⑦Chapter.4
翌日。〈BORDER〉のオフィスには他の班からの応援が二十人ほどやってきていた。全員、逆探知のためにサイバー犯罪対策課から引っ張ってきた専門職の人々らしい。物々しい大きくて複雑そうな機械が机上に積まれていくのを見ながら、塔乃が言う。
「〈ホルス〉に潜入するのは白瀬と鵜飼。宇野たちは逆探知を。もしも成功した場合は、一課と共に私と玖島が現場に向かう」
「了解」と白瀬と鵜飼。
席に座り、ゴーグル型のギアを装着する。目の前に三百六十度の映像が表示され、たちまち煌びやかな夜の世界が浮かび上がる。
白瀬は自分の手首の方に視線を向ける。デバイスにはここがE区画であることを知らせた。E区画はショッピングや芸術鑑賞によく用いられる区画である。
夜空には輝くネオンの飛行船などが飛んでいて、道には人々が行きかう。ふとその人波が途切れた。五十メートルほど先に見覚えのある背中が見えた。怨嗟を込めて、白瀬が呟く。
「賀上……!」
次の瞬間、フィールドが書き換えられ、三人は狭い洋室にいた。赤い壁紙の貼られた古めかしい部屋のソファに鵜飼と白瀬が座っている。目の前には賀上がいた。賀上の両手足には手錠のようなものがついていた。
「おや」
少し驚いたように賀上がその手錠を見る。それは可視化されたデータだ。鎖が賀上の身体を捕らえたとき、賀上が使用しているサーバー元が解析され、ひいては居場所が判明する。白瀬と鵜飼の仕事は、一分一秒でも長く賀上をこの場に引き留めて、鎖が彼の身体を覆い尽くすまで待たせることだ。
「まあいいか」
しかし〈Spider〉が防壁を展開し抵抗しているのだろう。鎖はそれ以上なかなか伸びなかった。歯ぎしりしたい気持ちをおさえながら、白瀬は手筈通り賀上に訊ねる。
「どうして父さんを殺そうとしたんだ」
「殺そうとした? ああ、失敗したんだ。生き延びたんだね、父さんは」
「理由を訊いているんだ……!」
「そう怒るなよ。話したって理解できないさ。ただ俺を創り上げた創造主とやらに俺は恨みがあった。どうしてこんな研究に手を染めたのか。おぞましいと思わないか?」
「だとしてもそれは司法が裁くべきことだ」
余裕綽々という雰囲気で賀上は足を組む。
「別に俺は裁きたいわけじゃない。殺したいだけだ。俺とお前は根本は同じでも考え方が大きく違うようだな」
「昔からわかっていたことだろう」
「たしかに、そうだ。でももしかしたらお前も、父さんを恨んでいるかもしれないと思っていた」
白瀬は黙る。
所長に父が何度も謝っていたということを思いだす。自分が失敗作であったということも脳裏をかすめた。父のことは尊敬している。優れた博士で本当の息子のように接してくれたことも感謝している。それでもそれらの愛情は全て、本物の白瀬慶介に向けられていたものだろう。偽物の白瀬慶介に注がれていたものなんて、本当は何もないのかもしれない。
「だとしても、父さんを裏切るなんてことはできない」
「そうだろうな。慶介は優しいから」
乾いた声で賀上が笑う。その声音が研究所から逃げ出す前の兄と重なり、白瀬はたまらなくなった。
「どうして研究所から逃げ出したんだ……!」
「あそこに骨を埋めるつもりはなかった。だからだよ」
「俺みたいに外の世界と関わりながら生きることだってできたはずだ。どうしてこんな道を……」
「理由がないといけないのか。逆に、あればお前は俺を理解できるとでも? 浅はかだな、慶介。理由のない暴力や殺意は存在するよ。お前が知らないだけだ。お前が見て触れてきた世界に、それらがなかったってだけだ」
「そんなふざけた話で。許されると思うな!」
白瀬が立ち上がり、賀上の胸倉を掴む。そのまま力任せに上へ向けようとすると、賀上の蹴りが飛んできた。それを右腕でガードしつつ、左手の拳を賀上の顔へと突き出そうとすると、空間がぐにゃりと歪み、白瀬は別の空間へと放り投げられた。
〈Spider〉の仕業だろうと思考しつつ、辺りを見回す。
そこは夜の道路だった。二階建てのバスが慌てて道路の真ん中にいる自分を避けていき、ゴミ収集車のロボットが路肩のごみを集めている。賀上は歩道のガードレールの上に立っていた。相変わらず手錠はついているが、余裕は失われていない。
ふつふつと湧いてきた怒りのままに、白瀬は賀上に向かって拳を振るった。けれど賀上は蝶のようにひらひらとそれを交わしていく。
アジリティの違いか? どうしてこんなに早く動ける?
これもまた〈Spider〉が絡んでいるのだろうか。けれどそんなことはどうでもいい。今は一発でも賀上の顔が歪むところが見たかった。
「やめろ、白瀬!」
鵜飼が止めに入り、白瀬は息を切らしながら攻撃をやめる。賀上が笑う。
「そうだよ。やめな。この年でやる兄弟喧嘩なんて見苦しい」
「黙れ!」
「落ち着け、白瀬。今、殴り合いで〈ホルス〉から退席させられたら、せっかくのチャンスが無駄になる」
危険行為が見受けられた場合、〈ホルス〉運営はアカウントを強制停止できる。そのことを怒りで忘れていた白瀬は呼吸を整えながら頷いた。
「ごめん……」
「謝る必要はない。時間稼ぎはできた」
鵜飼が言うと、じゃらじゃらと鎖の巻きつく音がする。
「おや……?」
賀上が自身の手足に絡みついてくる鎖を見て目を丸くする。
「まあ、こんなものか……」
ぐるぐると業火のように鎖は賀上の体に巻きつき、完全に捕らえた。その瞬間、白瀬と鵜飼は〈ホルス〉からはじき出された。
VRゴーグルを外してオフィスを見ると、慌ただしく塔乃達が出ていくのが見えた。白瀬はキーボードを動かしている宇野に訊ねる。
「賀上は?」
興奮した様子で宇野は早口で喋る。
「無事に賀上の居場所は割り出せたよ。二人のおかげだ」
鵜飼がいう。
「よく〈Spider〉に勝てましたね。あんなに勝てるかわからないって言っていたのに」
ふと宇野の表情が暗くなる。
「相手は〈Spider〉ではないかもしれない。手応えがなさすぎる……」
「じゃあ、別のハッカー?」
「かもしれない」
十五分後、塔乃から本部へと連絡が来た。
『賀上を捕らえた』
その一報に、本部の人々は安堵の息を漏らす。しかし白瀬たちは違った。
賀上がこんなにもあっさりと捕まるものなのか?
「まだ何かを企んでいるのかもしれない」
「何かって?」
「わからないけど……。動き出したら止められない、洪水のような何かを賀上は待ってる。もうその準備ができたのかもしれない……」
賀上逮捕の報に喜ぶ面々をよそに、白瀬の顔には暗い影が落ちていた。
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