双子(ふたご)中
人とぶつかったなんて聞いてない。
二人連れの旅行者が店を離れるのを渋い顔で見送っていると、母に再び頭を小突かれた。
「まったく、気をつけておくれよ」
呆れたように言う母に、自分ではないと訴える。
「……まさか、お前」
複雑な表情を浮かべた母に「遊んでくる」と告げ、逃げるように背を向けた。
住居用の出入口から外に出る。母が何か言っていたが、耳を貸すつもりはない。
今歩いてるこの細い路地はまさに
旅行者や買い付けの行商人は入ってこない。それでも色とりどりの石畳や屋根が変わることはなく、陽の光を受けた鮮やかな色が目に眩しい。
籠に山盛りの果物を積んだ、顔見知りの八百屋とすれ違う。
「お、
「わかってるよ!」
真っ赤に色づいた大きな林檎を投げて寄越す。
「昼飯な」
「ん。ありがと」
父親のいない緑雨を、近所の人たちはなにかと気にかけてくれる。
林檎を持ち、旅行者に紛れるようにして大通りを歩く。
しばらく行くと、人の波が正面と右の二つに分かれた。
右に行く道は緩やかに登っており、宮殿に向かっている。
丘の途中にある見晴らし台を目指す旅行者と一緒に右に曲がる。土産物や歩き食いできる軽食を販売する店が増えた。
左側、3件目と4件目の間に、人が一人通れる程度の隙間があり、緑雨はそこに入っていった。
早足で抜けた先は、商店の人々の生活の場であり、同時に、旅行者向けではなく宮殿に届けるための品を運ぶ裏道でもあった。
人通りのない道を登っていくと、左手にこんもりとした緑が見えてくる。特に手入れされていないその雑木林は、このあたりに暮らす子どもたちの格好の遊び場だ。緑雨が一人で分け入っても誰も
雑木林をひらすら登っていく。
表通りや荷物を運ぶ裏道とは違い、足元が悪い。
歪んで飛び出た木の根に
背中にじんわりと汗をかく頃、林が途切れる。すぐ目の前に、飾り気のない、白い壁の建物があった。
羽を休める大きな白い鳥の、左羽根の先端。
窓の向こう側で本を読んでいる見慣れた顔の人物に、緑雨は合図を送った。
周りを見てはもごもごと喋っているが、口に肉の塊を頬張っているので聞き取れない。
杖は、魔力の使い方を覚えてから不要になり、同時に、
両手が自由に使えることのありがたさを桃糸はこの数刻で痛感していた。
ごくっと口の中のものを飲み込んでお茶を一口。爽やかな風味が肉の油っぽさを洗い流してくれる。
「うんまー!」
「はいはい、よかったな」
呆れ顔の晧に桃糸はにやりと笑う。
「次、何食べる?」
「いやお前、景色を見に来たんだろ」
宮殿に向かう途中に設けられた見晴らし台は広く、様々な出店が並んでいた。あたりには食欲をそそる匂いが漂う。
「そうだけどー。食も楽しみたいじゃーん」
食べ終わった串を店主に返し「ごちそうさま」と声をかける。
「んじゃ、見に行きますか」
見晴らし台は丘からはりだすようになっていて、周囲には安全のための手すりが設置されていた。
手すりは大人の腰の辺りの高さで、視界を邪魔するものはない。
人のいない場所を探し、桃糸と晧は手すりまでやってきた。
「おー!」
陽の光を受けて煌めく鮮やかな瓦。
途中を区切る、通りの柔らかな茶色や家々の壁。所々に混ざる木々の緑が、人工的な色合いに良い味付けをしている。
太陽の光が一番強い季節、うんとよく晴れた日に
「すごいなー」
「……うん、そうだね」
「どうした?」
「なーんでもない!ねぇ、僕、甘いもの食べたい」
景色にくるりと背を向けて、桃糸は果物を並べた出店に足を向けてしまう。
「おい、桃糸」
景色と桃糸を見比べ、晧は慌てて桃糸に追いついてきた。
「見ててよかったのに」
「お前、財布ないだろ」
桃糸はぺろりと舌を出して笑い、晧は「やれやれ」と溜め息をついた。
苺に飴をかけたものを買いさっそく頬張りながら、そういえばと
「色が見えないのに、なんでこんなに色が溢れた国になったんだろ」
呟きが聞こえたのだろう、飴屋の店主が訳知り顔で話し始める。
「この国には唯一、目の見えるお方がいるんだよ」
「……あれ、なんか聞いたことあるかも」
「有名な話だからな。
「ほぇー」
おまけだと言って、今度は葡萄の飴がけを差し出してくれる。
「この国の王位継承は血筋じゃなくて、目が見えるかどうかで決まるんだ。王様の目を楽しませるために、国中に色が満ちてるのさ」
「なるほどねー。おじさん、次はそっちの桃のやつちょうだい」
「ほらよ」
「ありがと」
しかめっ面をした晧に無言で財布を取り上げられ、一瞬きょとんとしたあとにかりと笑い、
「ごちそうさまー」
「いい加減にしろよ。ほら、行くぞ」
「はーい」
晧はさっさと歩き出してしまう。その背をのんびり追いかけた。
見晴らし台には雑木林が接していて、その林は宮殿に向かう斜面を覆っていた。
手入れのされていない様子の荒れた雑木林から、一人の子どもがそろりと出てきて旅行者に
周囲をやたらと気にしながら歩く癖が未だに抜けないからだが、この時はその癖が役に立った。
「ねぇ、晧。あの子」
晧の肘を掴んで引き止め、子どもを指さす。
「あぁ、さっきの菓子屋の子だな」
「……あの子ってさ」
「……あぁ」
桃糸が言外に何を言いたいのか悟り、晧は神妙に頷く。
「あ、おい」
桃糸は子どもを追いかけ「こんにちは!」とその肩を軽く叩いた。
子どもは飛び上がるようにして驚き、慌てて振り返った。
怯えた表情に見えたが、相手が桃糸だと分かるとほっとしたように笑った。
「この前の。こんにちは」
「うん、こんにちは」
笑顔のまま無言で見つめてくる桃糸に、子どもは困惑したようだ。
「あの、ぼくに何か」
おずおずと問いかけてくるその声は、やはり先日ぶつかった時に聞いたものだ。
「うーん、ちょっと……いや、かなり?だいぶ?気になることがあって」
こてんと首を傾げる姿が愛らしい。
「名前を聞いてもいい?僕は桃糸」
「……
頷いて、緑雨の髪に手を伸ばす。やはり一瞬、びくりと肩が跳ねた。
「お母さんと同じ色の髪だね」
肩口で揃えられた髪をするりと撫でて、桃糸はにこりと笑う。
「綺麗だけど……でも僕は、時々緑が混ざる、その赤い目も好きだよ」
「!?」
緑雨が大きく息を吸い、一歩後ろに下がる。顔には怯えた表情が張り付き、肩が緊張に上がった。
桃糸は慌てて「ごめんごめん、違うんだ」と両手を挙げる。
「蒼螺の人は、みんな瞳が濁るだろう?でも君の瞳は綺麗な色をしていたから、不思議だなって」
それに、と続ける。
「僕とぶつかった時とさっきお店で会った時の君、それに今と、瞳の色や声がなんか違うような気がして」
緑雨は肩の緊張を解き、視線を彷徨わせる。そしてぽつりと、
「お店で人に会ったなんて聞いてない……」
「ん?」
「いえ、独り言です」
頭上でかーんと鐘の音がひとつ響いた。
「……ぼく、家に帰らないと」
「あ、そうだよね。ごめん、引き止めて」
「いえ、それじゃあ」
「うん」
小走りに去っていく緑雨の後ろ姿を見送り、隣にいた晧に尋ねる。
「どう思う?」
大きく息をつき、晧はゆるく首を振った。
桃糸は腰に下げていた木製の鈴に触れる。
「……どう思います、
その日の夜。
実は当代の王は即位してまだ1年も経っていない。
先代王が崩御したのが半年前。その5年前に、王位継承者として5歳で王宮に迎えられたそうだ。
蒼螺国に仕える
目の見える王の最も大きな役割が、太陽や星、月の動きを知り、国内に刻を知らせることだ。
次代がその
そうして
桃糸は、色とりどりの菓子が並ぶ棚を背にした緑雨に、困ったような表情を浮かべて続けた。
「君は……いや、君たち双子は、2人とも目が見えたんだ」
榊と樒から話を聞いて、おそらく緑雨たちは双子なのだろうということに気付いたあと、桃糸はどうするべきなのか悩んでしまった。
彼らが双子で、何かしらの理由があって入れ替わったりしていることがわかった。
だが気付いたからといって、どうだというのだろう。
国は上手くまわっているし、まったくの他人である自分が関わる問題ではない。
……母親は知っているのか。父親は。
「口を
晧はそう言って、明日には蒼螺を出ようと提案してきた。
行商人である晧の仕事はすでに終えていて、郷里に戻るという。
桃糸も一度、
「でもさ、わかってるんだけど」
縋るように両手で木の鈴を握る。
「放っておいたらいけない気がするんです」
ころんと優しく鈴が鳴る。
「見晴らし台で会った時に……晧、気付いた?お店で会った時も」
桃糸が痛みに耐えるように告げた内容に晧は衝撃を受け、翌朝一番に菓子屋に赴くことを決めたのだ。
「
自分の足先を見つめたまま、緑雨は返事をしない。しゃがんで目線を合わせようとしたが、ふいと後ろを向かれてしまった。
「僕も
店の奥から様子を見ていた母親がやって来て、子どもの肩を抱き寄せる。
「こんう……かい?」
こんう。
母親は
老齢な蒼螺国の
何かを見たわけではない。ただの胸騒ぎだ。
瑞奉は
瑞奉は自分の主が蒼螺国の王になることをもちろん昔から知っていた。
その人物が現れるのを今か今かと待ち続け、5年前にやっと迎えることが出来た時、瑞奉は年甲斐もなく泣き崩れた。
大の大人が幼い子どもの前い
この人物の、人物たちの願いを叶えるために、自分はここに来たのだ。
進む先、目的の部屋が見えてくる。左翼の一番端、
なんの飾り気もない真っ白な壁に囲まれ、寝台がひとつと書き物机が1組あるだけ。ぽっかりと開かれた窓から見えるのは手入れのされていない雑木林。
初めて通された時は本当に驚いたが、歴代の王たちは色の少ないこの部屋を愛してきた。
がたんという物が倒れたような音に思考が戻される。
挨拶もそこそこに部屋に飛び込んだ。
「王!」
城下町の子どもと同じような、簡素な部屋着に身を包んだ王が、床に倒れている。近くに椅子が横倒しになっており、先程の物音はこれだろうと察した。
「お怪我は!?」
駆け寄り助け起こす。咳き込んでいたので背中を撫でてやった。
「瑞奉、どきなさい」
地の底から響いてくるような声に顔を上げれば、立ち
(やはりいたか)
王の私室前にいるはずの兵士がおらず、人払いされている様子からわかってはいたが。
男の短く刈られた髪は濃い茶で、所々に白いものが混じっている。
瑞奉は王を庇うようにして、
「王の私室で何をしているのです、補佐官殿」
男の右手には定規のようなものが握られている。平たく削り出した、ある種の棍棒だ。
ぱちんと自らの左手を叩くと、補佐官は「お伺いしたいことがありまりて」と王に視線を移す。
「もう一度お尋ねします。机上にある果実は、どのようにして手に入れられたのですか」
書き物机の上に、よく熟れた赤い林檎がひとつ置かれていた。瑞奉はちらりと後ろを見やる。
王は眉間に皺を寄せ、固く口を閉ざしていた。頬が上気し、瞳には涙が滲んでいたが、絶対に話すまいという決意が伝わる。
瑞奉は幼い主君の肩にそっと触れた。
「じいやにお任せください」
見上げてくる瞳に笑いかけ、改めて補佐官と向き合う。
「どなたかからの頂き物でしょう。贈り物ひとつでそこまで目くじらを立てることはありますまい」
「毒味を通さずに食品を王に出すことはあってはならん」
「もし万が一のことがあるならば、私がすでに
「ふん、どうだか。お前のような老いぼれに何ができる」
嘲りの笑みを浮かべ、再びぱちんと棍棒を鳴らす。
「王に接触した者はごく僅か。全て私が把握している。ここを訪れた者はいない」
棍棒を振り上げ、勢いよく林檎を机から叩き落とした。
ごろりと床に落ちた果実は裂け、芳醇な香りと果汁が溢れる。
「……王!?」
肩を抱こうと伸ばした瑞奉の手を払い除け、子どもは補佐官に掴みかかった。
「いい加減にしないか!」
一喝と共に補佐官に突き飛ばされる。
倒れていた椅子にぶつかりそうになったが、瑞奉が抱きとめることで防いだ。
「お前は王だ。
喉の奥から絞り出すように、激情を押し込めたような声で、王は「うるさい」とようやっと口にした。
「……なんだ、その口の利き方は」
高圧的な補佐官をきっと見上げ、王は再度、今度は力強く「うるさい!」と言い放った。
「お前がそんなだから、母さんは王宮を出たんだ!」
補佐官は眉間に皺を寄せ、王を
「暴力で従えようとする!そんなんじゃ誰も幸せになんて出来ない!
はっと慌てて自らの口を両手で抑える王。しかし零れ落ちた言葉は戻らない。
補佐官の顔色が変わる。手にしていた棍棒を音がするほど強く握り、感情のままに子どもの腹を打ち据えた。
「王!」
悲鳴すら上げることも出来ず、小さな体が吹き飛ぶ。
瑞奉が慌てて駆け寄った。
「では、貴様は
補佐官は背を向けると、扉を開けて大声で人を呼んだ。
「兵を集めろ!」
必死に体を起こし、緑雨は補佐官に
「待って、父様!違う!」
「王が攫われた!」
「父様お願い!待って!」
「補佐官殿、お止めなさい!」
補佐官や瑞奉の声に何事かと人が集まってきた。
補佐官は「王が攫われた」と繰り返しているが、では補佐官の腰に抱きついているのは誰なのか。
着ている服は城下町の子どもと同じようなものだったが、顔の造りは王その人だ。
「補佐官殿、これは……」
困惑した様子で、人払いされていた王の私室を警備する兵士がやってくる。
「こいつは偽物だ」王の私室を示し「部屋に閉じ込めておけ」と指示をだす。
首を掴まれて放り出された緑雨は、壁に頭を打ち付けて
「賊の居場所を
言い放つと、補佐官は大股でその場をあとにした。
(続)
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