第五話。ヨルムンガンド。

『お頭』の討伐に向かったエイク・サルバドールは、リリーの……正確にはリリーに居所を教えた盗賊の……言に従って山を登った。言う通りに獣道を進むと小さな山小屋を見つける。

 短く切った赤毛をくしゃりと撫で、「あれか」と呟く。

 鋭い雑草を掻き分けて真っすぐ山小屋に向かうが、次の瞬間、小屋の格子が突然開き、現れた男が投げナイフを繰り出した。

 三つ同時に放たれたナイフに反応し身を翻したエイクは、そのままの勢いで土を蹴って小屋に飛びつく。扉を体で破って転がり込むと、不意を突かれた顔の『お頭』が、それでもナイフを上げて構えていた。


「オカシラ?」

「俺の仲間をどうした」

「捕まえた。リリーが。それより、あなたはオカシラ?」


 その言葉に、お頭の目は露骨に鋭くなる。

 鋼のように硬そうな髭に覆われた口が歪んだ。ぼさぼさの髪の隙間から、エイク・サルバドールを睨みつけている。


「リリー?」

「オカシラか、どうなのか、教えて」


 いまいち噛み合ない会話に、お頭は怪訝な顔をした。ここまで来て自分をお頭ではないかもしれないと疑う神経に戸惑いを覚える。

 あまり人間味が無い。

 学ぶべきものを……いや、本来人間が生まれつき持っているべき何かを持っていない、そんな感覚だ。


「教えなかったらどうなる」

「攻撃ができない。今の俺はオカシラしか攻撃できないんだ」

「オカシラをどうするつもりだ?」

「オカシラを攻撃して、殺さないように、慎重に攻撃して、オカシラを持って帰る」


 その言葉のつたなさに、ぞくりと鳥肌が立った。

 台詞が孕んだ狂気と表情があまりにも釣り合っていなかった。何もわからないような顔で、擦れていないような瞳で、人間を攻撃して持って帰ると言った。


「ど、どこに持って帰るつもりだ」

「この山の下、リリーのところに」


 リリー、という女がこの青年に指令を下しているらしい。

 盗賊の仲間たちを捕らえ、山麓でオカシラの身を今か今かと待ち構えているというわけだ。

 生かさず殺さず、持って帰る。

 ここで嘘をついて逃げようかとも思った。だが下では仲間たちが捕まっている。自分だけ逃げるわけにもいかない。この青年を騙して共に下山したところで、青年の一味に追いつめられてしまうだろう。

 ならば。


「ここで殺すか」


 お頭が手を振り上げた途端、小屋の中を照らしていた蝋燭の火がうねりを上げてひとつに集まった。脈動する炎の塊は、お頭の手の動きに合わせて宙を舞う。

 エイク・サルバドールは火を見上げて口を開けた。


「うわ」

「帰還者を見るのは初めてか!?」


 お頭が炎に合図を送ると、火は形を変え一匹の虎となりエイクに襲いかかる。エイクはたまらず小屋を転がり出た。虎がその後を追う。風に散る火の粉は、それらがまた小さな小鬼と化して虎の後に続いた。

 だが次に目を剥いたのはエイクではなくお頭だった。

 何かが破壊される音が小屋の中に響く。音源を見遣ると、血塗れの人間の腕が壁から突き出していた。腕はすぐさま引き抜かれ、もう一度壁を貫く。拳で小屋の壁を破っているのだ。

 四度、拳が壁を突き抜けた後、外で「ぐわー」と間の抜けた断末魔が上がった。

 そして次の瞬間——人間大の火だるまが、力任せに小屋の壁を蹴破って転がり込んできた。

 燃えている。

 赤毛の青年、エイク・サルバドールが燃えている。


「あちち」


 と信じられないほど素直な反応を見せつつ、体に刺さった木片を引き抜く。

 燃えているというのに。

 火の虎に食われ、鬼火に焼かれ、壁を破ったときの木片が体に突き刺さり、そして、


「あちち」


 あちち。

 そんな声を上げている。

 熱かろう。それはそうだ。燃えているのだから。足元から髪の毛の先まで丸まる火に飲まれているのだから。

 それはそうだ。熱くないわけがない。


「なんだ、お前……」


 しかしエイクもだんだんとことの深刻さに気付いてきたらしく、焦って体を叩き始める。熱さを訴える声もだんだん大きくなってきた。


「うう、熱い、熱い!」


 だがそれでも普通の人間の反応ではない。壁を破った拳もそうだが、常人離れという域は既に遥かに超えていた。燃え盛る炎に飲まれても、のたうち回ることもなく、ただばしばしと火を叩くのみだ。

 諦めたのか、エイクは自分の体を叩くのを止め、お頭に飛びかかった。

 だがエイクが振りかざした拳は明後日の方向で空を切る。どうやら目が燃えたらしい。


「ぎゃあー!」


 またしても素直に、愚直に反応している。痛いときに痛いと言い、熱いときに熱いと言う。獣のように本能的だ。

 そしてそれが非常に不気味だ。

『帰還者』。

 世界各地に点在する地獄の門から地獄へ下り、人にあらざる『異能』を携え、戻ってきたものたちを、人々は畏怖を込めて『帰還者』と呼んだ。

 あらゆる帰還者は、自らが降りたはずの地獄の様子を一片足りとも覚えておらず、ゆえに得たいの知れない地獄へ下ろうという物好きはめっぽう少ない。

 その愚かとも言える勇気の見返りが、『異能』であった。

 お頭はこれまで、一人の帰還者を手にかけたことがある。盗賊の仲間たちを救うためだった。地獄から持ち帰ってきた、炎を操る能力を使って、数少ない同胞とも言える存在を焼き払った。

 そのときは、こんなことにはならなかった。

 敵の帰還者は熱さにのたうち回り、焼け爛れながら死んでいった。

 こんなはずは、無かった。


「……!」


 お頭は目の前の光景に絶句する。

 燃え盛る赤毛の青年は、腰のホルスターからナイフを取り出し、そしてその刃を親指に当てがい、そして引き斬った。

 千切られた親指は火の尾を引いて落下する。

 何をするのかわからない。この男は常に予想を超越していく。赤毛の男は、なんとその傷口から溢れる血を——頭から、被ってみせたのだった。

 とてつもない光景だ。

 自分の目を疑う。なんだこれは?

 消火のために、自分の指を斬り落とし、そして頭から被る?

 正気の沙汰ではない。燃え盛る炎の中で正気でいるということも不可能のはずだが、しかしこれは、どう考えてもこれは、自分の思考の結果で、冷静に状況を分析した上で、この行為に至っている。

 そして地獄はこれで終わりではなかった。

 血はすぐに止まった。両断された親指から流れ落ちる血は、すぐに、満足な消火能力を発揮することなく、止まってしまった。

 代わりに傷口からは、血ではない赤い何かが垂れ落ちてきた。それは内臓のようにも見える。指からこぼれる内臓などあるはずもないが、常識的に考えていられる状況ではなかった。

 それは触手だった。

 びるびると蠢く、無数の赤い触手だった。

 触手はあっという間に骨となり、肉となり、細かく編まれて皮膚と化す。

 輪切りになった傷口から、生き血に濡れる指が生えてきた。


「は……」


 それは笑い声にも悲鳴にも聞こえた。

 現実を受け入れられない盗賊団のお頭は、呆然と立ち尽くすことで現実を否定する。

 あり得ない。

 こんなことはあり得ない、あり得ていいはずが無い。最早目の前の青年は怪物だ。人間ではなく、同胞である帰還者でもなく、ただの怪物だ。この世にいるはずのない生き物だそうに違いない。ただ真っ白になった頭の中で唱え続けるだけだった。

 お頭の自棄に応えるように、炎の勢いは衰弱していった。頭から被った血は熱でどす黒くなっており、少しの動きでぱきりと割れる。

 もっと驚くべきことがあった。炭化した真っ黒な皮が剥げ、これもまた新品の、無傷の青年が現れたのだ。髪の毛が焦げていることもない。ただ焼けこげたのは身につけていた衣服だけで、当の本人は至って平気そうだ。


「な……なんなんだ、おまえ……」

「エイク・サルバドールです。帰還者」

「き……」


 そんなはずがないと思った。

 帰還者。この青年が帰還者。

 自分がこんな化物と同じだと、そう思いたくなかった。


「お、俺は、俺は燃やされれば死ぬ……切り落とされた指はきっと生えてこない……」

「そうなの。でも俺は、あなたみたいに、火を、操れないよ」


 能力の違いだと言うつもりか、と憤った。体の作りを変えてしまうような力があって堪るかと訴えた。

 だがエイク・サルバドールは要領を得ないように、ただ、首を傾げるだけだった。


「さあ、いくぞ、オカシラ!」

「降参に、決まってるだろ……」


 勝算は、火と共に消えたらしい。

 山に棲みついていた盗賊団は、お頭を含め郎党全て縛についた。

 ウインテル軍楽団は地図を確認して、この辺りの関所を調べている。

 エイク・サルバドールに引きずられて山を降りてきたお頭は、やけにおとなしく、虚ろな目でしかも小刻みに震えていた。情けのないお頭の様子にも、盗賊団は失望することなくすぐさまお頭の身を案じるように駆け寄った。

 盗賊稼業が正しいことかどうかはともかくとして、はぐれ者たちを纏める良い指導者だったのだろう。今回の襲撃に関しても、お頭は放っておけと言っていたが、戦闘員のリーダー格が勝手に有志を引き連れてのことだったらしい。全て盗賊団の言い分ではあるが。

 よくあることだと野放しにしておいた結果が、これだ。

 盗賊の服を借りたエイクは、その匂いに鼻を曲げながらも脱ごうとはしなかった。下山後、リリーにお頭を引き渡したあと、そそくさと近場の川に向かった。

 やっと震えが収まってきたお頭に、リリーは問いかける。


「何を見た?」


 その質問に、後ろ手で縛られたまま背筋をぴんと伸ばした。思い出すだけで鳥肌が立ってくる。


「……俺はあいつを燃やしたはずなんだ」


 冷や汗がこめかみを伝う。見開いた目の焦点が合わない。


「あれは怪物だ……化物だ……」

「帰還者がよく言うわ」

「俺は化物じゃねえ!」


 精一杯の声で怒鳴りつけた。


「お前ら……誰なんだよ……」

「リリー。さすらいの旅人よ」


 ひと呼吸遅れて、お頭は「はぁ?」と声を上げた。


「ああ、あんたがあの化物が言ってた女ね。しかしそりゃあ答えになってねえよ。ただもんじゃねえのはわかってんだ!」

「ま、それもすぐにわかるわ」


 身を捩ってリリーの顔を見ようとするが、フードで影になって叶わない。


「……リリー、ね。負け犬の名前と一緒だなァ。お国の危機に不在だったらしい、なんとかっていう軍神サマと同じ名前だ」

「なんと言っても良いけれど、私の頼みはひとつだけよ。エイクに『お頭を殺すな』と言った理由はひとつだけ」


 リリーはしゃがみ込んだ。

 びくりと慄くお頭の耳元でひっそり告げた。


「これからぶち込まれる監獄がどこかは知らないけれど、この夜あったことを触れ回れ。とにかく派手に尾ひれをつけて」

「な、なんのために……」


 背骨を直接なぞるような声だ。強烈な寒気に僅かに身を捩る。

 今や世界を治めんとする帝国を、潰すと言った。


「お、お前一人で、何ができるっていうんだよ」

「何でもやるわ」


 冷たく言い放った女の顔は影の中で見えないが、月夜に爛々と輝く殺気に満ちた瞳は、お頭の心臓を、確実に貫いていた。

 この『リリー』が本物かもしれないと、ありもしないはずの疑念にあぶら汗を浮かべる。


「か、怪物め……お前らふたり、さっきの赤毛もお前も! 化物だ!」


 ちょうど戻ってきたエイク・サルバドールと、立ち去ろうとするリリーに怒鳴りつける。エイクの服はびしょ濡れだった。川で洗ってきたようだ。

 エイクはきょとんと目を丸めており、リリーは汚いものでも見るような目でお頭を見捨てた。


「な、なにが帰還者だ! お前なんか帰還者なんかじゃない! 化物だ! 俺はお前と違うぞ、赤毛! 畜生、この野郎、あんなことがあってたまるか!」

「エイク、聞いてはいけない」


 とりつく島も無いリリーは淡々と歩き去ろうとするが、エイクは戸惑ったように立ち尽くしていた。お頭は構わず罵詈雑言を吐き続けるが、怯え切った表情はそのままだ。

 エイクが足を進めお頭に近づこうとすると、リリーがその前に立ち塞がる。


「耳を貸さないで。頭がおかしいのよ、あいつ。ずっと山に住んでいたらしいから、悪いものでも食べてたんでしょう」

「……でも」

「早く」


 少し語気を荒げるリリーに、エイクは無言で頷いた。

 帰還者と交戦することになったのは、前の相棒とのじゃれ合い、、、、、を除いては初めてで、そして帰還者に化物呼ばわりされるのも初めてだった。

 あまりいい気分では無いが、仕方が無い。リリーに従い立ち去ることにした。


「それで、どうすることにしたの」


 リリー・エピフィラムは、ウインテル軍楽団の団長にこれからの方針を尋ねる。

 楽団長は地図を広げた。


「この盗賊団の身柄を、南東の自治市街に引き渡しに行こうと」

「盗賊団を引き渡したあとは?」

「それは、考えていないな……宗教大陸国家リライジニアにでも」

「……正気?」


 宗教大陸国家リライジニア

 この大陸から北東に位置する場所にある、豪雪と険しい山に囲まれた常冬の大陸だ。リリーの祖国、今は亡きペルジャッカの大気球計画が無ければ、未だに地図に書かれていなかったであろうとも言われている。

 その理由は、死海流域と呼ばれる航行不可能な海域だ。常に荒れ狂った波と風、方位磁石を狂わせる乱磁気のせいで、まともに船は進まない。

 そこに、このウインテル軍楽団が行こうと言っている。


「なんだかんだ言って、あそこが今のところ一番安全な場所だからね」


 恐らく帝国の侵略が届かない地域である、という理由なのだろうが……


「帝国は世界の裏側に軍艦を浮かべて、死海流域を回りこむ航路でリライジニアに向かっているわ」


 その言葉に、楽団長は顔を上げた。


「そんな、そんな長距離航行が……」

「私の国の技術を盗んだのよ」

「私の国? 失礼だが、お嬢さん、そう言えば名前を聞いていなかった」


 リリー、とかいう声は聞こえたが、本名は聞いていない。颯爽と現れてさくさくと作戦を組み立て、すぐに実行に移してしまって、互いに大雑把にしか身分を明かすヒマが無かった。


「自分から名乗るのが礼儀というものではないかしら」

「ああ、失礼、私はヘリ……」

「ヘリオット・シュトラウド。あなたの名前くらい知ってるわ」


 とてつもなく横暴で高飛車な女だが、不思議と嫌いにはなれなかった。その高慢さが鼻につくのではなく、むしろ、こうでなくては、という気品を声に感じるのだ。

 そして女はおもむろにフードを下ろす。

 その美しさに思わず息を飲んだ。夜の青暗さを塗り重ねたような黒髪は、女の肌の真白さを際立たせている。凛とした眉の下にある瞳は、底知れぬ野心の色に輝き、見ていると吸い込まれるだ。儚げな輪郭は強い眼光に支えられ、気高さと強さを湛えていた。


「私はリリー・エピフィラム」


 その名を聞いた途端、全員が全員、目をむいて『リリー・エピフィラム』を見上げていた。


「ぐ、軍神……ヨルムンガンド……」


 帝国に滅ぼされたペルジャッカの、その軍師。

 名前だけは聞いたことがあった。そしてこの気品、間違いないのだろう。

 帝国がペルジャッカを滅ぼし、その際に収容された捕虜の中にリリー・エピフィラムはいなかったという噂は立っていたが……


「本当に、生きて……」

「ええ。責任を果たすために、地獄の底から戻ってきた」

「ご、ご無礼をお許しください!」

「……私も今や根無し草。地位も名誉も過去のもの。かつての栄華にひれ伏すならば、無力な私に力を貸してはくれないか、国を失くしてもなお名を捨てぬウインテルの雄志たちよ」


 リリーに月明かりが降り注ぐ。まるで君臨した偉大なる存在のような神々しさを纏っていた。か細く綴る言葉には、しかし頑丈な芯が通っている。

 群青色の軍服を着た男たちが、一斉に敬礼を捧げた。

 縛り上げられている盗賊たちも、恐れ戦き黙り込んでしまっている。


「時は必ず来る。それまで生きのび、そして共に戦って欲しい」


 ——吹いてもらいたい魔笛がある。

 最後の呟きは、ヘリオット・シュトラウドには聞こえなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る