

「ふふ! ああ、とても滑稽よ、王様さん! あなた、世界を統一するのはラグナロクを止めるためなの! ふふふふ! 良いわ、頑張って頂戴——」

「出て行け!」アルセウスは看護婦たちを追い払った。ナイフも地面に叩き付ける。「誰も入れるな!」

「賢明ね!」


 アルセウスはもはや絶句していた。


「あなたがやろうとしてることは無駄よ。ペルットでも無理だった。あの男でも無理だった。それが今度はあなたみたいな、たかが王様がやろうとしているなんて!」

「あの男というのは誰だ!」

「得意の穴掘りで答えを探しなさいよ! あの可哀想な獅子ばんけんが、ここを掘れと吠えてくれるでしょう!」

「発掘のことまで知っているのか……なぜ!」

「さあ、自分で考えなさい」

「城の誰かを取り込んだのか、この外道が!」

「外道!」レイラは鬼の首を取ったように笑った。「あなたがそれを言うの! かわいいリリーの純情を傷つけたあなたが! 外道……外道! まさかあなたがそれを言うとは!」

「同じことを貴様もしたんだろうが!」

「……良いわ、らちが明かない。拷問するならしたら良い。それで吐くのは吐瀉物だけよ。あなたが欲しいものは、何も、出てこない」


 かかってきなさいよ、鬼畜外道の王様さん。

 レイラは瞼を上げて、眼球の無い空洞でアルセウスを睨みつけた。

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