第16話 初めての転移実験①
筑紫は寺本が転移実験に名乗り出てからというもの、忙しい日々を過ごしていた。
寺本から、転移実験をやらせてくれと言われて非常に驚いたが、しかし、寺本ほどのエーテル操作に長けた術士が担当してくれるならば、何も文句は言えなかったし、こんなにありがたいことは無い。
そして、術士代表をしているほどの人格者で優秀な術士である寺本を、何とか安全に転送をさせるためにも、思いつく限りの手を尽くした。
転移陣の再度の解析はもちろん、地下1層K地区にある『地下プラネタリウム』と魔法陣の間の位置関係を正確に測り直し転移先の確認をしたり、リエルにヒントとなるような事柄を含めて改めて色々な異世界の話を聞いたりした。
リエルは魔法陣についてまだ習熟していないことを非常に後悔していたが、それを今更嘆いていても仕方がなかったし、既に十分過ぎるほどに異世界の情報をもたらしてくれていた。
筑紫は何度もそうリエルに伝えたのだが、「筑紫さんは優しいです……」と言うだけで、筑紫の心からの感謝が伝わったかは怪しいところだった。
実験当日、転移先であるK地区の『地下プラネタリウム』の人払いは、探検家組合理事長である神林が直接行うことになった。
そして何故か、そのお手伝いとして神林がリンとリエルを指名したため、一緒に『地下プラネタリウム』の入口付近に陣取った上で、モンスターや探検家が勝手に入らないように見張ることとなった。
一方、『紺碧の祭壇』の『リエルの小部屋』へは、筑紫と寺本、さらに、探検家組合の剣士代表である蜷川が探検隊を組んで向かうこととなった。
「寺本さん、大丈夫ですか? 少し顔色が悪いみたいですが……」
筑紫が気遣わしげに尋ねる。
「ええ……まぁ……。ばっちり大丈夫、とは言えないのが情けないけれど……、この前も『祭壇』には行けたので大丈夫よ」
「それならいいのですが……」
蜷川はそんな寺本の様子を見ながらポツリと呟く。
「まぁ、あまり無理するな」
「ありがとうございます」
ふと寺本は経験の長い蜷川に聞いてみたくなった。
「……そういえば、蜷川さんも探検家として長いですし、こういう経験ありますか……?」
「……この顔の傷が出来た時に、もう一人の剣士が死んだ」
蜷川の右頬には大きな切り傷の跡が残っている。
「どうやって乗り越えたんですか?」
「……、乗り越えては……いないな。今でも当時の映像がフラッシュバックして飛び起きることもあるし、あの時もっと体が動いていればと後悔することも何度もある。きっと一生乗り越えることなんて出来ないな、俺は」
「そう……、ですか……」と寺本は暗い気持ちになった。
「でも――」と蜷川は寺本を見ながら静かに言った。
「あいつの死を受け入れて、あいつの思いを受け継ぐことなら出来ると思ってる。あいつは洞窟の謎に惹かれて探検家になった奴だからな、あいつの死を無駄にしないために、修行を積んで、死者を出さずに探検を続けて、少しでも深く探検をして、『大洞窟』の謎を解きあかして、いつかあいつの墓前で報告してやるんだ。『やってやったぞ!』ってな」
「……」寺本は下を向いて、蜷川の話を聞いていた。
――思いを受け継ぐ……。奥薗さんの思い……。
寺本は奥薗について思いを巡らせ始めた。
――奥薗さんは何を考えているのか分かりにくい人だったけれど、『大洞窟』への思いは本物だったと思う。私を自分の隊に誘ってきた時も、最深部へと挑みたいと言っていたし、あの亡くなった日も地下3層の未踏地区に行く途中の出来事で……。そんな奥薗さんの思いを受け継ぐには……。
そうして寺本の思考が巡り続けている頃、ようやく『紺碧の祭壇』に筑紫、寺本、蜷川が到着した。
既に今日の実験を聞きつけた探検家が数名、『小部屋』の内部で待機していたが、転移実験に万全を期すためにも、蜷川が『小部屋』の内部から排除をして、『小部屋』の前で見張りをしてもらうことになった。
『小部屋』内部には筑紫と寺本だけが残された。
「大丈夫ですか? やっぱり顔色が悪いように見えますが……」
2人で簡易ベッドに腰掛けつつ、筑紫が寺本に尋ねた。
「大丈夫。直ぐに克服することは出来ないけど、蜷川さんの言うとおり、奥薗さんの思いを受け継がないといけないから。何とか今日の転移実験を成功させましょう、マリコ様」
疲労感に滲ませた笑顔だったが、しっかりと筑紫の顔を見て言った。
寺本は前を向いているようだった。
「成功させましょう」
筑紫は隣の魔法陣の部屋に行き、ここ数日間、見過ぎて夢の中にまで出てくるようになった魔法陣の様子を細部までしっかりと観察した。
――特に変化した様子はなし……。
さらに筑紫は目を閉じ、魔法陣の裏側に流れるエーテルの構造を把握し、以前と変わったところがないか念のため確認をした。
――こちらも分かる限りでは問題なし……。まぁエーテルの仕組みが全て理解出来てる訳じゃないから、魔法陣との相互作用でどうなるか……でも、こっちも出来る限りのことはやった……成功する……はず……。失敗したらどこか別の未踏地点に飛ばされるか、もしくは地中か。……いや、今はそんなことは考えてはいけないな。
筑紫は最初の部屋に戻り、寺本に準備が出来たと伝える。
「あとは、あの魔法陣に乗って、エーテルを軽く流して、転移先を念じれば大丈夫、なはずです」
「転移先を念じる?」
「いつものエーテルを操るように念じるんです。ここから『紺碧の祭壇』を通って地下1層を戻りつつK地区に行くようにエーテルの流れを作るイメージです。転移先は魔法陣に5箇所だけ、あらかじめセットされてるようですが、その中でも、あの『プラネタリウム』に行くようにエーテルをコントロールするんです」
「なるほど……」
「寺本さんのエーテルコントロール術なら絶対大丈夫です。成功します」
「……、そうね。この世で一番エーテルに詳しいマリコ様が言うんだから大丈夫ね。任せたわ」
「二番目ですね。一番はリエルですよ」
筑紫は正直に返答をした。その実直さが、今の寺本にとってはありがたかった。きっと丁寧に、丹念に魔法陣やエーテルの仕組みを解読してくれたのだと感じられ、きっとこの実験は成功するんだろうと素直に思えた。
――でももし失敗したら……。よくわからない未踏地区に一人取り残されるか、地中に埋まることに。
と寺本は遠い目をした。
――きっとこれで私が死んでも、奥薗さんと私の分の思いも誰かが受け継いでくれるよね。それはそれで悪くないのかもしれないな……。
そう素直に思えた。
寺本は胸のつかえが溶けて無くなったような気がした。
寺本は一旦目を閉じてから、決意の光を瞳に宿して、筑紫を見た。
筑紫は何も言わずに頷いた。
寺本はそのまま立ち上がり、隣の魔法陣の部屋へと向かった。
そうして、青白く光る魔法陣の前で一旦立ち止まり、再度、筑紫の方を見て言った。
「行ってきます」
「はい。また後で。必ず」
筑紫はまた会えることを願うように、そう言った。
寺本は意を決して、魔法陣の上に移動した。心臓が早鐘を打っていた。
すると、魔法陣の光が一層強まったように感じられた。
背後を振り向くと、緊張した面持ちの筑紫がいた。
――全くそんな顔をしないでよ、なんとか冷静でいようとこっちも頑張ってるんだから。
と寺本は頭の隅で思った。
ひと呼吸をした後で、筑紫に教えてもらった手順を反芻する。
――エーテルを流した上で、移動先を念じる。……なんだ、簡単なことじゃないか。
もうひと呼吸をして、軽く頷く。
自分の胸の前で、自分の術士としての生命線とでもいうべき杖を、両手で祈るように持った。
杖のいつもの手に馴染む木の感触を感じていると、昂っていた気持ちが落ち着いてきた。
――大丈夫。いけるわ。
何千回何万回操作したかわからないエーテルを魔法陣に向けて軽く流す。
すると、魔法陣の模様が、最初はゆっくりと、エーテルの流れる量に従って徐々に加速して、クルクルと回転をし始めた。
その様子を筑紫は驚愕の表情で眺めていた。
寺本は驚きつつも、徐々に自分の周囲のエーテルがかき混ぜられて行く感覚になった。そして魔法陣の回転速度が上がるにつれ、自分も周囲のエーテルと共にかき混ぜられて行くように感じられた。
次の段階に至ったことを寺本は直感すると、筑紫の指示通りにエーテルの行き先を念じた。
そうすると、自分の周囲のエーテルと共に、自分も引き伸ばされ、そちらへと引っ張られる不思議な感覚になった。
ふと手元を見ると、手と杖、そして身体全てが淡く光り輝きつつも、半透明になっていた。
そうして、魔法陣の回転速度がさらに上昇していくにつれ、自分の存在が急速に引き伸ばされていき、そうして――
――視界が途切れた。
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