③Chapter.4
新・国会議事堂爆破のニュースは瞬く間に全世界へと発信された。警視庁に戻った白瀬たちもその事件についての情報をいくつか得ていた。中でも特出すべきなのは、日本国総理大臣・米原
義体犯罪捜査課の総勢百名ほどを集めた大会議室で、矢田は難しい顔をしていた。
「この件には〈Spider〉と賀上が関わっている。明確なテロ行為だ」
しかし義体犯罪捜査課にお鉢が回ってくることはなく、あくまでも周りのバックアップが当面の仕事になるとのことだった。しかし、白瀬を擁する玖島班は違った。
「お前たちに選択肢を与えたい。ついて来い」
矢田がオフィスを出てエレベーターで上階へと向かう。重苦しい顔で矢田は続けた。
「現状、義体犯罪捜査課でできることは限られている。本気で賀上を逮捕したいのなら、別の部署を勧める」
「別の部署?」
白瀬が訊ね返すが、矢田は何も言わなかった。
エレベーターが開き、黒い大理石の廊下が現れた。会議室の両開きの扉を開けると、そこには一人の女性が立っていた。赤いヒールに黒いコート。
「塔乃さん……!」
白瀬が驚きの声をあげる。塔乃は薄く笑った。
「少しぶり」
「退職したんじゃなかったんですか?」
呆れたように玖島が言う。
「休みはまた今度にする」
矢田が椅子に腰かける。
「塔乃は書類上、警視庁義体犯罪捜査課には籍を置いていない」
「え?」と宇野。
「かわりに〈BORDER〉に入ってもらった」
部屋に入ってきたのは宇野栄彦だった。
「おじい様!?」
驚いたのは宇野だ。
「久しいな、肇。お前を塔乃に預けて正解だった。よく〈BORDER〉までたどり着いてくれた」
「そのー、今話にあがってる〈BORDER〉って何なんですか?」と玖島。
栄彦はにこりと微笑んだ。
「私が選んだメンバーで構成している義体犯罪に関わる秘密組織、というところかな。公安にも近いが、あそこは私の管轄外でね。一年前に創設し、賀上をずっと追っている。人数はざっと五十人。全員、切れ者だよ」
塔乃が腕を組む。
「退職するつもりだったところを、宇野警視総監に拾われたの。組織の縦割りや縄張り意識にはうんざりしていたから丁度いいと思って移ったわ」
「で、本題だが」矢田が咳払いをする。「塔乃が〈BODER〉に君たちを招集したいと言っている。私としては人員が引き抜かれてしまい厄介この上ないが、白瀬慶介がいる以上、矢無負えないとも思う。君は、賀上を釣るための生餌だからね」
白瀬は頷いた。生餌呼ばわりされても構わない。事実、そのために警察官になったのだ。
「俺は塔乃さんについていきます。賀上を捕まえたい」
「僕も塔乃さんのもとで働きたいです」
鵜飼も即答した。宇野と玖島は言わずもがな、ただ頷くだけだった。塔乃は相変わらず無表情だった。
「不必要になったらいつでも捨てるから、そのつもりで」
けれど少しだけ、その瞳が悪戯っぽく輝いて見えた。
***
計画が上手くいったことに梁島は確かな手ごたえを感じていた。ここから世界を変えていくのだと思うと、革命の鐘が遠くで鳴り響いているような恍惚とした気持ちになる。そのとき自分の部屋のチャイムが鳴る。こんな深夜に誰だろうかと出てみると、堂安だった。
「どうした? ──あっ」
あっ。
言葉もなく、梁島は腹部から血を流しながら玄関に倒れた。ナイフで刺されたのだと理解した頃には全身からどっと汗が流れでいて、意識が今にも飛んでいきそうだった。
「ど、どうして?」
堂安の暗い瞳がこちらを見ている。
「革命ごっこ、楽しかったですよ、梁島さん。でも俺ら、本当は革命なんてどうだっていいんです」
かつかつと硬質な革靴の音がする。マンションの廊下に現れたのは今回の出資者であり、救世主だった。
「こんばんは、梁島さん」
血塗れの梁島を見ても驚きもせず賀上は微笑んだ。
「どういう……」
いったい何が起きているんだ。梁島はぜえぜえと喘ぎながら訊ねた。
「はじめは君の言う革命も悪くないかと思ったんだ。〈区外〉の人は〈区内〉の人と比べたらとても貧しくて辛い思いをしているし、それを助ける革命は面白そうだと思った。けどね、うーん、なんていうのか。飽きちゃった。だから殺すね」
ぺらぺらと、饒舌によく喋る。まるで九官鳥だ。
銀色の刃先が鋭く光り、振り下ろされた。賀上の笑い声が聞こえた気がした。
***
夕方、白瀬は父のいる病院を訪れていた。いつも通り買ってきた黄色いガーベラを花瓶にさす。父は今、眠っていて起きる気配はない。起きたところで、自分が何者なのかすらわからないこの頃のことを思えば、眠っている方が幸せなのかもしれない。
そのときスライド式の扉が開き、スーツ姿の男性が入ってきた。五十代半ば。白瀬の知っている研究所所長だった。
「慶介くん、久しぶりだね」
苑原洋太の顔には影が見える。
「お久しぶりです……。あの、よかったら座ってください」
「悪いね」
苑原は今や悪名高く世間の注目の的となっている〈レプリカ〉実験の主要人物だ。どこへ行くにもマスコミがついて回っていることだろう。さすがに報道陣も病院の中までは入ってはこられないようだが、苑原は傍目にもわかるほど疲弊していた。
「父に何か……?」
父から苑原の記憶が消えてしばらく、彼は病院に来なくなった。病室に苑原が来るのは二年ぶりだ。重苦しい表情で苑原は震える唇で告げた。
「君は今でも彼を父親だと思っているのかい?」
どくりと、心臓が鳴った。全身が冷えていくような気味の悪い感情がどこからか湧き上がる。
自分は何者なのか。
「俺は……白瀬慶介でありたいんです。せめてこの人の前くらいでは……」
白瀬の返答を聞いた、苑原はますますその表情を暗くした。
「君を創ったのは我々だ。その我々が君を否定することはできない。それでもときどき思ってしまうのだよ。君は君という枷に一生縛り続けられることになるんじゃないかと」
白瀬慶介はバターのたっぷり入ったクッキーが好きだった。
白瀬慶介は野球よりサッカーを好んだ。
白瀬慶介は人参が苦手で、コーラを愛飲していた。
たくさんのパーツとしての白瀬慶介の情報。それらの継ぎ接ぎでできている、白瀬慶介に限りなく似た何かである自分。
おぞましいと、人は言うだろうか。まるでフランケンシュタインの怪物だと、指をさして非難するのだろうか。
「じゃあ、俺はどうすればいいんですか?」
自分でも驚くほど静かで冷ややかな声が喉から出た。けれどそれが本音だった。
「我々は白瀬慶介ではなく、君が何をしたいかを聞くべきだったし、そういう人間を生み出すべきだった」
自省するような苑原の声が広い病室に響く。明らかにそれはこちらを人としてではなく、研究成果として見ている言い方だった。だが不思議と不愉快ではなかった。むしろ納得した。
自分たちは失敗作だった。
なぜかすとんと腑に落ちる。それならば、仕方のないかもしれない。
不良品が逃げ出して犯罪者に身を落としたのも、不良品がどこか自分という個性に馴染めず、部屋の家具を増やすことができないのも、致し方なかったのかもしれない。
「実はこの間、ここに来た」苑原は夕日に照らされている父の顔を見た。「こいつはめずらしく私が誰かをわかっていた。そして私を見るなり、泣きついた。許してくれと、言っていたよ」
「俺を白瀬慶介にしたことを、父は後悔しているんですか?」
「わからない。何か別の妄想に囚われているのかもしれないがね」
「……そう、ですか」
しんしんと雪が降り積もるように、病室は沈黙に包まれた。
自分のすべてを否定された。そんな気がしてならなかった。それでも白瀬は灯也を恨めなかった。恨むにはこの男の身体は痩せ細りすぎていたし、あまりに脆く弱々しかった。
誰を責めることもできない。誰も悪くはないのだから。
ただ自分は、どうすればいいのだろうか。
茫洋とした大海の中、掴むものもなく漂っている。どこからか聞こえる音はこちらに嵐が近づいていることを知らせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます