幇助(ほうじょ)
男は国々を渡り歩く行商の仕事をしている。父も祖父も同じ仕事をしていた。
家族と過ごす時間は少ないが、知らない国の話に顔を輝かせて聞き入る息子の様子が、全ての疲れや不満を吹き飛ばしてくれた。
通貨でのやり取りをすることもあったが、物々交換をしたり、場合によっては職人から商店への橋渡しをすることもある。
小さな工房の頑固親父から
太陽が真上にくる頃、男は馴染みの細工師を訪ねていた。
「よう、来たぞ」
気安く声をかけ、木屑が落ちている中を気にすることなくどっかりと座る。
「今回のも良さそうだな」
「ん」
細工師の男は無愛想に返事をし、顔を上げることもなく、作業する手も止めない。
ところ狭しと並べられた木製の細工物は、どれも
ここ
隣国の
香木だけではなく木工においても、翠木国の職人の右に出るものはいないと言われている。
この細工師もかなりの名工で、その技術をひとつでも盗もうと年若い弟子たちが手元を覗き込んでいた。
行商人が「錦香国の分だ」と言って、両手の平に乗る程度の布袋を細工師の前に置く。
じゃら、と重い音がしたが、細工師は特に気にしたふうがない。
「山を通って
行商人の申し出に、細工師はやっとちらりと視線を動かした。
視線の先にあったのは食器類。
「わかった。ある分は全部持っていくぞ」
「ん」
ささくれのないつるりとした感触の皿や箸は、丈夫で使い込むほどに味が出てくる。
山を降りることのない仙や、国民全てが盲目の
「じゃ、また来る」
「ん」
余計な会話はしない。これがいつものやり取りだ。
品物をまとめ工房を出たところで「おじさん!」と声をかけられた。
振り向いた先では、黒髪の子どもが一人笑顔で手招きしている。
子どもの前には布が広げられ、木製の小物がいくつか並んでいた。
「商売かい、お嬢ちゃん」
「うん。ひとつでも多く売らないと、師匠に怒られるんだ」
この国では珍しいことではない。
弟子に自分で作ったものを売らせ、客との交渉や自分の腕前の価値を学ばせる。師匠の元を離れる直前の、最後の修行だ。
だが目の前にいるこの子どもは、まだ幼くはないか。独り立ちには少し早いように感じる。
「お嬢ちゃんにはまだ早いんじゃないか」
思ったことをそのまま言うと、子どもは「そんなことないよ」と口を尖らせた。
「うちの工房の中では、私より上手いやつは師匠しかいないんだから」
勝気な様子が可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまう。
「お足じゃなくてもいいからさ。ね、おじさん」
髪と同じ黒い瞳をきらきらさせているその表情が、郷里においてきた息子と重なる。性別こそ違うが、年齢は同じくらいだろうか。
「ふむ」
品物を示して、「どれがおすすめだ?」と訊いた。
子どもは嬉しそうに笑って、慌ててひとつの品を手に取った。
「これ!これが一番の自信作!」
子どもが手渡してきたのは雫の形をした飾り物だった。表面には梅の花の透かし彫りが施されており、軽く振るところんと柔らかい音がする。
「鈴になってるんだ。珍しいでしょ」
「お嬢ちゃんが細工したのかい?」
「あー……。鈴にしたのは師匠。でも透かし彫りは私がやった。魔除けのお香を焚きしめてあるから、お守りになるよ」
それから、えっと……と言い淀んでしまった子どもの頭を撫でて、「交換でいいか」と持ちかける。
喜色いっぱいに何度も頷く子どもに、行商人の男はもうまるで我が子を相手にしているような気分になってきた。
男は荷物の中から、先日、蒼螺国で仕入れた小さな耳飾りを取り出す。
「これでどうだ」
「耳飾り?……鈴だ!」
「あぁ」
青い鈴のついた小さな耳飾りを手に乗せられ、子どもは頬を上気させる。
「いいよ、交換しよう!」
「ありがとさん」
男は木鈴を丁寧に布で包み、荷物の中にまとめた。
「お嬢ちゃん、名前は」
「え?」
「たまにお客でいるんだよ、品物の細工師の名前を知りたがる人が」
そうやって名前と腕前が知れ渡っていけば、固定のお客がついてくれることもある。
「……
男はくしゃりと麗の頭を撫でる。
「わかった。頑張れよ」
「うん、ありがと!」
今にも飛びつかんばかりの麗の様子に後ろ髪を引かれつつ、男は背を向け、当初の目的通り
春青山から蒼螺国へ行き、湖を渡って
一日でも早く郷里に帰りたい。仕事も大事だが、今は息子に会いたくてたまらなくなっていた。
(
男は荷物を背負い直して空を見上げ、今頃は友人たちと元気に遊んでいるであろう息子を思った。
机上のやり取りを
今日は2ヶ月に一度、城下町で市が開かれる日だ。貴賎を問わず、期日までに申し出れば誰でも出店できた。
当代の王になってから始まったもので、階層を越えた人々の交流を目的にしていたが、なかなか厳しい。
白秋は中間層の人々が多く出店している通りを歩いていた。ここが一番多くの物が集まる。その分人通りも多く、問題も起こる。
ひったくりにあったと金切り声をあげる女性と、その女性に忘れ物を届けに来た商人との
お騒がせしました、と夫に連れられて人混みに消えていく女性を見送り、息をつく。
「やれやれ」
城からの警備も出ているが、人手が足りていない。もしくは、偏っている。
兄たちや父王になんと進言しようかと悩む。現状を伝えるには会議をさぼってここにいたことを伝えなくてはいけない。それはそれで面倒臭い。
堂々巡りをする思考に振り回されていると、「お兄さん!」と声をかけられた。
見れば、敷き布にいくつかの品物を並べた子どもがいた。
「なんだか難しい顔をしているね。暇ならちょっと見ていかない?」
白秋は笑って、品物を見ようとしゃがんだ。
「一人ですか?親御さんは?」
「ちょっと用事があってね。すぐ戻ってくるから、それまでに一つでも売っておきたいんだ」
そう言って、子どもはあれやこれやと白秋に見せてくる。
「これは
「……なるほど」
どちらもなんとも怪しい。
仙の作ったお守りや錦香国の香炉ならいくつも見ているが、今子どもが示してきたものはいかにもな偽物だった。
この子にそれを伝えたところで仕方がない。親が戻るのを待つか。
まさか他の品も、と布の上に並べてあったものを見ていた白秋は、小さな耳飾りに目を奪われた。
「これは」
他の品物と同じように雑多に並べられたそれは、一対の小さな青い鈴の耳飾りだった。
「それは、えっと、なんだったかな」
子どもが首を傾げつつ、しどろもどろに説明しようとする。
「あー、たしか、錦香国の、えっと」
白秋は片手を上げて説明を遮った。
「君が作ったのかな?」
「違う!交換したんだ。……あ」
罰が悪そうに頬をかく子どもの頭を、白秋は少し乱暴に撫でる。
「あまり嘘をつくものではないよ。見る人が見れば、仙のお守りも錦香国の香炉もすぐ分かってしまう」
子どもは「ごめんなさい」と肩をすくめた。
あらためて耳飾りを見る。あまり見たことのない模様だ。
「これは誰と交換を?」
「行商人だって言ってた」
「細工師の名前は聞いた?」
子どもはふるふると首を横に振る。勿体ない。良い作りなのに。
澄んだ青に走る銀の模様が美しい。それは、最近自分に
「これを貰うよ」
「ほんと!?」
「えぇ」
飛び上がるようにして喜んだ子どもに、提示された通りの金額を支払う。
少し高いような気もしたが、彼女へのお小遣いだと思うことにした。
耳飾りを受け取り、懐にしまう。
「ありがとう、お兄さん!」
頬を上気させる子どもに、一人の店番は十分用心するように伝え、背を向ける。
歩き出したところで白秋は「あぁそうだ」と思い出した。
親に偽物の品について注意しなくては、と店に戻ろうとして、びくりと足を止めてしまう。
「え」
つい先程までいたはずの子どもがいない。そればかりか、広げられていた品物も消えている。いくつもの露天が並ぶなか、そこだけぽっかりと空間があった。
白秋は慌てて周囲を見回すが、人が溢れた通りにあの黒髪を見つけることは出来なかった。
黒髪の子どもは飛び跳ねるように歩いていく。
市の喧騒から離れた狭い路地は薄暗く、ひんやりと冷たい。
鼻歌を歌いながら手近な扉を無造作に開けた。
「お帰りなさいませ」
「うん」
子どもが入った扉の先は、大きな広間に繋がっていた。先程までの狭い路地からは想像できない。
子どもを出迎えた茜色の髪の女性が、丁寧に頭を下げた。
「今回はどちらまで?」
「
一段高くなった場所に据えられた、まるで玉座のように豪奢な椅子に、子どもはぽすんと腰を落ち着ける。
「どうにも
子どもは頬杖をつく。
女性が茶器を揃えて持ってきた。
「
「うん。……まぁ、長くはないよ」
差し出された湯のみを受け取り、子どもは口を付ける。ふわりと漂うのは桃の香りだ。
「私が
「
女性は小皿に乗せた色取りどりの豆菓子をすすめる。
「何を考えているのかねぇ、創造主殿は」
緑を避け、白と黄のものをぽいぽいと口に入れ咀嚼する。
「いつまで待っても私の終焉は視えないし」
空いた湯のみに追加の茶を注ぎながら、女性は眉を
「まだお早いでしょう」
「もう充分だよ」
「お止めください、
子ども……瑞麗は、ふうと息をつき女性を見上げた。
「お前もまた面倒な先を視たものだね、
「
瑞茜は誇らしげに笑って、瑞麗が避けた緑色の豆菓子を下げた。
「それ辛いから嫌いだ」
「おや、そうでございますか」
ひとつ摘んで口に入れる。
「……そうですね。瑞麗様にはまだ早いお味かもしれません」
「言ってろ」
瑞麗が
それを知っていたからといって自分の行動を変えるつもりはない。
自分は
繰り返し視ている先がある。
高い塔の上にある小さな部屋で、一人の少年が暮らしている。
彼はふと思い立ち、部屋の中央に置かれた箱庭に近付く。
一通り眺めたあとおもむろに手をかけ、箱庭をひっくり返してしまうのだ。
そこで終わる。その先は何も視えない。
(言わなくていい)
こちらはどうですかと微笑んで、別の茶菓子を出してくる
(知らなくていい、こんな終焉は)
いつ訪れるものなのか、瑞麗にはまだ明確に視えていない。
瑞茜が差し出してきた桃まんに手を伸ばしながら、瑞麗は答えの出ない思考を頭の奥に押しやった。
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