遭逢(そうほう)
国土の北方に深い森を持ち、東方を
貧富の差が大きく、歴代の王たちはその差を埋めることを国の第一施策としてきた。
現在の朱夏国王には3人の王子がおり、第一王子と第二王子は国王の側近として、国の力となっている。
陽が天高くなる頃、宮殿では客人を迎えていた。
国王と来訪者が初めて顔を合わせる謁見の間に、3人の人物が膝をついて頭を垂れている。
正面の玉座には朱い服を着た男性が座していた。
朱は朱夏国の国色で、公の場で身に着けることが許されているのは王だけである。
「顔を上げてくれ」
威厳に満ちた優しい声に応え、3人はゆっくりと頭を上げた。
2人は四十代前後の男女、少し後ろにいたもう1人は二十代前後の青年だった。
「よく来てくれた。今日からよろしく頼む」
国王からの直々の言葉に、男は感極まったように再び深く頭を下げ、女は慌ててそれに倣った。
しかし青年は、小さく会釈を返しただけ。
強い、冷静な青い瞳をしっかりと王に向けている。
(おや)
国王の右後ろに控えていた第三王子・
才を認められ宮殿に召し上げられた。国民なら誰でも憧れる、国王中心の生活をおくれるのだ。
にも関わらず、あの青年は無表情の中に不服そうなものを含ませており、それを隠そうともしていない。
(面白そうな人物だ)
白秋は第二王子の横をすり抜け、父王の前に出て膝を折った。
「父上」
「どうした」
「お願いが。あの青年を、私の配下にいただきたく」
「お前にはすでに二人の側近を付けたと記憶しているが?」
「駄目ですか……?」
銀に近い前髪の間から、上目遣いに覗いている金の瞳。
白秋は無邪気な少年のように微笑んでみせた。
「まったくお前は……。名を
「はい。ありがとうございます、父上」
女官に案内されて瑞青が入った部屋は、随分と質素な作りだった。
あの豪奢な謁見の間があるのと同じ宮殿だとは思えない。
一人窓の外を眺めていた白秋も、今は白いだけで飾り気のない服を着ている。
肩より少し長く伸びた髪も、無造作に後ろへ流しているだけ。
(王子?これが……?)
釈然としないものを抱えつつ、瑞青は振り返った白秋の前に膝をつき、右手を左胸に当て頭を下げた。
「ご挨拶を。我が
瑞青の髪は蒼く、白秋よりも長い。
邪魔にならない程度にまとめてあったその髪を、白秋の手がするりと掬いとった。
「綺麗な髪ですね。空の色だ」
左胸に当てられていた瑞青の手を取り、戸惑う彼を無視して立ち上がらせる。
「私と二人の時に、膝を折る必要はありません。むしろやめてください」
「……しかし」
「実はお願いがありまして」
白秋は楽しそうに笑って
「友人になっていただけませんか?側近や配下ではなく」
「は?」
冷たい色を宿らせていた瑞青の瞳が、今度は困惑に揺れている。
(面白い)
「私には親しい友人がいないうえに、兄上たちとも気が合いません。とても退屈しているんです」
「はぁ……」
「なので、貴方に新しい刺激になっていただきたくて。話し相手でも喧嘩相手でも」
「……承知しました」
ため息とともに返事をし、瑞青は取られたままいつの間にか握手の形になっていた右手を、緩く握り返した。
「ありがとう」
満面の笑みを浮かべる白秋を見て、瑞青は(あぁ)と内心で嘆息する。
たとえ王子らしくなくとも。自分がどんなに抵抗しようとも。
(このお方こそ、幼い頃から焦がれてきた、我が主君)
柔らかな日差しの降り注ぐ中庭をぼんやりと眺める。
小鳥たちが鳴き交わしながら戯れている様子は、とても穏やかだ。
「瑞青!」
呼ばれて振り向くと、にこにこしている白秋に手招かれた。
「なにか」
そっけなく応えるが、
「あなたは普段、耳飾りをしていませんね」
「はい」
「でも、穴は開いてますよね」
「はい」
生まれた子どもの耳に穴を開ける風習は、国を問わず広く浸透している。
男児は両耳を、女児は片耳に穴を開ける。
結婚の証として、女児は後に残りの耳にも穴を開けるのだ。
「新しい耳飾りを買ったのですが、私は実は左耳しか開いていなくて。片方はぜひあなたに」
そう言って白秋が見せたのは、小さな青い鈴の耳飾りだった。
「……そんなことより、我が
「おっとぉ。どうしてでしょうねぇ」
引きつった笑みを浮かべつつ、白秋は瑞青の右耳に青い鈴をつけた。
白秋の左耳にも同じものがある。
銀の髪と白い肌に映えて、よく似合っている。
「じゃ、私はこれで」
瑞青の返事を待たずに、白秋は身を翻して風のように駆けていってしまった。
入れ替わりに第一側近がやってくる。
「今、王子のお声がしたが!?」
「あちらに」
瑞青が示してやると、側近は服の裾をばたつかせて追いかけていった。
「王子!白秋王子!大事な会議があるのをお忘れですか!?」
側近たちの怒声を聞くのにもすっかり慣れてしまったが、瑞青は思わず右手に顔を
「……仕事してくれ」
仕事の合間に、白秋はよく狩りをしに出かけた。
狩りとは名ばかり。生き物の命を奪うことは決してなく、ただ遠くから眺めるだけの散歩だった。
軍の総帥という地位にいながら、白秋は争うことを極端に嫌う。
その日も森へ行こうとしていた。
瑞青が眠そうに中庭で座って呆けていたので、彼にも声をかけた。
普段は他にも護衛をつけるのだが、この日は二人だけで出かけたいと白秋が言い張った。
「なぜ射られないのですか?」
森の中、聞こえてくるのは風の音と鳥の声、そして自分たちの足音。
少し先を、牡鹿がのんびりと歩いている。
こちらに敵意がないことを理解しているのだろう、気にかける様子はあるが逃げる素振りは見せない。
「生き物を殺すことができないのですよ」
そう言って笑う白秋の横顔は、とても幸せそうに見える。
「私は、自分が第一王子ではなかったことを本当に嬉しく思っています。国を治めるにはむきませんからね」
振り返った白秋が、命をかけて守らなければいけない人物であることを、
国のため。なにより、自分のため。
「……我が
瑞青のあまりに静かな物言いに、白秋は一瞬なにを言われたのか理解できなかった。
「瑞青?」
白秋は瑞青に手を伸ばす。
「あなたは」
頭の中にあったことを全て言葉にすることはできなかった。
突然瑞青に勢いよく突き飛ばされたからだ。
何が起きたのか分からないまま、白秋は倒された体を起こす。
その瞳に写ったのは、左胸を矢に射抜かれた瑞青だった。
「瑞青!」
転びそうになりながら近付いて、その身体を抱き上げる。
「誰が、こんな……!」
矢が飛んできた方向に視線を走らせるが、人影はない。
「我が主君……」
血に濡れた右手を重そうに持ち上げて、瑞青は白秋の左耳にある青い鈴に触れた。
そのまま、怒りと悲しみに震える頬を撫でた。
「すまない……!」
自分の頬に優しく触れてくる瑞青の冷たい手を強く握る。
「我が主君……。森の奥へ、私を、連れて行ってくださいますか……」
苦しそうに息をつきながら、瑞青は言う。
なぜそんなことを頼むのか、白秋には理解できなかった。
だがとにかく彼を安心させてやりたくて、わけも分からないまま繰り返し頷いた。
「……我が主君」
穏やかに微笑む瑞青の声は、もうすでに聞き取りにくい。
白秋は瑞青の口元に耳を寄せた。
「……白秋、私は、あなたに」
お会いできてよかった、と言われた気がした。
最期の言葉は、音になっていなかったかもしれない。
「瑞青?」
呼びかけた相手の瞳は固く閉じられ、血塗れた唇は薄く開かれたまま。
握っていた手は、力無く地に落ちていた。
「おや、ようやく来たかえ」
息絶えた瑞青を抱えて、森の奥へふらふらと歩いていた白秋の前に、その者は唐突に現れた。
「……あなたは」
「我は
目深にかぶった布の影から、血の色をした瞳が美しく輝いているのが見えた。
声音は高く、幼くすらある。
「立ち話は好かぬ。ついて来や」
ころころと笑いながらそう言って、乖朱は白秋を手招いた。
連れてこられたのは古ぼけた小屋で、何度もこの森を訪れていた白秋が初めて見る場所だった。
冷たい床に瑞青を横たえ、白秋はその隣に膝をついた。
乖朱はその様子を面白そうに笑って眺めている。
「坊やは
「……え?」
俯いていた白秋が驚きに顔を上げる。
「やはり聞いておらなんだか」
乖朱は口元を押さえてころころと笑う。
「坊やは
白秋は瑞青の穏やかな顔と、乖朱の楽しそうな顔を交互に見る。
そうだ。彼は
「
白秋は息を飲み、言葉を紡ぐことが出来ぬまま、瑞青の頬を撫でた。
「己はとある御仁のために死ぬ。その御仁は
「常に、傍に」
白秋の頬が涙に濡れる。
「使い物にならなくなる身体の代わりに印を付けよと伝えておったが。まさかこれとは」
歩み寄って来た乖朱がついと手を伸ばし、白秋の左耳にある耳飾りを外した。
小さな青い鈴には瑞青の血が付着している。息絶える前、たしかに瑞青はそれに触れた。
「代わり、とは」
「おや、気づかなんだか」
乖朱は白秋の背後に視線をおくり、にやりと笑う。
「坊やの魂はずっと汝の傍に控えているというのに」
「まさか」
「汝が望まないのであればここまで。我に会うための道を開く、というのが坊やとの契約」
突然のことに困惑し、何も見えない自分の背後と瑞青の顔を何度も見る白秋の顎に、小さな乖朱の手が触れた。
そのまま瞳を覗きこむようにして、乖朱は続ける。
「汝が望むのならば、このちっぽけな鈴に坊やの魂を封じてやろうぞ。……もちろん、持ち主である汝とは会話もできよう。いかがする?」
深く息を吐き、ゆっくりと瞬きをした白秋。
金の瞳に強い意思が宿る。
「望みます」
満足そうに笑みを深め、乖朱は白秋の頬を両手で包み込んだ。
「叶えよう。あぁ、ひとつ条件が」
「なんなりと」
「我は汝の瞳が欲しい。実に美しい、金色の瞳」
「片目なら」
「では左目を」
「どうぞ」
乖朱の唇が自分の左目に触れた、と感じた次の瞬間、白秋は
気付いた門番が慌てて駆け寄り助け起こす。
白かった白秋の服はすっかり鮮血に染まっていた。
金色だった左目も真っ赤に変色している。
腰に下げていた剣の柄には、錦の紐で小さな青い鈴が結ばれていたが、あまりにもちっぽけなその鈴は誰にも気付かれなかった。
2年前、父王が病いで崩御。
その3ヶ月後、兄たちが次々と事故で帰らぬ人となった。
「あなたの言った通りになりましたね」
王の執務室で、白秋は剣の柄に結ばれた青い鈴に話しかける。
(それが私の
自分にしか聞こえない、優しい声。
くすりと笑って、白秋は鈴に柔らかく口付けた。
「王、人前でいちゃつくのはそろそろおやめください」
「いちゃ」
「決済をいただきたい書類がまだまだございます。今日は珍しくいらっしゃるのですから、しっかり仕事をしてくださいませ」
(だそうだ、我が
側近が次々と運び込んでくる紙の山を見て、白秋の顔があからさまに歪む。
窓から見える空はとても綺麗で、散歩をするには最適な陽気のようだ。
「王はどちらに!?」
「先程までお部屋にいらっしゃいましたが」
「これから会議が……!」
「ねぇ、
(我が主君は本当に悠長でいらっしゃる。机上よりもこちらのほうが大切でしょう)
「……君、鈴になったら性格が変わってません?初めはもっとこう、穏やかで優しくて」
(それはいつのお話ですか)
街道を歩いていた足を思わず止めて、剣の柄で揺れている鈴を見やる。
柔らかな、それこそ鈴が転がるような笑い声が頭の中に響いて、再び鈴青の声が聞こえた。
(
「鈴青……。もしかして私、口説かれてます?」
時は流れる。
この後、白秋が鈴青に誘われて一人の少女と出会うことになる。
それはまた別の物語。
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