鈴朱(りんしゅ)

 玄冬げんとう国。

 東方を大きな湖に面した、緑豊かな国。

 夜遅く、毎日決まった時刻に雨が降り出し、太陽が昇るころに止むという特徴がある。

 今日も変わらず、銀の針に似た雨が降っていた。

 あと数刻もすれば陽光によって大気が洗われ、爽やかな朝を迎えるだろう。


 国王夫婦のもとに愛らしい一人娘が誕生したのは16年前。

 春の暖かな日差しの中、父の優しい黄色の瞳と、母の美しい黒髪を受け継いだ王女。

 両親から惜しみのない愛情を注がれて育った彼女は美しく、力強く成長した。


「姫様、お目覚めください!」

 激しく叩かれる扉の音に、この国の王女が目を覚ます。

「失礼いたします!」

 返事を待たずに侍従の1人が扉を大きく開けてしまう。

黄春おうしゅん様!」

 寝台の上で微睡まどろんでいた黄春には何も聞こえていないようだ。

 侍従が色々と騒いでいる。

 ふと窓の外に目を向ければ、まだ雨が降っているようだった。

 そろそろ止む時刻かもしれないが、自分が普段起きる刻限よりもかなり早い。

「いやいやいや……」

 寝返りをうち、上掛けを頭までかぶり直した。

「姫様!!」

 女性の侍従は遠慮なく、慣れた様子でその上掛けをはぎ取った。

「まだ早いだろ……」

「承知しておりますが、今はそれどころではございません」

 仕方なく体を起こしたものの、黄春の頭はぐるんぐるんしている。

「で、なに」

「宮に封印されていた鈴朱りんしゅが何者かに盗まれたそうです」

「へぇ」

 黄春はにやりと笑って、寝乱れた黒髪を手ぐしで軽く整える。

「凄いねぇ、その泥棒さん」

 肩を落としている侍従には目もくれずに、黄春は楽しそうに話を続けた。

「その勇敢な泥棒さんはちゃんとわかってて盗んだのかなぁ」

「黄春様、笑い事ではございません」

 くすくすと笑い続ける王女に、侍従は困り顔だ。

「大丈夫だよ、放っときな」

「黄春様」

「鈴朱が動けばあたしがわかる」

「しかしこのままでは」

「あたしの知ったことじゃあない。国宝である鈴朱に手をだしたこともそうだけど、そもそも盗人に情けなんか必要ないだろ」

 黄春は気だるげに手を振り、侍従から上掛けを奪い返すと、再び寝台に横になった。


 玄冬国・城下町。

 ぬかるんだ地面に足跡が残るのも気にせず、彼らは宮殿からの抜け道を駆け抜けていた。

「案外簡単にいったな」

 息を切らす間に、隣りを走る相方に声をかける。

「そうだな。玄冬宮げんとうきゅうだって俺たちの手にかかればこんなもんよ」

 大人の片腕くらいはあるだろうか、長い包みを持った男が二人、仕事後の達成感に酔いしれていた。

「……随分と静かだな。まだ気付いていないのか?」

 手ぶらの男が少し不安そうに宮殿を振り返る。

「国宝鈴朱。さぞかし凄い警備だろうと思ったが、やたらとあっさりしていたし……」

 二人は思わず立ち止まって、顔を見合わせてしまった。

「まさか、罠か」

「なんのために?」

「そうだよな。利益はないし……」

「気にしすぎだ。さっさと行こうぜ」

 気を取り直した二人は再び走り始めた。

 足音にまぎれてどこからか鈴の音が小さく響いていたが、男たちは気付かなかった。


 太陽が人々の真上で輝く時刻。

 買い物を楽しむ人や元気に遊びまわる子どもたち。

 早朝の雨に洗われた涼やかで穏やかな空気の中、この国の人々は自らの生を謳歌する。

 そんな町の一角にあるこの部屋は、太陽の光も人々の笑い声も遮断していた。

 鈴朱を盗むことに成功した二人の男は、一振りの剣を前に困惑してしまう。

 寝台に置かれたそれは、さして珍しい作りのものではない。

 少しお金を出せば誰でも手に入れられる、ごく普通の、両刃の剣。

 なんの飾り気もない金の柄に、錦の紐で小さな鈴が結ばれているばかり。

「これが本当に鈴朱なのか?そのへんの武器屋で売ってるのと変わらないぞ」

 剣を手にして軽く振ってみる。

 真新しい、どこにでもあるなんの変哲もない剣だ。

「だが仮にも国宝だぞ。しかも置いてあった部屋にも剣にも、見たことのない札やまじない具みたいなのがくっついてただろう」

 相方から剣を受け取り、あらためてよくよく見てみる。

 曇りも刃こぼれもない、本当に綺麗な刀身だ。

 だが、それだけ。

「ふむ……」

 剣の切っ先を、気の抜けた様子の相方の顔に鋭く突きつけた。

「おい、危ないだろう」

「ちょっとふざけただけだろう。怒るなよ」

 笑って、剣を寝台に戻す。

「あ、あれ?」

「……お前、なにやってるんだ?」

 剣を持っていた男は、その刀身を自分の首に添えるようにして動きを止めた。

「おい、悪ふざけも大概にしろよ」

 呆れたように笑って、剣を置けと寝台を示す。

「ち、違う。俺は、なにも……」

「は?」

「手が、離れ、ない」

「なんだって?」

 剣を構える相方の手を掴み、刃を首から引き離そうと力をこめるが、ぴくりともしない。

「なんだ、これ。どうなってるんだ!?」

「た、助けてくれ……!」

 自分の意思に関係なく、命を絶とうとしている自らの腕。

 押しても引いても頑として動かない。

 まるで別の意思を持っているかのように、確実に男の首を狙っている。

「た、たす」

「!!」

 声にならない絶叫。

 剣は男の首にゆっくりとめり込み、切り払ってしまう。

 鮮血が吹きでる様と、男が曇った目でひっくり返っていくのを、相方は困惑したまま見つめるしかなかった。


 玄冬宮・王の間。

「あ」

 琥珀色をしたお茶を飲んでいた黄春の手が、不意に止まる。

「いかがなさいました?」

 給仕をしていた女官に顔を覗かれ、黄春はくすくすと笑いをもらした。

「鈴朱が動いた」

 手にしていた茶器を机に置くと、ぱっと立ち上がり、上座に向かってその場で一礼する。

「行ってきます」

「……え?あ、お気をつけて」

 女官の声を背に受けながら、黄春は広間をあとにした。

「お1人で大丈夫でしょうか」

 心配そうに呟いた新入りの彼女に、この宮殿の主、黄春の父は優しく応える。

「大丈夫だよ」

「ですが……」

「他の者が出向く方が危険ですわ」

 黄春と同じ色の髪を美しく結い上げた女性が、そう言って女官に頷いてみせる。

「鈴朱を扱えるのはあの子しかおりません。鈴朱に認められた者だけが、彼女に触れることを許されるのです」

「他の者が迂闊うかつに手を出せば、彼女の餌食になってしまう」

 机の上で組んだ手に額をつけ、王は深く深く息を吐き出した。


 血溜まりの中から拾い上げた剣は、やはり変わったところのない、見慣れたものだ。

 相方に何が起きたのかは全く検討がつかない。

 ただひとつ明確なのは、今この場で、この剣を持てるのは自分だけだ、ということ。

「へへ」

 最初から、そのつもりだった。

「手間が省けたってことだよな」

 大の男の首を断ち切った直後にしては、やはり刀身に曇りはない。

 自身の顔が写り込むほど、美しく輝いている。

「オレのものだ……!」

 ごくりと唾を嚥下する。

 不思議な高揚感はあるが、体に変化はない。

「へ、へへ。オレは選ばれた!オレのものだ!!」

 歪んだ笑み。

 柄を握り直し、軽く振ってみた。

 と、手のひらに刺すような痛みが走る。

「いっ……!なんだ?」

 それは痛みではなく、異常な熱さだと気付いた。

 慌てて窓にかかっていた布を開ける。

 陽光が、薄闇に慣れた男の目を一瞬焼いた。

「……なんだ、これ」

 先程まで曇りひとつなかった刀身が、鮮やかな赤に染まっている。

 発光し、同時に発熱している。そして

「ひっ」

 柄の、鈴。

 小さなその鈴が、刀身と同じく発光していた。しかしその色は刀身の比ではない。

 更に赤く、暗く、妖しく光り輝いている。

 まるで、先程まで沈んでいた相方の鮮血を吸ったかのよう。

(汝、我のあるじにあらず)

 頭の中で声が響いた。

「え」

(もう少し面白味があるかと思うたが。つまらぬのう。我の機嫌を損ねた罪は重いぞえ。汝の命で、あがなってくりゃれ)

 愛らしい少女の声だ、と思った時には、剣が自分の腹に突き刺さっていた。

 立っていることができなくなり、その場に倒れる。

 生暖かい液体が口から溢れていった。

 部屋の外で物音がし、次いで、扉を叩く音がする。

「鈴朱?ここ?」

(おや、もう見つかってしまった)

 鍵がかけられていた扉は、外から勢いよく蹴破られてしまう。

 途切れそうになる意識を必死に手繰りながら、男は入ってきた人物……黄春を見上げた。

「あーあ、馬鹿だねぇ」

 男の腹に納まっている剣。

 血に染った柄を握ると、黄春は躊躇ためらいもなく引き抜いた。

「ぐっ……」

 男は再び込み上げてきた液体を吐き出す。

「あぁ、ごめん」

 全く悪びれる様子もなく、黄春はくすくすと笑った。

「お詫びにいいことを教えてあげようか」

 自分の服が血に染まることも気にせず、黄春は袖で剣と柄を拭う。

 そして特に丁寧に、柄に結ばれている鈴を拭った。

「鈴朱というのは剣のことじゃない。こっちの、ちっぽけな鈴のことだ。ほとんどの者が剣と一緒に持ち出すから、お前と同じ末路を辿る」

 男の瞳からは既に光が失われていて、黄春の声がちゃんと届いているのかわからない。

「鈴だけ持ち出そうってのもおすすめしないよ。この子、意外とめんどくさい力を使うからね」

 ばたばたと人の走る音が黄春の耳に届く。

 事前に呼んでおいた国の兵士だ。

「やっと来た……」

 外に出て最初に目が合った者に「お疲れ様」と声をかける。

 膝をつき、最敬礼をとった兵士に、黄春は部屋の中を示した。

「2人とも死んだよ。あとは任せた」

 返事を待たずに背を向け、黄春はさっさと血腥ちなまぐさいその場を立ち去った。


 玄冬宮・王女の間。

「お願いだから毎回盗まれるのやめてくれる?」

 すべらかな机に肘をつきながら、目の前に転がっている鈴に黄春は声をかけた。

 声に出す必要はないのだが、黄春は鈴朱とのやり取りについ発声してしまう。

 頭の中での会話というのは、どうにもやりにくい。

主殿あるじどのは我を外に連れ出してくださらぬ)

「当たり前だろ。気に入らない人間を片っ端から殺していくんだから」

(我は我が心に従ったのみ。そもそも宮に忍び込み、国宝を盗むようなやからに、情けは無用であろうに)

「宮殿の奥深く、国宝を安置してある部屋にあっさり侵入できる輩がどれだけいる?いったい誰が手引きしているやら」

(おや、なんのことやら)

 ころころと楽しそうな笑い声が頭の中に広がる。

 少女特有の、柔らかく高く、愛らしい声。

 ひとつため息をついて、黄春は席を立った。

「外に出て血を浴び、満足しただろう。大人しくしておいで」

 鈴朱を剣の柄に結び直し、ぺたりと札を貼る。

 誰にでも剥がせてしまえる札だが、術士の力によって作られたこの札が、唯一鈴朱を眠らせることが出来た。

(あぁ、また眠るのかえ。次はいつ遊びに出られるやら)


 玄冬国。

 東方を大きな湖に面した、緑豊かな国だ。

 国宝を鈴朱といい、その輝きを見た者はあまりの美しさに感極まり、命を落とすほどだという。




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