③Chapter.3


「電話、なんだったんですか?」

 妊婦の山下さんがこちらに訊ねる。白瀬は笑って嘘を吐いた。

「職場からです。なんでも俺たち、ニュースで報じられてるみたいで」

「そうなんですか。そう、ですよね……」

 ピットの乗客たちは沈痛そうな面持ちで俯く。この鉄の塊が加速し始めて十五分が経つ。一向に救助が来る気配はなく、ピットが停まることもない。ただわかるのは他のピットも同じように動き続けているということだけだ。塔乃の話していることは共有しない方がいいな、と思いながら白瀬は機械のいる車掌室の方を見る。時速八十キロ、通常よりも二十キロ速い速度だ。このまま加速を続ければ、すぐに時速百キロになるだろう。

「でも助けが来ないなんておかしいですよ!」

 カップルの女性が賛同を求めるように声をあげる。

「落ち着きなさいな、お嬢さん。なんとかなりますよ」

 自分より弱々しい老人がそう言ってくれたおかげで、女性は取り乱していたことを恥じたのか、そのヒステリーはなんとか収まった。

 〈ファイルQ〉

 白瀬は顔には出さず、ただ奥歯を噛み締めた。その情報が世界に及ぼす影響、その情報が自分に与える打撃について思う。けれど人の命に代えられるものなどない。ただ、自分が決定的に世界から隔絶されてしまう未来を思うと、恐ろしくて叫び出しそうになった。


 ***


 義体犯罪捜査課課長室に塔乃は赴いた。厳しい表情で矢田がスクリーンを見つめている。

「塔乃? いつになく怖い顔だな」

「矢田課長、あのピットに白瀬慶介が乗っています」

「ああ、わかっている」

「ファイルQに関してマツリカ義体製造会社は?」

「存在しない、の一点張りだ」

「では我々が見つけてきます」

 矢田は嘲笑う。

「どうやって?」

「方法はいくらでも思いつきますが、今は喋る時間が惜しいです」

「その捜査は非合法だ。許可できない」

「許可をもらいに来たわけではありません」

 矢田の眉がぴくりと動いた。

「……どういう意味だ?」

 塔乃は〈リック〉を起動し、矢田にメッセージを送った。

「辞表?」

「私のクビと引き換えに、四十分間だけ目を瞑ってください。四十分後、ファイルQを手に入れ、矢田課長にお渡しします。公開するか否かは課長の判断にお任せします」

 矢田は面を喰らった表情をした。

「君のすべてのキャリアを捨てるのか? 正気とは思えないな。何度も言うが、これは非合法な捜査だ」

「ですから泥は全て私が被ります」

「どうしてそこまで……」

 困惑する矢田とは違い、塔乃の目はまっすぐに前を見つめていた。

「ファイルQは存在します。ただの刑事の勘ですが、私はその勘を外したことはないので、自分をベットするに十分値するかと」

 矢田は子供のわがままを聞く父親のように肩をすくめた。

「やれやれ。お前にはつくづく手を焼かされるな、最後まで」

 矢田は辞表と書かれたメッセージを開く。受け取ったということだ。

「ありがとうございます」

 塔乃は礼を言い、課長室から出ていった。自分が辞表を出したことは、玖島たち部下には知らせていない。知らせる必要もないだろう。

 無機質で長い、清潔な廊下を歩く。警視庁をやめたらどこで働こうか。まあ、どこでもいい。白瀬を助けてから、ゆっくりと考えればいいことだ。


 ***


 マツリカ義体製造会社本社ビルは都内の一等地に建っている。警察手帳を見せて中に入り、担当者を呼ぶが当然その担当者もファイルQなるものは存在しないと言った。

 社員の向かいに、塔乃、玖島、宇野、鵜飼が座る。中年の社員が困ったように言う。

「ですからいくら仰られても、そのようなファイルは存在しないんですよ」

「そうですか」塔乃が神妙な顔で頷く。「ではこちらを見ていただけますか?」

 そう言って黒い小さなケースを渡す。中年の社員がそれを開いた。途端に、白いスプレーが社員に向かって吹き出し、彼は気を失った。催眠ガスだ。

「監視カメラは?」

 塔乃がガスマスクを取りながら言う。宇野がデバイスを起動し、ハッキング済みの監視カメラの映像を確認した。

「大丈夫です。ちゃんとまだ僕たちが話しているように映ってます」

「社員は一人か……」

 倒れた社員の〈リック〉にアクセスし、社員証を玖島が奪う。

「じゃあ、いいものは年少に」

 そういって指をスワイプし、社員証を鵜飼に送った。

「いいんですか?」

「俺と塔乃さんは偽のビジターカードでファイルQを探す。バックアップを頼むぞ、宇野」

「任せてください」

 鵜飼は社員証のデータの上に自分の顔写真をアップロードし、偽造の社員IDを作る。それぞれが別のフロアにわかれ、エレベーターから降りていく。鵜飼は中年男の働いている六十階で降りた。

 正面ゲートにデバイスをかざすと、軽やかな音が鳴り入室を許される。そのまま人目につかなさそうなコンピューターの前に腰かけた。当然ながらパスワードを求められるが、そんなものを知るはずがない。

「宇野さん。六十階の三十三番のコンピューターを」

 小声でマイクに向かって話しかけると、遠隔操作で宇野がパスワードを入力してくれる。ものの三十秒でロックが開いた。すべてのファイルの中から、Qという単語で検索をかける。山ほど出てくるだろうと予期していたが、結果は一件だけだった。

〈ファイルQ〉

 そのままずばりの名称のファイルが存在している。中身が気にならないと言えば嘘になるが、今は閲覧している場合ではない。データを塔乃の端末に送信する。送信率が十五パーセントに達したときだった。

「君、新人?」

 ふと声をかけられ、鵜飼は顔をあげた。目の前には四十代くらいの女性社員がいた。不思議そうな顔でこちらを見ている。鵜飼は緊張や焦りを顔に出さないように極力注意した。

「い、いえ、インターンです……」

 咄嗟に出た嘘だった。送信率、三十パーセント。

「インターンなんてうちの部署はとってないわよ」

「えっと……」

 我ながら嘘が下手すぎる。暴走するピットの中で白瀬はよく笑って嘘をつけるなと心から感心した。

「あなたまさか……」

 女性の目が疑惑から確信に変わる。送信率、四十五パーセント。周囲の人々もこちらの異変に気付いたのか、ざわざわとした声が大きくなる。

「抜き打ちテストに来たの?」

 抜き打ちテスト……?

 ぽかんとした顔をしてしまう。だが、目の前の女性は安堵したような表情をしていた。

「ほら、年に何度か来るじゃない。パワハラとか企業秘密の流失とかないか調べに来る人。ああ、よかった。うちの仕事内容や人間関係にやましいことなんてないわ。いくらでも調べてちょうだい」

 にこにこと笑う女性に対して、鵜飼は言葉を失った。

 まさに自分がその流出元なのだが。

 まあいい。日頃の行いがいいせいだということにしておこう。

 送信率百パーセントになったのを確認して、鵜飼はぎこちなく笑う。

「私の口からは何もお答えできませんが、そろそろ失礼します」

「そうよね。話しかけちゃってごめんなさいね」

 随分と明るく、のんきな人だ。もちろんそれに助けられたのだから、馬鹿にしてはいけないけれど。

 鵜飼はまた社員IDを使ってフロアから出てエレベーターで地下駐車場に戻った。駐車場に停まっている大型車の中に身体を滑り込ませると、既に四人揃っていた。

「よくやった、鵜飼」

 玖島が鵜飼を褒め、車を発進させる。そのときだった。警備員にしては物々しい装備を身に着けた二人組が出入り口付近に現れたのだ。突然現れた二人をひかないようにと玖島がハンドルを切りながら、舌打ちをする。

「そう簡単には逃がしてくれないってか」

 車のエンジンを止めると、大きな音と共に駐車場奥のシャッターが完全に閉じた。密閉された空間の中、小さなヘリのホバリング音のようなものが聞こえてくる。

──ドローン?

 二人組の男の上を、従順な鷹のように二基のドローンが飛んでいる。よく見るとドローンには小銃がついており、その照準がこちらに向けられていた。

「降りろ!」

 塔乃がそう言うが早いか、四人は車から飛び降り、各々近くにあった乗用車の陰に隠れる。ほぼ同時にドローンから銃弾の雨が車に降り注ぎ、フロントガラスが粉々に砕け散った。

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