④Chapter.4

 翌日、〈区内〉のマンションで男性の遺体が発見された。スクリーンの下ろされた黒い壁の〈BORDER〉オフィスで塔乃は喋り出した。

「男性の名前は梁島透。〈区外〉出身のテロリストとして、公安が長年マークしていた男」

「その男が殺された?」と玖島。

「刃物で二回刺され、出血多量で死亡。マンションには鑑識や捜一が向かっている。梁島は今回の国会議事堂爆破事件にも関わっている可能性が高い。強いては、賀上にも」

 白瀬は疑問を口にした。

「でも賀上の部下なら、どうして殺されたりなんか」

「仲間割れかもしれないし、もとより染島は捨て駒だったのかもしれない。わからないけれど、今は現場に行くしかない」

 塔乃が手を叩くのを合図に、各々が地下駐車場の車へと向かう。白瀬はいつも通り、鵜飼と組むことになる。運転席に座ろうとすると、鵜飼が先に座った。

「眼の下にクマがある人間にハンドルを握らせたくない」

「え、そんなにひどい?」

 シートベルトをつけながら、何気ない振りを装う。

「眠れないのか?」

 鵜飼は極力こちらを心配していない振りをしてくれた。

「まあ、色んなことがあったし」

 父親のことを素直に言う気にはなれなかった。

「君の問題にとやかく首を突っ込む気もないが、周りを頼っても罰はあたらない」

 周りを頼る。なかなか難しいことを言うじゃないかと、白瀬は肩をすくめた。車が発進し、滑らかに走り出す。

「父さんが……っていうかまあ、俺を創った研究者なんだけど、その人が目を覚まさないんだ」

「重病なのか?」

「末期がん。それに重度の認知症もある。起きたところで自分が誰かもわからないから、眠ってる方が幸せなのかもしれないけど」

「……君の父親ということは賀上の父親でもあるわけか」

「そうだね」

「家族仲は?」

「最悪?」乾いた声で白瀬は笑う。「少なくとも父親と智也……賀上は不仲だった。白瀬智也であれという父さんの願いを、賀上は拒絶し続けていたから」

 ありきたりで型にはめようとしてくる研究所での日々に、兄は苛立ちを覚えていたのかもしれない。自分たちを作り出した世界を恨んでいたのかもしれない。しかし問題は賀上が犯罪を引き起こしているということだ。

「恨んでるのか……?」

 少し控えめに、前を見据えたまま鵜飼が問う。

「恨んでなんかない。ただ……」

 知りたい。

 なぜこんなことをするのか、理解したい。そして罪を償い、更生してほしい。それが家族として願う当たり前のことではないのだろうか。

 しばらく走り、現場のマンションに到着する。鑑識のテープをくぐり中に入る。現場には数人の刑事と鑑識用のアンドロイドが動いている。

「玄関で刺され、廊下に倒れこんでいたようですね」

 先に到着していた宇野が言う。

「このフロアごと佐久間という人物が買い取っていて、複数人の若者が出入りしているのをマンションの住民が見てる」と玖島。

「佐久間ってのは賀上の偽名の一つらしいですね」

 白瀬はため息を吐きながら言う。出入りしていたという複数人の若者は今はもうこのフロアから逃げ出していて一人もいない。仲間割れの線が濃厚だと思いながら、血痕が残る外廊下を見つめる。ふと監視カメラがあることに気がついた。

「カメラには?」

「今、鑑識アンドロイドが調べてる」

 調べている鑑識アンドロイドの方を向く。カメラに直接コードを差し込み、データを確認しているらしい。すると突然、アンドロイドがシャットダウンした。

「なんだ?」

 不審そうに鵜飼がアンドロイドの方を見る。頭を下げているアンドロイドは強制停止したかと思うと、突然再起動した。

「何かのウィルスが仕込まれていたのかも」と塔乃。

「アンドロイドは事前にウィルスの有無を確認できるはずです。その網を掻い潜るなんて……」

 言いかけた宇野ははっと思い当たる人物の名前に気がついたのか黙った。アンドロイドは機械音声で喋り出す。

『優秀なる警視庁の皆さん。こんにちは。私の名前は〈Spider〉、このアンドロイドをクラッキングさせていただきました。暴れるつもりはないのでご安心を。聞いていますか、白瀬慶介。あなたによい情報を。私たちの次の狙いは病院です。あなたの大切な人が、狙われているかもしれませんよ』

 耳障りな高笑いをして、アンドロイドは回路が焼き切れたように煙を出して黙った。

 歯ぎしりをして白瀬は塔乃の方を向く。

「東青山病院に父が入院しています」

「宇野は病院と〈BORDER〉本部に連絡。鵜飼と白瀬は先に病院に行っていなさい」

 居てもたってもいられず、白瀬は車のある方向へと走り出した。


 ***


「お目覚めですか?」

 東青山病院、その病室に堂安はいた。介護士に扮した格好で、ベッドに横たわる老人に問いかける。老人は黙して語らず、虚ろな目で遠くを見つめていた。

「あなたが白瀬灯也さんですね。聡明な博士と聞きましたが、だいぶ認知症が進んでしまっているようだ。残念です。賀上さんがあなたに会いたがっていましたよ。まあ、本当か嘘かはわかりませんがね」

 堂安はキャスター付きの介護ベッドを押して病院の廊下に出る。東青山病院は患者や来客の緊急避難をはじめていて、慌ただしい。その波の中に堂安と灯也もいた。ただし出入り口にはいかず、避難が完了している別の部屋に入り込む。窓の外からは駐車場の仮設テントから恐々とこちらを見上げる人々の姿があった。


 ***


 車で東青山病院に到着した白瀬と鵜飼は人波に逆らいながら、病院の中に入っていく。病院内には既に塔乃から伝達がいっているようで、皆なるだけパニックになるのをおさえながら駐車場や外へと向かっている。

「君の父親の病室は?」

「四階の五号室だ」

 しかし部屋の中はベッドごともぬけの殻だった。白瀬は慌てて廊下を走っている看護師を呼び留める。

「すみません。この部屋の白瀬灯也は?」

「白瀬さんですか? 少々お待ちください」

 看護師は〈リック〉で白瀬灯也が避難済みかを確かめた。

「いえ、まだ避難が確認されていません。もしかたら手続きが滞っているだけかもしれませんが……」

 そんなはずがないと白瀬は思う。賀上の部下が父をさらったのだ。

「ありがとう。あなたもすぐに避難してください」

 それから二人は監視カメラのある警備員室に向かった。プライバシーの観点から病室にはカメラはないが、廊下にはある。それを見ていくと、父を乗せたベッドを一人の若い男性介護士が動かしているのが見えた。ベッドは同じ階の十八号室へと入っていく。

「十八号室だ!」

「待て、罠かもしれない。いや、十中八九、罠だ。塔乃さんたちを待った方がいい」

「だとしても行かないわけには!」

 地団駄を踏みたくなる気持ちで白瀬が言う。鵜飼が息を吐いた。

「わかった。だけどなるだけ感情的にはなるな。僕らは刑事として現場に向かうんだ」

 白瀬は頷き、二人は十八号室へ急いだ。

 十八号室の扉を開けると、介護士の男が椅子に座っていた。

「動くな」

 かちゃりという音がして、男が手に持っているのが黒々とした拳銃だということがわかる。白瀬と鵜飼は両の手を挙げて丸腰であることを示した。

「賀上の部下か?」

「堂安だ」

 堂安は笑いもしなければ、怒りもしていなかった。恐ろしいまでに冷静で理知的で、合理性のある選択をしそう男に見えた。

「そういうあんたが、白瀬慶介。賀上さんの弟か……」

 銃口は父のこめかみに当てられているため、こちらは一歩も近づくことができない。鵜飼が言った。

「白瀬灯也を殺すように命令したのは、賀上か?」

「まあ一応、そうなるのかな」

「賀上はどうしてテロ行為を続ける?」

 あはは、と冷たい声で堂安は笑った。

「あの人はテロなんてしてるつもりはないよ。ただ、バカ騒ぎしている世界が見たいだけ。警察だってわかってるだろう。たしかにあの人にはカリスマがあるし、陶酔してる馬鹿もいる。けど、究極的にあの人は俺たちのことを仲間なんて思ってないし、遊ぶための木の枝くらいにしか思ってない」

「だったらどうして、お前が賀上の代わりに白瀬灯也に銃口を向ける?」

「俺はあの人に借りがあって、あの人のために木の枝になって動かなくちゃならない。でも白瀬慶介、あんたには同情するよ。あの人はいかれてる。いかれた兄貴を持った弟が哀れでなくて何なんだ?」

 鵜飼がひときわ大きな声あげる。

「考え直せ、堂安。いくら借りがあるからって、殺人まで犯すほどのものか?」

「六人分だ」

 堂安が笑いながら言い返した。

「何が?」

「人間の命、六人分の借りが俺はあの人にあるんだよ」


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