兆(きざし)

 生まれた時から頭の中に響いていた音が、現実にも響いていた。

 どこか遠くで鈴を振る音がずっと響いている。

 まだ夢の中にいるような、ふわふわとした不思議な感覚。

 どこまでも続く森の中に、わたくしはいた。

 木々が黄金に光り、そのため周囲はほんのりと明るい。

 沢山の木があるというのに一枚も落葉していないのが面白い。

 だからといって葉が青々をしているわけではなく、全て、黄金に光っているのだ。

 今が昼なのか夜なのか、それすらもわからない。

 見上げて太陽なり月なりを探そうとするが、頭上は薄白く輝くばかりでわからない。

 雪の降り積もった庭が空にあるようだ。

 ぼうっと立っていても仕方がない。ここがどこなのか検討をつけなければ。

 しかしこの場所は、物事を考えることを忘れさせてしまう。

 現実だと思っていたが、実は夢の中なのかもしれない。

 この黄金色の、物音ひとつしない空間にただいつまでもいたいと、そう思ってしまう。

「 」

 どこからともなく、声がする。

 声、が聞こえたと思う。

 頭の中で響いていた音が、実は声だったような気がする。

「 」

 森の奥から聞こえた。

 呼ばれている。招かれている。……導かれている。

 ゆっくりと足を踏み出して、わたくしは森の奥へ、音のような声のもとへ、行こうと思う。

 最初の一歩は暗闇の世界へ。

 恐怖で踏み出した二歩目は再び黄金の世界へ。

 反動で踏み出した三歩目の時に、それは目の前に現れた。

 周囲にあったのと同じ黄金に輝く木。

 しかしその大きさは周囲のそれとは比較にならない。

 二倍か三倍か。

 枝葉は力強く大きく広げられている。

 生命の強さそのものを表しているようだ。

「 」

 また聞こえた。

 私を呼ぶ声。

 黄金の巨木の中心から、柔らかく響く声。

 木に触れてみると、それは変わった感触だった。

 見た目のごつごつとした表皮ではなく、感じるのは水に触れた時のような冷たさと、なめらかさ。

 心地よく、陶酔させる。

「 」

 私を呼ぶ声と、暖かなものに包まれる感覚。

 母親の腕に抱かれるような安息感。

 私は静かに、瞳を閉じた。


「珍しや。人の仔かえ」

 高い、少女特有の声。

 目を開けると、そこは森の中だった。

 緑の木々が繁る静かな森。

 古ぼけた小屋があって、その前に小さな人影がある。

 布を目深に被り、見えるのはあかい髪の先端だけ。

 これは現実。夢ではない。

 わたくしはこの者に会いに来たのだ。

「いかにしてここまで来たのやら。我の許しのない者は辿り着けぬはず」

 楽しそうに話す彼女は、たぐいまれな力を持っている。

 自らの肉体を不老のものとするほどの。

「名は」

 白く華奢な手が布を落とす。

 髪と同じ朱い瞳が笑んでいた。

「私は瑞青ずいしょう。……先視さきみの一族です」

「先視。おやおや」

 ころころと笑いながら、彼女はそばにあった切り株に腰掛けた。

 私の頭の中で、再び声がする。

「 」

 いずれ出会う、我が主君きみ

「私はあるお方のために命を落とします。そのお方は朱夏しゅか国において失うことの出来ないお方。そのお方をお守りすることが、私の生涯のお役目」

 我が主君。

 生まれ落ちた時から焦がれたお方。

 貴方の涙は、国民のそれよりも尊い。

 貴方のお傍を離れることなど、私には考えられない。

「そのお方の未来さきを、私はたい」

「 」

 優しく穏やかな声。

 私を呼ぶ、我が主君の声。

「そのお方のお傍に死してなお留まりたいと思う時、ここまでの道を開くことをお許しください」

 彼女の笑みが薄暗いものに変わる。

 私の言いたいことがわかったのだろう。

「まこと、先視さきみの一族はほんに面白い」

 妖しい光を湛える、朱い瞳。

「汝の魂を封じる器に印をつけておくがよかろう」

 彼女は私に近づき手を取る。

 甲にそっと唇を押し付けてきた。

 赤い光が小さく灯り、すぐに消える。

「代償として、汝の体を貰い受けよう。魂の抜けた体など使い道はあるまい?」

 優しく微笑み、私の腕を撫でた。

 知っている。

 彼女の手にかかれば、しかばねすら立派な道具になるだろう。

 だが、それがどうした。

「どうぞ。差し上げます」

 満足そうに笑って、彼女は頷いた。

「では戻るがよい。その時を楽しみにしていよう」



 声がする。

 近く遠く。

 優しい声。



鈴青りんしょう?」

 気付くと、我が主君きみが眉間に皺を寄せてわたくしを見ていた。

「どうしました?具合いでも悪いのですか?」

(我が主君……。ご心配はありがたいのですが、鈴に具合いなど)

「それはそうかもしれないけれど。急に黙り込んでしまうから」

 暖かな手で、今の私の器である青い鈴を撫でてくださる。

(大丈夫です。少し、夢を見ておりました。白秋はくしゅう様にお会いする前の夢を)

「そう。それは、よかったかも」

(よかった?)

「うん。その姿でいても、夢が見られるのですね。よかった」

(我が主君……)

 貴方の未来が、私にはえる。

 それは同時に私の未来でもある。

 しかし貴方は、決してそれを聞きたがらない。

 今が大事。

 貴方のその考えを捻じ曲げようとは微塵も思いません。

 今を愛する貴方に、私は仕えましょう。

 その終焉が訪れるまで。

(我が主君)

「ん?」

(会議の時間がせまっております。そろそろ城にお戻りを)

「もう少し。ここは風が気持ちいい」


 生まれ落ちた時に知る己の終焉。

 我が主君。

 貴方は私の希望。

 終焉の中に見えた、一縷いちるの光。

 我が主君。

 何があろうとも、お傍におります。

 貴方は私の……


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