Chapter.3 蜘蛛の巣 -Spider web‐

①Chapter.3


 鵜飼は警視庁の地下十階にある電子情報室を訪れていた。電子情報室には判明している凶悪犯の顔写真はもちろん、過去の事件の詳細がすべて電子化され、この部屋のスタンドアローン型コンピューターに収められている。鵜飼は管理者権限に自身のIDを打ち込み、部屋の中に入る。

 白色の明かりに照らされた無機質な部屋。パーテェーションごとにタッチパネル式のコンピューターが置かれていて、人はまばらだった。鵜飼はその一席に腰を掛け、検索をかける。調べたかったのは白瀬智也のことだった。

〈検索結果 0件〉

 眉を顰める。だがすぐに白瀬智也の通り名が賀上であったことを思い出し、再び検索する。

〈検索結果 50件〉

 その数に目を疑った。塔乃の話によれば賀上の活動期間はここ三年。たった三年で五十件もの犯罪に関われるものだろうか。もちろん中には資金援助を疑われているだけの犯罪なども含まれているだろうが、それでもこの数は異常に思えた。

 そのときふと、ある考えが頭によぎった。それは確信があっての行動ではなく、ほんの小さな疑念が動かしたものだった。

 鵜飼は白瀬慶介の名前を入力した。

〈検索結果 1件〉

 この電子データ上には刑事の名簿は載っていないし、白瀬に何か前科があるとも思えない。そうとなると、賀上の弟が白瀬であるというデータだろうかと鵜飼はあたりをつけた。

〈あなたにはこの検索結果を閲覧する権限がありません。〉

 丁寧な機械音声が流れる。なぜ、と鵜飼は思った。

 自分の階級では見られないのなら、塔乃さんのレベルなら閲覧できるのだろうか? 

 そして塔乃はここに白瀬慶介の情報があるか知っているのだろうか。

「私も同じ結果だった」

 手前のパーテェーションから声がする。顔をあげると、仏頂面の塔乃がいた。

「塔乃さん……」

 相変わらず感情の読めない無表情のまま塔乃は言う。

「私の直属の部下なのに、私は彼の情報にアクセスできない。賀上に繋がる重要な情報かもしれないのに」

「白瀬に直接訊いてみますか?」

 塔乃は腕を組んだ。

「……答えるとは思えない。無暗に藪をつつくのも、得策ではないわ」

 たしかにこれだけ厳重に秘匿されている情報だ。白瀬自身が話したくとも一存では話せないほどの情報なのかもしれない。しかしそうなるとますます気にかかる。

 立ち上がりながら塔乃が言う。

「そろそろ仕事の時間ね。ここであったことは誰にも言わないで。白瀬にも」

「はい……」

 白瀬慶介と白瀬智也。二人の関係は本当にただの兄弟なのだろうか。ではなぜ同じ家庭で育っただろう兄弟がかたや犯罪者、かたや警察官になったのだろう。

 たしかに世の中にはままならないことはあるし、何もかもが打ち放たれた野球の球のようにありきたりな放物線を描くわけではない。それでもこの二人の人生は真逆としか言いようがなかった。まるで片方が、片方を強く拒絶したかのようなグラフ。

 鵜飼は〈検索結果 一件〉の表示をしばらく見つめていた。


 ***


 午前十時、義体犯罪捜査課塔乃班のオフィスには白瀬以外の四人の姿があった。座っている玖島が問う。

「白瀬は?」

「今日は非番」

 短く塔乃が言う。白瀬は有給の使える範囲でときどき仕事を休む。なんでも父親が病気で病院に衣類を持って行き、簡単な世話をする必要があるのだと、本人が申し訳なさそうに言っていた。別にただ有給を消費しているのだし、親の面倒を見るなんて立派なことだと鵜飼は思うのだが、白瀬の顔は申し訳なさそうだった。

「今日の仕事はいつもより更に危険かもしれない。気を引き締めて」

 部屋が暗くなり、スクリーンに郊外にそびえる白い外壁の大きな工場が映し出される。工場の看板には大手義体メーカーのマツリカ義体製造会社の文字がある。鵜飼の使っている義眼と義足もマツリカ社製だ。恐らくこの国の半数近い義体ユーザーはここの製品の世話になっていることだろう。

「今朝未明、マツリカ義体製造会社の内部データがクラッキングされた。詳細は不明だが、重要な企業秘密が流出したと考えられ、クラッカーのサーバーは〈区外〉をさしている。我々は捜査二課と合同で犯人を追う。主には〈区外〉での捜査になる」

 第三次世界大戦後、東京は〈区内〉と〈区外〉に大きく二分された。そうというのも、戦後まもなくは義体所有者を差別する風潮が強くあり、生き辛さを感じた人々が〈区外〉に移ったことが原因だ。そこに敗戦国から来た職を求める外国人たちも加わり、今や、〈区外〉は多国籍国家のような有様になっている。同じ東京都内とはいえ、警察や消防、教育機関に至るまで、〈区内〉とは大きな隔たりがあるのが現実だ。

「犯人が今もサーバー元で大人しくしているとは思えないけれど、捜査には慎重を期すように」

「了解」

 白瀬が休みなので、鵜飼は塔乃と組むことになった。地下駐車場へと向かい、車に乗る。自然と〈区外〉へ向かうための運転は部下である鵜飼がすることになった。そういえばハンドルを握るのは久しぶりだと鵜飼は思う。

 首都高速をしばらく走り、〈区外〉に侵入する。大きな人口運河で隔てられた、金網の向こう側の世界。何だか空気までひりついているような気がしてならない。また少し車を走らせると道路の舗装が怪しくなってくる。ガタガタとした振動が不愉快だが、文句も言っていられない。廃墟が立ち並び、その前には健気に露店を出して日銭を稼ぐ人たちの姿が見える。子供の姿はあまり見られず、いるのは世の中に疲れ果てたような大人や、違法薬物にでも手を出しているのか、ぎらついた目でうろついている外観でわかるほどの安っぽいフレームの義体所有者ばかりだった。

「相変わらず〈区内〉とはすごい違いですね」

 ものめずらしい傷の少ない車を皆が見ている。乗っているのは白と黒のパトカーではなく、ただの黒い乗用車だが、それでも警察車両とわかるのか、彼らの視線は不躾だった。

「格差は広がるばかり、ね……」

 遠くを見つめる塔乃が物憂げに呟く。

「知ってる? 経済を発展させるには、格差をより大きくした方がいいのよ」

「でもその資本主義の末路がこれじゃあ、笑えませんよ」

「そうね。でも今更、私たちは来た道を戻れない。ただ未来をよりよいものに変えていくしかない。自分の信じた方法で」

「塔乃さんの場合、それが警察官になることだったんですか?」

 塔乃の両親は宇野ほどではないが警察の高級官僚だ。彼女も幼い頃から警察官を目指していたと聞く。

「個人は世界を変えることはできないと思うかもしれないけれど、それは違う。犯罪者は世界を悪しき方向へと舵を取る力がある。そして私たちは彼らを捕まえる法律という力を持つ」

「悪しき方向、ですか」

 思い出されるのはやはり賀上のことだった。犯罪者を生み出す犯罪者。諸悪の根源とはこういう男のことを言うのだろう。

 そうこうと話しているうちに目的地のアパートに到着した。おおよそ人が住んでいるとは思えないほどみすぼらしいアパートだ。錆びついた階段を歩き、二階の部屋の前に行く。宇野と玖島が背面に回ったのを確認した後、扉を叩いた。

「藤井さん。警察です!」

 藤井敬。捜査二課の調べによると、それがここに住んでいる人間の名前らしい。何度か部屋の扉を叩くが応答はなく、薄そうな扉に耳を当てて生活音がないか確認するも、何の音も拾えない。宇野と玖島に連絡するも、誰も出入りする気配はないという。

 塔乃がドアノブを掴み、軽くひねった。不思議なことにドアは金属のきしむ音ともに開いた。

「銃を構えなさい」

 ピリリとした緊張感が二人の間に走る。

「了解」

 塔乃が先行して中に入り、続いて鵜飼も侵入した。1LDKの中は無人で、家具もない。特徴と言えるものは壁面に大きく赤いスプレーで書かれている文字だけだ。

〈Spider〉

「蜘蛛……?」

 鵜飼が呟くと、拳銃をホルスターにしまいながら塔乃は小さく息を吐く。〈リック〉で塔乃に呼び出された宇野と玖島も藤井敬の部屋の中にやってきた。壁面を見た宇野が眉間にしわを寄せる。

「どうしてここに、このサインが……」

「〈Spider〉って何なんですか?」

 独り話題についていけない鵜飼が問う。宇野が答えた。

「ウィザード級のクラッカーだよ。過去に中華人民共和国国家安全部MSSやインドネシア共和国軍ABRIの内部情報を抜き出したなんで伝説がある悪名高いクラッカーで、性別、年齢、国籍ともに不明。ここ数年でもっとも危険とされている犯罪者の一人」

 ウィザード級。まるで魔法使いのように不可能を可能に変える天才的な存在という意味だ。

「じゃあここに住んでいる藤井敬は?」

 玖島が言う。

「存在しない可能性が高い。戸籍やアパートの契約情報、それらもすべて〈Spider〉が架空の情報をクラッキングして捜査二課にわざと掴ませたと考えるべきだと思います」

 塔乃が腕を組む。

「マツリカ義体製造会社から情報を盗んだのは〈Spider〉と考えて間違いない。そして〈Spider〉はわざわざそれを警察に伝えた」

「詳細は不明って言ってましたけど、そもそも〈Spider〉が盗み出した情報ってなんですか?」

 鵜飼の問いに塔乃は降参だというように首を振る。

「わからないわ。どういうわけだが、マツリカ義体製造会社はそれを言いたくないらしい。犯罪に関わるグレーな情報なのかも」

「楽観的な意見かもしれませんが、ただ腕試しでクラッキングをしたのかもしれませんよ」

 そう言ったのは宇野だった。

「〈Spider〉の活動期間はここ五年ほど。さまざまな国の政府機関や企業を相手取ってクラッキングを仕掛けていますが、大抵は事件が警察に伝わる前に、金銭の取引で解決。基本的に金を受け取れば、それ以上の悪さはしません。賀上が享楽的な思想を持った犯罪者ならば、〈Spider〉は金儲けだけを考えている犯罪者です」

「なら、マツリカ義体製造会社にも今頃、金銭取引の連絡がいってるかもしれないってことか」

 玖島が考えるように自分の顎もとに指で触れる。

「けれど、だとしたらおかしくないですか?」鵜飼が言う。「〈Spider〉はマツリカ義体製造会社からグレーな情報を盗んだ時点で取引を持ち掛ければいい。なのに、そうはしなかった。だってマツリカ義体製造会社は警察に泣きついて、犯人を見つけるように言ってきたんですから。おそらくマツリカ義体製造会社は何の取引ももちかけられていないんですよ」

「私も同意見。わざと警察へ今回の件に〈Spider〉が関わっていることを教えてきたのは奇妙よ。何か裏がある」

 世界的大企業が隠している情報。それを盗み出したウィザード級ハッカー。

 点と点を繋ぐ道筋はまだ誰にも見えなかった。


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