②Chapter.3
見舞いに持っていく花を駅の花屋で見繕ってから、白瀬はモービルに乗った。モービルはモノレール型の小さな白い海苔巻き状の乗り物で、一両分の車両が一分間隔で走っている。私生活において、都心での移動はもっぱらこのモービルに乗って行くことが多い。
平日の午前十一時半。白瀬が乗ったピットには四人の乗客しかいなかった。妊婦、老人、若い男女のカップル。けれどそれもこの時間帯ならば、特別めずらしいことでもない。白瀬が座席に腰かけると、目的地へと滑らかにモービルが走り出す。しかしどういうわけだか、次の駅が見えてきでもモービルは速度を緩めない。それどころか加速し、駅を通り過ぎた。
「え?」
思わず声が漏れてしまう。モービルはそのまま加速し続け、次々と駅を通り過ぎていく。車内の人々もあたりをきょろきょろと見まわし、不審そうな顔をする。白瀬は硝子窓から下りのレールを走っているモービルを見た。そのモービルも同じくらいの速度で停車せずに走っている。
「何が起きてるの!?」
若い女が悲鳴をあげる。
「落ち着いてください。警察です」
白瀬は〈リック〉でIDを表示させ、車内の人に見せた。
「危ないので席に座っていてください。運転席の方を見てきます」
乗客はおそるおそると頷いた。
白瀬は立ち上がり、機械が運転する車掌室へと向かう。モービルは無人運転で、扉の前に本部のオペレーションルームとつながるボタンがある。白瀬はそのボタンを押した。
「こちらモービルオペレーションルームです」
「もしもし? モービルが停まらないんだ」
「確認できています。システムトラブルが発生したものと思われます。現在、対処中です」
「あなたは人間? それともAI?」
「人間です。松坂と申します」
「私は白瀬。警察官です。車掌室に入って、緊急停止ボタンを押すわけにはいかないですか?」
「後方のモービルと追突する可能性があるので、現在は緊急停止ボタンを無効化しています」
「では、こちらからできることは何もないと……」
「席についてできるだけ安全を確保してください。パニックが起きないように乗客の方を見ていてくださいますか?」
「了解しました」
通信を切る。話が聞こえていたのだろう乗客たちが不安そうな顔でこちらを見た。白瀬はそれでも何でもないことのように笑って見せた。
「大丈夫。きっとすぐに停まりますよ」
***
警視庁に戻るなり、周囲の慌ただしさに鵜飼は驚かされた。こんなことは入庁以来初めてだ。
「塔乃、戻ってきたか」
捜査課長の矢田が声をかける。
義体犯罪捜査課のそれぞれのオフィスに枝分かれする手前にある、広い会議室は他の課と比べれば、多少は静かだったが、皆が席を立ちスクリーンを見ていた。壁一面のスクリーンにはニュースの映像が流れていて、そこにはいつもの倍以上の速度で走るピットの姿が映っている。ニュース映像には〈システムトラブルでピットが暴走?〉という見出しがついていた。
「暴走?」
宇野が言うと矢田は首を横に振る。
「報道には伏せているが、原因はシステムトラブルじゃない。クラッキングだ」
嫌な予感がする。そのとき警視庁内のコンピューターに一斉にメッセージが届き、不協和音が鳴り響く。宇野が近くのデスクに座りメッセージにコンピューターウィルスの類がないことを確認し開いた。
〈マツリカ義体製造会社にファイルQの開示を要求する〉
〈もしも要求に従わない場合、一時間後にピット同士を衝突させる〉
その文章を読んだのだろう他の課の人々がマツリカ義体製造会社に連絡をかける。だが、マツリカ義体製造会社からの返答は短かった。
『そのようなファイルは存在しません』
存在しないものの開示はできない。当然のことだ。
その情報を聞いた鵜飼は班のオフィスにいた塔乃に訊ねた。
「マツリカ義体製造会社が本当のことを言っていると思いますか?」
「……」ペットボトルに入った紅茶を飲みながら、塔乃は考え込むような目でニュースを見続けている。「思わないわ。間違いなくマツリカ義体製造会社は〈Spider〉の興味を引くような何かを握っている」
「あと四十五分……」
はらはらとした目で宇野もニュースを見ている。そのときだった。カメラが窓側に座っている乗客の顔を映した。
「なっ!」
「えっ!?」
「……」
宇野、玖島、あの塔乃までが驚きで固まっている。なんだろうかと鵜飼もスクリーンの方を見ると、映っていたのは白瀬の顔だった。
「白瀬!?」
加速するピットの中で白瀬は妊婦と楽し気に話していた。彼の性格から考えるに、励ましの言葉をかけつつ世間話でもして不安を和らげようとしているのかもしれない。鵜飼は慌てて白瀬に電話をかけた。
「はい、もしもし──」
「馬鹿か、君は!?」
「は、え、何?」
「テレビだよ! 映ってるんだ、君が! えっと、なんだ、今、暴走しているピットに乗っているんだな?」
そんなこと訊ねなくとも見ればわかるが確認せずにはいられない。いっそ悪趣味な悪戯であってほしいくらいだ。ニュース映像は既に切り替わっていたが、白瀬ののんびりとした声がオフィスに響く。
「ああ、ニュースになってるのか。そりゃそうか」
呆れた。いや、肝が据わっていると感心するべきなのだろうか。
「……イヤホンに切り替えろ。話がある」
「了解。──オーケー。それで、話は?」
「塔乃さんに代わる」
そして塔乃が白瀬に〈Spider〉の情報と四十五分後にそのピットは熟れたトマトのようにぺしゃんこになることを伝える。聞き終えた白瀬はなるほど、と答えた。
「マツリカ義体製造会社が……」
「白瀬の全身義体もマツリカ義体製造会社製よね?」
「はい」
「ファイルQに心当たりは?」
どうしてそんなことを聞くのだろう、と鵜飼は思った。たしかに全身義体の白瀬は部分義体の鵜飼やその他大勢と比べればマツリカ義体製造会社の社員と手術や機械について話す回数は多いかもしれない。だが、それが会社の機密かもしれないファイルQと何の関係があるというのだろうか。
「まさか。ありませんよ」
「あなたについて調べた」
淡白にそして冷徹な声で塔乃は続けた。
「けれど権限がなく、閲覧できなかった。あのデータの中身がファイルQなの?」
白瀬は押し黙って何も言わない。それは無言の肯定と同義だった。
どういうことだ?
鵜飼の中で続々と疑問が浮かび上がる。白瀬慶介について警視庁は何らかの情報を得ている。その情報はマツリカ義体製造会社と関わりのあるもので、通称ファイルQと呼ばれている? もしもそうだとしたら、白瀬とマツリカ義体製造会社はいったい世間に何を隠しているんだ?
「答えて」
塔乃が圧を込めて言う。白瀬がゆっくりとだが答えた。
「……俺はファイルQが公開されようと一向に構いません。ただ、そのファイルQの中身は間違いなく社会を変える。そしてそれがきっと〈Spider〉の狙いです。けれどマツリカ義体製造会社は死んでもファイルQの存在は認めないでしょう。ここで俺が死んだとしても」
「ファイルQを公開さえすれば、ピットの乗客は救える。〈Spider〉は悪辣な犯罪者だけれど約束を反故にはしない」
「公開って言っても、どうやって?」
「私たちがマツリカ義体製造会社に潜入する。そこでファイルQを盗み、公開するのよ」
「潜入? 越権行為です」
白瀬の厳しい声にも塔乃は怯まない。
「そうよ」毅然とした態度で塔乃が答える。「責任は私がとる」
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