第二章。蛇腹亡きうわばみ。
第四話。魔拳と大蛇。
青々とした木の枝に突き刺された、皮を剥がれたオオトビネズミが、焚き火の中で焼かれていた。
日が沈みいよいよ森が暗くなってくる頃合いに、赤毛の男が火の前で飯が出来上がるのを待っていた。
森にこだまする不気味な鳥の鳴き声に臆する事も無く、男はぱちりと爆ぜる火から目を離さなかった。赤々とした肉が少しずつ白くなる。前に寄った飯所で口にしたあの煌々と光る赤茶色の調味料をかければ、新鮮みと合わさってとてつもない美味さになるだろうが、生憎あのソースヴルテは持っていない。惜しいなぁと思いながらも、肉が焼き色に変わってきた。
「今だ!」
突然の叫び声に、赤毛の男はびくりと強ばった。
そして背後から投擲された手槍にすぐさま気付き半身を翻す。回転しながら片腕で体を持ち上げ、反対の手で投げつけられた手槍を柄を鷲掴みにした。
赤毛の男はそのまま腕力だけで宙返り、立ち上がる。いつの間にか赤毛の男を包囲していた謎の者どもは、受け止められた手槍に少々驚くが、恐らくこの群れを統べているであろう男の咆哮に呼応し、一気呵成に攻め入った。
四方を囲まれた赤毛の男は狼狽するが、しかしそれは……
「に、肉が……俺の……」
この瞬間にも火に晒され続けているオオトビネズミの食べごろを逃してしまうことについての心配のようだった。
赤毛の男は自分を囲む男たちを見回す。盗賊らしい出で立ちだった。薄汚れた革の鎧を中途半端に身につけた、髭の手入れが行き届いていない見るからに不潔な集団だ。
匂ってくる悪臭に、赤毛の男は露骨に鼻を塞いで顔をしかめる。
「くさい!」
「なめてんのか、こらぁ!」
男たちは武器を掲げて走り出すが、それとほぼ同時に銃声が鳴った。
森の木々でよく跳ね回る発砲音は、何度も何度もこだまして、音の源を聞く者から隠していた。
だが次々と鳴り響く様子で、銃が一丁ではないことだけはわかった。どころかその数、五、六、七、八、と次々と増えていく。
赤毛の男は銃声におののく男たちをよそに、火からオオトビネズミの肉塊を取り出した。落ちていた葉で熱くなった枝を包み、ほくほくの肉に目を輝かせる。
「ち、畜生! なんだぁ、これは、お前、誰だ!
「俺は、エイク・サルバドール、です」
丁寧に挨拶をする赤毛の男……もといエイク・サルバドール。その素っ頓狂な対応に、群れを統べていた男も口を開ける。
「兵隊じゃ、ない、です」
美味そうな肉を持った幸せそうな男が、阿呆のように身上を述べていく。
月明かりにぎらりと光る、錆び気味の刃物を持った集団に囲まれた、この状況で。
「俺も、帰還者」
その一言で、盗賊たちの顔が一息で青ざめた。血の気が引いていく音が聞こえそうな一斉に。
今までラクエールの討伐隊を幾度となく返り討ちにしてきた盗賊団だったが、それは全てお頭の『能力』のおかげ。そのお頭と同じく能力を使える人間……つまり『帰還者』を目の前にしたのは初めてだった。
それでも大馬鹿ものはいるようで、エイク・サルバドールが帰還者と知ってなお、雄叫びを上げて斬り掛かろうとする恐れ知らずがいた。
エイクはそのサーベルを、出鱈目に掴んだ。
先ほどの手槍を捕まえたのと同じく、まるで怪我など恐れていないかのように。
無論、刃を正面から掴んでしまっては元も子も無い。エイクの右手の五本指のうち四本が、ずっぱりと切断されてしまった。だがサーベルは手の平に食い込んだ状態で止まる。エイクは左手で持っていた肉塊を、サーベルを持つ手に押し付けた。
長らく火中にあったオオトビネズミの肉はまだかなり熱く、盗賊の手に火傷を負わせる。サーベルを取り落とした男は悲鳴を上げて逃げ去るが、エイクはそれを追おうとはしなかった。ただ右腕を振り払い、突き刺さったサーベルを引きはがす。
ムッとした顔のエイクに盗賊たちがじりじりと後退を始める。
盗賊のうちのひとりが、エイクの指を見た。
四本の指が切り落とされた傷口。
その荒々しい切断面から、何かが飛び出し蠢いていた。
赤い、血が纏わり付いた不気味な触手。のたうちまわる蛇のようなそれが、傷口から無数に、無数に飛び出し動いていた。
引きつった女のような悲鳴を上げ、盗賊の何人かが腰を抜かす。エイクを指差し、まさに震え上がっていた。
傷口から飛び出した触手たちは、互いに互いを編み込むように絡み合う。するとそれらは徐々に骨となり、さらに顔を出した触手がその上に巻き付き肉となる。仕舞いには何事もなかったかのように、新品の指に生え変わっていた。
その尋常ではない様子に、盗賊たちは戦意を失い、武器を落とした。
それとほぼ同時に、森の奥から出てきた群青色の軍服を着た男たち。先ほどの銃声の主だろう。
十五人ほどいる。盗賊たちは、銃声からもっと多い数を予想していたが、森のこだまを利用されていたらしい。しかしこの色の軍服は、一番近い国であるラクエールのものではない。見たこともなかった。
「だ、誰だ、お前ら……」
指を生やしたエイク・サルバドールの一味であることは間違いないと踏んだ盗賊が、力の抜けた手で、取り落としたサーベルを必死に構え直す。が、軍服の男たちは、慣れた手つきで次々と盗賊たちを縄で縛り上げていった。
「ウインテル軍楽団。ここからもっと南西の国の軍人だよ。いや、元軍人か。帝国の侵攻で国を失ってしまってね」
「あ、あの怪物の仲間か!?」
盗賊のひとりが、ウインテル軍楽団の男に問いただした。
切り落とした指を平然と生やし、その手でオオトビネズミの肉を千切って食っている、あのエイク・サルバドールとかいう怪物の仲間なのかと。
だが軍人たちからはエイクの様子を見ることができなかったらしく、ただ盗賊に囲まれた、ただ冷静に肉を食っている青年にしか見えていない。この状況であの冷静さは確かに怪物のようなものだと思ったが……
「あれは協力者だよ。たまたまここを通りがかった二人組が、僕らを助けてくれた」
ウインテル軍楽団は、ある理由で北上を続けていたが、この盗賊団が根城としている山を抜けなければならぬということで立ち往生していた。軍人とは言っても、平和だったウインテル国の、平和ぼけした楽団だ。銃の扱いは知っていても戦争のやり方を知らない。
迂回しようかと悩んでいる頃に一組の男女が颯爽と現れ、そして今に至る。
「リリー!」
エイクは大きな肉の塊を持ってとことこと歩き、縛につく盗賊たちの間を抜けた。エイクが近くを通ると、盗賊は悲鳴を上げて仰け反った。エイクが歩く先に、一人の女がいた。フードを深く被り、顔は見えない。「リリー」と、エイク・サルバドールはそう呼んだ。
エイクはリリーに耳打ちをする。ほんの少しだけ頷いた女は歩き出し、盗賊を統べていた男の前に立った。男は反抗心を抱きつつも疲労したような顔で『リリー』を見上げる。
「お頭……というのが帰還者だと言ったわね。話は聞いていたけど、まさか本当だったなんて」
あまりにも透き通った声に、男は目を丸くした。相変わらず顔は見えないが、恐らくまだ若く、そして美しいのだろうと思った。
「そのお頭、どこにいるか教えてくれる。ここに来てるの」
「教えても俺たちに得はねえだろ」
「そうね。でも教えてくれないと、私の機嫌を損ねることになるのよ」
リリーは男を見ていない。『お頭』がここに来ていないか、どんな小さな挙動も見逃さないつもりでうなだれる盗賊たちを見渡していた。
「ヘッ……すぐにお頭がお前らを……」
「その手間を省いてやると言ってるのよ。あの肉を食ってる男が、あなたのお頭のところへ行ってくれるわ」
びくりと男は震えた。盗賊たちの捕縛はウインテル軍楽団に任せ、エイク・サルバドールは大きめの岩に座り込んで焼けたオオトビネズミに食らいついている。はふはふと湯気を口から出しつつ、実に美味そうに咀嚼していた。
あの指は、幻だったのだろうか。
切断された指から醜く蠢く触手が続々と生え、それらが複雑に編み込まれ新しい指と成った。
そんなことができる……自分の体の作りさえ変えてしまうような『帰還者』など、いるのだろうか。
まさに、怪物だ。
「ねえ、聞いてるの」
無感情さに一層磨きがかかった冷たい声が、男の背筋を不気味に撫で上げた。鳥肌が体の末端へ駆け抜ける。
「お、お頭の場所は絶対に……」
「私に、逆らうつもり」
盗賊はびくりと首を上げ、『リリー』の顔を見た。フードで隠れる顔の中にある、ぎらつきと目が合った。
あれは恐らく瞳だ。この女の瞳だ。きっとそれを見てはいけなかった。大蛇が蛙を睨みつけるような眼光に、男の膝が震え始めた。
なんなんだ。
頭が真っ白になる。この二人組は一体なんなんだ。今まで討伐隊をも返り討ちにしてきた腕のある盗賊団。その小隊を纏める自分が、女を目の前にして震えている。ただひとつだけ、何も考えられない頭の中で、ただひとつだけ確証があった。
この女には、逆らえない。
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