第六話。邂逅。

 雨が降っていた。

 ウインテル軍楽団と別れた後、リリー・エピフィラムとエイク・サルバドールは北東に進み、目的の場所に辿り着いた。

 山道を抜ければもう少し進みやすかったのだろうが、目的地が目的地だけに、なるべく目立たない道を進むしか無かったのだ。


 帝国軍駐屯基地。

 リリーとエイクはそこに用事があった。いや、正確にはそこにいるであろう人物に。

 帝国軍と言っても見つかってすぐ殺されるというわけでもないだろうが、自分が誰であると証明する書類も持っていない馬の骨を、基地の中には入れてくれないだろうということで、ここまで人目を避ける道を選んできた。

 だがそれも無駄になる。


「血の匂いがするよ。とてもたくさんの血」


 いくらエイク・サルバドールの鼻が良いと言っても、この土砂降りの中で匂うとは相当だ。

 どうやら目当ての人物がいるらしい。

 今から二年ほど前だろうか、ある帝国軍の小規模な駐屯基地が一夜で壊滅したことがあった。生き残ったのは一人だけで、両腕をもがれた姿で倒れていた。基地内の全ての兵器が破壊され、全ての建物が倒壊し、一人を除いた軍人が死んでいた。

 両腕を失くした男は泣き叫びながら報告を続けた。

『帰還者』が単騎特攻ののち、存在する全てのを使って、基地を潰した。

 駆けつけた援軍は最強の帰還者と言われている『預言者』との戦闘を覚悟していたが、どうやら犯人は出鱈目な強さの預言者ではなく、新手の帰還者だったらしい。

 それから雨の晩が三回あれば、そのうち二回でどこかしらの帝国軍基地が同じようにして潰されるようになった。攻撃が無い一回は、単純に移動などのタイミングなのだろう。

 いつしか謎の帰還者は『雨男』と呼ばれるようになっていた。

 雨男は襲った基地で必ず一人だけを生存させる。自分の存在を帝国側に伝えさせるためだろう。

『雨男』はどうやら探している人物がいるらしい。元特別無階級遊撃部隊隊員にして、現近衛兵団団長エドガー・ライムシュタイン。帝国最強の戦闘員を探し彷徨い続けているそうだ。

 当たりくじを引けた幸運な生き残りは、必ずこう伝えられる。


「エドガー・ライムシュタインに伝えろ。フロミシタイトのレイモンド・ゴダールが、お前を必ず殺しに行くってなァ」


 そう告げられた生き残りの兵士が、恐怖心で意識を手放し同胞の血の中に突っ伏したのとほぼ同時に、エイク・サルバドールとリリー・エピフィラムは、レイモンド・ゴダールと出くわした。

 レイモンド・ゴダールは兵士の胸ぐらから手を離す。握っていた刃を水に戻し、レイモンドとリリーを見た。

 土砂降りの中で哄笑を上げ、冠水した芝生の上で立ち尽くす。


「ははは、ようお二人さん。話は聞いてるぜ、随分聞いてる。道化師からのお達しだ。どうやら俺はあんたらについていきゃあ、エドガー・ライムシュタインに辿り着くと聞いている。どうだ、そこのべっぴんさん、あんたが噂のヨルムンガンド、リリー・エピフィラムだろ?」


 口数の多い男だった。いちいち回りくどい言い方をする。


「ええ、そうよ。あなたが勝つための舞台を用意する」

「ああ、俺がどんだけ喋ろうが、あんたは冷たく返すってわけだ。まあ良い、まあ良いさ。今となっちゃあこの有様だが、俺も実は貴族のはしくれだった。覚えているぜ。お高く止まってる連中ってのは……有象無象の中でも賢いやつは、決まってみんな無口だったなァ。ははは! だったら俺は小物ってわけだ、底辺貴族のゴダール家。それでも毎日高級なカヴァ茶を飲んでいたし、学校にだって通ってた。どいつもこいつも今となっては昔の話だ、なァ、リリー・エピフィラム! あんたにも、心当たりがあるだろう!」


 今までに無い性格の男と直面し、エイク・サルバドールは目を見開いている。ひとつの台詞が長過ぎて情報の整理に手間取っているが、実は特に意味のある話ではないということに、自身が口下手であるエイク・サルバドールは気付けない。とにかく迷惑をかけまいと、よくわかっていないのにしきりに頷いている有様だ。

 一方リリー・エピフィラムはしらけたような目をしていた。


「よく喋る男ね」

「そうそう、俺はよく喋る男さ。やっぱり頭が良いようだなァ。よく喋る男は嫌いか? あんたの隣の青年は、どうやら一言も口を聞いていないようだぜ。恋人か?」

「違う」


 かぶせ気味に否定したリリーに、レイモンドはニヤニヤと意地汚い笑みを浮かべた。フーン、と意味ありげに顎を撫でる。

 辺りの様子を見回して、


「そりゃそうか。二人っきりのデートにしちゃあちっとばかし暴力的な光景だ。少なくとも食事は別のとこで済ましちまったほうが得策だろうなァ。この辺には乾いたパンくらいしかねえだろう。そこら中に染み付いてるのが葡萄酒だったらまだマシだったが……まあ良いさ、ええと、そこの兄さん、『伽藍洞の小僧』って言うんだっけか?」

「道化師から、聞いた? 俺はその名前、長いと、思う」

「……ん、え、あ、そうかい」


 テンポの悪い返答に、レイモンドはペースを崩される。


「えーと、答えになってねえんだけど……良いんだよな、伽藍洞の小僧で……?」

「ん? 良いよ?」

「…………なあ、大丈夫か、こいつ」


 怪訝な顔でエイクを指差し、リリーに尋ねる。

 リリーは溜め息をついて、


「エイク・サルバドール。伽藍洞じゃない。本人も名前で呼んでほしいはずよ」

「あん? 立派な名前があるじゃねえか。なんでわざわざ『伽藍洞』なんて言うんだよ」

「記憶が、ないから、かな?」


 エイクは、道化師に伽藍洞と呼ばれる理由を話した。


「地獄より前の、記憶が無いんだ」

「帰還者なのか。そいつは聞いてなかったな。道化師と仲いいのか、お前」

「さあ、でも、腕を吹っ飛ばし合ったりは、してた」

「…………」


 顔を若干青ざめたレイモンドが、仏頂面のリリーと目を会わせる。


「よ、よくわかんねえなっ……地獄より前の記憶ってのは、じゃあお前、地獄の記憶はあるのか?」


 エイク・サルバドールは「地獄より前の記憶」と言った。

 風の噂、ではあるが、帰還者は地獄の記憶を持っていないと聞いたことがある。実際、レイモンド・ゴダールも地獄の門をくぐってからのことは全く覚えていない。気付けばぼろぼろの、何日も水浴びをしていない臭い体で、地獄の門に背を向けて立っていたのだ。水を操る不思議な力を、手にした体で。


「地獄にいた頃は、小さかったから、印象くらいだけど」

「小さかったって、どれくらいだよ」

「三歳、四歳?」


 首を傾げるエイクはそのままリリーを見るが、「フン」と一蹴される。


「それは地獄より前の記憶が無いんじゃなくて、ちっこくて覚えてないだけじゃねえのか……」

「自分の親とか知らないのは、いやだよ」


 やっとまともなことを言ったエイク・サルバドールに、レイモンドは腕を組んで溜め息をつく。

 エイクは相変わらず棒立ちだ。ただ、意味ありげに頷いている。もちろん意味などないのだが。


「とにかく」


 くだらない会話にも一段落ついたところで、リリーが声を上げる。


「雨男。道化師から聞いてるとは思うけれど、あなたの能力で、死海流域を渡れるのかしら」

「ああ。そいつは間違いない。俺を合わせて三名程度なら……ちっこい船でいいなら……荒れ狂う波をも操ってやる。宗教大陸国家リライジニアに渡してやるよ。その代わり、お前も道化師から聞いてるとは思うが……」

「ええ。仕事が終われば、超古代文明ペルットについて……この世界の真理について教えてあげる」


 レイモンドは水浸しの芝生の中を進む。長い茶髪を掻き上げる。浴びた返り血は洗い流されたが、眼窩も窪む痩躯の体は、血がついてなくとも不気味だ。


「さすがだなァ、なんでも知ってるってわけだ、学術国家ペルジャッカのおエラいさんは。俺は考古学の勉強をしていてよ、ペルジャッカの学院にも行こうと思っていたんだよ。ペルジャッカがなくなっちまったもんで、そいつは叶わねえが」


 そう言って、レイモンド・ゴダールは手を出した。

 リリー・エピフィラムはその手を取る。


「あんたが教えてくれるんならそいつで良いさ。交渉成立だ。荒れ狂う波を、割って進んでいってやるよ」

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