十返りの花(とかえりのはな)

 ながい時が過ぎた。

 ただただ眠くて、その気だるさに身をゆだねて、どれだけの時間を過ごしたのか。

 覚えている最後の記憶は、死してなお傍に仕えると誓った主の優しい手に、この冷たい器を撫でてもらった時のこと。

 年齢の刻まれた手は皺だらけだったが、その温もりは初めて出会った時から最期の瞬間まで、これっぽっちも変わらなかった。

 眠りの中、過去の優しい夢を繰り返し見ている。

「 」

 そしてある時から、夢とうつつの区別がつかない場所で、音とも声とも言えるものに呼びかけられているのに気付いた。

「 」

 懐かしい感覚。

 深く深く眠っていた自分の意識を揺り起こす、優しい声。

「 」

 そんなわけはないと理解している。

 生涯の主君と決められた人物を、自分は看取っている。

 それがどれだけ前のことなのかは定かではない。彼のはずがない。

「 」

 でも。だが。しかし。

 この感覚は。



「……ここか」

「はい」

 森の中に現れた集落の大きさに、旺白おうはくは一瞬驚いた。

「山の上にあるにしては随分と広いな」

「ここに住む者たちの役割を考えれば、妥当かと」

「そんなものかね」

 至天山してんざん先視さきみの一族が住まうこの山は、その名の通り天に届きそうなほど高い。

 一族のおさからの許可がないと入山することも出来ないことになっており、「至天山に登った」という経験はそれだけでひとつの肩書きになった。

 至天山にはもうひとつの役割がある。

 春青山しゅんせいざんで生まれた仙の、墓としての役割だ。仙を辞し術士として各国を巡り、そして彼らは最期の時を至天山で迎える。ゆえに、至地山しちざん(死地山)とも呼ばれた。


 集落の入口、木造りの大門の前に、一人の子どもが立っていた。

「お待ちしておりました」

 からすのように黒い髪を肩口で切りそろえたその子は、旺白たちを出迎えて頭を下げる。

「案内をおおせつかっております」

 姿かたちは幼子おさなごにしか見えないのだが、その口調や所作はやたらと大人びている。

 その歪さが面白くて、旺白は思わずくつくつと笑ってしまった。

「どうなさいました」

「……いや、すまない。君はいくつなのかな」

 子どもは旺白とその後ろに控える数名の従者を見上げて、さげすむように笑む。

「私は先視の一族。先視とはすなわち仙や術士に並ぶ者。強大な魔力を持つ我々に、年齢など無意味」

 瞳は髪と同じく漆黒で、見つめているとその闇に呑まれてしまいそうな錯覚を覚える。

「幼く見える者が真実幼いとは思われないことです」

「……そうか。失礼なことを伺ってしまった。申し訳ない」

 旺白は姿勢を正し、深く頭を下げた。

 子どもは満足そうに笑うと、ついてくるように言い、大門の横にあるくぐり戸を抜けた。


 くぐり戸を抜けた先は、大通りの一番端のようだった。

 真っ直ぐ大きな道が集落を横断しているようで、遠くに今通ってきたのと同じ作りの大門が見えた。

「出る時はあちらから出るように」

「わかった」

 旺白たちは大通りを歩く。

 自分たちの住む国とさほど変わらない。食事処があり、商人のような人々もいる。

 不思議だったのは、お客が要件を言う前に品物を提示する様子が何度も見受けられたことだ。

 さらに気になったのは、子どもたちの姿が極端に少ないように感じた。

 きょろきょろと視線を動かしていた旺白は、すれ違う人々が先導している子どもにいちいち一礼していくことに気付いた。

 その様子からなんとなく悟ったが、あえて黙っておく。

 集落の中心だろうか、少し開けた場所に出た。

 ごく普通の民家に案内されたが、一歩足を踏み入れ驚いた。

 そこは深い森の中だった。

 慌てて旺白は振り返ったが、入ってきた扉が消えている。

 案内をしていた子どもも従者もいない。

「そなたを待っている者がいる。探しておいで」

 響くように聞こえてきた子どもの声。

「……待っている者?」

 自分は初めてここに来た。

 そもそも、至天山してんざんに行こうと決めたのもほんの数日前だ。

 許可がもらえたのは奇跡だと従者たちは喜んだが、時節が良かったのだろうと深く考えていなかった。

 森の中を静かに風が流れていく。

 青々と茂った木々は、どこまでも高く伸びていくようだ。

 じっとしているのは性にあわない。

 旺白おうはくはあちこちを眺めながら、森の奥へ足を進めた。

「へぇ」

 緑の葉をつける木々の中、一本だけ、金に輝く葉をつける大木を見つけた。

「面白い」

 近付いて幹に触れ、見上げてみる。

 すぐ近くの枝に、小さな鈴が引っかかっているのが見えた。

 結ばれている紐はくたびれており、その鈴も元の色が分からないほどに汚れている。

 旺白はなんとなく興味をひかれ、手を伸ばしてその鈴に触れた。

(お懐かしい)

「え」

 突然、頭の中に聞こえた若い男の声。

 周囲には誰もいない。先程の幼子おさなごの声とも違う。

(驚かせてしまい、申し訳ございません)

「……お前が話しているのか」

 鈴の紐は枝に絡まっていて、外すことが出来そうにない。

 仕方なく旺白は、懐に手を入れ、護身用の小刀でくたびれた紐を切った。

 手のひらにころんと小さな鈴が落ちてくる。

「面白いな。喋る鈴とは」

 旺白は服が汚れるのも構わず、袖で鈴をぬぐってやる。

「名は。あるのか」

鈴青りんしょうと呼ばれております)

「りんしょう。……鈴青?あぁ、なるほど!」

 一人で納得し、にこにこと嬉しそうに鈴青を磨く。

 次第に汚れが薄れていき、美しい青色が見えてきた。

「そうかそうか。お前が鈴青か」

 くすりと笑う気配を旺白が頭の中で感じると、笑い含みの声のまま、(はい)と鈴青が応じる。

「私は旺白という」

(はい。……我が主君きみ

「なんだ、気付いていたのか」

(もちろんです。私は先視さきみの鈴。存じておりますよ)

 二人でくすくすと笑いあっていると、ぱちんと手を叩く音が聞こえた。


 気付けば、旺白は広間の真ん中に立っている。

 柔らかな敷物の上、何が起きたのかわからずに、鈴青を手にしたまま立ち尽くしてしまった。

「待ち人には会えたか」

 正面の、まるで玉座のようなしつらえの椅子に、案内人の子どもが座っていた。

「やはりあなたは」

「そう。私がこの山の管理人だ」

 彼女は頬杖を付き、意地悪く笑う。

「さすがは朱夏国しゅかこく次期国主。察しがいい」

「私の従者たちは」

「別室でお待ちいただいているよ。大丈夫、危害など加えていない」

 ほっと息をつく旺白に、彼女は近くに来いと手招く。

「お前にその子を返そう。もともと朱夏国の国宝だったものだ、国に戻すのがいいだろう」

「はい」

 彼女は旺白の手の上にある鈴青を撫でる。

「本来私たちは、終焉のために永き時を生きる。終わりがあることを知っているから、常人とは違う時間も生きていける」

「はい」

「唯一の主を決め、そのお方のために命を尽くすのが我々だ。だが、この子は歪んでしまった」

 ちりん、と鈴青から澄んだ音がする。

「この鈴の器にかけられた力は本当に強い。尽きることを知らない。……この子の魂は、いつまでもここに縛られるだろう」

 旺白は鈴青に視線を落とし、そして強く握った。

「この子は最初の主を看取った後、眠りについていた。そのまま眠り続けるだと思っていたが、そうではなかった」

 きょとんと首を傾げる旺白に、彼女は指を突きつける。

「お前だよ」

「……はぁ」

「お前の魂に呼ばれて、この子は目覚めたのさ」

「魂」

「そう」

 なんのことやら、自分にはよくわからない。

 よくわからないが、「それはなんだかちょっと嬉しいです」そう言ってはにかむ旺白に、鈴青は思わず笑ってしまった。

 その柔らかい笑い声が聞こえているのは、もちろん旺白ただ一人だ。

「え、なんで笑うの」

(……申し訳ありません)

 なおもくすくすと笑う鈴青に、旺白は不思議そうだ。

 その様子を見て、彼女は肩の力を抜く。

「大丈夫そうだね」

 首を傾げる旺白に彼女は手を振った。

「なんでもないよ。さぁ、もうお行き」

 さっさと行けと扉の外を示す。

「その子を大切にしておくれよ。本来は私の後継にするつもりの子だったのだから」

“するつもり”など、先視にはありえない。

 全てえているのだから。

 だが、それだけ大切に思ってくれていたのだということが嬉しくて、鈴青は意識の中で深く頭を下げた。



旺白おうはく様は、なぜ至天山してんざんに?)

 従者と合流し、すぐに屋敷を出た。

 最初に言われた通り、入ってきたのとは反対側にある大門に向かう。

「んー……。なんとなく」

(なんとなく)

「うん」

 外に出るための大門に着いたが、そこには誰もいない。

 全て知っているからなのか、出ていく者に興味がないのか。なんとも不思議な場所だと面白がりつつ、くぐり戸を抜ける。

 先視さきみの一族の集落には、至天山の中腹から徒歩で入るのが習わしだ。帰りも同様。

 のんびりと下山しながら、旺白は小刀に新しい紐で結びつけた鈴青りんしょうをちりちりともてあぞぶ。

「私が朱夏国しゅかこくの次期王なのは分かっているね」

(もちろん)

「準備期間として、3年もらったんだ」

(はい)

「で、あちこち見て回って、ついでに至天山にも行ってみようかと思って」

(ついでに)

 何が面白いのか、鈴青はまた笑っている。

 その笑い声は柔らかく優しく、旺白の耳に心地良い。

「知っていたのではないの?」

(え?)

「先視の力で」

 小川を渡り、さらに下る。

(私は、長く眠っておりました。ただでさえ、鈴の器は力が安定しないのです)

「そうなのか。色々と大変なのだな」

 日が少し傾いてきた。

 休める所を探すと、従者たちが周囲に散っていった。

(……お役に立てないかもしれません)

「問題無いよ」

 小さな鈴に視線を向けて、旺白は美しい金の瞳を細める。

 白銀の長い髪は、陽の光に溶けるようだ。

「先がわかるのはありがたいが、私は今が大事だ。大丈夫、心配しなくていい。鈴青は、私の貴重な友人にでもなっておくれ」

(……はい。我が主君きみ

「うん、よろしくね」

 旺白は鈴青に唇を寄せる。その温かさは、鈴青がよく知っているものだった。



 朱夏国。

 第96代王朝は、歴代の王として初めての女王が即位した。

 至天山から戻った国宝、先視の鈴の力を大いに活用し、朱夏国史上、最も栄えた王朝だったと言われている。

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