第24話 初めての相互転移


探検家組合理事長の神林は、管理棟の理事長室で悩んでいた。

理事長室ということで、広めの応接室に皮張りのゆったりとしたソファーが対面して設置されており、そこに神林は座りながら電子タバコを口に咥えて離し、煙を吐き出してはまた口に咥えて離すという動作を繰り返していた。

――別にこれは俺が悩むことじゃないはずなんだが……。


神林が悩んでいたのは『宗谷温室』に関することである。

宗谷が地下2層の転移先である『宗谷温室』を、壁を破壊しつつ発見してから既に2週間程度経過していた。

『温室』の中にあった魔法陣についても既に筑紫によって解析が完了され、その行き先が『リエルの小部屋』の魔法陣の部屋であると分かり、さらに実際に寺本によって、『リエルの小部屋』と『温室』の間で行き来が出来ることが何度も確認されていた。


そして神林が悩んでいるのは、この『温室』の安全な運用法であった、

まずこの『温室』が他の転移先と違うところは、『戻れる』という点である。

そして転移を安全に行うには、転移先に何もないことが大事である。もし転移先座標に何かモノがあった場合、そのモノのエーテルと転移するモノのエーテルが一体化をしてしまい、モザイク状の奇妙な物体が出来あがってしまうのである。つまりもし人が転移する際に、転移先にもし万が一別の人がいた場合、人外の生物が生まれるような悲惨な事故が発生してしまうのである。

そして『温室』の魔法陣が『小部屋』に戻れるということは、その戻る際に、もしも『小部屋』から別の転移先に転移をしようとする探検家がいることが想定されるため、どのように安全かつ効率的に転移を行うかが問題であった。


――しかもこの『温室』、地下3層への入口に割と近いところにあるから、地下3層に挑む探検家にとっては良く使うものになるだろうし、なるべく安全に使えるようにしておかないとなぁ……。


実際に地下2層から3層に行くにはどれだけ頑張って早く移動をしても80分以上はかかり、通常は休憩や戦闘を挟むために2時間近く時間がかかるところ、この転移魔法陣を使えば、地下2層の探検時間を最短30分済ませて3層に辿り着くことが出来ると言う優れたシロモノだった。

もし安全かつ効率的にこの魔法陣を活用できれば、地下3層への探検がこれまで以上に効率よく進むことが期待されるだけに、理事長としての悩みもその期待の分だけ大きくなるのであった。


さらに『温室』内には、魔法陣の他に、温かい水蒸気が出続ける溝と植物が生えることができる地面があるのも、神林の頭を悩ませていた。

この『温室』は植物が何世代にもわたって生えては枯れて肥料になると言うサイクルを繰り返していたようで、今のところ荒れ果てた土地のようになっているが、きちんと整備をすればこの中で何らかの植物を育てることが可能なように思われた。

そこで、『温室』を理事長権限で探検家を動員して整備するのか、さらに整備するとして、どのような植物を育てるのかも頭を悩ませる大きな問題だった。

――探検家全員にとって有効活用できればそれに越したことはないが……。


神林は電子タバコのカートリッジを変えて、再充電をしていると、理事長室のドアがノックされた。

「すみません、神林理事長。今ちょっと宜しいでしょうか」

「おお、いいぞ、入れ」


ひょこりという音がしそうな仕草で筑紫が理事長室に入って来た。

「筑紫か、どうした」

「以前に相談をされていた『温室』の件です」

「おー! ちょうど今悩んでいたんだよ。何か良いアイディアでも閃いたか?」

神林はタイミングの良さに驚きつつ筑紫を見たが、その表情からはあまり良い報告ではなさそうだった。

「前に相談されていた安全に転移を行う方法についてですが、まず理事長が以前言っていた、『温室』と『小部屋』を繋ぐ通信機が出来るかどうかについて、現状の通信機を色々と調べてみたのですが、やはり洞窟内で壁を透過して一気に通信できるようなものは無いですね。現在把握している地形からすると、無線通信を『小部屋』と『温室』内で繋げるには、20台以上の中継機を間に設置する必要があるようです。地下2層でこのような20台以上の中継機を常に維持し続けると言うのはなかなか難しいかな、と思われます」

「……なるほどなぁ……。……、そういえば、昨日ニュースでやっていたが、ニュートリノってやつは地中で観測するんだろ? それで通信、みたいなことって出来ないのか?」

「あれは何でもするすると通過しちゃうんですよ。何でもって言うのは地球すら通過するからこそ、地中の岩盤深くで水を貯めて観測するんですよ。つまり通信機も通過しちゃうので無理ですね。あと、そもそもニュートリノは星が爆発しないと生成されませんし、この洞窟内で星は爆発しませんね」

筑紫の専門分野に近かったため、神林の疑問に即答した。

「だよなぁ、まぁ試しに言ってみただけだ。気にするな」

「まぁ、そう言う意味では、エーテルを機械でもっと自由に扱えるようになれば、おそらくはエーテル通信機みたいな感じで可能になるかと思いますが……、もう少しエーテルの研究が進まないと無理ですね」

筑紫はエーテルの基礎研究が進まないことに少しだけ歯痒い思いをしながら述べた。


「それで、代わりの案なんですが、こういうので安全に転移をするというのはどうでしょうか」

そう筑紫が言って取り出したのは、2台の時計だった。しかし通常の時計ではなく、短針は取り外され長針しか存在せず、しかも文字盤が6等分され、青と赤に互い違いに塗り分けがされていた。

片方の時計で0〜10分が青だと、もう一方の時計では赤、その次の10分〜20分が赤だと、もう一方の時計が青といった具合だった。


「これはなんだ?」

「これは精度の高い時計を2色に塗り分けたものです。使い方としては、片方を『小部屋』に、もう片方を『温室』に設置して、この針が青いところにある時だけ、そこの魔法陣を使用出来ると言うルールにするのです」

「なるほど、片側のみ使用可にすることで、事故を防ぐということか」

「はい、しかも、遅くとも10分後には使用ができるので、そこまで非効率にはならない、という訳です」


神林は確かに上手く行きそうだ、という第一印象は持ったものの、このような単純な方法を筑紫が提案してきたことが少しだけ意外に思えた。

「随分とアナログな方法だが……」

「穴の中じゃ様々な理由でデジタルな方法には限界があります。そういう時は結局はアナログな方法の方が良いこともある、ということです」

筑紫が色々と考えた結果として、このようなアナログな方法になったのなら、おそらく他に良い方法を思いつかなかったのだろうと考えられた。


「それと念のため、宗谷が破壊した壁は綺麗にした上で、ドアを取り付けたほうがよろしいかと思われます。モンスターが入り込んで転移の邪魔が入らないようにしたいですし、植物か何かを育てるなら、余計必要かと」

「そうだな、ドアについては既に手配済みだ」

「それならば良かったです」

「ちなみに、『温室』の有効活用法については、何かアイディアはあるか?」


「……、うーん、そうですねぇ」

筑紫何かを言いたげにしながらも、どこか悩ましい表情をしていた。

本当は何かあるのに、言えないでいるようだった。


「どうした、何かあるのか。あるならアイディアだけでも出せば良いのに。言うのはタダだぞ」

「……あそこ、『大洞窟』の中でもかなり広い安全地帯ですよね。そこに、エーテルを観測するための巨大測定装置を設置したいんですが……。訓練場ではエーテル濃度が薄すぎですし、他の洞窟内ではモンスターが出てきて長期間設置して観測は出来ないので、あそこの『温室』がまさに適しているんですよねぇ……」

神林は目の前のロリ顔少女が東大理学部の物理を専攻する研究者であることを思い出しつつ、少しだけ呆れた顔で言った。

「……、まぁ考えるだけ考えておいてやろう……」

「……あまり期待せずに待ってます」

そう筑紫はいうと、少しだけ落胆した表情で一礼をしつつ、理事長室を去っていった。


――まぁ無駄に何かを栽培するよりは有効活用……、なのか? でも筑紫しか結局は得をしない決定を探検家組合としてやって良いのか……、でもあいつの研究が進めば、全探検家が利益を得る可能性もある訳で……。


解決した悩みもあったが、『温室』の有効利用法については、ますます悩みが深まってしまったと感じる神林であった。


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