第2話
さっきまでが嘘のようにペンが動く。勿論、消しゴムもそれなりに仕事をするのだが。好きな音を聴きながら勉強をするというのは人によっては集中出来ないとも言うが私の場合は違う。もしかすると集中できていないのかもしれない。だが少なくとも私は音楽が無いと机に向かうことが出来ない身体になっていた。
ちょうど聴いていた曲がいいところで終わったタイミングで解いていた問題集も区切りの良いページに辿り着く。この次は私が苦手な分野だ。分かっている。ここを乗り越えなければ合格は無いことも。ただその前に一息つこうとイヤホンを取る。
ふぅっと一息付き周りを見渡す。前にはさっきまで居た女性が消えおじいさんが盆栽雑誌を読んでいる。二つ隣に先に座って勉強していた青年はまだ黙々と問題集を解いていた。同じ学年だろうか。興味が沸き相手に気づかれ無いようにトイレに立つ振りをして後ろを通り過ぎる。彼はそんな私にも全く反応しない。まるでその空間だけが切り取られたように一人の世界に入っていた。
すごいな。っと思った。私だって同じくらい集中していると思ってた。けれど彼を見るとまだまだだと思ってしまうほど視線を目の前から外さない。正直、完敗だ。そっと邪魔をしないように通り過ぎトイレに向かう。特に用事は無いが洗面台に立ち鏡に映る自分の顔を見る。この一年で痩せただろうか。そう言ったら姉は羨ましがるだろうか。毎晩のようにサークル活動、バイトの付き合いと称して日付をまたいでは両親に小言を言われている。そのたびに「はいはい、次は気を付けます」と、何度目だろうか。姉のそのセリフを聞くのは。もしかすると私の持っている単語帳の発音音声よりも繰り返し聞いているかもしれない。
私が今、こうしてもやもやしながらも勉強して努力が実って得るのは両親の小言なのだろうか。私には分からない。でも今のままではその小言すら聞く権利を貰えない。姉は貰えた。その権利を掴んだのだ。
蛇口を思いっきり捻り水を出す。勢いよく水が飛び出し跳ねたしぶきが袖にかかる。気にせず手を突っ込み手のひらに貯める。
ザブザブと音を立て顔を洗う。制服の上着とシャツが濡れるのも気にしない。セーターの袖もずぶ濡れだ。でも何となく気持ちよく感じた。顔を上げ鏡を見るとさっきよりましな顔に見えた。ただすぐに寒さと濡れた気持ち悪さが上がった気持ちを連れ去る。ポケットからハンカチを取り出し顔を拭く。その次に手と袖を拭くがハンカチのキャパを超えてしまったようで大した意味は無かった。とりあえず誰もいないことを確認して思い切り手を振る。すると水しぶきが洗面台に飛び散る。悪いことをしたなと少し思いつつそのままトイレを後にする。
席に戻ると青年はさっきまでと違く科目を開いており私の前にいたおじいさんは消えていた。放置していたノートやカバンはそのままで流石の泥棒も辛気臭い高校生の持ち物を盗もうとはしないのだろう。何となく安全です。というシールがその空間に貼られているような気がした。
さっきと同じように彼の邪魔をしないようにそっと後ろを通り過ぎる。どうやら今は物理の問題を解いているらしい。私の受ける学部は文系だが物理が受験科目にある。彼ももしかすると同じ大学をなどと考えてします。もしそうなら彼は合格し私は落ちるだろう。今の私は何を考える時も良い方向へ考えられ無くなっている気がする。それでは駄目だと分かってはいるもののどうにも元の性格かうまくコントロール出来ない。大体、世の中には気持ちのコントロールや自律神経をなんちゃらするといった本が溢れテレビでもネットの記事でも何とか博士が自慢げに語っているが、そういった本を出せる人間はそもそもそれに打ち勝つ能力が元から備わっており、私のような人間がどこかのスポーツ選手の気の持ちようなど真似たところで無駄なのではないかと思う。実に腹立たしい。そんな人たちと社会に放り出されて競争させられる身にもなって欲しい。神様とやらは無能である。私以上に無能である。といつの間にやら自分のことを棚に上げ怒りを神様とやらにぶつけるという脳内遊びをしていると突然、肩をトントンと軽く叩かれる。
「ねぇ?大丈夫?」
私の脳に響いた彼の最初の声だった。
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