第15話 初めての決意

奥薗が死んでから既に数週間が経過していた。

奥薗と同じ隊でその場に居合わせた寺本だったが、未だにショックから立ち直れないでいた。

――覚悟は出来ていると思ってたんだけどな……。

と寺本は探検家管理棟の自室でひとりごちた。


もちろんこれまでにも何人もの探検家が『大洞窟』の内部で亡くなっていた。モンスターにやられたケースもあれば、不運にも落石や転落などの事故にあってしまったケースもある。

しかし自分の隊で、自分の目の前で、まさに命が失われる瞬間を見たのは、寺本にとって初めての経験だった。

寺本は逃げるときも索敵術ソナーでサイクロプスと奥薗を逐一観測しており、棍棒が奥薗の肉体を叩き、背骨をひん曲げ、そのまま横に吹き飛び壁に叩きつけられたのをまざまざと知覚していた。

そしてそのリアルな感触が壁に叩きつけられた瞬間の湿った衝突音と共に、今でも唐突に寺本の脳裏にフラッシュバックしてくるのであった。


寺本は急速に気分が悪くなって、思わず自室のベッドでゴロンと寝返りをうった。

反対を向けば現実から目を逸らすことができるかのように。

――はぁ……。

既に探検家たちは『大洞窟』に出発した後であり、静かな探検家管理棟に寺本のため息が余計に大きく響いた。


寺本は術士としての優秀さと人望の篤さから、探検家組合の術士代表を任されており、こうして管理棟に自室を持っている。

そしてその優秀さもあって、奥薗が亡くなってから既に色々な隊から「入ってくれ」や「せめて一時的でもいいから一緒に探検してくれ」というスカウトを受けていたのだが、あの『大洞窟』に入ることを想像するだけで、どうしても胸のあたりの気分の悪さが拭えず、全て断っていたのであった。


――いつまでもこうしちゃいられないって分かってはいるんだけど……。

また寺本は大きくため息をついた。


――もういっそ地元に帰るか……?

と一瞬思うものの、会社を辞めて探検家になったことを、頭のカタ過ぎる両親に伝えていないことを思い出し、選択肢としてバツをつける。

「そんなもののために東京に行かせたんじゃない!」等と言い出すのは目に見えている。YouTuberですら「あんな遊んでばかりで仕事とは気楽な身分だなぁ!」と年始に帰った時にボヤいてたのを思い出し、時代に取り残された偏屈な親へのそこはかとない同情心を抱くことになった。


――そもそも何で会社を辞めて探検家になったんだっけ?

寺本は故郷の高校を文系1番の成績で卒業し、担任の勧めで東京の大学に進学した。しかしオラが街のトップであっても、そういう上位層が集まる大学では「まずます」に過ぎず、そのまま「まずまず」の成績で卒業し、「まずまず」の出版関連の会社に就職した。

そうして「まずまず」なまま数年働いていたが、いつしか自分には既に「まずまず」な未来しか残されていないことを悟ったのだった。


そんな時に思い出したのが、『大洞窟』の出現のニュースだった。ここに行けば「まずまず」だらけの人生が変わるかもしれない。

それが良い方向か悪い方向かは分からなかったけど、自分の「まずまず」で行き詰まってしまった人生が変わるかもしれない。

寺本は居ても立ってもいられなくなり、資格試験の情報を集め、トレーニングに入念に取り組んだ上で、資格試験前日に辞表を上司に叩きつけてやった。自分の言い訳をなくし、退路を断つためだった。

寺本にとって最初で最後の「まずまず」に囲まれた“行き詰まり”から外れる大きな決断だった。


――あの決断が間違っていたとは思わないけど……。

寺本は3度目のため息をついた。


その時、静かだった探検家管理棟が急に騒がしくなった。

扉の外での会話に耳を傾ける。

「『祭壇』のドアが開いたんだってよ!」「ちょっと今から見てこようぜ!」「いやでも俺ら剣士しかいないだろ」「そうだけどよ……」

そんな会話が扉の向こうの廊下でなされており、そのまま遠くに消えて行った。


――あの『祭壇』のドアが? いくら調べても攻撃しても全く開かなかったのに、どうして?

急に寺本は好奇心が湧いたが、自分が再度『大洞窟』に向かうことを思うと、どうしても足がすくんでしまう。


――でも。

結局のところこの自分の“行き詰まり”を解決するには、自分で行動をするしかないと、寺本は本能的に理解していた。かつて「まずまず」で囲まれた平凡な人生から抜け出すにも、結局、自分で行動して、もがいて、苦しんで、突破するしかなかった。

それと同じだ、と寺本は思った。


――それに。私がここで探検を止めると、奥薗さんに助けてもらったこの命を無駄にするような気がするな……。奥薗さんも、そんなことを望んで助けてくれたんじゃない、と、思う。まぁイマイチ何を考えているのか分かりにくい人だったけど……。


寺本は胸の気持ち悪さを抱えつつも、ベッドから起き上がり、ドアノブに手をかけた。

自分の手が震えているのが見えた。

――大丈夫、生きてるってことよ。

そう自分に言い聞かせる。


ガチャリとドアノブを回し、通り過ぎて行った剣士に、後ろから呼びかける。

「あの! 術士なら……、ここに……」


 ***


寺本の数週間ぶりの『紺碧の祭壇』への探検は、地下1層ということもあり、何事もなく終了した。索敵術ソナーも、ここ数年間、何度も何度も繰り返して体に染み付いた術だったため、探検に支障は無かった。

しかし、それでも。


『私の探知範囲の外から急に未知のモンスターがやってきたら……』


という不安がずっと拭えず、胸の違和感を常に覚えていた。

そして、実際にモンスターが索敵術ソナーに引っかかるたびに、寺本は当時のリアルな感覚がフラッシュバックしてきて、呼吸と鼓動が早くなってしまうのであった。そうして、一緒に探検している剣士には、それを悟られないように息を整えた上で、声が震えないように細心の注意を払いながらモンスターの接近を警戒するのであった。


――全く、情けなかったな……。一緒に行った剣士にもきっと色々で気付かれていたんだろうな……。

と探検家管理棟の自室のベッドで、寺本はぼーっと横になりながらため息をついた。


寺本は『紺碧の祭壇』に到着した時の印象を思い出していた。

数週間ぶりの『紺碧の祭壇』は、以前と変わらずに淡いエーテル鉱石の光が内部をぼんやりと照らし出し、まるで深海の底のような静かな雰囲気を漂わせていた。

そこに映し出される植物柄の模様も、寺本が数年前に初めて見た時と同じで、静かな光に包まれて時間を忘れさせるような雰囲気を出していた。

――やっぱり綺麗だったな……。私が探検をしてようが、探検を止めようが、『大洞窟』はそのままなのよね……。当たり前なんだけど……。


寺本が弱気になっていると、唐突に寺本の部屋のドアがノックされた。

「すみません! 筑紫ですけど、例の『リエルの小部屋』についてご報告したいことが……!」

どうやら、寺本が探検家組合術士代表ということで、筑紫が発見を報告しにきてくれたようだった。

寺本は急いでベッドから音もなくするりと抜け出し、あたかも仕事をしているようにデスクチェアーに座った上で、筑紫に対して返答をした。

「どうぞー!」


 ***


筑紫の報告は、まだ『リエルの小部屋』が発見されて1週間と少ししか経過していないにもかかわらず、大変驚くべきものだった。

魔法陣の解析とそれが転移陣であること、転移陣の仕組みの簡単な説明、転移先が5箇所セットされており、そのうち1つが地下1層K地区の『地下プラネタリウム』であることを端的に報告してくれた。

そうして、最後にこう締めくくった。


「計算上、転移先の1つが『プラネタリウム』であることは恐らく間違いなく、もしこの転移陣が使えるようになるとすると、『紺碧の祭壇』からの帰りの所要時間が半分以下になり、非常に便利であると思われます。ただ、問題が1つ。最初に誰が試すか、です。転移術はリエルとも話しつつ解読したのですが、もし失敗して別の転移先になってしまって、もしそこが地形変動等で地中になっていたりすると、移転するとともに、その人は地面に埋まって死にます。また地中でなくとも、現時点では未踏地点であるため、そこから1人で帰還することになり、事実上遭難することになります。またそもそも転移陣も、その仕組みが全て解明された訳では無く、私も上手く作動する保証はできません。ただ、それでも、『プラネタリウム』以外に4箇所も転移先の可能性があることを考えると、もし成功した時のリターンは計り知れないかと思われますが……」

「なるほど……」と寺本は相槌を打った。

「いわゆるフリーライダー問題みたいなもんですね。誰か一人だけ損を被る可能性があるのに、上手くいったときの便益は探検家全員が享受出来るとなったら、その損を被りたくないと考えるのは当然のことです。でも、エーテル操作の上手い誰かがやらないといけません」


寺本は筑紫の話を聞いて、直感的に私がやるべきだと感じた。

――私は術士でエーテル操作はそれなりに自信がある。探検家組合術士代表で、この件で責任を負うべき人がいるとすれば、それは私だろう。そして今私が感じている“行き詰まり”を打破するには、ただ探検するだけじゃなくて、これくらいの荒療治が必要なのだろう。

そう感じた。


そして何より――


――探検にストイックだった奥薗に守ってもらったこの命を、使う場面があるとすれば、今、この瞬間だろう。


寺本はそう確信した。


そして、寺本は筑紫に告げた。

「それ、私にやらせてちょうだい」

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