⑥Chapter.2
寧が無事に戻ったと聞いて、松江はその場で倒れこんだと鵜飼は耳に挟んだ。幸いただの過労だったらしくすぐに目を覚ましたが、それだけ孫娘の無事に安堵したのだろう。
早朝。鵜飼は都内の病院の待合室にいた。塔乃班の面々も一緒にベンチに座っている。病室から医師が出てきた。
「お待たせしました。体に問題はありませんよ」
鵜飼はホッとして息を漏らした。
「よかったぁ」
宇野が微笑みながらそう言って、玖島もやれやれと肩をすくめる。
「もう面会しても構いませんか?」
塔乃が訊ねると、医師は頷いた。
明朝、白瀬は港区の倉庫前で発見された。拘束された上に頭を殴られた痕があったため、発見者はすぐに警察に連絡、彼を病院に運んだらしい。連絡を受けて塔乃班はここに駆けつけたのだ。
病室の扉をスライドさせると、けろっとしている白瀬がベッドに座っていた。
「来てくれたんですか?」
頭に包帯こそ巻いているが、大きな怪我をしている様子はない。鵜飼を見るなり、白瀬は驚いたように叫んだ。
「っていうか、鵜飼! 撃たれたんじゃ……!」
「かすり傷だ。もう治った」
今でも傷跡がずきずきと痛むが弱音を吐きたくなかった。
「寧ちゃんは?」
「無事だよ。犯人も逮捕した」
「そっか。よかった」
塔乃がベッドの隣に置かれている丸椅子に腰かける。
「賀上に連れていかれたと聞いたわ。奴と接触したのね。何か話は?」
そのとき白瀬の顔が目に見えて曇った。
「賀上のこと、皆さん知ってるんですね……」
「僕と鵜飼くんは知らなかったんだけど……。複雑な事情なのは、塔乃さんから聞いたよ」
宇野が言葉を濁すが、白瀬は首を横に振った。
「身内から犯罪者が出た。簡単な話です。それで、賀上のことですが、一方的にあちらが話してきただけでした。けれどあいつはまだ何かするつもりです。バカ騒ぎって言っていましたが、本当はもっと悪質で悪辣なことを考えているはず。そうでないなら、わざわざ俺を捕まえたりはしないでしょうから」
「……そう。詳しいことは退院してから聞くわ」
「もう平気ですよ」
「馬鹿言わないで。馬鹿は鵜飼一人で十分」
「僕は別に──」
言いかける鵜飼を手で制し、塔乃は立ち上がる。
「私は後処理に向かう。玖島、宇野も来なさい。鵜飼は半休。白瀬は医師の指示に従うこと」
そう言って、塔乃は玖島たちを引き連れて出ていってしまう。玖島は白瀬の頭をガシガシと撫で、宇野はひらひらと手を振った。突然の休みを言い渡された鵜飼はすることもないので、塔乃が座っていた椅子に腰かける。
「……実は君の家に捜査に入った」
なんとなく、これを言わないでおくのはフェアではない気がした。こちらは上の命令とはいえ、人質となっていた白瀬を犯人と通じているのではないかと疑った側である。
「まあ、いつかはそうなると思ったよ」
対する白瀬は落ち着いていた。
「賀上のこと、どこまで聞いた?」
「君の兄で、犯罪者を〈生み出す〉男だってこと……」
犯罪者を、生む。
その言葉の意味がわからず、白瀬のマンションの中で鵜飼は塔乃に訊ねた。
『どういう意味ですか?』
『その言葉通りよ。賀上は自らの手を汚さず、無辜の人々を犯罪者へと書き換える。それを享楽と考えているおぞましい人間。それが賀上。本名、白瀬
白瀬は苦笑気味に額に手をやる。
「今回の犯罪を計画したのも、間違いなく賀上だ。俺を人質にしたのは、あいつなりの悪戯だよ」
「悪戯? 弟の頭を角材で殴りつけることがか?」
「賀上を理解するのは不可能だ。頭がいかれてる」
いかれていると言いながらも、白瀬の顔は怒りというよりも悲壮という言葉が近かった。
「君の発見された場所の監視カメラから車のナンバーがわかった」
「盗難車だろ?」
「そうだった。カメラに映った顔と前科者のデータを照合したがヒットはなし。証拠もないので似顔絵で指名手配もできない」
「そういう奴なんだよ」
二人の間に沈黙が落ちる。口火を切ったのは鵜飼だった。
「何としてでも尻尾を掴む。これ以上、賀上を野放しにしておけば犯罪が増えるばかりだ」
「同意見だ」
「もしかして君が警察になったのは……」
白瀬はゆっくりと苦しそうに首肯する。
「そう。賀上を追うためだ。どうしようもないダメ兄貴を、牢屋に入れるためだよ」
***
白瀬は無事に退院し、午前休みを警視庁近くの公園にいた。
犯人、水樹尚の自供により、仲間たちの居場所が判明、次々と逮捕されている。意外だったのはテレビで活躍している西園寺の逮捕だ。彼女はすんなりと共犯を認めた。彼女自身は義体ではないが、娘が義体でひどいいじめを苦に自殺したらしい。それをきっかけに今回の事件に協力したようだ。
結局、〈ラベル〉法案は否決され、世間の話題はすっかりとそんなことも忘れて別のことで盛り上がっている。けれどまたこの先も同じことが起きないわけじゃない。
「白瀬さん?」
恐竜の玩具を持った寧がきょとんと首を傾げる。
「え、あ、ごめん。ちょっとぼおっとしてた。その恐竜は何の名前だったっけ?」
「この子は──」
公園には寧と松江昴がつけた警備会社の人間の姿がある。学校帰りにお礼を言いたいと言われ、ここで会うことになったのだ。
「あ、そうだ。白瀬さんにこれあげる」
そういって寧が取り出したのは百貨店で売られていそうな高級チョコレート菓子だった。紙袋に入ったそれを差し出しながら、にこにこと寧が笑う。
「あのときチョコレートの大きい方をくれて、ありがとうございます。だから、今度は寧が全部あげるね」
「もらえないよ。これ絶対、高いやつでしょ」
よくわからないという顔で寧は首を斜めに傾ける。
「ママが、これが日本で一番美味しいチョコだって。だから、これにしたの」
ここまで言われてしまうと断れまい。白瀬はそれを受け取った。
「ありがとう。美味しく食べるよ」
「えへへ。助けてくれて、本当にありがとうございます。白瀬さんは寧の命の恩人です。あとね」恥ずかしそうに寧は白瀬の耳に手をやり囁く。「鵜飼さんにもチョコあげてください」
「…………はい」
イケメン、死すべし。
そんなことを思いながら、白瀬は寧とひとしきり公園で遊び、別れた。
「ん」
「これは?」
警視庁。義体犯罪捜査課のオフィスで、白瀬は高級菓子の袋を鵜飼に寄越した。
「寧ちゃんからお礼。甘いもの好きなんだろ?」
途端、鵜飼の宝石のような翡翠色の目が更にきらきらと輝く。本当に甘党らしい。すべて食べそうな目の輝きっぷりだったので忘れずに白瀬は言った。
「一粒は残しておけよ!」
***
翌日、白瀬は都内の総合病院を訪れていた。穏やかな中庭を望む一人部屋には老眼鏡をかけて小難しそうな洋書を読む白髪の男性の姿がある。
「父さん」
白瀬が話しかけると、男性がぱっと顔を上げ微笑んだ。
「慶介。仕事はいいのか?」
「今日は非番だよ」
そう言いながら椅子に腰かける。窓から涼しい風が舞い込み、カーテンの裾を揺らした。
「職場には慣れたか?」
「まあまあ」
「周りの人に迷惑をかけないようにな」
「わかってるよ」
早速、頭を角材で殴られて入院していたことは父には伏せておくことにした。余計な心配は極力かけたくなかったのだ。
「お前はよく来てくれるが、智也は全然来ないな」
呆れたように父はため息を吐く。
「よほど仕事が忙しいらしい」
白瀬の父親は重度の認知症を患っている。顔が似ているわけではない慶介のことを智也と間違えたりもするし、慶介が訪れても「誰ですか?」と聞かれるときもある。今日は運がよかった。
「そうみたい。でもこの間、会ったよ」
言うはずがなかった言葉が、つい口からこぼれてしまった。
「元気そうだったか?」
そういう父の顔は不安そうだった。父の頭の中の白瀬智也は犯罪などとは無縁で、普通の仕事についている。忙しくてめったに病院に来ないけれど、平凡な人生を送っていると思っている。
「元気そうだった」
嘘ではない。
「よかった」
心の底から嬉しそうに、父が笑う。
本当にそうだったらいいのにと白瀬は思った。
父がいて、兄がいて、ありきたりで平凡で、そんな家族だったらいいのにと思った。
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